怠けているようでも、この「あばら家物語」ももう十一話となるのだから「継続」とは凄いものだ。その中でしばしば「前衛堕仙人」だの「プラス思考」だの「爽やかな風」だのと綴った覚えもあるが、実のところ世に棲む日々はそうそう生易しいものでは御座らぬ。
その一番は、対人関係などから生じるストレスだ。本来は神経質な性質(たち)であるこの勝丸――それを何とか克服しようと様々な仙術を編み出し、陽気に振舞おうと努めてはいるのだが、時として鬱気が忍び寄ってくる。
その療法は平凡といえば平凡だが、やはり温泉である。第三話で触れているように、智女と二人だけの結婚式は太古の昔に聖占仙人が開いたと伝えられている箱根権現――宿泊は、宮ノ下温泉郷の富士屋ホテルで御座った。
明治十一年に国際ホテルとして開業し、以後喜劇王・チャップリンや、ヘレン・ケラー、アインシュタイン博士、元ビートルズのジョン・レノンなど、世界の綺羅星たちが訪れている。それまでは余り温泉に興味を示さなかった智女であったが、これで味を占めたというよりは、やはり彼女もストレスからの解放には温泉が宜しいと悟ったのであろう――我ら二人はおよそ三ヶ月に一度の割で二泊三日の温泉旅行に出かけることに致している。
次にいったのは、泉質、湧出量ともに温泉の横綱・草津温泉――、三度目は、尾瀬ヶ原ハイキングと兼ねた大江川温泉、四度目は伊豆畑毛温泉、五度目は北陸めぐりで石川県の片山津温泉、六度目は北信濃の野沢温泉、七度目は川端康成の『雪国』で知られる越後湯沢温泉、八度目は再び草津温泉で、九番目は伊豆の稲取温泉、十度目は日光見物を兼ねて栃木の川治温泉であった。
現在の温泉法では、地中から湧出する水の温度が25度C以上か、はたまた溶けている化学成分が1キログラムに1グラム以上含まれていれば温泉と認知されるので御座る。また掘削技術の進歩と汲み上げポンプの発達によって至るところに温泉が誕生しておる。
そこで番外として、あばら家から車を使えば十分足らずの距離――言わば裏山とも申すべき多摩丘陵の頂にある多摩テック天然温泉のクア・ガーデンに触れぬ訳にはまいるまい。
数年前に45.9度の温泉を掘り当てたということは新聞で知ってはいたものの、当初から余り気乗りはしなかった。
ところがこのHPのプロバイダーであるHINOCATVから招待券を頂戴したので、秋口に智女と一緒に出かけれみた。
泉質はナトリウム塩化物泉で、効能は疲労回復や神経痛などに効くそうだ。
湧出量は毎分470リットルと頗る豊かで、宵闇が迫ると広い浴槽から多摩の夜景が一望――およそ百メートルの高さの違いで別世界を演出し、温泉通を自認するこの勝丸も大いに感激致したという次第である。さて十一度目の温泉は、先日いってきたばかりの信州・蓼科牧場温泉――。
ここは白樺湖の奥にあるリゾート地にただ一軒ある温泉ホテルで、湧出量も少なく温泉そのものには物足りなさを感じたのだが、その分食事は至って豪勢でまずまずというところか。
更にホテルの直ぐ前にゴンドラリフトがあって、それに乗って急勾配の斜面を眼下にして飛ぶ――いや飛ぶわけではないのだがそれほどのスピード感で、着いたところが「蓼科御泉水自然園」。
色づいた白樺や唐松の林、濃い緑の栂や樅の林、そして規模は小さいながらも湿原が広がっており、フィトンチッドの溢れた森の散策は予想外の収穫であった。また七竈(ナナカマド)などの木の実、野薊(ノアザミ)などの可憐な花々が野鳥の囀りと相俟って心を癒してくれる。
そんな森の中で、これまでお目にかかったことのない幻想的な風景と出合った。
唐松の枝から糸状に垂れ下がっているそれはサルオガゼと申すそうで、霧のよくかかる深山の樹木に付着する地衣類――古来心臓病、肺病、婦人病の薬として用いられてきたという。温泉の物理的作用には、温熱作用(新陳代謝や自律神経の調整に効果)、水圧作用(広い湯船の水圧よるマッサージ効果)、浮力作用(重力から解放)があり、それに温泉に溶けている成分による化学的作用が加わる。
しかしそれ以上に、生活の場から離れて大自然の中に身を置く「転地の効果」こそが、ストレス解消に最も有効なので御座ろう。浮世の憂さを忘れる温泉旅行――三ヶ月後の勝丸・智女は、いずこの温泉の湯船に浸かっているのであろうか――。
(写真上は草津温泉――雪の露天風呂。下は樹木の枝から垂れ下がるサルオガゼ)
築三十六年の我があばら家――その上に安普請ときたものだから情けなや、壁といわず天井といわず、何から何までがベニヤ板尽くしで御座るのだ。
そのベニヤ板尽くしは、歳月とともにあちこちに綻びが出てきて手を加えざるをえず、現在の内装は新築当初とは似て非なるものになっている。初めのうちは体裁の良かったこの居間の天井も、四〜五年もするともう所々に褐色の斑点が浮き出てきた。ベニヤ板に見てくれの宜しい布を張っただけの代物であったがために、釘の錆が滲み出てきたというわけである。
仕事に追われてずっとその儘にしておいたが、やはり頭上の染みは不愉快千万――かとて天井の貼り替え作業は難儀で、またその苦労の割には余り儲けに繋がらないから大工の敬遠するところだ。
そういったわけで十年ばかりは辛抱していたが、錆の輪が段々と大きくなってきて、遂に我慢し切れず建材屋から火災に強い材料を取り寄せこの勝丸が独りで張り替えた。
とくとその出来栄えをご覧あれ――今でも天井を眺めては、「玄人はだし」の技だと自画自賛しておる次第である。
勝丸が張り替えた天井 白虎社の祭り旗を張ったドア ドアにある「熊野民俗藝能祭」の書はなかなかのもので御座ろう。さる一流の書家の文字だそうだが、このあばら家を訪れた審美眼の持主は必ず賞賛してくれている。
これは十数年前に暗黒舞踏の白虎社が催した「熊野山中満月の宵」の公演に招かれた折に、座長の大須賀氏にお願いして貰ってきたその時の祭り旗で、勝丸の美学に基づいて張った。
しかしこれとても伊達や酔狂だけの産物では御座らぬ。歳月とともにドアのベニヤ板の接着剤が剥がれ出してきて醜さを晒し、その剥がれを停止させんが為の表装であった。
数年前にその百虎社も解散してしまったのだから、この旗自体の意味も大きい――。造り付けの棚は安手のビニール張りで、色も落ち着きのない赤だったから気に食わず、こちらは新築早々に張り替えた。
また数年に一度表装しなおさねばならぬ襖というものが、余り好きとはいえない勝丸である。もうかれこれ二十年近くになんなんとする昔の話だから構うまい。
先妻と息子が去って精神的にどん底に堕ちたこの勝丸――それでもTVのレギュラー番組が入ってきて多忙になり気を紛らわすことが出来たが、番組と番組の間の休みが一週間も続くと耐えられず、何かに熱中しようと、家中の襖という襖・十一枚(内、七枚は表裏)を布張りに変えることにした。襖の下張りはご存知のように紙であり、紙と布の伸縮率が異なるが故になかなか難しく、試行錯誤を繰り返す。
とても一週間やそこいらではままならず、次の番組の取材が始まった後も帰ってきてから毎晩こつこつと作業を続け、およそ一ヶ月の日々を費やして完成に至った。
炬燵も今年からテーブル形に変身 襖に勝丸が描いた旭日 さて、この居間も勝丸シネマの重要なセットで御座る。
『王国』では詩人・五九勝丸(むささび童子)が、編集者(故・城之内元晴)に原稿を渡すシーンをここで撮った。そのジョー(城之内)による詩の朗読やフラフープの場面は、その後も『ジョーの詩が聴える』や『聖なる劇場』にも使われているのでご存知の方も多いかと思う。また『一本勝負の螽斯』での、先妻が書きおいた「別居通告」を読む場面もこの部屋である。部屋の様子は大きく変わったが、『王国』の時のあのフォルテッシモのジョーの声が今もこの居間にいると聴こえてくるような気がする。きっとこの部屋そのものが脳細胞のようになっていて、彼のことを記憶しているからに相違ない。
この詩(うた)ももう終わる
忘れ去る汝ら而れども
人の生命(いのち)も
またクロノスが
からかい
時のオモチャ時が流れるぞ
時が流れるぞ
轟々と音をたてて……あばら家の良さは、あばら家ならではの気楽さにある。
襖に下手な旭日を描くのもこの勝丸の勝手――その旭日が切腹の血飛沫のようにも見えるので、今回の肉体表現は「HARAKIRI」としたが、如何なもので御座ろうか!?
居間の肉体表現は「HARAKIRI」でした
地球の温暖化が騒がれて久しいが、それにしてはこの冬は頗る寒い――その上ここ武州高幡不動は都心より四〜五度は低いのだから、かつて仙人を志したことのあるこの勝丸といえども骨身にこたえる。
さて、この植物シリーズの第一話・「植物図鑑・初夏篇」で「〜香り立つ花、実のなる草木を愛でる癖(へき)がこの勝丸にはある〜」と記したが、ご記憶に御座ろうか……。
この冬篇(第三話)でも季節を告げる芳しい花や木の実・草の実が中心――先ず第二話「植物図鑑・秋篇」で「〜藤袴(フジバカマ)はもともと中国の花で、香料として使われていたものを奈良朝時代に輸入し、それが野生化したのであるそうな〜」と綴ったが、その藤袴の爾後の話から入ろうと思う。この勝丸は大の風呂好きである。
かつて読んだものの本に「藤袴は古人がお風呂に入れてその香を楽しんだ」とあったと記憶しているので、花を愛でたあと刈り取って陰干にしておいた。
年が明けると遂に21世紀――新しい世紀の幕開けに古(いにしえ)の文化を取り入れるのもまた乙なものと、花や茎をちぎって木綿の袋に入れ浴槽に浮かべてみる。
と、仄かな香気が浴室に漂い いとおかし――奈良朝の雅を文字どおり肌で感じたという次第である。
秋の七草の一つ藤袴の陰干し 芳香を漂わせて咲く蝋梅(ロウバイ) さてこの時期の香り立つ花はなんといっても蝋梅で御座ろう。
中国原産のこの花は明るい黄色で、その名の由来ともなる蝋細工のような光沢――更に甘いその芳香が得も言われぬ程に宜しいのだ。
寒々とした冬の庭の一隅で、そこだけ「春」を演出しているかのような蝋梅――今年は元旦にその最初の一輪が花開いたのだからなんとも吉兆なり。一般的には、早春の花といえば梅であろうか。
我があばら家にも紅白二株の梅の木があるがもともと奥ゆかしいほどの晩生、更にその上十年ばかリ前に隣家が二階を増築したので陽が遮られ、例年の開花も雛祭りの頃――寒さ厳しい今年はその蕾も小さくまだまだ硬い。その梅の代打要員というわけでは御座らぬが、鉢植えの植物たちが陽射しをいっぱいに浴びていち早く春の到来を告げようと健気に頑張っている。
その一つはジャスミン――熱帯から亜熱帯にかけてが原産地でおよそ二百種あるそうだが、今年になって入手したそれはハゴロモジャスミンで、今日(2月6日)その一輪が開花した。
甘く魅惑的な香り――リラックス効果があるというので勝丸大いに楽しみである。もう一つは沈丁花――開花までにはもう少し時間がかかりそうではあるが、こちらも春を告げる代表的な香りの持主だ。
ところで大抵の植物は花が咲けば果実が稔るのだが、この沈丁花の実を知る御仁は御座ろうか――沈丁花は雌雄異株で日本にはその内の雄株しかなく、そのために実を結ばないということをこの程知った。道理でこれまで、庭師・勝丸をしてもお目にかかれなかったわけが納得できたという次第。
ハゴロモジャスミン 沈丁花(ジンチョウゲ) この時期に実をつけている植物と申せば、南天(ナンテン)、万両(マンリョウ)、青木(アオキ)――それらは皆赤い実で野鳥たちが好み啄ばみにくる。
一方地を這う下草に目を移せば、暗色の小さな実が成っている。その一つは蛇の鬚(ジャノヒゲ)であリ、もう一つは藪蘭(ヤブラン)――ともにユリ科の多年草で古来その根は漢方薬として用いられてきた。
ともあれ、ひっそりと実をつけたその佇まいが、そこはかとなく奥ゆかしさを感じさせるのだ。更に忘れるわけにはゆかぬものに柚子(ユズ)がある。
「桃栗三年、柿八年――梅は酸い酸い十三年、柚子は九年花盛り〜」とか「桃栗三年柿八年、後家は一年、柚子の大馬鹿十八年〜」とかいわれてきたが、柚子の実を成らせるのはなかなか難しい。我があばら家には三株の柚子が植わっているが、そのひとつに三十年を過ぎても果実はおろか花もつけない本柚子がある。
そこで四年前に府中・大国魂神社の植木市で、「来年は必ず実が成る」という売り子の言葉を信じて本柚子の大きな苗を買ってきたのだが、地質のせいかこちらもその気配は全くない。
残る一株は花柚子でもう十年も成り続けてはいるのだが、本柚子と比べれば残念ながら風味が劣る。
蕎麦を好物とするこの勝丸の、柚子にかける執念はまだまだ続くのだ――。
藪蘭(ヤブラン) 雪帽子を被った花柚子(ハナユズ) 今年はもう三回も雪が降った。
週間予報だとまた雪になるそうだが、植物たちは強かに春にそなえている。
もう直ぐ、残雪の割れ目からフキノトウが顔を出し、タラの木も芽吹くであろう。
望春――
智女観音の揚げる天麩羅は至って美味なり。
あばら家の庭・三度目の雪景色
このHP「映像万華」の目玉ともいえる「あばら家物語」だが、気が付けばもう四ヶ月も手付かずの状態――実験映像にさしたる関心の御座らぬ方々にとっては唯一のお楽しみであったろうから、何とも申しわけない次第である。
その休載の主なる理由は、この「納戸篇」での躓きで御座った。
何せここは箪笥や鏡台などが犇きあっている三畳の小部屋で、普段は智女の化粧部屋――この勝丸にとっては居間と奥の部屋との通路としてがその主なる用途で、ここに留まるのは着替えの時だけで御座るのだ。
それだけにこの納戸だけで「一篇」に纏めるには材料不足の感があり、幾度か挑戦してはみたものの、その都度気力が萎えてきて、とどのつまりは他のページに気を移してしまうのが常なのであった。「しからばその納戸を飛ばすか、何か別のテーマも御座ったろうに……!」と、お叱りのお声が聞こえてくるようだが、こことて『一本勝負の螽斯』の重要な舞台――合気道の道着に身を固め、颯爽と登場したのがこの場所だ――どうしても素通りできない拘りが、この勝丸の心のどこかに巣食っていたのに相違ない。
とは申せ、その場面とてご覧頂いた御仁の中にはお忘れのお方も多いやも知れぬ。
ならば背後に掛かるセーラー服をとくとご覧あれ――それ、あの場面が鮮やかに甦ってきた筈だ!
『一本勝負のキリギリス』のスチール あばら家自慢の、紅の襖 さて、ここらで本編に移ろう――。
この部屋の魅力は、何といっても襖の艶かしいその気配であろう。
もうこのシリーズで何度も触れてきたように、十数年も昔のことになるが、家中の襖という襖を布張りにした。
その時に、「納戸」という言葉の響きが持つその「薄暗いイメージ」を払拭せねばと、紅色に統一したので御座る。
冬の傾きかけた陽射しがガラス戸を通して差し込む時などには、特に艶めく紅――えもいわれぬ官能の美が、この堕仙人・勝丸の心を贅沢に包むのだ。その襖に勝るとも劣らない官能の美は、頭上をも覆って御座る。
かつての天井は、あたかもそれが檜の一枚板であるかのように装ったベニヤ板であったのだが、時間を司る神・クロノスはそのようなイカサマ・小細工を容赦する筈もなく、やがて接着剤は剥がれて見苦しさを露呈した。
そこで襖と同色の和紙を探し求めて張ったので御座るのだが、その出来栄えやいかに――?
いや、内装などというものは、そこに住む者がよければそれで宜しきもの――われら夫婦は頗る満足也!襖、天井、カーテンと紅色に包まれた納戸――ここの主(ぬし)的存在となったあばら家観音・智女は、「まるで女郎部屋のよう」と、申して微笑む。
そこで、ご開帳(女陰を人に見せることもご開帳という)――!
この女郎部屋には、映像文化の貴重なる宝物・秘仏が格納されて御座るのだ。
長い間この「あばら家物語」を休載したお詫びとして、今日は出血大サービス――秘仏中の秘仏をご開帳致すので、とくとご拝観あれ――!
和紙張りの天井と箪笥類 『鎖陰』のポスター(コピーを禁ず) 右上の写真がその秘仏――、
手術台に横たわる女人の腹部には、「鎖陰の儀」と御座る。
そもその「鎖陰」とは何ぞや――広辞苑によると「子宮膣腔が閉鎖した状態。処女膜閉鎖・膣閉鎖・頸管閉鎖の別がある。多くは先天性。後天性鎖陰は急性伝染病・潰?・裂傷・腐蝕などにより生ずる」と記されている。これは、日大新映研が1963年に制作した『鎖陰』という映画のポスターだが、この映画はそん所そこらの学生映画とはわけが違い、様々な「もの初め・こと始め」が詰まって御座るのだ。
まず、学生が作った実験映画としては、わが国最初の35mm作品であったこと。
また学生映画としては初の劇場公開――それも若者の間で最も人気の高かった映画館・ATG新宿文化で、レイトショーという公開方法のその第一号でもあったので御座る。(等々あるが省略)それでは何故に、そのポスターがこのあばら家に収蔵されているのかと申せば、『無人列島』(’69)を自主上映した折、大阪で主体的に上映活動を支援してくれた芸術家たちのグループが、『鎖陰』との同時上映を強く希望されたのがその契機で御座る。
それではと、足立正生監督のアパートを訪ねたのであるが、彼は、「イベント(現在でいうパフォーマンス)で燃やしてしまったから、残っているのはここにあるたったの二枚――」と、その内の一枚を手渡しながらそう宣うた。このポスターが制作されて早や三十八年の歳月が流れ、おまけに紙質も上等とは決していえないものである。
頂戴してから十年も経つと傷みが生じだしたので、しからばとこの勝丸――和紙で裏打ちを施したので御座る。
例のTV番組「開運!なんでも鑑定団」に持ち込めば、保存状態などで厳しいお言葉を頂戴しそうだが、何といってもその史料としての価値と現存数――その点では極めて高い評価を受ける筈である(笑い)。「鎖陰の儀」と記されたポスターに挑発され、
この納戸での肉体表現には力が入ったが、さて、如何なもので御座ろうか――!?
☆
女郎部屋を覗く蛸入道
15 MONSHIRO姫の「あばら家訪問記」 (2001.8・19)
先日、妻の智女が勤務するアトリエ染花関連の麗人たちが来宅し、このあばら家と、その周辺の緑なす高幡の里は大いに華やいだ。
ブルーベリー狩りを楽しみ、稲田に花開く蓮や、舞飛ぶ赤とんぼに歓声――都(みやこ)暮らしの憂さから解き放たれ、皆和やかに語らい、零れる笑み――その様子に、亭主・勝丸とて歓ばずにはいられまい。
その零れる笑みの主たちのひとり・MONSHRO姫は、既に『時が乱吹く』評でご存知のように文章が得手で、早速その姫から、あばら家とこの勝丸へのオマージュを頂戴したという次第――それでは、とくとご覧あれ!
〜あばら家訪問記〜
MONSHIRO
夏なのになぜか涼やかなその日、私、MONSHIROと明子さん、容子ち
ゃん、ナオちゃんの「染花の不思議な糸」で結ばれた4人娘は念願のあ
ばら家.....人様の家を「あばら家」と呼ぶのも失礼ではありますが......愛を
込めてそう書きます。をついに訪問する事が出来ました。郊外の、自然と共存するというイメージの高幡不動は思った通りの土地
ではありましたが、意外にも新宿から30分!!という近さ!電車で明子さ
んとお喋りが弾む手前くらいで、もう、そこに降りる駅が、あばら家が。その家は一見して、建て売り一戸建てとは対極にある、愛おしんで作ら
れた、住まれた家であるのが感じられました。あばら家に入ると!あれ〜
いきなり、「あの」映画で見た部屋が!そしてその監督が!映画に出演し
ていた人(金井氏)が!!その、たたみかけるような連打の衝撃は「チネ
・チッタに行ったらフェリーニが道化師と話していた」のを目撃するくらいの
衝撃度でしょう。自称「柔らかな映画マニア」の私としては、金井氏との対話は螺旋に飲
まれるような快感で、同世代で「ヌーヴェル・ヴァーグは良い」と語り合う
のとは違い、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の時代に、「映画を撮っていた」人物
との対話ですから.......。ああいえば、アラン・レネ、こういえば、パゾリー
ニ。どのアイコンをクリックしても「生」の「金井流映画論」が聞けるのです
から。おそるべし、の体験ですね。そして話は日本映画の黄金時代、かの巨匠たちの、金井流の愛と本
音を込めたドキュメントなお宝秘話、本当に「ここだけの話し」には惜しい
程で....本にすれば?と思う程の内容でありながら、「体験」として記憶に
封印したい、あるいは、「金井作品」とは別の意味で所有できた、脳に刻
み込まれた貴重な時間ではないかと。映画の話しの合間には、妻の智子さんによる手料理がどんどんと。。こ
れまた、たたみかけるように美味しい料理が....。みなさん、良い作品を作
っていれば、こんな素晴しい伴侶が与えられるかも、って、これは「法則」
にはなりませんけどね!今回の対話で特に印象的だったのは、「作品は時代を背負っている」
と。そして私たちも80年代なりの時代を背負っているね、と。でも、背負う
時代は違うけれど、それぞれの時代をどう受けるか?その「感受性」とい
うのはおこがましくはありますが、私たちは金井氏にとても共感し、共鳴
し、だからこそ「金井先生」であり「勝丸監督」であり「友人の勝ちゃん」な
のであります。金井作品が時代を背負いながらも、未来にも観られていくであろう秘密
はこの辺にあるような。「時代」が写るから惹かれる作品、色褪せる作品、
その違いの秘密です。さて、最後になりますがあばら家、金井邸の不思議な発見。細部を手作
りで補強しながら、育てたような家ではありますが、ウォシュレット、エアコ
ン、パソコン、などという「あばら家」という語感からは違和感のあるような
物が、なんの違和感もなく、共存しているのでした。それは30才近く年の
離れた金井夫妻が、なんの違和感もないように。本物のオリジナルな作家は「違和感」までをも「金井流」に変えてしまう、
いや、「違和感」なんかに飲まれているようでは本物のオリジナルじゃない
のだ。そして、作家は「例外」を恐れない。あえて「例外」を楽しんでいる。
これは、達観したようで実はまだまだ「新しい」エネルギーが潜んでる金井
怪人、快人、開人の余裕の微笑みと痛感してしまうのは、あばら家を訪ね
た人々なら皆、感じ取る事ができるでしょう。 再見!あばら家!
左から、MONSHIRO姫、容子ちゃん、明子さん、ナオちゃん、智女
16 なんと〜勝丸池のすぐ脇に雉鳩が!(2002.4.14)
長らくご無沙汰した「あばら家物語」であれば、ここは奮発せねばお許し頂けないと思う。
そこで用意したのがこの取って置きの話だが〜〜如何なもので御座ろうか。この勝丸には〈鬱病〉……というほどではないのだが、若い頃から〈鬱気=こもり塞がってしまう気〉なるものに時々襲われてきた。
それでも智女観音があばら家にご降臨なされてからは、その〈鬱気〉もなりひそめて御座ったのだが、流石に五年目を迎えるとご利益も薄れてきたのだろう、このところ気分が晴れぬ日々が続いた。(自分の女房を観音だとか、ご降臨だとか笑止千万でしょうが、先ずはご容赦――(笑い))その原因のひとつは、あばら家の北側に建設中の三階建マンション〜〜様々な機械音と飛び交う現場びとの声とで読書にも身が入らず、これが十月まで続くと思うと辟易してしまうのだ。
そのもうひとつは、何と雉鳩(キジバト)の営巣である――!
雉鳩は背中の鱗模様が美しく、それが雉の雌に似ているところからそう呼ばれているのだが、ともあれ「デデッポーポー」というその長閑(のどか)な鳴き声には聴き覚えがある御仁も多かろう。さて、『聖なる劇場』をご覧の方は既にご承知の筈だが、このあばら家には勝丸川と勝丸池(ともに勝丸が造りしもの)とが御座って、そこでは様々な生き物たちが日夜「鳥獣戯画」よろしくパフォーマンスを繰り広げておる。
そこに新手が登場〜〜二週間ほど前から小川脇にある(野鳥の)餌箱の上に、仲睦まじい鳩の番(つがい)が現れて、何と巣造りを始めたでは御座らぬか!いくら「自然と共生の時代」とは申せ、雉鳩は春になると山に繁殖に戻るため「山鳩」という別名さえある鳥なのに、そこは濡縁から三米(メートル)足らずの距離で、この勝丸がすぐ近くに布団も干せばその埃叩きもせねばならぬ生活の場で、また近所には彼らの天敵・猫だっておる。
その上さらに困ったことには、雉鳩のその習性〜〜彼らは繁殖期に何か邪魔が入ると卵や雛を見捨ててしまうのだ〜〜親鳥に捨てられた卵や雛のことを想像すると勝丸の心はちぢに乱れ、あの〈鬱気〉が迫り来るのも至極当然では御座らぬか!
だが、そんなこの勝丸の気持ちなどはお構いなしに、彼らはせっせと枯れ枝を集めて巣を造り、そこに二個の卵を産んだのだ!
餌箱の上の巣 抱卵する雄鳩 とにもかくにも、この大胆な彼らの行動に暫し悩まされた。
だが、待てよ――(と、思い直す)!
さにあらず、これは「あの『聖なる劇場』の改訂版を作成せよ」――という神のお告げではなかろうか(笑い)と考えるに至り、ビデオ・カメラを回し始めたという次第。この環境を知りながらの営巣だから、彼らはこの勝丸を余り恐れてはおらぬようで、池の鯉に餌をやる時などは巣からおよそ一米の距離まで近づいても平気の平左衛門――その辺のことは既に〈織り込み済み〉なのだろう。
だが、カメラは別だった――デジカメで撮ろうと構えたら、途端に奴は飛び去った――!雉鳩の雌雄は、同色、同形で野鳥には些かうるさいこの勝丸でも全く見分けがつかない。
「朝日=ラルース 世界動物百科」によると「抱卵(ほうらん)は雌雄とも行うが、交代は1日2回だけである。午前8〜11時の間に雌から雄に代わり、午後3〜5時の間に雄から雌に変わる。」とあるから、逃げたのは昼の部担当の雄だ。
飛びさる雄鳩
二個の卵
これはしくじったと悔やんだが、夕方にはちゃんと雌が帰って来て卵を温めており、ほっと胸を撫で下ろす――。
以後撮影は室内からと決めて撮り続け、今し方も午後の雌雄交代シーンを上手くカメラに収めることが出来た。
抱卵の期間はおよそ半月間だそうだから、もうそろそろ雛が孵る時期である。ともあれ、この思いがけぬ雉鳩の営巣は(結果的には)吉兆のようで、我が阪神タイガースは快進撃を続けており、また他にも吉報(まだ内緒)が舞い込んだりして、あの〈鬱気〉も吹っ飛びそうだ。
だが油断はまだまだ禁物で、
無事に雛が孵り、このあばら家生れの若鳥たちが武州高幡不動の大空に舞う日までは、この勝丸の心もからりとは晴れず、不安と緊張の日々が続くので御座る――!
17 その後の雉鳩と居田氏からの文(ふみ)(2002.4.20)
前号(16号)を掲載した日の昼下がりに、昼の部担当・父鳩の胸元になにやら黄色い物体が蠢いたような気がした。
そしてその後に行われた雌雄交代の時にはっきりと確認〜〜それは二羽の雛の姿で御座った!時々この父鳩が抱卵をサボっておったので危惧していたのだが、二羽いっぺんの孵化とは誠に吉事なり――これで第一関門突破と相成ったという訳で、この勝丸大いに感激す!
その雛たちは驚くほどの速さで日増しに成長しておるのだが、好事魔多しで、孵化四日目は頗る風の強い日となり、雛たちに危機迫る――!
餌箱の上に出来たその巣とは、眞白きリラの花咲く木蔭にあって、その甘き香りに包まれた素晴らしき環境――改めて彼らの知恵に感心しておったが、その日は強風に煽られてあたかも荒波にもまれる小舟のように相成った。
するとあろうことか……!?
「〜〜これはたまらん」とばかりに父鳩は雛を置き去りにして逃げ去ったのだ!!
暫くすると、追い討ちをかけるかのようにその風に雨が加わって幼い生命(いのち)は絶体絶命〜〜その運命や如何にと思われた瞬間、羽音を響かせて雛に覆い被さる影――それは(つれあいのサボり癖が)心配になって駆けつけた母鳩で御座った!
孵化して3日目の雛
親鳩が〈ソノウ〉から分泌する〈鳩の乳〉を与えているところさて、この勝丸の数多(あまた)ある友人・知人の中で、自然科学に興味を持つ御仁はと申せば、鈴木志郎康氏をおいては居田伊佐雄氏しか思い浮かばない――。
映像作家である居田氏は写真アニメの先駆者――代表作・『オランダ人の写真』(’76)は内外で頗る高い評価を得ており、〈構造シネマ〉の大立者。
また一方、氏には自然界をミクロとマクロを対比した視点から捉えた、『地球の石』(’86)や『星の巣』(’87)などの傑作も御座って独特の自然観をもつ御仁なのだ。その居田氏に雉鳩のことを報せると、
〈当家の女中が「ヒヨ!」と呼んだら空中を横切りながら振り向いた〉とあり、それにはこの勝丸も仰天――その〈いとおかしき文(ふみ)〉を公開致すので、とくとご覧あれ。
承りますれば、このたびはキジバトの雛が二羽孵化されましたとのこと、謹んでお祝い申し上げます。 キジバトのキジという言葉から、金井さんが桃太郎になって、イヌ、キジ、サルを引き連れて鬼が島に渡っていく姿を想像しました。
金井さんのホームページで、金井さんが襖に片足を引っかけながら半身を乗り出している写真がありましたが、私はその写真に昔話のひとコマのような印象を覚えました。昔話といっても地獄絵のような色彩の昔話ですが、キジバトから金井さんの桃太郎が連想されたのはそのせいだろうと思います。ともかく我々金井映画のファンにとって金井さんの庭は輪廻転生の宇宙ですから、キジバトの雛誕生の知らせは、まるで宇宙の混沌のなかからキジバトの雛が姿を現したかのようです。
私のほうの鳥のことですが、金井さんの『聖なる劇場』とは打って変わって、『俗なる劇場』です。当家の女中と親しくしているヒヨドリが自然の中から餌を見つけるのが面倒臭くなったとみえて、三度三度の食事をねだりにきます。
このヒヨドリの祖先というのが、当家の女中が「ヒヨ!」と呼んだら空中を横切りながら振り向いたというヒヨドリですから親しみを覚えるのでしょうか、催眠術にかけられたかのように女中は一日に何度も餌を用意しています。
私は朝早く仕事に出かけ、日が暮れてから帰りますので、鳥との接点はあまりありません。でも休みの日などに家にいると窓の外に熱い視線を感じます。窓のほうを見ると、そこには窓に一番近い物干し竿から女中の行動を追うヒヨドリのまあるい目玉があります。女中が松の間から菊の間に移動すると、ヒヨドリも物干し竿のもう一方の端のある菊の間に移動します。ヒヨドリはいつも横顔です。女中に言わせると、鳥は目と目が離れているので、横顔のほうがものをよく見ることができるのだそうです。ほんとうでしょうか?
このヒヨドリは女中の指先から餌をついばむまでになりました。私と娘も女中と入れ替わるようにしてパン切れをつまんだ指を差し出してみたところ、一瞬ホバリングして、さっとくわえて飛んでいきました。
冬ならともかく春になれば虫もいるだろうに、人間がオレンジやら蜂蜜を塗ったパンやらといった美味しいものをあげることで、鳥も自然のなかに餌を見つけにいかなくなるのが心配です。
もっとも鳥にしてみれば、餌を差し出す人間は毎日美味しい実を生らせる果樹のようなものなのでしょう。人工的などといってみても、鳥からみれば人間も自然の一部といったところでしょうか。キジバトの孵化という『聖なる劇場』の出来事を祝うつもりがつまらないことを書いてしまいましたが、2羽の雛が巣箱の上で元気に育つことを祈っております。そのキジバトとの間になにか神秘的な交感でもあったら教えてください。
18 雛の巣立ちとアトリエ染花の〈花飾り展〉 (2002.5.5)
雉鳩の雛たちは4月30日の明け方に無事に巣立った――!
抱卵の開始から15日目に孵化し、それから16日が経っての巣立ち〜〜この間強風や氷雨、そしてビル建設の騒音などで雉鳩親子も大変だったと思うが、この勝丸とて神経をすりへらす日々となった。しかしその反面得るものも至って多く、生甲斐を感じた一月(ひとつき)で御座った。
勝丸は、TVドキュメンタリーで自然科学番組も数多く手掛けており、また『王国』(’73)の撮影では何とあのガラパゴス諸島まで飛んで、その胸に赤いバルーンを膨らませて雄大に舞う軍艦鳥や、長い尾を靡かせて飛翔する熱帯鳥などの生態(それらのコロニーを含めて)をこの目でしかと見届けてきている。
しかし〜〜それはいわばいるところへ行っての観察で、今回のように日常の中に展開する様々な光景(特に親鳥による給餌風景は凄い!)を目の当たりにしたのは初めてのことで、鳥博士を自認する(笑い)この勝丸をして大いに感動させられたという次第だ。
その辺のことは、来年完成するVTR作品・『勝丸の前衛仙術』(仮題)の重要なシークエンスとなる筈だから、乞う、ご期待――!
孵化10日目の雛たち
巣立ったあとに薔薇一輪
さて、この〈あばら家物語〉に度々登場してくる智女観音〜〜実はコサージュのデザイナーで、彼女の勤務する(有)アトリエ染花が創立20周年を記念して〈花飾り展〉を開催するとのことである。
坂本千尋率いるこのアトリエ染花は、コサージュ、花飾り、そしてデパートのショーウインドー装飾などを手掛けており、更に一流デザイナーと組んでその小道具を担当〜〜パリコレを初めとする世界のファッション界にセンセーショナルを巻き起こして御座るのだ!
興味のある御仁は、この際に是非ご高覧願いたい。
アトリエ染花20周年 花飾り展
−坂本千尋・アトリエ染花のコラボレーション−5月17日(金)〜21日(火)
■時間:午前10時〜午後7時(最終日は午後5時)■会場:パンゲアソラリアム
渋谷区恵比寿西1-24-1
TER.03-3463-3482
アトリエ染花の20年間をヴィクトリア、ジャポニズムに
抽象の世界を加えて総まとめ。坂本千尋の作品との
コラボレーションにご期待ください。
お問い合わせ:アトリエ染花
渋谷区東2-5-36
TER.03-3400-8417
アトリエ染花HP直営店プランシュにてフェア同時開催
※ ご意見ご感想は katsu@mail.hinocatv.ne.jp
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