月刊"勝丸"-2016   ●Top page  ●月間"勝丸"-2015 


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No.53.2016.12.23  故・佐藤重臣さんへの墓参:-))))))))))
いよいよ年の瀬~~今年もいろんなことがありましたが、皆様のこの一年は如何でしたか!?

私の方はPCの故障やサーバーの吸収合併などで消耗~~医師によるとそういうフラストレーションも原因のひとつだそうで、心臓病と糖尿病に振り回された一年となりました!
そんな中で優秀な医師たちと医療スタッフなどに支えられて、徐々に回復に向かっております:-))))))))))
~~が、<不整脈>だけは思うようにならず、時々測る心電図が私の心臓の<今>を突きつけてくるようで不快です(笑)!
そんな病との闘いの日々でしたので、この一年間は<かない勝丸プロダクション>の活動も何時になく低調でしたが、ここにきて思わぬところから吉報が舞い込んできました!
クロアチアから、『無人列島』の来春早々の上映を申し込まれたのです:-))))))))))

更に、先月号でお報せしたボルドーでの<シュルレアリスム週間>の映画責任者からまたメールが届き、「パスカル ヴァンサンの新著:『日本映画の黄金時代』が発売されたので郵送する」とありました:-))))))))))

これも先月号で取り上げたフランスの映画研究者(マックス テシエ)との夕食会~~その時に彼から「次に来日する時には大島渚監督のお墓参りをしたい!」と言われました!!
私も大島さんには映画や文章などでいろいろと励まして頂き、勇気づけられたこともありましたので、その時には是非とも同道させて貰いたいです!

がその前に、雑誌・「映画評論」の編集長であった故・佐藤重臣さん~~彼は大島作品やアンダーグラウンド映画など新しい映画にのめり込んでいて、更に私が彼の後輩だったこともあってか処女作から応援してくれた恩人です!

また彼は出演者としても協力してくれて、『無人列島』では加藤好弘率いるゼロ次元と行動を共にする異端の反逆児を、『Good-bye』ではラーメン屋の親父を、そして『王国』では時間会議の議長をユーモラスに演じてくれました:-)))))))))

その重臣さんは1988年に56歳で黄泉の国へ旅立ち、その彼の墓は京王線の多磨霊園駅近くにある「聖将山 東郷寺」~~日露戦争でバルチック艦隊を撃滅させた名将・東郷平八郎元帥のお寺で、その山門は黒澤明監督の『羅生門』のモデルとなったといわれ、春には山門前の枝垂桜が見事です

ともあれ、
そう遠くない将来、私もあちらの住人になりますので、墓を清め花と線香を手向けてこの世でのお礼とあの世でのご指導とをお願いしてきました:-))))))))))
     
「Good-bye」でラーメン屋を演じる重臣  佐藤家の墓地  聖将山東郷寺の山門と枝垂桜
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No.52.2016.11.22 ボルドーからのメールとマックス・テシエ氏と:-))))))))))

昨年は5月にフランスのボルドーの「シュルレアリスム週間」に招待され、11月には大阪/国立国際美術館で〈金井勝の世界〉を開催して頂きました~~が、そのころから徐々に糖尿病と心臓病が悪化し、文字通り傘の必要な「陰湿な傘寿」をスタートさせることとなりました!

先日、そんな私に、ボルドーでお世話になった映画責任者のご夫婦=エスメラルダさん &プログレさんから嬉しいメールが舞い込んできました:-))))))))))
が、これまでは英語でのやり取りでしたが、何故か今度はフランス語~~そこで「日本に於けるシュルレアリスムの歴史」をボルドーの衛星都市ペサックで講演された静岡文化芸術大学の石川清子教授にお忙しい中、翻訳して頂きました!
「親愛なる勝さん、先週ペサックで、パスカル・ヴァンサン(1967年生まれの映画評論家)に会いました。彼は日本映画研究の専門家です。2015年にパリで会って、あなたのことを彼に話しました。彼は金井さんのことを知らなかったのですが、私たちの話にとても興味を持ってくれました。彼は『保存版:日本映画の黄金時代事典』を準備中で、その中に金井さんの項目を入れたいと言いました。私たちが紹介して実際そうなったのです。とてもうれしく思っています。」

また彼らのface bookに、「この金井勝の上映会に関わり、立ち会った人に朗報として、パスカル・ヴァンサンに映画界の絶対的な反逆者である素晴らしい監督の存在を紹介しました~~云々」とあり、こちらとても大きな勇気を頂きました:-))))))))))

尚、ペサックはボルドー市の衛星都市のひとつで、エスメラルダとプログレ夫妻が暮らす田園都市~~彼らの情熱もあって文化活動がとても盛んなところ。『無人列島』と『Good-bye』はここで上映され、『時が乱吹く』と『王国』がボルドーでの公開となりました。
     
 エスメラルダ プログレ パスカル・ヴァンサンの著書 
そして私にとってもうひとりの恩人はマックス・テシエ氏~~その彼が日本映画の海外への紹介などに尽力されたことで明治学院大学のシンポジュームに招かれており、そのタイトなスケジュールの合間を彼と会って新宿で食事をしました!

テシエ氏には<微笑う銀河系>三部作のころからお世話になっていて、フランスの映画雑誌・「ECRAN」などに時々執筆していただいておりましたが、中でも30数年前に彼を中心にして誕生した共著=「LE CINEMA JAPONAIS au 1959-1979」で、拙作への高い評価がありました。それがあったからこそ、私がボルドーの「シュルレアリスム週間」に繋がったのだと思います!

この企画のプロジューサー・ダミアン氏が、テシエさんに直接会って交渉~~その時にイタリアで行われていたアジア映画祭を抜け出してボルドーの上映会に駆けつけてくれたのです:-))))))))))

ともあれ映画を作ったお陰で、言葉を超え、時間を超え、空間を超えた友情に、心から感謝~~病を克服して、まだまだ頑張らねばならないと思っております:-))))))))))
     
マックス・テシエと新宿で再会  「日本映画1959-1979」  テシエによる金井勝の頁 

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No.51.2016.10.22 真田氏ゆかりの地を訪ねてきました:-))))))))))

司馬遼太郎の大フアンで、彼の小説のほとんどを武者振り付くようにして読んだことがありました!
それらの作品の中で戦国時代の小説には真田一族も時々登場してきましたがそこではあくまでも脇役~~今年のNHK大河ドラマ「真田丸」では、脚本が三谷幸喜ということもあり毎回欠かさず拝見しております!

そこで先日、妻と一緒にバスツアーで真田家ゆかりの地=群馬県の沼田市、長野県の上田市と現在は長野市と合体している信濃松代の史跡などを、一泊二日の駆け足で巡ってきました。

先ずバスが到着したの沼田市~~街には真田家の旗印・「六文銭」がはためき、≪上州沼田真田丸展≫の会場は大盛況~~さすがはNHKの大河ドラマ、上州上田に活気をもたらしていました:-))))))))))

さて、もともとこの辺りは武田氏、上杉氏、北条氏の国境にあり戦乱が絶えず繰り返されていたところでしたが、天正8年(1580)武田勝頼の先兵として真田昌幸が北条勢を追い払って沼田城に入りました!

しかしその後武田勝頼が織田信長に滅ぼされ、その信長も家臣・明智光秀によって本能寺の変で自害に追い込まれると、その明智も秀吉によって滅ぼされ、やがて豊臣秀吉の時代が到来します:-))))))))))

その秀吉によって  天正18年(1590)、関東一円を支配していた小田原北条氏も滅亡~~猫の目の様に変りゆく中で秀吉によって真田昌幸に沼田城が与えられ、その沼田領二万七千石の初代城主となったのが長男・信幸(後の信之)でした:-))))))))))

やがて慶長5年(1600)、天下分け目の関ヶ原の戦い~~真田家を守ることもあり父と弟は豊臣方へ、長男の沼田城主・信幸は徳川方へ付きます!

城址公園の一角には信幸とその正室・小松姫の像が立ちます。姫は徳川四天王のひとり=本田忠勝の娘~~大河ドラマでも関ケ原の戦いの際、義父・昌幸と義弟・信繁(後の幸村)が夫を伴わずに現れたことを不審に思い、入城を拒むシーンがありました!
この女丈夫の小松姫は時を超え、今でも上州・沼田の人たちから大変に慕われている存在です:-))))))))))
       
上田市の文化散策ガイド  当時の櫓台石垣 城址に残る空濠  小松姫と信之の像 
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沼田を後にして、観光バスはいくつかの長いトンネルを超えて長野県の松代へ~~!
松代温泉の大きなホテルで一泊した翌朝~~地元のボランティアの案内で松代城址などを見学しました!

真田信之は、元和18年(1622)にここ信濃・松代に国替えとなり、信州としては当時最大級の石高である十万石が与えられ、真田氏は廃藩になるまでの約250年間、10代の藩主がこの地を治めます。

さてこのあたりはその昔、武田信玄と上杉謙信による川中島合戦の古戦場~~その武田側の拠点として築かれたのが松代城で、真田家がこの地を治めていたころの櫓門、堀、木橋、石垣、土塁などが復元されていて、この大河ドラマのタイトルバックなどにも使われています。

そこはかとなく優雅さを留めた松代の城下町~~そこには信之が寺領を寄進した信州最古の禅寺・安楽寺や、真田家の歴史をたどる真田宝物館~~そして、文学や武術の他にも、西洋の軍学なども教えられていたという文武館があり、現在も弓道や古武道の体験ができます!

そして幕末になり、勝海舟、坂本龍馬、吉田松陰などの志士たちに大きな影響を与えた大天才=佐久間象山は松代藩士~~彼は朱子学者であり、思想家であり、また兵学者でもありましたが、なるほどと頷けるような城下町でした:-))))))))))

       
 信州松代の城下町案内 復元された松代城の表門と堀  文武館の表 象山神社参道脇の象山像
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昼食をとって次に向かった先は、真田一族の最大の拠点であった上田市へ!

大河ドラマ・「真田丸」の大きな舞台ともなった上田城~~天正11年(1583)に武田氏の旧臣であった真田昌幸が築城に着手し、やがて二度に渡って徳川の大軍を撃退し、ここは天下に真田の名を轟かせたところでもあります:-))))))))))

その二度目の徳川との戦いは関ヶ原の戦いの時~~豊臣方に付いた真田昌幸と次男の信繁がこの名城と戦略とで徳川秀忠率いる大軍勢を足止めにし、関ヶ原で待つ家康を激怒させました:-))))))))))

こちらの≪信州上田真田丸大河ドラマ館≫も活況を呈しており、真田氏に関する歴史的な資料などが展示されています!

関が原の戦いで徳川方に付いた真田信之は、沼田城を息子に譲って上田城主として23年間、さらに転封した松代藩主として35年間勤め、徳川幕府の大名として真田の家名を守り抜き、地元の人たちからは”信濃の獅子”として称えられています!

一方豊臣方に組した父・昌幸と弟・信繁は高野山に幽閉され、父はその後、高野山麓の九度山で病死~~享年65歳。そして信繁はその九度山で名前を幸村に変えました:-))))))))))

さてその展示会場で、
唯一撮影が許されていたのは、大坂の陣で真田幸村の一団が着けた赤糸縅の甲冑だけでした!
その大坂の陣に参加した薩摩の大名・島津家久の書状には、「信繁(幸村)は寡兵でもって大軍を擁する徳川家康の本陣に迫り、(家康を)窮地に立たせた」とあります:-))))))))))

これから始まる「真田丸」のクライマックス・シーンを、
            三谷幸喜がどう展開させていくのか、大いに楽しみです:-))))))))))

       
真田氏所縁の地の案内  尼ケ淵から見た上田城址 復元された上田城の正面 展示場の赤糸縅の甲冑


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No.50.2016.09.20 再従弟の
詩人・金井雄二が丸山薫賞を受賞:-))))))))

この≪月刊"勝丸"≫の3月号で紹介させていただいた、金井雄二の第六詩集・「朝起きてぼくは」(2015年 思想社)が、丸山薫賞を受賞したという報告を頂きました:-))))))))))

私は特に現代詩の愛好家といえる程の者ではなく、正直なところこの≪丸山薫≫という詩人の存在も雄二君からのメールで初めて知ったという体たらくです(笑)。
そこで早速webで≪詩人:丸山薫≫を検索してみたところ、凄い経歴の持ち主だったということが分りました!!!
そしてこの≪丸山薫賞≫ですが、彼と縁の深かった愛知県豊橋市が現代詩の文学賞として1994年に主催~~その第23回に「朝起きてぼくは」が選ばれたということでした:-))))))))))

さて、2010年に出版された雄二の第五詩集・「ゆっくりとわたし」( 思想社)も素晴らしく、その年末の「現代手帖」特集号などでも吃驚するほど大勢の方々から称賛されていました:-))))))))))
身内の私としては当然大きな賞を受賞するのではと期待していましたが、残念ながらそういう報告はありませんでした・・・・・!
   中でも評判だったのが巻頭詩の「走るのだ、ぼくの三船敏郎が」でしたので、その冒頭の部分だけでも紹介させて頂きます!!!
ねえ、ちょっと聞いてよ。走るのだ、ぼくの三船敏郎が。どこまでも肩を上と下に揺すりながら、そのたびに息が、土砂降りの雨の中に消えていくんだ。肩から胸にかけて肌もあらわになって、いたるところに泥までついていて。走るのだ、三船敏郎が。剣を振り回しながら、雄叫びをあげながら。眉毛の一本一本には神経が入っていて、そのどれもがピンとしている。 (後略)」
黒澤明監督の様々な作品の中の三船が演じた映像たちが、詩人・雄二の脳裏の中に住み着いていて、それが脈絡もなくアップショットとなって凄まじい勢いで吐露されていきます!
そして最初はそれが雄二だけの脳内を走る三船敏郎だったが、やがてあの映画の時代を生きた人間たちのそれぞれの脳内をも揺さぶりだしていきます!さらに彼は、三船の荒々しい息遣いと発声の悪いがなり声、汗まみれ泥まみれの映像たちを読者それぞれの脳内に誘発させ、駆け巡らせるという仕掛けを行いました~~その戦略は見事であり、他に類例のない斬新な詩となりました:-)))))))))

その「ゆっくりとわたし」は、彼の幼少年期からの記憶を紡ぎだした詩が主流でしたが、第六詩集・「朝起きてぼくは」では、今の日常生活と対峙しながら書き上げてきた詩たちでした。
中での私の好きな詩は≪月刊"勝丸"3月号≫でも触れましたが「夜に、言葉を」と、下に引用した巻頭の「椅子」です:-))))))))))
   
第五詩集・「ゆっくりとわたし」   第六詩集・「朝起きてぼくは」
「椅子」

コノ道ヲマッスグニ行ッテクダサイ

少し歩くと突あたりになります
そこを右に曲がってください
両側は鬱蒼とした灌木が繁っているでしょう
どうか立ち止まらいないでください
多くの人たちがこの道を歩いたのです
間違えることのない一本道です
踏みしめると石と石が泣きだします
しばらく歩いてください
左側に萱で作った門があるはずです
錆びたトタン屋根の
みすぼらしい小屋
薄暗い電灯が見えるでしょう
そこでみんなが待っています
君の席ももちろんあります

マアルイ小サナ椅子デスケドモ
この詩は、詩人・雄二が読者(私を含めた)を彼の世界の中にある≪椅子≫に招待しようとしているようでもあり、また質素な小屋や小さな椅子などから何故かあの宮沢賢治あたりが雄二自身を招いているような感じもしていて面白いと思いましたが、如何なものでしょうか!?

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No.49 2016.08.20
 庭の植物たちも元気いっぱいの応援です :-))))))))

度々触れてきましたが、年末に心臓の細くなっていた動脈にステントの留置手術を行い、6月初めの検査ではそのステントがとても上手く機能していると言われました~~が、不整脈は相変わらずで、毎秒45~50の不規則な頼りない脈拍が続いていました!
そこで医師に不整脈について尋ねてみると、「これからも注意深く見守っていかなければいけないんです~~。」

それが私の80歳の誕生日~~7月9日あたりから段々と脈拍数も増え規則正しく70~80を刻むようになってきたのです:-))))))))))
しかし手術から半年間はそのままだった不整脈が何故急に正常な状態になったのかは分かりません~~が、気温との関係もありそうなので手放しに喜んではおられません!!!

糖尿病の方も、ヘモグロビンA1Cが現在は7.0まで下がってきており順調のようですが、何故か身体に力が入らず、足元がもたつくことも増えてきており庭の手入れなども無理せず慎重にやっております。

さて、我が家の庭は母屋を取り囲む狭い空間で、田舎に住む従兄が来たとき「なかなかいい庭だろうと」と言ったら、「何処に庭があるの?あぁこれ・・・、これは庭ではなく通路でしょう!」と、笑われました。

しかし、身近にある植物たちは心を和ませ潤いを与えてくれるし、蝶や蝸牛、蝉や蜻蛉、蜥蜴や蛙などの小さな生き物たちを呼び寄せ、日々の暮らしにリズムを与えてくれます。

四季を彩る花々は勿論のこと、月桂樹や山椒、ハーブ、大葉、蕗、茗荷など毎日の食卓にアクセントを与えてくれるものもありますが、自慢の植物は何といっても果樹たちです!
葡萄、梅、アケビ、ムベ、キイチゴ、ヤマイチゴ~~柑橘類も多く柚子、キンカン、カボス、そして檸檬たちの面々です:-))))))))))

6月号でも触れました≪突然の40個のカボス≫に続いて、檸檬も今年は昨年の3個から10個に急増しました:-))))))))))
都心での檸檬栽培はごく当たり前のことかもしれませんが、ここ高幡不動の冬は寒く、日当たりも芳しくない庭なので、来年に向けて気分を良くしています
:-))))))))))
さて、そんな中での80歳の日課は、6時に起床して、植物に水をやり、血糖値を測定したあと、ファミリーレストランのジョナサンに行き軽い朝食をとりながら英語の勉強~~時々海外に呼ばれることなどもあるので10年余り前からNHの≪ニュースで英会話〉をテキストにして続けています。
帰宅後は、無理をしないように日陰を選んで庭の手入れ、血糖値を考えながらの昼食をとり、昼寝となります!

午後は主にTV録画での様々な番組の鑑賞~~お気に入りは大河ドラマ「真田丸」、「なんでも鑑定団」、そして「プレバト」~~特に俳句編が面白く、夏木いつき先生の「助詞」についての説明はとても勉強になります!
またその夏木先生と司会の浜ちゃん、そして梅沢名人などとの間髪を入れないトークが絶妙なのです:-))))))))))

更にニュースを通しての<都知事選>、今は<リオ・五輪>の画像に釘付け~~私のルーティーンも何もかもぶっ飛んで、日本選手の大活躍に声援を送っております:-))))))))))

     
 大河ドラマの「真田丸」 「プレバト」の夏木先生 リオ五輪の「女子レスリング」
今年も昭和ヒトケタの方々の訃報が相次いで飛び込んできましたので、昭和11年生まれの私も気を付けねばなりません~~が、ともあれ2020年の<東京オリンピック パラリンピック>は是非この世で観戦したいと念じている、今日この頃です(笑):-))))))))))


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No.48 2016.07.15 禍を転じて福となせるか:-))))))))


もうご承知のことかと存じますが、これまで割と順調だった私の人生に、昨年あたりから様々な形の黒い影が纏わりついてきました:-!!!!!!!!

先ず最初に姿を現したのは、小さなデビル・クマネズミ~~天井裏を徘徊し、壁を伝わって床下に潜り込み我が物顔で走り回っていたのです。次のデビルは植物~~20数年前に生垣として植えた黒竹(コクチク)で、嫋やかに見えたそれが歳月を重ねるなかで密かに逞しくなってきていて、遂にその地下茎を隣家の軒下まで侵入させていたのだから仰天しました:-!!!!!!!!

まぁそのクマネズミとクロチクの問題は、業者の手を借りたりこちらの絶え間ない努力などもあって今のところは収まっておりますが、最大の敵は何といっても私の身体の中に巣くう≪病魔≫~~それとの闘いです:-))))))))))

昨年の秋口の定期健診で、心電図を測定する看護師さんが吃驚するほどの不整脈が見つかり~~精密検査の後、暮れに心臓の細くなっていた動脈にステントという金属を留置する手術を行いました。更にこの春、掛かり付けの医院で血液検査をしたところ、何と空腹時の血糖値が260~~ヘモグロビンA1Cは9.8と云うとんでもない数値が出ていました~~が、それを私自身が知ったのは、検査からほぼ1ヶ月後になっていたのです:-!!!!!!!!

そこで、糖尿病の優秀な専門医がいる病院に4月の25日に入院~~その時の血糖値は300を超えており、ヘモグロビンA1Cは
10.9にまで上がっていて、医師は≪眼底出血≫を心配してました、が~~幸いにも眼底出血は中心部にもその周辺にもないことが判明、CTスキャン検査による膵臓にも異常は見つかりませんでした:-))))))))))

さて、若い訪問者の方には興味のない老人の病気話かもしれませんが、何時なんどき忍び込んでくるか判らないのが病魔~~下の
≪検査時系列グラフ≫は、私の入院してからのヘモグロビンA1Cのグラフ~~家族のことや将来の自分のことを考えながらご覧い頂ければ、決して無意味なことではないと思いますので、もうしばらくお付き合いください!
このグラフの縦軸はへモグロビンA1Cの数値、横軸は経過時間~~入院した4月25日には10.8だったヘモグロビンが3週間の入院生活を経て、5月31日の検査では担当医も目を輝かせたた8.6~~更に約1ヶ月後の6月28日の検査では7.6を示していました:-))))))))))

正常なへモグロビンA1Cの数値は、4.6~6.2ですが、無理をしてそこまで下げると私の場合は≪低血糖症≫になる恐れもあると言われましたのでので、先生と相談しながら7.0ぐらいまでは下げていこうかと思っております。
尚、インシュリン注射は就眠前の一回だけ~~その分量も入院中は≪8≫や≪7≫の数値の時もありましたが、現在は≪6≫~~食事の前後に呑む薬も少しづつですが減ってきております:-))))))))))


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No.47 2016.06.15 来月で遂に齢八十~~改めてパソコンの手習いを開始:-))))))))))

訪問者の皆様に大変ご迷惑をお掛けしてきましたが、やっとのことで3カ月ぶりにこの<月刊"勝丸"- 2016>を再開させることが出来ました!

実は、この<月刊"勝丸">の2月号=「吉凶は糾える縄の如し」でも触れさせて頂きましたが、昨年は初夏にフランスのボルドーで開催された「シュルレアリスム週間」にメインゲストとして招待され、秋には大阪/国立国際美術館でのイベント:「金井勝の世界」を開催して頂きました:-)))))))))
そんな吉なる隙間に忍び込んできたのが、秋の健康診断で知らされた極度の不整脈~~入院してカテーテル検査を行ったところ心臓の動脈のひとつが細くなっているのが判明~~12月にその血管の内部に直径3mmと2mmのステントという金属を留置する手術を行いました:-!!!!!!!!!!

そのようなさ中に、これまでとても良い関係にあったプロバイダーが吸収合併され~~メールアドレスの変更が強いられ、そしてこのHP<映像万華>も新しいプロバイダーを探さなくてはならなくなりました!
これまでほぼ自己流でPCを操ってきた老人にとってそれは大変に厄介なことであり、日に日にストレスが募って春の血糖値は260、ヘモグロビンは9.8を記録~~掛かり付けの医師から紹介された病院での検査では、何とヘモグロビンは10.2まで上昇~~3週間の入院生活を余儀なくされました:-!!!!!!!!!! 
(※ 右の写真はその時に入院した5階の病室からの眺め~~高圧線越しの富士山です。)

そういったような訳で、2つの病院での入退院の隙間を縫ってHPのプロバイダーを探し、まだ工事中のページも多々ありますが、<映像万華>の復活に何とか辿り着くことが出来たという次第です:-))))))))))

ちなみに、検索エンジンでの「金井勝 映画」の入力だと、まだ最初のページには出てきませんが、この頃やっと「金井勝 HP」の検索で、全てのページのトップに表示されるようになりました:-))))))))))

WindowsのOSを初めとして、PC関連の全てのアプリケーションは日進月歩~~80歳の自己流ではとても太刀打ちできないことを思い知らされ、商工会議所が運営する近くの≪PC教室≫に通って、「PC、八十の手習い」を開始しました:-))))))))))

只今≪ワードの入門講座≫を終了し、次からはいよいよ≪ホームページの入門講座≫~~≪スマホ対応≫なども含めて充実したHP:<映像万華>を構築していきますので、今後ともご贔屓のほど宜しくお願い致します:-))))))))))

また身体の方も優れた医療スタッフに恵まれ、血糖値は順調に下がりつつあり、心臓の方も先日の再検査でステントが頗る上手く機能していることが分かりました:-))))))))))

さて、20年ほど前に府中の大國魂神社の植木市でカボスの苗木を買って裏の水路脇に植えましたが、この間一度もその花さえ見ることが出来ませんでした!
九州・大分県の特産物である柑橘類のカボス~~地球温暖化が進んでいるとはいえ、ここ高幡不動は都心に比のべても5度は低いので諦め掛けていました!

ところが今年は、吃驚するほど沢山の花を付け、大変な数の実を結びました:-)))))))))
                   これが、これから始まる八十路への吉兆となるよう~~念じております-)))))))))
     
植樹から20年のカボスの木 鈴なりの実たち  兎も角、初物なので楽しみ! 
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No.46 2016.03.24
 従兄に文学者の小林崇利が、再従弟に詩人の金井雄二が:-))))))))))


縁者に表現者がいると、とても刺激的であり、心を豊かに潤わせてもくれます:-))))))))))

私は神奈川県高座郡田名村
(現・相模原市)の養蚕農家で生まれ育ちましたが、母の妹も隣の集落に嫁ぎそこで誕生したのが私より二歳年上の小林崇利で、子供のころから割と親しくさせてもらっていました。

やがて彼は故郷を離れ静岡大学に入学~~卒業後は静岡の高校教師を勤めながら日本文学の研究に情熱を注ぎ、特に島尾敏雄の研究では中央文壇でも知られるようになり、「新潮日本文学アルバム 島尾敏雄」には、その研究者として業績が記されています。

著作には「島尾敏雄の文学 -表現者の生-」(近代文藝社1994年2月発売)や「現代日本文学の軌跡 漱石から島尾敏雄」(近代文藝社1994年12月発売)などがあります。

さて、彼から直接恩恵を受けた時期は、私が日大の映画学科に入学し、将来のための準備を開始しようとしていたころのことでした。彼は帰省の度に私に声をかけ、スタンダールの「赤と黒」の熱狂的な研究者であった青年と三人で催した読書会~~そこで学んだことは多々ありました。特にアルベール・カミュの「異邦人」の時の彼の語る実存主義は新鮮で衝撃的~~それが後の私の生き方に大きな影響を及ぼしたことは確かです:-))))))))))

また、これは余談かも知れませんが、私が大映を退社し自主制作を始めようとしていたころ、彼からの手紙に「小川プロの『圧殺の森』のカメラマン:大津幸四郎は静大の同級生だった」とありました。が、その大津さんも一昨年、黄泉の国に旅立ちました。

時の経つのは速いもので、この従兄とは半世紀以上も会っておりませんが、漏れ訊くところによると、彼の年子の息子たちは共にストレートで東大に合格し、揃って一流企業で働いているそうです!
小林大兄の志は、文学研究者としても教育者としても確かな形で実を結び、従弟として誇りに感じています:-))))))))))

   
従兄=小林崇利の作家論  再従弟=金井雄二の第詩集 
次は、再従弟(またいとこ)の詩人:金井雄二です!

数年前に詩人であり映像作家でもある鈴木志郎康さんから連絡があり、渋谷の喫茶店でまだ青年の面差しを残す詩人・雄二と志郎康さんの三人で会いました。私は身内に詩人がいることなど考えたこともなかったので、兎も角吃驚しました:-))))))))))

その時に雄二が鞄から取り出したのが見覚えのある一冊の本~~それは私の父が自費出版した「歩み来し道―土と共に八十年―」で、そこには鉄道員をしていた彼の祖父の名も載っている金井家の家系図があり、また私の映画のことなどもちょっとだけ触れられていました。
彼はその本から映画作家・金井勝の存在を知り、いろいろと調べてみたのかもしれません~~それはともあれ、友人が持っていたというVHSで傷だらけの「無人列島」を観ていたと言いました!

そして次に鞄から取り出されたのが、彼の第三詩集の「今、僕が死んだら」(思潮社2002)」 でした。
その後の彼の詩集は~~「にぎる」(思潮社2007)、「ゆっくりとわたし」(思潮社2010)、そして昨年上梓されたのが第六詩集:「朝起きてぼくは」です。

それらの詩には今流行りの難解な描写などはなく、身近なものに対する彼の優しさが素直な形で表現され、だからこそそこに新鮮な息吹が満ちてきて奥行きのある世界観を紡ぎ出しているのだと思いました!

「朝起きてばくは」のなかでは、巻頭の詩:「椅子」や、下に引用した「夜に、言葉を」が、私は特に好きです。

   夜に、言葉を探しまわっている
   机の下を探し
   タンスの上をのぞき
   ポケットの中にしまいこんだのではないか
   すると
   外では雨が一気におりてきていて
   こんな真夜中に
   ザワック、ザワックと
   これは集中豪雨というものだ
   窓に隙間をつくり
   真っ暗な景色を目の中に流し込んでみる
   空気がかたくなる
   雨の音が響きわたる
   ふと
   こういう夜につながっていたいと激しく思った
   言葉が流れていく
   雨が黒い地面に立ち上がる


かつて先述の志郎康さんに、「詩とは何か?」と問うたことがあります。すると彼は即座に「耳に残る言葉だ!」と答えてくれました!
この上の詩のなかで、「外では雨が一気に降りてきて.....」、「真っ暗な景色を目に中に流し込んでみる.....」、そして「こういう夜につながっていたいと激しく思った.....」と繋がり、そして遂に「雨が黒い地面に立ち上がる.....」~~こうした言葉の後の余韻の中に、読者のひとりである私には、その雨と一緒にこの詩人の魂も地面に立ち上がっていたように感じられ、≪更に深く耳に残る言葉≫となったような気が、今もしています:-))))))))))

この第六詩集:「朝起きてぼくは」は大変に好評だったようで、三好達治賞と現代詩人賞にノミネートされていました!



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No.45 2016.02.23 この夏で80歳~吉凶は糾(あざな)える縄の如し:-))))))))))

その昔<三寒四温>という言葉が中国で生まれ、秋から冬に移ってゆく時期に使われていたようですが、最近の日本では冬から春に変わっていく時に用いられているようです。
やはりそこには、今生きている人々にとって暦の上の<春>よりも、五体に感じる本物の<春>の訪れを確かな形で感知したいからでしょうか~~ともあれ、今年のその<三寒四温>は、<寒>と<温>の温度差が余りに激しすぎて、体調を維持するのが大変です。

さて、これまで大きな病気もせず、作品などを含む全てのことが割と順調にきておりました~~が、丁度
1年前あたりから良いことの中に悪いことが割り込んでくるようになり、徐々に<吉凶は糾える縄の如し>状態に突入しつつあるのではと、感じております:-!!!!!!!!!!!!!!!

そのうちの<吉なるもの>の代表は、なんといってもフランスのボルドーで5月に開催された
<シュルレアリスム週間>にメインゲストとして招かれたことだと思います:-)))))))))))

~~が、その私の帰国を待っていたのは黒竹
(コクチク)の反乱~~15年程前に西日除けに植えた上品な生垣が、まるで別の生き物のように凶暴化し、その地下茎をグイグイと隣家の敷地へ侵入させていたのです:-!!!!!!!!!!!!!!!
※ 写真はその黒竹の根元。強力な除草剤を地下に挿入~~春にその結果を待ちますが、改めて竹類の繁殖力の脅威を思い知らされました!

しかしこのような時でも吉報は入ります~~シベリアの国際映画祭から『前衛仙術』(2003)にお声がかかり、韓国で教鞭をとるアメリカ人のノア・スティーヴンズ助教授の一行もインタビューに来宅しました。
韓国からの来客もロシアでの上映も初めてでしたので気分を良くしていたところ、後期高齢者の健康診断で<不整脈>と診断されました!

その心臓検査のための入院手続きを済ませた11月初旬~~大阪/国立国際美術館で開催して頂いたのが
<金井勝の世界>で、4~50年前の作品たちの上映としては頗る盛況でした:-)))))))))))

そして間もなく第1回目の入院~~カテーテル検査で心臓の血管に異常が見つかり、第2回目の入院で「冠動脈ステント留置術」という手術が行われました
~~が、これは6月の再検査でOKがでれば、私にとって晩年における最大の<吉事>となり、もし血液の凝固などが見つかれば<凶事>となる可能性もありますので、<吉なる材料>か、<凶なる材料>なのかは、まだしばらくは<お預け>です:-!!!!!!!!!)))))))))))

また<吉なるもの>としては、海外のフィルム・アーカイヴスからオファーが有りました~~が、これは相手のあることなので今は何とも言えません。逆に<凶なるもの>は確実な形で存在しています:-!!!!!!!!!!!!!!

それらは天井裏と床下を走り回っている熊鼠
(クマネズミ)と、10日ほど前に坂道を歩いていて発生した右膝の痛み~~それでも前者は近日中に業者が来てくれるそうですし、後者の方も近くの整形外科医の診断と対応が良かったのかかなり良くなっていると思います!

さて、最初に触れた<三寒四温>ですが、どうやら熊鼠の方は寒がりなようで、暖かな日が続くといなくなり、寒くなるとまた舞い戻って来ます。
膝の痛みの方も寒さが関係しているようですので、取り敢えず暖かな春を迎える前に、前者の<駆除>と後者の<完治>に望みを賭ける今日この頃です:-!!!!!!!!!!)))))))))))


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No.44 2016.01.13 明けましておめでとうございます-))))))))))



昨年の、安保法案可決でこれからの日本がどういう方向に動かされていくのかとても心配ですが、そんなさ中、新年早々北朝鮮の水素爆弾実験のニュースが飛び込んできました!

こうした国内外の不気味さの中で迎えた2016年~~私自身もこの夏で80歳になりますので身体のあちこちに良からぬところが表出してきて不安です!

15年ほど前から糖尿病との闘いが始まっていましたが、昨年の健康診断で狭心症の疑いが発生~~暮れに2回にわたって入院しました。

最初の入院では、血管からカテーテルを差し込んで心臓の検査~~その結果重要な血管の一本が狭くなっていることが判明~~次の入院でその血管の中に直径2mmと3mmのステント(コイル状の金属)を挿入しました。これ以上血管が細くならないようにする「経費的間冠動脈ステント留置術」という手術です。

とても親切な病院で、主任医師を初めとするスタッフにも恵まれ、現在のところは何の問題も無く極めて順調です。
~~が、カテーテルで使われる薬品と糖尿病の薬
=メトグルコとの相性が悪いそうで、入院中はその薬を服用することは出来ませんでした。そのため入院中の検査でもこれまでにない血糖値を示していたので、退院した現在、それがどうなっているのかが心配なのです!

ともあれ、80年間それなりに頑張って生きてきました~~が、私の映画を支えてくれた仲間たちはひとり減り、またひとり減りして段々と寂しくなってきました。

そんな中~~この10年間だけでもドイツ、アメリカ、イギリス、ベルギー、スイスそして昨年はフランスからも招かれて<上映&トークショー>を行ってきました。
また国内でも大阪/国立国際美術館で開催された「金井勝の世界」でも多くの方々との出会いがあり、勇気を頂けました:-))))))))))

そして本年もまた、ある海外のフィルムアーカイヴスからオファーがあり、それが実現いたしましたら改めてこの月刊"勝丸"で紹介させて頂きますので、ご高覧頂ければと思っております。





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