2017年夏≪かない勝丸プロダクション≫は、韓国のソウルでした:-))))))))))
私たちの全作品のニュープリントが、韓国の光州にある<アジア文化センター =ACC>に収蔵されたことは、既にご承知の方も多いかも知れません。
その光州ですが、韓国南西部に位置する全羅南道の中心都市であり、1980年5月に起きた反政府運動=≪光州事件≫でよく知られています~~が、私自身はまだその光州もACCにも行ったことはありません。

先ずこの国立<アジア文化センター>ですが、既に数年前に幾つかの部門はオープンしており、日本のアーティストの作品も公開されているようですが、あまりにもその計画が大きかったためか、全体的には様々な施設などを含めて完成してはいないようです!

しかし、実際にACCに行った方々からの情報によると、皆口を揃えて「その規模の大きさに圧倒された!」と言います;-))))))))))

 
 アジア文化センター(ACC)の宵の全景
さて、その中の<映像部門>に収蔵された中に、1970年の夏に韓国ロケを行った『Good-bye』という16mm映画があります。
それがソウルにある国立映画博物館の大ホールで開催された{EXIS2017](=2017年ソウル実験フィルム&ビデオ祭)で特別上映されることになり、そのトークショーに7月12日から3日間行ってきました!
前年の1969年に処女作『無人列島』を制作し、その自主上映の最中にも次作は何としても韓国にロケを決行しようと決め、その構想を模索していましたが、そこには少年時代からの拘りがあったからです。
私の故郷は現在政令指定都市となっている神奈川県相模原市の中央区田名地区ですが、私が生まれ育った頃は高座郡田名村で、村全体が主に養蚕を営む農村~~およそ十集落ある中で私達の集落=望地(モウチ)の殆どが金井姓を名乗っていたからです:-))))))))))
私の家も古くからの農家で、終戦までは平地林を含めるとおよそ二十町歩(約20ヘクタール)を所有していまいÞが、農地改革でその十分の一の二町歩になりました。
~~が、それはともあれ、何故に望地集落の人たちだけが≪金井姓≫なのかずっと不思議に思っていたのです:-??????????
長じてその謎の一端が解明されたのは、古代朝鮮三国時代の歴史~~中国の唐と結んだ新羅軍は、先ず百済を滅ぼし、次に高句麗を滅亡へと追い込んで、西暦668年、遂に朝鮮全土を統一しました!
ちなみにその頃の我が国の天皇は天智天皇~~親密な関係にあった百済を救済するために援軍を送りましたが、残念ながら新羅と唐の連合水軍は強く、敗北を喫していたのです!

何時の時代にも、内戦の後には多くの難民が生まれ、彼らは隣国へと逃れていきます。

そのような状況の中で、関東地方にも多くの難民がやってきたようで、それらの中には<鉄の技術>を持って人々もおり、その一部が金井姓を名乗ったという情報も、私の耳には入ってきました:-)))))))))
また、『Good-bye』の制作中の(1970年の)暮れに、金 達寿(キム タルス)氏の「日本の中の朝鮮文化~その古代遺跡を訪ねて~」が、講談社から出版されました:-))))))))))
そしてそこにも、「(前略)相模(神奈川)に入ってひろがった高句麗系渡来人によってつくられた高倉郡(コウクラグン)が高座郡(タカクラグン)となり~~」云々とありました!
尚、高句麗系、百済系、そして新羅系など~~古代朝鮮からの帰化人が多かったため、現在の日本人の約70パーセントの人々の遺伝子は、朝鮮半島の人々のそれと類似しているのだそうです!
さて、私が国民学校3年生の時に敗戦を迎え、それまで毎日のようにラジオ、新聞、学校などで詰め込まれてきた≪日本帝国の正義≫が覆され、白日の下に露呈しました!
そしてその時、国家と個人の間に生み出される様々な<不条理>に対して、何時の日にか全力を挙げてそのことに挑戦してみようという思いが芽吹き出しました!
少年期によく見た、何処までが事実でどこからが妄想なのか分からない<朝の夢>~~それは何もかもが信じられなくなって彷徨っている<私の意識下の世界>と捉え、その<朝の夢>から紡ぎあげたのが<新しいシュルレアリスム>の『無人列島』であり、初期三部作の<人の巻>と考えました!
それに次ぐ『Good-bye』は、祖先たちが遠い昔に暮らしていた土地を訪ねてみようと思って取り組んだ血から地へと向かう<地の巻>であり、更に続く<天の巻>として『王国』(1973)があり、≪微笑(ワラ)う銀河系 三部作≫としました:-))))))))))

さて1970年の春には日航機よど号のハイジャック事件があり、厳しい戒厳令下での『Good-bye』のロケーション~~朝鮮戦争の休戦から17年経ちましたが、まだその戦争の傷跡も見られましたし、また北朝鮮から侵入する<スパイの賞金首>のポスターも街のあちこちにありました!
ビザの関係もあってロケーションは15日間~~当時はその上に<観光ガイド>のようなものはほとんどなかったので、参考資料は学生時代にスクラップしておいた朝日新聞の連載記事と、日本語が通じる中年以上の方々からの情報だけが頼り~~それでも最後に行ったお寺=梵魚寺の山号が「金井山」であったのには吃驚~~同時に大いなる親近感が湧き上がってきました:-))))))))))
さて、この度私が呼ばれた所は、ソウルの旧市街からちょっと離れた超近代的な大都会~~2002年に開催された<日韓共催FIFAワールドカップ>韓国サイドの拠点となった跡地だそうで、林立する高層ビルの谷間には様々なアートオブジェが点在しており、心を癒してくれました。
しかし、このモダンな新興都市は、所謂オフィス街であり、右上の写真が証明しているように人影がまばら~~それが映画祭に参加する者にとってはちょっと心細くなってきます、、、、、(笑)!

そのビル群の中に国営の<韓国映画博物館&韓国フィルムアーカイヴス =KOFA>の大きな建物があり、その大ホールで7月13日から一週間 <Exis 2017>が開催されました:-)))))))))


     
映画祭のカタログ Good-bye』に
に関する頁
観客数は30数名でしたが
手応えは感じました!
司会のキム・ジハさんと私
私が参加したのは、オープニングの13日と『Good-bye』が上映された14日だけでしたが、その時見た作品の多くは美術的なコンセプチャル・アートでした。
~~が、それらの中に何故か異質で強烈なドキュメンタリーが含まれていました:-!?!?!?

それは、1946年~1958年にかけてアメリカがビキニ環礁で23回に渡り行った<水中原子爆弾実験>の記録映画だったからです!?
映画祭のカタログによると、「長崎に落とされたのと同じ型の原爆で、700以上のカメラと500人のカメラオペレーターがこのテストサイトを囲んでいた」のだそうです!

そしてそこに試験用に浮かんでいた不気味な艦船たちは、アメリカの軍艦「ネバダ」などに混じって、日本海軍やドイツ海軍の戦艦なども<主要標的艦>として登場させられ、度重なる核実験により徐々にその数を減らしてゆくのでした!

1954年には、このビキニ環礁での水爆実験で日本の遠洋マグロ漁船・<第五福竜丸>が被爆したのは良く知られています:-!!!!!

万物にとって掛替えのないこの地球~~他国を威圧するための核実験やミサイルの打ち上げ実験が相変わらず続いており、改めて人間たちの愚かさに、この上ない虚しさを感じさせられます:-!!!!!!!
さて、14日の夜は『Good-bye』の上映とトークショーですが、日本を発つ前の晩に映画祭の担当者からメールがきて、そこには「まだ日本語ができる通訳が見つかっていない!」とあり、仰天~~そこで「是非とも前衛的な映画が理解できる通訳を探しておいてくれ!」と強く要望しておきました:-!!!!!!!

そして司会&通訳はACCのキム・ジハさんに決まったと聞き、先ずはほっとしました!
勿論それまでに日本語によるメール交換は有りましたが、お会いするのは今回が初めて~~映画祭のカタログの私に関する記事もキム・ジハさんだと知り、その確かな紹介文に徐々に不安が勇気へと変わっていきました:-)))))))))

更に当日お会いして、彼女がかつて多摩美術大学に留学していたことがあり、日本語は勿論のこと前衛的な映画の知識も豊富で、更に私に関する著作などにも目を通されていたので、本当に助かりました:-))))))))))

上映素材は、韓国語の字幕入りビデオ~~ともあれ<IMAGICA ウエスト>の研究熱心な技術者たちによる作業により、50年前のネガからの映像&音声とは思えないその出来栄えに、心から感謝!
トークショウでもキム・ジハさんとの息が合い、
    決して多いとは言えない観客数でしたが、そこには確かなる一体感が生まれていたように感じました:-)))))))))))))))
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