20  〈新選組〉第2弾・天然理心流  (2004.2.14)

麗らかな陽射しに誘われて、先日〈新選組フェスタin日野〉のメイン会場にゆく。その主なる目的は新選組の根底を成す剣法=〈天然理心流〉の演武披露がおじゃったからで、近藤 勇土方歳三沖田総司井上源三郎などの剣術が如何なるものだったかをしかと見届けておきたかったからで御座る。

「誠」の旗の下、土方歳三とのツー・ショット

〈天然理心流〉の開祖は遠江(現・静岡県)出の剣客・近藤長裕 〜〜 彼は江戸両国薬研堀に道場を開いたそうじゃが、ご太い木刀で鍛錬を繰り返すというこの流派の剣法は江戸人の肌には合わず、流行らなかったそうだ。
そこで門人獲得の為に長裕が出掛けた先は武州多摩 〜〜 その出稽古で戸吹村(現・八王子市)の名主・坂本三助という逸材と出会うので御座る。

天然理心流には、切紙、目録、中極位目録、免許、印可、指南免許の六段階があり、三助はめきめきと腕を上げてやがてその最高位・指南免許となり、村に道場を開設する。
更に師・長裕が没すると彼は姓を近藤と改め天然理心流二代目を襲名し、八王子千人同心を中心に何と千五百余名の門弟を持つようになるので御座る。

その戸吹村の道場に通っていたひとりの青年剣士に、小山村(現・町田市)の名主・嶋崎家に生れた周助がおり、やがて天然理心流三代目を襲名 〜〜 嶋崎から近藤に姓を改めて江戸に進出 〜〜 道場・試衛館を開設するのだ。
だがこれが大成功かといえば、さに非ず 〜〜 やはり派手好きな江戸人には受けが悪く、華やぐのは多摩の門人たちが来た時だけで、近所の人たちからは「いも道場」と陰口を叩かれる始末で、やはり天然理心流の基盤はあくまで多摩に御座るのだ。

その近藤家の養子となり、天然理心流の四代目を継いだのは近藤 勇 〜〜 彼もまた多摩郡上石原村(現・町田市)の豪農・宮川家の倅である。

太い木刀による演武 真剣による演武

さて、〈天然理心流演武披露〉 ――。
先ず木刀による演武 〜〜 三度、四度と合わせると、鋒(きっさき)は相手の喉元に、額に、そして胸元に鋭く走って〈寸止め〉――!
そして真剣による演武 〜〜 刃を磨耗させてはいるが、この本身による演武も迫力満点でおじゃった ――!

実戦で真価を発揮する天然理心流の剣法 〜〜 それは京の都での近藤や土方、沖田などの活躍で立証して御座る。

演武の後で、木刀を握らせて貰ったが、我が所持するそれとは比べ物にならなく、太くてずっしりと重く、まるで丸太ん棒でおじゃった。
この木刀で素早い剣捌きを習得すれば、真剣での長い立ち合いにも息切れなどしない筈だ。
また立ち技にも、座り技にも刀の柄や鞘などを巧みに遣って逆手をとる技があり、かつて我が習いし養神館の合気道を思い起こしたので御座る。


19  高幡に、新選組が動く ――!  (2004.1.23)  

ああ情けなや、もう幾度となく挫折を繰り返してきた〈あばら家物語〉 〜〜 連載と銘打ちながらその実態は態を成さず、誠にまこと誠に申しわけなや……。

実験映像に関心のない御仁にとっては唯一の訪問地はここで御座候に …… 何せ根が物臭者だによって何もかも〈かわら版〉でお茶を濁すという体たらく、我乍ら呆れ返っておる次第。
今後は〈かわら版〉と交互に、否せめて三度に一度は〈あばら家〉を ―― と、たった今決心致し候ほどに、御贔屓のほど宜しくあれ 〜〜!!

翩翻と翻る「新選組!」の隊旗

我があばら家はもうご承知の如く日野市に御座る。
その日野は、新選組副長・土方歳三や六番隊組長・井上源三郎の故里であり、一番隊組長・沖田総司の場合も極めて深い縁で結ばれて御座る。
彼は、白川藩の江戸詰足軽の嫡男として産声を上げたのだが、四歳の時に父を亡くし、長姉(ミツ)に婿入りして沖田家を継いだのが日野宿(甲州街道)の農家の出である林太郎 〜〜 といったようなわけで、総司は幼少の頃から日野の宿や多摩川で木刀を振り、魚を捕ったりして御座ったのだ。

その日野宿に、後の新選組の大きな拠点が生れる。
歳三の叔母(マサ)と姉(ノブ)と二代に渡って嫁いでいる日野宿の本陣・佐藤家に、天然理心流の道場が誕生するのだ。
八王子千人同心の井上家などの剣術指南に訪れていた近藤周助に、佐藤家当主・彦五郎が入門して、やがて自邸内に佐藤道場を開いたので御座る。

そして、歳三がよく遊びに行っていたその佐藤家で運命的な出会いが起こる。
ある日周助の出稽古に伴って現れたひとりの青年剣士 〜〜 後に周助の養子となる近藤 勇である。
日野の豪農の末っ子である歳三と、調布の豪農の末っ子で一歳年上の勇 〜〜 似た境遇だからであろうか馬が合い、やがて二人は「武士(もののふ)を超える武士(もののふ)」を目指すので御座るのだ ――!

一方、少年総司はと申せば、(佐藤道場で)その身のこなしに非凡の才を見た近藤周助からお声が掛かり、彼は牛込甲良屋敷(現・新宿区)に在った天然理心流の本道場・試衛館の内弟子となった。
その試衛館で、八歳年上で既に剣客の風貌を漂わせていた勇と、日夜重たい木刀(2kg)で手合わせ 〜〜 勇と打ち合わせると何時も手が痺れていた総司は、己が非力を克服する為に「三段突き」と「下段の構え」 を編出す 〜〜 が、これは敏捷な総司だから可能な剣法で御座ったそうな。

さて、我があばら家から五〜六分のところに歳三の生家があり、月曜日の昼下がりにぶらりと浅川に架かる新井橋を渡って土方歳三資料館に行ってみた。
これまでは月に二度の開館だった筈なので期待はしていなかったのだが …… さにあらず、(今年の大河ドラマが「新選組!」なので)ほぼ毎日の開館 ―― 高幡に居を構えてはや四十年になんなんとする今、やっと歳三の遺品たちに巡り合えたという次第で御座る。

資料館は母屋の一室にあって、その時の入館者はおよそ十五名 〜〜 館長(当主の奥方)の無駄のない説明にみな耳を傾ける。
歳三が家伝の石田散薬を入れて行商の時に背負った薬箱、新選組で着装した鎖帷子や鉢金、そして愛刀・和泉守兼定など 〜〜 その兼定を右手にかざした司馬遼太郎の写真も御座ったので伺ってみると、「燃えよ剣」の取材で何度もみえられ、その時に撮ったものだそうである。

我輩は司馬先生の大のファンでその著作の殆んどを読んでいる。
「街道をゆく」でも分るように、文献と足とで独自の史観を確立した司馬文学 〜〜 日本史に興味を抱かせてくれた先生は、僕(やつがれ)の大の恩人で御座るのだ!

さてさて、今年の大河ドラマは三谷幸喜の「新選組!」 也 ――、
初回と二回目の放送を見ただけだが、こちらは司馬世界とは打って変わって奇抜な発想 〜〜 そのタイトルに付けられた〈!〉の通りであり、また〈?〉でもあったのだが、これはこれでまたなかなかに面白う御座る。

第一回目では、何と佐久間象山に連れられて、近藤・土方・桂小五郎坂本竜馬とで黒船を見にゆくではないか 〜〜 正に〈!〉で御座った!
第二回目の〈!〉は盗賊退治で、後に新選組・二番隊組長となる永倉新八と十番隊組長となる原田左之助とを斯様な形(身方と、賊の雇われ者として)で登場させるとは 〜〜 これまた唖然とさせられる仕掛けで御座った。
歴史に興味のある御仁には、三谷が次にどういう手を打ってくるのか楽しみだし、また歴史に興味の御座らぬ御仁は、劇画でも見るように楽しむのも宜しかろう 〜〜。

ともあれ、
この「新選組!」は、史実を超えて幕末の青春群像を描こうとしている実験ドラマ 〜〜 それが吉と出るか凶と出るか …… 今後もこの〈あばら家物語〉で取上げたいと思って御座るので、宜しく!

土方歳三の生家と資料館の前 歳三が植えた矢竹


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