イメージリングス上映会を終えて(2000年3月)
『時が乱吹く』の上映が終わって、MONSHIRO嬢から
涙がちょちょぎれるような応援歌が舞い込んできました。
乱吹く実験人生、
勝丸ここに在り
MONSHIRO
年を重ねると、人は説教をたれたり達観を語ったり孤独になったりする傾向があると思う。でも、なんなんだ、この金井 勝丸って人は。「時が乱吹く」を観て私が一番に思った事、それは「なんて自由で優雅で軽いんだ!!」だった。
年を重ねて、さらに洗練されて、肩の力を抜いて、すらりすらりとどの年代の観客の脳の中にも舞い込んでくる。「時が乱吹く」はそんな作品だった。カッコよすぎないか??白状してしまうと、私は実験映画というのが苦手だ。
「俺の内臓、みせるぞー!!これが俺の生きざまだ!!」みたいなのが、あまりにも多い。観客、相手との距離のとりかたが乱暴なのだ。そういうのは自己表現という名の捌け口でしかないと私は思う。ところで金井作品の「時が乱吹く」。この作品は、イマジネーション豊かな作家の余裕に、しみじみと浸れる。素直に映画に惹き込まれる。
実験性がありながら、作品として緻密で端正。手作りっぽさと洗練という相反するようなものがバランスよく共存している。そして、ユーモアとエレガンス。私は「時が乱吹く」の中でも、金井 勝のこの感性が好きだ。これらは作品を愛おしんで作っている姿勢の現れだと思う。実験映画は作品。作品だったら愛おしんで作ってほしい。そんな大前提を思い出させてくれた。そんなものをふまえて、金井作品は完全なオリジナリティを持って、飛脚は観客の残像の中にまで駆け込んでくる!私は「時が乱吹く」を観て、涙が出る程笑い、一生忘れないであろう、愛おしくも奇妙な名場面を数十は観た。形容できない感覚を数十は感じた。
15才から寺山キッズの私も、映画作家としては勝丸の方が一枚上手だな、とまで思った。これがいかに寺山キッズとして口に出し辛いかは、想像に難しく無いと思うのだが……。ああ、寺山のお父ちゃんよ。ごめんよ。おいらは「時が乱吹く」に惚れちまったのさ……。
実験人生、金井 勝丸は完全にオリジナルな我が道を飛脚のごとく舞い進み、年を重ね、さらに軽くなり、一輪車を乗るがごとく身軽に観客の感性に滑り込み、無駄なものを振り払い、可憐な感覚を身にまとい、練磨のバランス感覚を身につけて、研磨の完成度を肌にして、これからもだれよりも無邪気に生きるであろうな……。
もう、みんな、見るしかないでしょう、「時が乱吹く」!!
このMONSIRO嬢は10年ほど前にイメージフォーラム付属映像研究所に入所したそうですが、水が合わず1ヶ月で辞めたとか……、
当時もぼくは専任講師の1人でしたが、彼女のことは覚えておりません。「俺の内臓、みせるぞー!!」なんて作品ばかりではありませんので、個人映画・実験映画に対する偏見をこの上映会を機に修正して頂けたら嬉しいなと思っております。
ともあれ有難う、MONSIRO嬢――!※MONSHIRO嬢のmailはawc21@nifty.com です。
ご来場下さいました皆様、本当に有難う御座いました。
3・17,18,&19新宿Fu−
《記憶の呪縛∞記憶の自由》
実験映画の老若3人衆が
それぞれの得意技を披露して
艶やかにせめぎ合う!☆ 樋渡麻実子 『コクリコの花咲く丘』(’99・8ミリ・10分)
純愛カップルに見えるマミちゃんとマルシマ君は問題を抱えていた。
それはマミちゃんの記憶に巣喰う父母へのトラウマだった……
〜ポップ感覚のおかしさがたまらない傑作〜☆ 山崎幹夫 『虚港』(’96・8ミリ・80分)
ある日テレクラで知りあった女性に「ミッキー」と呼ばれたワタシは動揺する。
それは12年前に遊んだ少女ミニーとの秘密だった……
〜’97山形国際映画祭で話題沸騰――アジア部門入賞作品〜
☆ 金井 勝 『時が乱吹く』(’91・16ミリ・64分)
人一倍「時の流れ」に敏感であった勝丸は無二の友ジョ−を事故で失うが、
50を過ぎて孤独と老いに立ち向かうことを宣言する。
〜’91「シティロード」誌の執筆者が選んだベストテン、第2位〜会場:ミニホール新宿Fu− 新宿永谷ビル1F
03−3208−9028
◎ 戻る(i)