bP14 2004.12.22   いま嵌りかけているのは〈美術文庫〉なのですが__。

今年も残り少なくなってきました。
東京造形大とIF映像研究所が冬休みに入り、先週の土曜日がぼくの〈仕事納〉となった筈ですが、気分だけはいたって忙しない今日この頃です。

大掃除や庭の手入れ、そして賀状作り等々〜〜 そうした歳末恒例の作業などどうでもよいといえばよいのですが、それらを片付けないとすっきりしない性質(たち)なので厄介なのです。

ならばさっさと片付けてしまえば宜しいのですが、腰が重くてもたもたしています。(笑)
それでもただTVを見ただけで一日を終わらせるわけにはいきませんので、何かひとつはすることにしています。

いま嵌りかけているのは、室町時代の雪舟から昭和の松本竣介までを網羅した〈新潮日本美術文庫〉で全45巻〜〜 美術書としては有難い値段= 1冊1,100円で、先ずは興味を惹かれる画家から手をつけました。

葛飾北斎与謝蕪村伊藤若冲を読み終え、きょう俵屋宗達尾形光琳とを購入〜〜 しかしまだまだ興味をそそられる巻は沢山あり、その上に姉妹篇として〈世界美術文庫〉が控えているのだから関心の高い画家だけを読むとしても大変です。

これまでにも美術書を読んだり、時々は美術館に足を運んだりしてきましたが、系統立てて勉強してきたわけではないのでこの〈美術文庫〉にはかなり刺激を受けています。

その内容は3つの章から成っていて、〈作品とその解説〉が全体の80%、〈作家論〉が10%、〈画家の年表(と時代背景)〉が10%の割合で組まれていて、実に合理的に構成されています。
また値段が安いので気が付いたことの〈書き込み〉などにも抵抗がなく、かなり憶えられるのではないかと密かに期待しています。
(笑)

が、、、問題はそれと歳末の諸々の作業との兼ね合いです。
その内のどれをいま最優先すべきかという大問題が立ち塞がり、今日は俵屋宗達を少し齧ったところでクワ・ガーデンへ逃避〜〜 家から歩いて40分ほどの所にある天然温泉です。

マッサージを受けながら、「何としても明日は年賀状に的を絞って頑張ろう」―― と決めました。そうしないと折角の読書にも身が入らないからです――!!(笑)


bP13 2004.12.9   晩秋の信濃路に、晩年の北斎を訪ねる

先日、北信濃のよませ温泉に妻と行ってきました。
3ヶ月に1度の温泉旅行なのでこれが27回目〜〜 時が経つのは速いもので、結婚して丸7年になったというわけです。

ホテルの露天風呂・遠見の湯

さて、今度の旅の主な目的は、この温泉郷を拠点にして信濃路の史跡などを訪ねてみようと思ったからで、長野電鉄・河東線を使って近隣の街を歩いてみました。

蔵の町として知られる須坂では、北信濃随一の豪商だったと云われる〈田中本家〉と、日本画家・岡 信孝のコレクションが展示された〈須坂クラシック美術館〉に行きました。
そこで特に印象に残ったのは〈クラシック美術館〉の建物と見事に溶け合った着物たちで、そのデザインの大胆さと緻密さに魅せられました。

次に訪れた街は小布施で、曹洞宗の寺・〈岩松院〉と〈北斎館〉です。
〈岩松院〉で先ず眼に止ったのは福島正則の霊廟〜〜 歴史小説ファンのぼくですが、ここがあの猛将・正則の、終焉の地だとは知りませんでした。
(関ヶ原の合戦で徳川方につき、五十万石の大大名になった正則でしたが、広島城修築の罪を問われこの地にお国替え、禄高も四万五千石に減らされていたのです)

また境内には〈蛙合戦の池〉と云うのがあって、春はひき蛙の産卵期となり雌の奪いあいとなってその鳴き声で賑わうそうです。
信州の俳人と言えば小林一茶ですが、彼は文化十三年
(1816)四月二十日にこの寺を訪れており、あの「やせ蛙 まけるな一茶 これにあり」と詠んだと言うことです。

そして葛飾北斎〜〜 本堂の天井には北斎が描いた「八方睨み鳳凰図」がありました。
彼はこの地の豪商であり、絵師でもあった高井鴻山の招きで弘化年間
(1844〜)に鴻山宅に逗留〜〜 多くの作品を小布施に残していたのです。

その小布施で制作された肉筆画を中心に集められたのが〈北斎館〉〜〜 祭の屋台天井絵「龍」図、「鳳凰」図、「怒涛」図(男浪)、「怒涛」図(女浪)などに圧倒されます。
が、ぼくが一番心打たれた絵は、最晩年に描かれた「富士越龍」で、真白き霊峰の裏側から、黒雲を纏って天に駆け上ってゆく龍〜〜 その龍こそ彼自身に違いありません―― !

ともあれ、自ら〈画狂人〉と号した葛飾北斎は、とてつもない絵師――。
十九歳で勝川春章に入門、本格的な絵画修業に入った彼は役者絵や戯作挿絵で頭角を表し、三十代後半からは美人風俗画で独自の世界を拓き、四十代からは挿絵や、絵手本の分野に新風を巻き起こして、五十代ではあの「北斎漫画」など、など〜〜 。

そして、ドイツで生まれた青の顔料= 当時「危険な青・べろ藍」と呼ばれたプルシャン・ブルーを得て、あの不朽の名作・「冨嶽三十六景」を七十歳頃に完成させています。
そして、そして、七十五歳の時の「富嶽百景」の跋では、「〜〜 七十年前画く所は、実に取るに足ものなし 〜〜」
(これまで描いてきたものは取るに足らないものばかりだ)と記しているのです!

絶えず自己否定を繰り返しながら新しい世界に挑んできた北斎〜〜 齢(よわい)六十八の僕(やつがれ)などは「まだまだヒヨコだよ」と、気合を入れられた感じです――!
しかし、それにしても八十代の半ばで、江戸から信州・小布施まで歩いて旅をしたのだから、北斎は天才にして鉄人でもあったのですね―― !

湯田中温泉の〈楓の湯〉で汗を流し、美味しい新蕎麦を食べてから、送迎バスで拠点のホテルへ〜〜 。
北斎の肉筆画を思い出しながらの、〈遠見の湯〉からの眺めはまた一入
(ひとしお)〜〜 眼下に信濃路の街の灯がちかちかと瞬きます。


bP12 2004.11.26   続々と、真新しい才能が―― !

映像作品には様々な分野がありますが、小説の映像化しか出来ない商業映画を尻目に、自己表現としての映像作品がとてつもなくいま輝いているのです。

その中核をなすのはイメージフォーラムだと思っていますが、IF映像研究所の28期・Aクラスの〈16mm講座〉を担当してみて、その自由な発想と豊な感性に思わず〈にやり〉〜〜 今年度の卒業制作も楽しみになってきました。

さて、その〈16mm講座〉ですが、第1作品、第2作品、夏休み作品と個人制作をしてきて、これが最初のグループ制作―― それまで糸口が見つからなかった人たちも仲間とのディスカッションや共同作業を通して何かを掴み、それが(自分の)卒業制作へと繋がってゆく重要な講座なのです。

指導としては、16mmカメラの構造と使い方、フィルムとフィルターの知識、そして編集などの基本的なことを教え、「全く新しい内容のものを、全く新しい方法論を用いて撮れ!」と念を押して構成案を書かせ、それが良ければ極力彼らの自主性を尊重します。

編制はアリフレックスが2班、ボレックスが2班で、それぞれ6〜7名のスタッフ。
ロケは二子多摩川で、撮影は1日だけですが、その日は雲ひとつない絶好のロケ日和となりました。

初めて扱う16mmでしたが無事に終了し、サイレントの短篇4作品が誕生しました。
『蒼葬』(ボレックス第2班)という作品は、横断歩道に立つ黒ずくめの女性〜〜 その手には黒薔薇がありました。
やがてその彼女が白薔薇を持つ白装束の女の前を通り過ぎると、薔薇の花が入替わります。
この辺りまではまだ映像の美しさが目立つだけですが、路上の女の影に惹かれます。それは女が去った後にも残った影で、暫しあってその影も秋風に吹き消されてゆくのでした――!

夕暮れの大きな太陽、燃え上がる白薔薇〜〜、
女の見詰める先には空があり、伸びてきたその手はその空に何と〈黒い手形〉を残したではないか――!
露出やコマ撮りなどの技術も初めての16mmとしては上出来でした。

『ともなる』(ボレックス第2班)という作品も実にユニークです。
堤の上を歩いてきた男の目に止ったのは看板で、良く見るとその看板は土手を転がる人物のアニメーションでした!
男がそのアニメにつられて転がると、着地したのはその男ではなく〈友成さん(スタッフの一人)〉と云う女性でした!
次から次へといろんな男が転がり落ちますが、着地は全て〈友成さん〉―― その男から友成さんに入替る繋がりが実に見事でした!

最後に、〈友成さん〉自身が転がって、彼女はその看板を担いで立ち去ります〜〜 が、構成案だと「〜 ところが、看板に関心を寄せない男がいる。それを見た友成さんは、その男を無理やり看板どおりに転がす。その男を落とした後で、友成さんが〈本日の友成数〉を記録にとり、看板を抜いて去ってゆく」になっていました。
構成案の方が良かったと思うのですが…… どうでしょうか?

アリフレックス組も頑張ったのですが、ユニークさと云う点ではボレックス組に遅れを取ったと思います。
が、その屈辱をバネにして卒業制作に邁進して下さい――!

さて、鈴木志郎康さんが「2004年の現在時点で、わたしが一番面白いと思い、気に入っている映像作品は玉野真一の作品だ〜〜」と、緒手を挙げて絶賛する玉野君も悔しさをバネにして独自の世界を切り拓いたひとりです。

その玉野の最新作・『チュ―してっちゅ』(16mm)はまだ観てはおりませんが、12月にイメージフォーラム・シネマテークで公開される〈みあげた原人 玉野真一 映像個展〉を御覧下さい、きっとあなたも〈縛られてない〉映像表現の〈大胆さと、大らかさ〉に魅せられると思います――!


bP11 2004.11.5   大和屋 竺さんと大和屋 暁さん

体力づくりにはウォーキングが良いですよ
一昨年までは75〜76kgあった体重が69〜70kgになり、無駄な脂肪がとれて心身ともにすっきりしました。が、それでもまだ下腹のあたりがぼっこり膨らんでいるので、根気よく続けたいと思っております。
(笑)

前にも触れたと思いますが、ぼくのウォーキング・コースは3つあります。
その1つは高幡不動尊の裏山〜〜 およそ100メートルの標高差の丘を一巡りするのですが、路傍には
(88ヶ所に)石仏が祀られている巡礼道で、生い茂る樹々からフィトンチッドが発散され、まるで〈別世界〉にいるような気分にさせてくれます。

2つ目のコースは多摩川の支流である淺川の辺(ほとり)〜〜 バブルの頃には石鹸の泡だらけで目を覆いたくなるほどでしたが、今は驚くほど透明な流です。魚が棲み、それを追う水鳥たちの姿を観察するのが楽しみで、散策とウォーキングを兼ねたコースです。

残りの1つはクワ・ガーデンへのコースです。
程久保川という小さな流れに沿った小道を進み、
(家から)40分ほど歩いた多摩丘陵の頂に天然温泉があり、週に一度の割でウォーキングと入浴とを兼ねて通っているのです。

先日、そのクワ・ガーデンへの途中で、故・大和屋 竺さんの奥さんとお会いしました。

大和屋さんは『裏切りの季節』('66)、『荒野のダッチワイフ』('67)、『毛の生えた拳銃』('68)、『愛欲の罠』('73)などを監督し、またそのダンディーな風貌から役者としても活躍〜〜 鈴木清順さんの『殺しの烙印』('67)や『木乃伊の恋』('73)などの他にもいろいろと出演しており、拙作『王国』('73)では鳥博士の役で熱演してもらっております。

しかし、収入面からいうと本業はやはり脚本家(本名の他に、具流八郎、大谷義明、日野洸etc)だったのでしょうか―― 清順作品や若松プロ作品、そしてモンキー・パンチ原作のテレビアニメ 『ルパン三世』などでよく知られ、今の若い人たちの間でも大変な人気です。

その大和屋 竺さんですが、「来年の1月が十三回忌」だと奥さんに聞かされ、時の流れの速さに吃驚しました。
時の流れといえば、まだ小学生だった頃から知っているご子息の暁さんが、父親の血を受継いだのでしょう、今やアニメの脚本家として大ブレーク ―― !

奥さんの話だと、「NHKの脚本を何本か書いた後に、東映アニメーションなどで書いているんですが、ヨーロッパなどのテレビでも放映されているみたいですよ〜〜」。
テレビ・アニメのことはよく分りませんが、ともあれお世話になった大和屋さんのご子息の活躍は至上の歓びです――
Googleの検索:大和屋 暁

気分を良くして、天然温泉・クワ・ガーデンへ〜〜 、
その日の露天風呂からの眺めは、また格別でした――!!


bP10 2004.10.19   〈勝丸シネマ〉とIF卒業生・太田智丈君からのメール

〈勝丸シネマ〉の秋の上映会は、〈ヨコスカ・シネクラブ〉で『時が乱吹く』、『聖なる劇場』、『前衛仙術』、〈イメージフォーラム・シネマテーク〉で『王国』、〈長岡アジア映画祭〉で『 前衛仙術』、〈東京造形大学CS祭〉で『前衛仙術』、そして〈経堂CAT〉で『聖なる劇場』と『前衛仙術』の上映がこれまでにありました。
ご高覧下された皆様、そして主催者の方々に心から御礼申し上げます。

さて、ぼくにとって作品は〈子供のような存在〉ですのでそれぞれの関係は兄弟のようなものです。その兄弟の中で最も地味な存在だとされているのが『聖なる劇場』('98)で、その審美眼を信頼していた友人たちからも無視されました。(笑) (IFF'98での上映で、この『聖なる劇場』を評価してくれたのは鈴木志郎康、居田伊佐雄、佐々木健etcの作家諸氏でした)

『聖なる劇場』の前半は、鳥羽僧正の作だと伝わる「鳥獣戯画」の宇宙を、生の生きものたちを役者として(その決定的パフォーマンスの瞬間を)撮る―― と、いった途方もない挑戦でありました。
その舞台造りを合わせると6年の歳月を費やしていたので、そうたやすく無視されたらたまったものではない―― と、嘆き、実験映像界の観手は、〈自然界の生きもの〉に関しては全くの無知にして鈍感―― と、呪っていたという次第であります!
(笑)(笑)(笑)

そこで、(この初夏の)neoneo坐での上映会の前に、要所要所に字幕を入れ、画面を凝視させようと企みました!
その字幕効果の為か、或いはneoneo坐の観客が〈自然界の生きもの〉の行動に対して敏感だったのか、ともあれ「庭に来た鳥を撮った作品」などというちんけな感想は一切出てきませんでした!
(笑)

さて10月11日の〈経堂CAT〉での上映会は、主催者である〈優れたドキュメンタリー映画を観る会〉の飯田光代さんの情熱&パワーによって、この〈勝丸シネマ上映会・ラインアップ〉の中では一番の盛況―― そこには『バイバイ・ラブ』('74)の藤沢勇夫監督などの懐かしい顔もあり、大変に嬉しく思いました。

打上げは、経堂駅の近くにあるジャズバー〈ワンダーランド〉―― ここのマスターも作品を観てくれていて、飯田さんご夫妻とジャーナリストの井家上隆幸さん、上映スタッフの日大文理学部の学生さんたち(彼らは井土紀州監督の新作のスタッフだそうです)、映像作家の軸原洋介さんなどで、大いに盛り上がりました。

その軸原さんですが、彼は『聖なる劇場』を高く評価し、アメンボ―と鯉との対峙やトノサマガエルと魚たちの確執、そして彼が敬愛する故・大和屋竺さんなどの出現に衝撃を受けたのだそうです。
ともあれ、我が作品はみな兄弟―― 『前衛仙術』の誕生により、埋もれかけていた兄・『聖なる劇場』がここに蘇ったというわけなのです!
(笑)

ところで昨日、IF16期〜 17期の卒業生・太田智丈君から〈経堂CAT〉の上映会についてのメールが届きました。
会場で声を掛けてくれれば良かったのに〜〜 まぁ、それをしないところに彼の良さがあるのかも知れませんが……。

 
突然のメールで申し訳ありません。
以前、金井先生にイメージフォーラムで御世話になりました太田智丈と申します。
覚えておられるでしょうか。 
                                
先日、経堂での上映会で「聖なる劇場」と「前衛仙術」を初めて拝見しました。
久しぶりに先生の作品と格闘しようと鼻息も荒く会場に乗り込みました。
やがて始まった「聖なる劇場」はそんな私に肩の力を抜けよと、ハッハ笑うように
進みます。
油断したのでしょうか、作品のうねりに気付いた頃には、すっかり私は土俵の外。
亡き者の魂が劇場に出演すべく現れ、舞うに至っては興奮し、涙が出てきました。
コンクリートで創られた海に次第に命を吹き込み、雷鳴を轟かせ、死魂をも呼び
寄せた先生の聖書(なのでしょうか)〜天地創造〜映画創造に震え、私にも力が
漲りました。             
聖なる創造物達に海の中へ引きずり込まれているのか、自ら飛び込まれている
のか。
ラストでは先生より先に、私が吠えておりました。

続く「前衛仙術」では先生のユーモアやリズム感の素晴らしさに胸躍りました。
格別、花や果実の芽に、とんつくリズム(呪文)が重なる場面は物凄い迫力、魔力。
神通力。
画面からこちら側に湧き出たリズムは、これから映画を創ろうとする者、創るのを
さぼっている者、創る自信を無くしている者を猛烈に奮い立たせるのでありました。
観る者の心を震えさせる映画ラッパー金井勝、ここにあ〜り〜。

長々とつまらぬ感想で申し訳ありません。
月並みな言葉ですが、新作(2作に連なるのでしょうか)を楽しみにしています。
今年の冬は寒そうです。仙術会得で大丈夫とは思いますが、お体にはお気を付
けを。
それでは失礼致します。 
                               太田智丈

太田君は16期の卒業制作で『鉄の蔵』('95)を撮り、特待生となって『シオマネキ』('96)を作りましたが、その『シオマネキ』は〈IFF1996〉で審査員特別賞を受賞しています。
その2作の映像は脳裏にこびり付いていますが、残念なことにその後の作品はぼくの耳に届いておりませんので、多分作っていなかったのだと思います。

しかしメールの行間からは新作への意欲が読み取れますので、大いに期待しています。否、そうしないとあの2本の傑作も忘却の彼方へと消え失せてしまいますので、〈兄貴たち〉を蘇らせるためにも〈産みの親〉として是非頑張って下さい―― !


bP09 2004.10.5   IF6期生・首藤啓君の本が出た!

早いもので、もう十月ですねェ〜〜 、
今年は自治会の当番=〈組長〉なので、九月は秋祭のことなどで大変でした。その上に自作の上映会などが重なってきたりして忙
(せわ)しなかったのですが、月が変わってやっと一息つきました。
しかしそのために中断せざるを得なかった諸々を、気分が萎えた今、どう立て直して進めていけば良いのか戸惑っており、まだすっきりとした気分には至っておりません……。
(笑)

さて、〈IF映像研究所〉の卒業生・首藤 啓が「映画監督論」と云う冊子を上梓しました。
その〈あとがき〉によると、IF卒業後、彼は暫くして吉祥寺の〈青二塾〉に通い演劇を勉強〜〜 仲間たちと映画や演劇をやっていたのだそうですが、そういえばぼくも、彼が脚本・演出の演劇
(タイトルは忘れましたが)を小田急沿線の小さなホールで観て、その構成の面白さを誉めたことを思い出しました。

彼はまた、半年間ヨーロッパに渡ってパリとスイスで映画を観まくり、「骨と皮だけにやせ衰えて帰ってきた」のだそうです。
その後縁あって〈新人監督協会〉の事務局の仕事に携わることとなり、その機関紙に監督論を10回に渡って連載〜〜 それに新潟日報新聞のコラム〈甘口辛口〉に連載していた「―― パリ、映画、食い物………」を加えて収録したのがこの冊子・「映画監督論」です。

彼が取上げた監督は、ジョン・フォードハワード・ホークスジャン・ルノワールエーリッヒ・フォン・シュトロハイム小津安二郎オーソン・ウェルズビリー・ワイルダー黒澤 明ドン・シーゲル神代辰巳で、不思議なことにそのほとんどは、ぼくらの世代から上の(当時の)若者たちが熱愛した監督たちであり、その作品でありました。
やはり、映画全盛期の勢いのある監督&作品に、彼も魅せられていたのだと思います。

熱烈な映画ファン&研究者である首籐が、ぼくらの知らない(知っていることも多少はあるが)作家と作品の裏側を調べ上げ、そのエピソードで綴っているのがこの「映画監督論」で、〈個人表現〉としての映像に関心があるぼくにとっても、それは興味のある内容でした。

ただ気になるのはその〈あとがき〉で、それは本人ではなく父君によって書かれていたことです〜〜 「実は、著者は今病の床に伏している。だから私が代って「あとがき」を書くことになったのであるが、皆様にお礼を申し上げるとともに、著者が一刻も早く回復し、続編「女優十人論」や「男優十人評」を書くことを願っている〜〜」とあったことです。

そういえば今年の三月頃だったと思いますが、突然彼から電話があり、「〜〜長い間入院生活をしていたのですが、先日やっと退院しました〜〜」といってましたが、再入院したのでしょうかねェ〜〜 ?
ともあれ、早く健康を取り戻して、彼の愛してやまない〈映画&演劇〉に情熱を注いで貰いたいと、心より念じております。

映画監督論

2004年9月10日  第1刷発行   ¥1,000

著者― 首籐 啓

発行所― フィゼック
      
〒168-0074 東京都杉並区上高井戸1-9-17
       電話 03 (
3302) 8132

印刷所― 株式会社 ナール印刷


bP08 2004.9.16   犯人(ホシ)の出現に、我は妄想す―― !

映画研究者というのは想像を超えたオタクですね。(笑)
オーバーハウゼン映画祭で
山田勇男さんの特集を組んだ研究者は、ぼくの『無人列島』のビデオも持っているといっていたし、更に「アンダーグラウンド・アーカイブス」平沢剛編 河出書房新社)を持ってきて、ぼくの『王国』が載っている頁にサインをせがみます。
サインは苦手ですが、拒むわけにはいかず下手な横文字で名前を書きなぐったところ、何と、彼は子供のように跳び上がって喜んだではありませんか―― !
(笑)

また先の号で触れたイタリアの映画研究者・アントニオも、ぼくに関する書物としての資料(多分、その大半はマックス・テシエが書いたものだと思います)と、『無人列島』、『GOOD−BYE』、その上に『時が乱吹く』のビデオさえ所持しているそうです。
その最初の2本は
(日本で)発売されていたので分らなくもありませんが、『時が乱吹く』はスタッフに進呈したものと美術館にフィルムと一緒に納めたものだけが全てで、全部で10本しかない筈です。

と、いったようなわけで、『時が乱吹く』の(コピーのコピーらしい)ビデオがどのような経路で彼の手元に渡ったのか不思議でなりません。
が、数年前に西国のあるシネクラブで『時が乱吹く』を上映して貰った際に、主催者からの「映画の『時が乱吹く』は、知人から借りて観たそのビデオとは画質が全然違っていて素晴らしく、全く別の作品のようでした〜〜」といったメールがありました。

その時もスタッフのほとんどは東京とその周辺の者でしたので不思議に思っていたのですが、当時は数ヶ所で上映会をして頂いたので、その内のどこかの主催者が(自分たちだけの為に)上映スクリーンを撮っていたのかも知れないと思い、そのビデオのルーツを追跡することは止めました。
しかし、「全く別の作品のようでした〜〜」という言葉は、やはり脳裏にこびり付いています。

そして先日、
ある実験映画の上映会々場で、真犯人の手口を目の当りにして仰天―― !
其奴は上映スタッフに非ず、ただの観客〜〜 最前列に陣取ってやおらカメラを机の上に置くと、大胆にも
(カメラの)水平を出し、当然といった感じでスクリーンに画角を合わせ始めたではありませんか―― !
そういえば、かつて其奴の悪い噂を耳にしたことがありましたが、その時はまさかと聞き流していたのですが…… !

こうして撮られた〈海賊版ビデオ〉は、作者とは無関係に一人歩きをして、内外の映像研究者などの手に渡っていくのか〜〜 と、妄想が膨らみます。
ひっそりと本人が所有するのならまだしも、その粗雑な〈海賊版〉がばら撒かれたら、作者としてはたまったものではありませんよね―― !
きっと、この手合いの作った〈海賊版〉
(有料だと思いますよ)が、更にコピーのコピーとなって遥かイタリアのアントニオのもとに辿り着いたのに違いありません―― !

其奴らのターゲットは、ビデオにもDVDにもなっていない作品―― 我々の実験映像やドキュメンタリーなどがその主な対象なのでしょう。
中には逆にそのことを歓迎する者もいるかも知れませんが、その画像は粗雑で「全く別の作品のようでした〜〜」に憤りを感じて、力を合わせて其奴らを上映会場から駆逐しようではありませんか―― !!


bP07 2004.9.4   映画の、時空を超える縁(えにし)―!

〈上映会情報〉で既にお報せしましたが、この秋に国内5ヶ所で拙作の上映会があります。

その中のひとつがヨコスカ・シネクラブで、彼らとは'74年からの付合いです。
当初は横須賀中央でボーリング場の支配人をしていた
山田雅男さんが主宰者で、『無人列島』、『GOOD−BYE』、『王国』を分けて上映してもらい、その内の1回だけですが、ザックにプリントを詰めて行った記憶があります。

その山田さんがそこを辞めて横浜に転居されてからは、筑間一男さんなどが中心になってシネクラブを続けてきており、長いスパンで『無人列島』、『時が乱吹く』、『聖なる劇場』、『王国』を上映してもらっております。
9月11日の上映会には初代の山田さんもみえるそうなので大いに盛り上がると思います。

さて筑間さんの家業は〈魚源〉という屋号の魚屋〜〜 先日その魚源から三浦半島の沿岸で獲れた真鯛と、おご鯛や珍しい魚ギンポ、釧路の秋刀魚が送られてきました。
真鯛は刺身〜〜 こんな美味しい鯛の刺身は初めてでしたし、ギンボの天麩羅も最高でした―― 感謝。
※ 右は魚源の“まごころお魚セットおしながき”

また、10月11日に経堂CATでも上映会がありますが、こちらは〈優れたドキュメンタリー映画を観る会〉の飯田光代さんがneoneo坐で〈金井勝のスーパードキュメンタリー!〉(6月末)を観て、実現したというわけです。
その飯田さんご夫妻と先日、小田急線経堂駅の近くにあるジャズバー〈ワンダーランド〉でお会いし、ここでもご馳走になってしまいました。
他に、映像作家の
軸原洋介さんと武田美貴さん、そして近くにお住まいの井家上隆幸さん(=ジャーナリスト)も来てくれて、マスターが作る美味しい料理と旨いお酒とで話が弾みました。

井家上さんとは既にゴールデン街で旧知の仲、彼はぼくの映画を何作かは観てくれています。
飯田さんはまた最近になって『無人列島』と『GOOD−BYE』とをvideoで観てくれたそうで、そのvideoの持主が軸原さんだということでした。
また軸原さんからぼくのことを聞かされていた武田さんは、多摩美での〈一日講師〉
(昨年の暮)の時に『無人列島』(フィルムで)と、『前衛仙術』とを観てくれていたのです。

この二人の映像作家ですが、軸原さんは〈第3回ユーリ・ノルシュテイン大賞〉で映像賞を受賞しているし、武田さんも〈京都国際学生映画祭2003〉の受賞者ですので、これからが大いに楽しみです。

映画を作ってきたお陰で、こうした人々との出会いが生まれ、とても〈贅沢な人生〉を感じていますが、その出会いは国内だけに止まらないのです。

先ほどイタリアのAntonio Gragnaniello という映画研究者からメールがきていましたが、「いま私は世界映画の大きな不条理に無視された天才に関する本を書いています。そして私は貴方をそれらの一人に考えています」とあり、「『無人列島』と『GOOD−BYE』、『時が乱吹く』(これは誰かが持っていたコピーのコピーらしい)のvideoは持っているのだが、どうしても『王国』のvideoが探し出せない〜〜 が、今日偶然に貴方のHPを見付けました!」―― ということでした。

これまでにもアメリカ人の研究者だという者などからvideoを送ってくれというメールがきましたが、アントニオの場合は既に3本のvideoを所持しているということだし、それに「買いたい」といっているので、(その〈天才〉ということは別にして)こちらも『王国』のvideoを〈贈呈〉しなければという想いに駆られてきました。(笑)

しかし、『無人列島』と『GOOD−BYE』のvideoは'87年と'88年にパラマウントビデオ社から発売され、その時に『王国』もという話が出ましたが、様子をみてからにしようと思っていたら、何時の間にかその会社は倒産していました。(笑)
故に『王国』のvideoはこの世に存在していないので、彼がいくら探しても見つからない筈です。

そこで9月12日(日)のイメージフォーラム/シネマテーク・〈長編実験映画の快楽〉で『王国』の上映がありますので、その上映前にスクリーンに映した『王国』をvideoで撮影してもらって、それから起こしたSVHSをとりあえずは送ろうかと思っています。

ともあれ、
『王国』が作られて既に30余年の歳月が過ぎましたが、遥かなる空の下にそれを〈探し求めている人〉がいたということに、作者として至上の喜びを感じております。


bP06 2004.8.10   収穫の秋が近づいてくる!

連日の猛暑ですが我が家の植物たちは逞しく、『前衛仙術』で好演した(2本の)あの葡萄たちは七月の中頃から色づき始めました。
今年は日照りが続いたためでしょう、熟した粒を食べてみると糖分はたっぷりでした。

しかし植物を思ったように育てるのはなかなか大変、特に巨峰は難しいです。
『前衛仙術』を撮った一昨年は、果実に巧く栄養がいきわたるようにするための作業―― 剪定や摘房や摘粒を疎かにしたので、同じ房でも粒の大きさなどにばらつきが生じました。

昨年はいろいろと工夫したのですが、やはり思うようにはいきませんでした。
その失敗の一つは剪定のしすぎ―― そのために葉から実に送られてくる
(光合成によって作られた)澱粉が少なく、熟すのが大変に遅れてしまって不作でした。

そこで今年は本を読んだり、農業試験場に電話をしたりして知識を得、それなりに頑張ったのですが、結果としては納得のいく出来には至りませんでした。
しかし失敗は成功の母ですので、この3年間の経験を活かして来年は素晴らしい房を作り上げてみせますので、ご期待下さい ――!
(笑)

さて、〈勝丸シネマ〉の秋ですが、東京の3ヶ所と、横須賀、新潟での上映が今予定されています。

9月11日(土)〈横須賀シネクラブ〉で、『時が乱吹く』(フィルム上映)『聖なる劇場』『スーパードキュメンタリー 前衛仙術』の上映、そして トーク。

翌12日(日)〈イメージフォーラム・シネマテーク〉で、『王国』の上映。

23日(水・祝)〈長岡アジア映画祭〉で、『スーパードキュメンタリー 前衛仙術』の上映と、中島 崇&金井 勝による〈ワークショップ〉。

26日(日)〈東京造形大学学園祭〉で、『スーパードキュメンタリー 前衛仙術』の上映とトーク。

10月11日(月・祝)〈経堂アートフェスタ〉で、『聖なる劇場』『スーパードキュメンタリー 前衛仙術』の上映。
各主催者によるチラシが出来ましたら、〈上映会情報〉に掲載いたしますので宜しくお願い致します。

また『前衛仙術』がオーバーハウゼン映画祭で受賞したことにより、オランダノルウェードイツブラジルなどの短篇映画祭から出品依頼がきています。
オーバーハウゼンの時にはスタッフの
吉本直聞(彼は帰国子女)にお世話になりましたが、そう何時までも頼るわけにはいきませんので、40年振りに辞書を引きながら英作文〜〜 メールを出したり、エントリー・フォームに記入したり、ビデオを送ったりと、慣れない作業をしています。
しかし、これも始めてみると結構面白くなってくるのだから、我ながら不思議な気もいたします。(笑)

ともあれ、
作品を作った以上、観てもらう為の努力を惜しむわけにはいきませんので、頑張っています!!


bP05 2004.7.27  この夏は、昔の映画で猛暑をぶっ飛ばせ!

お陰さまで、この〈映像万華〉の訪問者は5万人を突破致しました。
4年ほど前のことになりますが、PCの師匠・
鈴木志郎康氏の(HPの)アクセス・カウンターが5万に達した時、こちらはまだ数百だったので、それは天文学的な数字のようにも見えました。(笑い)

当時のぼくにとっては〈夢のまた夢〉であった5万〜〜 その5万に4年4ヶ月をかけて到達したのですが、(今では)決して速いペースとはいえないようです。
しかし、自分のことと、実験映像のことだけを掲載してきましたので、ぼくにとってはとても有難い数字で、心から訪問者の皆様に感謝致します。

さて、今年の夏は異常 ―― 太平洋側は日照り続きの記録的な猛暑、一方日本海沿岸は局地的な大雨と、それに伴う大洪水です!
そんな狂える夏ですが、今年はどういうわけか見逃していた映画を観る機会に恵まれました。
ポレポレ東中野で約3週間に渡って公開された
〈魂のシネアスト 高林陽一の宇宙〉、その後に組まれた〈木村威夫美術監督大回顧展〉、そして7月23日から8月14日まで、アテネ・フランセ文化センターで〈土本典昭 フィルモグラフィ展2004〉が開催されています。

高林作品は既に観ているものもあり、また何故か彼の商業作品には抵抗感が沸き起こるので、今回は(未見の)初期の8作品と『すばらしい蒸気機関車』(’70)に的を絞りました。
初期作品の2プログラムのなかでは
『石が呼ぶ』('61.8mm)が一番ぼくの心に響いた作品でした。白ひげの四十八体と呼ばれている石仏群(滋賀県)と、京都化野(あだしの)の念仏寺の千体仏がその石たちで、そこに高林さんの、余りはっきりとは聴こえない祈りのような声が流れてきて、またその声が、石に刻まれた仏たちの声のようにも聴こえて、人間は石になるために生きてきたのか〜〜 と、彼の宇宙に誘い込まれました。

また、『すばらしい蒸気機関車』のなかでも異様な光景と出合いました。
それは京都の街の俯瞰で、何処までも続く瓦の群れ〜〜 その風景を真っ二つに裂くようにして左から右へと黒煙が走ります。
汽車は家並みに隠されていて、見えるのは煙突とそこから吐き出される煙だけ〜〜 これはもう絶対に撮れない映像であり、生涯忘れることのないショットでした。

〈木村威夫美術監督大回顧展〉では、山田勇男監督作品『蒸発旅日記』と、木村威夫監督作品『夢幻彷徨』、そしてプログラムの時間を間違えたことによって伊藤大輔監督作品『春琴物語』(’54:大映)観る結果となりました。(笑)
時代劇の巨匠といわれた伊藤監督ですが、ぼくにとっては縁が薄く、多分観ているのは
『反逆児』('61:東映)だけかも知れません。
また『春琴物語』ですが、大映時代に
衣笠貞之助監督の『お琴と佐助』('64)に付いたことがあったので気が進みませんでしたが、外は暑いし、つまらなかったら寝てしまえという覚悟で入りました。(笑)

ところがどっこい、これは大傑作〜〜 京 マチ子花柳喜章の熱演が異常な男女の心理に迫っており、久方ぶりに映画を観て思う存分泣きました。(笑)
お琴の生家は大阪の薬問屋―― この作品で木村美術監督の才能が最も発揮されたのは、その薬の製造工場だったと思います。
出番が少なかったのは残念でしたが、木製の大きな歯車が噛み合いながら薬草を粉にしてゆくシーンは圧巻でした。

〈土本典昭 フィルモグラフィ展2004〉では、『ある機関助士』('63:岩波映画製作所)『ドキュメント 路上』('64:東洋シネマ)を既に観てきました。
共に60年代のドキュメンタリーを代表する作品で、特に『ドキュメント 路上』は傑作でした。
他にも
『留学生チェア スイリン』『医学としての水俣病』など、記録映画を目指す者にとってはこの〈土本典昭 フィルモグラフィ展〉を見逃すわけにはゆきませんよ――。
この月末は雑用があって無理ですが、8月に入れば行かれますので、アテネ・フランセ文化センターで皆さんにお会い出来ればと思っております――!


bP04 2004.7.9   〈キネ旬〉でみせた那田氏の気迫!

先日、近くの本屋で〈キネマ旬報〉(7月下旬号)を手にとったら、映像研究者・那田尚史氏の(拙作について書かれた)文章が目に飛び込んできました ――!

彼から〈キネ旬〉に書くとは聞いてはいましたが、商業雑誌なので軽くあしらわれると思っていたのですが、それは捲って直ぐの見開き2ページでしたので吃驚 〜〜 編集者のその心意気に敬意を表します。

早速眼鏡を取り出して活字を追うと、オーバーハウゼンで受賞した『スーパードキュメンタリー 前衛仙術』とぼくの作品歴などについて書かれていました。が、文章はマスメディアの代表面(づら)をしている新聞(記者)への憤りへと展開してゆき、これは気迫に充ちた挑戦状でもあったのでした――!(笑)

新聞の美術批評では現代アートを取上げていても、現代アートとしての映像には何故無関心なのかと彼は迫り、「映像を商業主義の鎖から開放し、絵画や文学のような純粋な個人表現の対象にしようとする努力は1910年代からすでに始まっており、現在日本中の大学のほとんどの映像学科では個人映像作家が教鞭を執っている〜〜」と論じたてます。

確かにその通りで、更にこれからの映像教育は小・中学校へと進み、自己表現としての映像制作が重要視される時代へと向う筈です。

那田氏は、「企業の作るお芝居映画は映像芸術の可能性のごく一部分に過ぎないのだ。」と断言し、「企業映画の動向はテレビの芸能番組にでも任せておいて、新聞はもっと高みに立った視点から硬派な情報を提供して欲しいものだ。」と、胸のすく論法で苦言を呈しています。

この那田氏の文章には、ぼくやぼくの作品を超えた問題が濃縮されているので、全ての映像作家は自分の明日を見据えて、その手に〈キネ旬〉をとって御覧頂きたいと思っております!

世界各地から集まった観客
04年度の〈オーバーハウゼン国際短篇映画祭〉

その拙作・『前衛仙術』のことで、エース・ジャパン発行の〈Film network〉という冊子に「オーバーハウゼン映画祭報告」というのを書きました。(7月末に刊行
その関係で、
(当時の)映画祭ディレクター:アンゲラ・ハートさんに、岩崎ゆう子氏と石坂健治氏がインタビューしている〈Film network〉7号(’97)を入手することが出来ました.。

ずっと不思議に思っていたことなのですが、ドイツの片田舎の街・オーバーハウゼンに、どうして世界的な短篇映画祭が誕生したのかという疑問 〜〜 その謎がこのインタビューによって解けましたので、その要点だけを掻い摘んで記させて頂きます。

オーバーハウゼンは、鉱山資源が豊富で石炭と鉄鋼の工業地帯として知られるルール地方の小都市で、住民のほとんどはそれらの工場で働く労働者であったということ〜〜。
そして終戦 〜〜 アメリカ、イギリス、フランスの占領軍は自国の映画をドイツに持ち込みますが、その映画の中から成人教育学校
(労働者を対象にした、公立で夜学の専門学校)用に大人が観て楽しめるような作品を集めて上映したのがこの映画祭の始まりで、それらの多くは短篇のドキュメンタリーであったことから短篇映画祭となったのだそうです。

この映画祭の設立者であるヒルマン・ホフマン氏は東欧にも映画関係の友人が多く、最初の映画祭の時から東欧の作品も上映したということ〜〜。
戦後のドイツは地方分権体制で、州もオーバーハウゼン市も野党の社会民主党が強いところであったために、50年代、60年代の中央政府レベルでは東側との交流はほとんどなかったが、オーバーハウゼンでは多くの東欧映画を上映することが出来たのだそうです。

既にフランスには国際映画祭があったが、ドキュメンタリーや短編映画を対象にした映画祭ということで他にない特色があったということや、(他の映画祭では見られない)東欧の映画が見られるということなどで、オーバーハウゼンは瞬く間に世界に知られる映画祭になったのだそうです。

’98年のあの壁の崩壊が起こるまでは、オーバーハウゼン国際映画祭自体が西側における東への入口となっていたというわけですが、当時の東欧の映画は非常に質が高かったので、それもオーバーハウゼン映画祭の評価を高めるのに役立っていたようです。

映画祭も時代と共に変わります。
(インタビューされた'96年現在)のオーバーハウゼン映画祭の観客で、一番多いのは何らかの形で仕事として映画に携わっている人たちだそうで、各国のフェスティバルの担当者や脚本家、監督などの所謂プロフェッショナルの人たちが、毎年800人以上は来るそうです。

「オーバーハウゼンでの映画祭の(現在の)役目というのは、ただ多くの一般の観客に映画を見せるということだけではなく、むしろ、メディア・アートというか、新しい表現、実験的な映画、新しい手法などを紹介するということにあるわけだから、このように映画関係者が多くなるのでしょう。」 〜〜と彼女はいっておりました。

オーバーハウゼンの街と映画祭の歴史、そしてそれらを取巻く政治、経済、文化、自然などのバックグラウンドが分り易く語られている、大変に貴重なインタビュー記事でした。


bP03 2004.7.1  neoneo坐での上映を終えて

6月の26〜27日に〈金井勝のスーパードキュメンタリー!〉と題して、『時が乱吹く』(プログラム1)と、『聖なる劇場』『スーパードキュメンタリー 前衛仙術』(プログラム2)の3作品を、神田小川町に誕生したneoneo坐で上映しました。
なかなかの盛況で、ご高覧頂きました皆様方に心から感謝致します。

さて、歌・句・詩シネマ『時が乱吹く』は映像の詩歌集で、その特長のひとつはボレックス・カメラ(16mm)を駆使した特撮 〜〜 そのためにこれまではフィルム上映に拘ってきました。
しかし今回は会場の関係でそれが無理だと判ったので悩みましたが、これからは16mm上映が困難な時代になりそうなので、これも勉強のひとつと前向きに考えることにしました。

幸い、BETA−CAM(プロ用のビデオテープ)に起こしておいたので、それを元にしてDVDに焼いたのですが、画質は思っていた以上に良く、安心しました。
また1〜2度フィルム上映をしてからBETA−CAMにしたので、頭の部分にはその映写でついたゴミやキズがちょっとばかりあり、気になっていたのですが 〜〜 そのゴミやキズがフィルムを感じさせてくれていて、逆に有難い結果となったという次第です。
(笑)

『聖なる劇場』は、8mmビデオが原版でデジタルのBETA−CAMに起こしていたものからDVDにしました。
この作品は、庭に棲息する生き物たちや映画
『王国』の今は亡き出演者たち、そして作者自身が演技する劇場です。
が、問題は前半に出てくる生き物たちの演技やパフォーマンスが、こちらの狙いどおりに観客には伝わっていなかったようだったので、今回は所々に短い字幕を入れ、2分ほど短く編集し直しました。

その結果ですが、「江戸中期の画人・伊藤若冲の絵を彷彿とさせる」とか、「鳥羽僧正の『鳥獣戯画』を感じた」とか、上映後の〈交流会〉やメールでそれを知ったので、やはり手を加えたのが正解だったようです。
長い歳月をかけて彼らの動作を〈凝視〉してきましたが、まだまだ満足とはゆきませんので、
(この作品にかぎり)〈進化する映画〉として、これからもその決定的瞬間を撮りつづけてゆこうと思っています。

『スーパードキュメンタリー 前衛仙術』は、DVカメラで撮った作品なのでDVDにしても画質に文句はありません。
ぼくの作品はみなそうですが、一見荒唐無稽に見えて、其の実用意周到 〜〜 大胆にして緻密な戦略と戦術とで構築されているのです。
(笑)
特にこの『スーパードキュメンタリー 前衛仙術』は、neoneo坐々長・
伏屋博雄氏や、映像作家・佐々木 健氏を初めとする多くの観客に、その「大胆さと緻密さ」とを分って貰えたようでしたので、ぼくとしては大変に遣り甲斐のある上映会となりました。

ご高覧頂きました観客の皆様に、そして上映スタッフの皆様に、重ねて御礼申し上げます。

『前衛仙術』出演者の一員:生垣脇に自生する
ヤブカンゾウ


bP02 2004.6.12  〈高林陽一の宇宙〉が始まった!

わが国最初の個人映画作家のひとり・高林陽一さんの作品群が遂に東京に上陸 〜〜 〈魂のシネアスト 高林陽一の宇宙〉と銘打たれ、今日(12日)からポレポレ東中野で公開されます。

高林さんは京都がホームグラウンドだったこともあって、作品もそれほど観ていたというわけではありません。特に初期の8mm、16mm作品は観る機会がなかったのでこの企画には大変に感謝しています。

その初期作品群の見出しは〈必見!幻の日本個人映画の原点〉で、ABの2プログラムが組まれています。
Aプログラムには『南無』(’59)『石ッころ』(’60)『京都』(’61)『石が呼ぶ』(’61)の8mm作品。Bプログラムには『砂』(’63)『ひなのかげ』(’65)『むさしのいのち』(’65)の16mm作品と、35mmの『べんがら格子』(’71)が収められています。

中でも『石ッころ』と、『砂』は海外でも高く評価され、共に国際賞を受賞しておりますし、『南無』や『さすらい』(’60:今回のプログラムからは外されていて残念)などは荻 昌弘(映画評論家)や日本読書新聞から絶賛されています。

他には最新作・『愛なくして』(’03)、鉄道マニア垂涎の『すばらしい蒸気機関車』(’70)、そして『本陣殺人事件』(’75)などのATG作品や商業作品なども組まれています。が、この〈映像万華〉の訪問者は、映像を自己表現の手段として考えている方々が大半だと思いますので、先の〈必見!幻の日本個人映画の原点〉を特にお薦め致します。

ぼくとしては〈作品は自分の子供のような存在〉だと思っていますので、(作品は)長く生きてこそ本物だという考え方です。
情念の作家といわれてきた彼の子供たちですから、半世紀を経て尚(時間に風化されず)その輝きを放っているだろうとは思いますが、或いは歴史的な価値で終わっているかも知れません。
そのことは、ぼくを含めたこれからの映像作家にとって、大変に勉強になるところだと思います。

ともあれ、
こういう機会は滅多にやってきませんので、今後の自分のためにポレポレ東中野へ足を運ばれてみては如何でしょうか ――。

ポレポレ東中野


号外.V 2004.6.1  オーバーハウゼン映画祭報告

号外1&2で触れられなかったことを記して、この〈号外シリーズ〉を終了しようと思いますので、少々長くなりそうですが、お付き合いのほど宜しくお願い致します。

さて、前にも触れたと思いますが、オーバーハウゼン国際短篇映画祭の開催期間は4月29日から5月4日まで 〜〜 それは日本のゴールデンウィークと重なるため、飛行機を確保するのに苦労しました。

それでもインターネットで探すと、26日成田発のオーストリア航空、ウイーン経由フランクフルト行が10万5千円で見つかりました ――!
改めて、インターネットの有難さを知ったという次第ですが、この時期は1日遅いと倍近く跳ね上がりますので、映画祭が始まる3日前に出発したというわけで、翌27日はフランクフルトの市内観光と博物館を巡り、28日はヴュルツブルグ、更にローテンブルグへと足を伸ばし、ドイツの豊な歴史が物語る建造物や美術作品に堪能しました。

そして、29日――、
フランクフルトから新幹線(ICE)に乗って2時間 〜〜 車窓に広がる緑豊な風景を楽しみながら行くと、昼下がりにオーバーハウゼンに到着します。
駅前に設けられた映画祭事務局の受付けで何とか手続きを済ませてホッとしていると、「Are you Mr.Kanai Kastu?」と青い瞳の麗人に声をかけられました!

これまで外国人と接する機会は極めて少なく、ヨーロッパに来たのも初めてだったので、いきなり自分の名前を呼ばれて吃驚仰天 ――!
すると彼女は、「1994年に大久保賢一さんと一緒の司会で貴方の映画を観ましたが、非常に重要な作品だと思いました。50回という記念すべきこの映画祭に来て頂けて本当に嬉しく思っています 〜〜」だいたいこういった内容だったと思いますが、こちらが語学に弱いことを察して、易しい単語を選びながらゆっくりと話してくれました。

ぼくの映画がオーバーハウゼンで上映されたのはこれまでに2回あり、最初は’71年に『無人列島』がスイスのニヨン国際映画祭で大賞を獲った直後にここの招待作品となっています。そして彼女が観たという'94年の2回目は〈日本映画特集〉という形だったと思いますが、イメージフォーラムからの依頼で『無人列島』と『夢走る』のプリントを送っています。

しかし、その時の様子などは殆んど知らされていませんでしたので他人事のように思っていましたが、彼女が観てくれていて、作品を憶えていてくれたのだと思うと感激 ―― 急いで手を差し伸べ握手をさせて貰いました。(笑)
このマリア様のような御仁こそ誰あろう、当時のディレクター:アンゲラ・ハートさんだったというわけです!

その日の宵は、街外れの奇妙なドームの中でオープニング・セレモニー 〜〜 夜空に向って聳え立つその円柱形の巨大なホールは、以前はガスの製造所であったのだそうですが、時代の流れの中で中身を一変させ、今は文化活動のユニークな拠点となっていたのです。

このホールの特長は、エコーです。
記念すべき50回ということで出席したシュレーダー首相の声も、ディレクター:ガス氏の声も、それらは巨大な鉄の内壁をよじ登っていって、やがて高い天井で跳ね返り、荘厳な響きとなって場内を包むのでした!
そのサウンドが頗る心地良く、話の内容は解からずともぼくにとって素晴らしい時空になったというわけです。(笑)

開会の挨拶をするディレクターのガス氏 パーティーで山田さん、麻生さんと

セレモニーが終わると、階下での立食パーティ 〜〜 そこで何人かの日本人に会いました。
この記念すべき映画祭で〈特集〉が組まれた映像作家の山田勇男さん。その山田さんのプロジュースもしたことのある札幌在住の麻生栄一さん、映像作家で、ぼくにこの映画祭のエントリー・フォームを送ってくれた恩人・中沢あきさん、そしてドイツを舞台に活躍するキュレイタ−の町口由美さんです。
ぼくたち夫婦は勿論ですが、山田さんも、麻生さんも、決して流暢な英語は話せるわけではなかったので、町口さんには大変お世話になりました。

そのパーティで、妻が着物姿で出席したために、ぼくらはTVや報道写真の的になりました。(笑)
しかしそれだけではなく、日本にいたことがあるという元外交官の夫人にも話しかけられました。何と彼女のスカートには着物のデザイン 〜〜 日本が大好きだということでした。
またその着物が縁となり、オーバーハウゼンの第1回の受賞者・カナダ人のローマン・クロイター(Roman Kroitor)監督夫妻とも仲良しになりました。夫妻は大阪万博の時に半年ばかり日本に来ていたのだそうです。

劇場のロビーでクロイター監督夫妻と 寛ぐ山田さん、麻生さん、町口さん

翌30日からは3つの会場で上映が始まります。
ぼくが出品したインターナショナル・コンペだけでも10プログラム、他に子供向け作品のコンペ、ドイツ人作家のコンペやミュージック・ビデオのコンペなどがあり、更に山田勇男さんとジェーン・パーカーさんの特集 〜〜 そして先述のアンゲラ・ハートさんが担当する歴史部門には何と17プログラムが組まれています。
半世紀前からの貴重な作品を世界中から集めなければならなかったので、ハートさんも苦労されたと思います。

その第1プログラムの中には、クロイター監督の受賞作『Street Railway Switchman』('54)がありました。
冬の夜更けから市電の線路を黙々と点検して回る男の作業風景で、ドキュメンタリータッチで描かれたモノクロ作品です。
無口で無骨な主人公ですが、何処となく愛嬌があり微笑ましく映ります。特に作業を終えて食堂でパンを頬張るラストシーンは心に残りました。

日本人作家の作品には、城之内元晴『プープー』(=日大映研・'60)『ハイレッドセンター・シェルタープラン』('64)松本俊夫『つぶれかけた右眼のために』('68)『アートマン』('75)Ogata Atushi 『Fuyu no tawamure』('93)、そして伊藤高志『ZONE』('95)があり、ぼくの今は亡き盟友:城之内の作品が、こういう形で上映されたことに感激しました。

山田勇男特集は、3プログラムで17作品 ―― 「俺が選ばれていいのかどうか分らないが、これで死んでもいい〜〜」と山田さんはいいましたが、それもその筈で「フェスティバル・カタログ」には何と6ページが割かれていたのです。
彼の作品はイメージフォーラム・フェスティバルで上映されたものは殆んど観ていましたが、未見のものも多かったのでその3プログラムを全て観ることに決めました。
何も遥々ドイツまで来て日本人作家の作品をと思われるかも知れませんが、兎も角彼は人気があり、その人気の秘密を探るにはこういう場が一番だと思ったからであり、結果として幾つかの作品と彼の人となりからその謎が解けたような気も致しました。

しかし映画祭の華は何といってもインターナショナル・コンペです。
そのノミネートされた68作の中で最も人気のあった作品は、イギリスのアーノルド(Andrea Arnold)監督作品『WASP』で、 既に自国の公開で話題を呼んだ35mmの本格的な劇作品 〜〜 4人の子供を抱えたシングル・ママが主人公で、他所の奥さんと取っ組合いの喧嘩になりぼこぼこにされても、この一家は至って元気 〜〜 勝ち誇ったように陽気なのです。(笑)

さて、そのタイトルの『WASP』ですが、辞書を引くと小文字のwaspには「スズメバチ、ジガバチ、怒りっぽい人」などが載っています。確かにこの作品のなかで赤ん坊の口にスズメバチが入り込む重要なシーンがありました。
そして大文字のWASPというのを引くと、そこには「アングロサクソン系の白人新教徒:米国社会では主流を占める彼らを批判的に呼ぶとき用いられることが多い」とありました。

それはともあれ、貧しくとも、エキサイティングに生きるシングル・ママとその子ども達に、超満員の会場は熱気で溢れます。
漏れ聞くところによると、アーノルドさんはオーバーハウゼンの常連だそうで、
「あのヒロインの生き方そのものが、アーノルド」だということでした。

今回が50回ということで、応募作品も例年より遥かに多くありましたが、その分大賞も、銀賞も共に2作品ずつという大盤振る舞いで、この『WASP』は、その銀賞と賞金が最高額の商工会議所賞、そしてキリスト教関係の特別賞も併せて受賞しています。
常連のアーノルド監督ですが、受賞は今回が初めてだそうでこれで溜飲を下げたと思います。(笑)

大賞には、Martin Mejiaさん(コロンビア)『Od−El camino』と、Iris Sara Schillerさん(フランス)『La Tresse de ma mere』が選ばれましたが、共に言語を使わない作品でした。

確かに『Od−El camino』の朦朧とした映像には人々の心を魅了する力がありました。言葉もなく、展開の不明瞭さもあって生じた難解さをも、その映像が超越させる力を持っていたのです。
紗やフォッグ(霧をイメージしたグラス効果)を使っているのかも知れないが、それが湿度の高さを感じさせる部屋へ、奇妙な風景の中へと、巧みに我々を誘い込むのです。
どうやらこれは、病気の子供を持つ男の精神状態を描いているのだろうということが察せられ、その夢と現実の狭間を彷徨うという設定に関しては決して珍しくはありませんが、しかしそれらのことを超えて、その映像の湿気がこれまでにない斬新さを感じさせてくれるのでした。

一方『La Tresse de ma mere』はスタジオの一面だけが背景の作品です。
豊な銀色の髪を椅子の後ろまで垂らした女性らしき人物が後ろ向きに座っていると、やがて黒髪に銀色の髪が混じった30代と覚しき女性(=作者)が現れて、その髪を三つ編みにしたり解いたりして弄びます。
カメラがフロント位置になると顔はその豊な銀の髪によって覆われていましたが、やがて首が一振され、現れたのは60代の顔 〜〜 髪の色は異なりますが、二人が母と娘の関係だということが分ります。
娘は自分の髪に手櫛を入れるがなかなか通りません。が、母の髪はさらさらとして弾力があり、その髪に羨望し、更に嫉妬さえ...女性作家ならではの秀作で、作者は「この髪(plait)が二人の女性の間にある距離」と記しています。

日本人のノミネート作品は、ぼくの『スーパードキュメンタリー 前衛仙術』の他に五島一浩さんの『FADE into WHITE #4』吉井亜矢子さん(映画美学校)『如雨露』がありました。
二人の作品は入選からは惜しくも洩れましたが、前者は脳細胞の中の記憶の検証、後者は植物の因子を持った女の子という共に奇抜な発想で、作品に対する情熱においても入選作に一歩も退けをとってはいなかったと思います。
歴史部門で観た伊藤高志作品の『ZONE』(これはイメージフォーラム・フェスティバルでも観ています)といい、山田勇男特集の作品群といい、改めて日本前衛作品の水準の高さを再確認したという次第です。

オーバーハウゼンは商業作品の映画祭とは違って大らかです。運営委員の方々を初め、観客も、作家たちも、そして街の人たちもみな親切で、清々しい映画祭でした。
しかし、作品に対しては決して優しくはありません。自分に関心のないものになるとお構いなしに席を立ち、スクリーンの前を堂々と横切って帰ってゆきます。その辺りは日本の映画祭とは全く違います。
特に作家が心掛けなければならないのはラスト・シーンで、クレジット・タイトルが出れば拍手が起こり終わったものとみなされるということです。
日本の作家の中には、クレジット・タイトルを出した後もまだ映像を続ける人がままおりますが、気をつけるべきだと思いました。

映画祭のお別れパーティー ハートさんを囲んで山田さんと

このHPには仏語や独語のソフトは入っていないので、人名など正確な表記が出来ておりません――悪しからず。
オーバーハウゼン映画祭HP:受賞者発表
neoneo坐で、『金井勝のスーパードキュメンタリー』公開!


号外.U 2004.5.18  『前衛仙術』の受賞のわけを考える! 

昨日、オーバーハウゼンから全受賞作品の内容と、選考委員の〈ステートメント〉が送られてきました。

今回は映画祭の様子などを紹介しようと思っていたのですが、〈映像万華〉の訪問者の多くは若い映像作家だと思いますので、拙作・『スーパードキュメンタリー前衛仙術』のどういう点が評価されたのかを知りたいのではと思い、急遽変更したという次第です。

Prize of the FIPRESCI(Jury of International Film Critics)

Member of the Jury:
Laurence Boyce(Great Britain),Rolf-Rudiger Hamacher(Germany),Miroslaw Przylipiak(Poland)

※ コンペの審査は幾つかの部門に分かれていて、
この国際批評家連盟賞の審査員は上記の3名でした。

※ このPCにはドイツ語のソフトが入っておりませんので
ドイツの審査員・
Rolf-Rudiger Hamacherのお名前が
正確な形では表示できません〜〜申し訳ありません。

Super Documentary:Zeneisenjutsu
Kanai Katsu 
Japan 2003,33min,DVCAM / NTSC,colour

Statement:
The award of the FIPRESCI_Jury at the 50th International Short Film Festival Oberhausen goes to a film that displays warmth and originality with
a humanistic message, a self-ironical tone.
It portrays an unpretentious picture of the filmmaker.
The award goes to “Super Documentary:Zeneisenjutsu”.

ステートメント:
第50回オーバーハウゼン国際短篇映画祭 国際批評家連盟賞受賞作は温かく、
独創的人道性と自己風刺を散りばめた、作家のつつましい姿勢を描いたものです。
その受賞作は『スーパードキュメンタリー前衛仙術』です。
(訳・ナオキ)

以上が『スーパードキュメンタリー前衛仙術』に関するものです。
またこの作品を撮り始めたころに粗編集を見て頂いたことのある映像作家・居田伊佐雄氏から祝いのメールを頂きました。
その内容は受賞に対する氏の推論でしたので、掲載の許可をお願い致しました。

金井 勝 様

 「前衛仙術」がオーバーハウゼン国際短編映画祭で国際批評家連盟賞を受賞
されましたことを心からお喜び申し上げます。那田さんのHPで知り、金井さんの
HPの映像かわら版を開いて、オーバーハウゼンに於ける金井さんの雄姿と日本
の華のような奥様の素敵なお姿を拝見しました。
 私が思うには、「前衛仙術」は結果を都合よく解釈することのユーモアと、画面の
なかの主人公が観客に向かって徹底的に元気よく語りかけることの相乗効果に
よって、観客を新鮮で豊かな心の世界に誘うように設計された作品です。庭の植
物や訪れる鳥たちとの交際から説き起こして、人間が自分を取り巻く世界とどの
ように付き合っていくべきかを仙人の立場から説いたような、とぼけているようで
含蓄に富んだ心の世界です。
 また、空間を駆け巡るかのような発声によって観客を心の元気に誘うことが仕
組まれていると思うのですが、実際に効果があるでしょう。真剣な心が優れた仕
組みを作品の中に組み込んでいるのだと思います。
 そして何より主人公の風貌が良いと思います。元気になる仙術にかけやすい
風貌という意味でも良いですし、仙人を描いた東洋の絵画を連想させるという意
味でも作品の要素として決定的に重要であると思います。
 なにはともあれ、おめでとうございます。
 

有難う御座いました。
文中にある「日本の華のような奥様〜〜」には参りましたが、〈発声〉については向こうでも何人もの人に誉められました。
また現在も仙人が棲む、仙人の本場・インドからきたという2人の青年にも絶賛されたので〈風貌〉も良かったのだと思いますよ。(笑)
そして、帰国したら英文のメールがきており、映画祭のカタログを調べるとドイツ・ミュージック・ビデオ部門の受賞者だと解かりましたが、あの「トンツクツー、スットン、スットン、スットントントン〜〜」のリズムに感激したのだそうです 〜〜 専門家にそういわれて悪い気は致しません!

実験映像界のドン・かわなか のぶひろ氏は凄い筆力の持主で、 Webに「酔中日記」というのを連載しています。
そこに拙作の受賞に関する嬉しい記事も時々顔を出しています ―― 普通なら(そこに)リンクを貼らせて貰えれば済むのですが、読むのが追いつかないくらいのスピードで更新していますのでリンクは役に立ちません。そこで許可を得てその部分を切り取らせて頂きました。

その1 5月8日(土)
(前略〜〜)
先日オーバーハウゼン映画祭へ作品とともに行っていた金井勝さんから<イメージ
フォーラム>へ連絡が入り、作品が国際批評家連盟賞を受賞したという。こんなめ
でたい情報を、どうやら嫁はぼくに伝え忘れていたようだ。
『前衛仙術』というこの作品は、長期にわたって撮りためられた日記を、ファンタステ
ィック・ダイアリーといった感じにまとめたもので、日々の現実そのものを素材としな
がらこの作家ならではの表現に仕上げられ、昨年の<イメージフォーラムフェスティ
バル>で公開された。
自身を被写体とした胆力と、巧みなユーモア感覚に舌を巻いたものである。
ともあれこういうユニークな作品が国際舞台で評価されたということは嬉しいかぎり
である…。(〜〜後略)

その2 5月11日(火)
(前略〜〜)
たとえば金井勝監督がオーバーハウゼンで受賞するのは、ぼくとしては当然という
思いがある。なぜならば世界広しといえども、こんなへんてこりんな実験映画を創っ
た作家はいないから。
日記であり、ファンタジーであり、ドラマでもある。なかんずく年齢の問題を、見栄を
張ることなく平然と描いている。ぼくにはできないな〜。

極東の島国だから列強に牙を剥く根性が培われる、ということも、もしかしたらあ
るのかも知れない。といっても、列強と闘って容認できるのは、政治や経済では
なく、あくまでも文化・芸術範疇に限る。
嫉妬深い金井さんは、「列強の作品がどれ程のもんじゃ!」と対抗意識を燃やし
たんだろうなぁ…。 (〜〜後略)

居田さん、かわなかさん有難う御座いました。
次は那田尚史さんが「キネマ旬報」に書かれるそうですので、楽しみにしております。


号外.T 2004.5.10  我が『前衛仙術』はオーバーハウゼンで受賞す! 

短編映画の名門・オーバーハウゼンに行ってきました。
オーバーハウゼン国際短篇映画祭は今年で丁度50回目を迎え、オープニング・セレモニーにはシュレーダー首相も出席し、映画祭全体としてもなかなか盛況でした。

我が『スーパードキュメンタリー前衛仙術』はそのインターナショナル部門にノミネートされましたが、応募作品は何と5,000本 〜〜 その中から選ばれた68本がライバルですので勝ち抜くのは至難の業です。

上映前の挨拶、
左は妻の智子、右は通訳のヤスイさん、

5月2日の12時30分から〈インターナショナル・コンペテーション5〉〜〜 そのプログラムのトップバッターとして『前衛仙術』は登場しましたが、満席の会場のあちこちから時々笑い声が起こり、観客の反応が伝わってきます。
特に植物たちとのシーンでの、「〜〜 オー、ファンキー!ファンキー!」がとてもウケてました。(笑)

上映後には多くの人から声をかけられたし、自国の映画祭への誘いもありました。
中でも映画祭の前ディレクターであり、今回は歴史部門の担当ディレクターであるアンゲラ・ハートさんが、「私も60歳を超えたので非常に良く分ります。この作品は私をとてもハッピーにしてくれました 〜〜」といってくれたのが嬉しく、勇気がわいてきました。

『前衛仙術』の感想を話すハートさん

5月4日の夕方7時からは授賞式。
〈子供&若者〉部門、〈ドイツ国内〉部門に続いて、〈国際批評家連盟賞:The International Critics Prize(FIPRESCI Prize)〉の発表です。

スピーカーからのコールは、
「『Super Documentary Zeneisenjutu』, Kanai Katsu, Japan」 〜〜、会場に拍手の渦が巻き起こりました!
これも奇跡といえば奇跡 〜〜 毎朝散歩の時に唱えていたあの〈キュ!、キュ、キュ!〉の呪文が効いたのかも知れませんね。(笑)

既に『無人列島』『夢走る』で国際賞を獲っていますが、映画祭に出席したのは今回が初めてなので胸が高鳴ります。
ましてオーバーハウゼンはぼくが高校生のころに出来た歴史ある映画祭なので感激もまた一入なのです。

受賞の挨拶
ディレクターのガスさん、審査員のエブラハムさんと司会者

この後、商工会議所賞(これが一番高い賞金)、そして大賞(今年は大賞が2作品)などの発表がありましたが、それらの感想や映画祭の様子などについては、後日この〈かわら版〉で取上げますのでまたのご訪問をお待ちしてます ――!


bP01 2004.4.22  〈禁煙〉の、濁った頭で競馬勝ち――!

〈禁煙〉を始めたのが4月4日からなので、今日は18日目となります。
2週間も経てば〈禁断症状〉は治まると聞いていたのですが、ぼくの場合はまだ脳内がぼんやりと濁っていて、鬱陶しい毎日です。

そんな訳で、IF27期卒展の講評(orコメント)もそろそろ書かなければいけないのですが、PCに向うこと自体が億劫な状態なので、勝手ながらもう暫く時間を頂くことに致します。

さて、それでもこの〈禁煙〉によって心臓への圧迫感も動悸もなくなり、〈苦しみ甲斐〉(?)があるというものです。(笑)
またその濁った頭ですが 〜〜 どういう訳か競馬には冴えて、11日に行われた〈桜花賞〉も18日に行われた〈皐月賞〉も共にゲットしています ――!

昨年の〈菊花賞〉から競馬を復活させましたが、暮までは頗る順調 〜〜 が、今年になってその勢いが失せ始め、〈禁煙〉を決意した4日は日曜日でしたが馬券を買うのを止めました。

ぼくの馬券術は日曜日のメイン・レースに1万円を投資するものですが、〈3連複〉が主軸です。その〈3連複〉も馬の顔ぶれによって〈ボックス〉の時もあれば〈流し〉の時もあります。また特券勝負の時もあれば、(保険重視の)5百円券の時もあります。(桜花賞も皐月賞も共に5百円券でした)

〈桜花賞〉は武豊騎乗の9番・ダンスインザムードは間違いないので、その9番から2通りの〈5頭流し〉をしました。
その結果、6,540円馬券をゲット 〜〜 純益が22,700円となりました。

〈皐月賞〉も2通りの〈5頭流し〉ですが、馬券は7番・ブラックタイド(武豊)と、18番・コスモバルク(五十嵐冬樹)からの2枚です。
来たのはコスモバルクの方の馬券で、人気薄の2頭が絡んだために何と20,610円馬券 〜〜 純益が93,050円となりました――!
ありがたや、ありがたや!〈禁煙〉のご利益は、2週で11575拾円也 〜〜 といった次第です。(笑)

それにしても〈禁断症状〉はきついです。
苦しくなったらウォーキングに出掛けますが、もうひとつの手は庭の〈土いじり〉 〜〜 無心に汗を流すことによって救われているのです。(笑)

しかしその一方で、「もっと苦しめ!」と囁く自分がいます。
およそ50年近くも連添った煙草との別れですから、
もっと苦しんでも良いような気も致します。

自慢の庭と石楠花の花


bP00 2004.4.9  〈禁煙〉5日目に入りました――!

〈持続〉というのは凄いですね。マイペースで綴ってきたこの〈映像かわら版〉も何時の間にか百回を数えるようになりました。
これもひとえにご訪問して下さる皆様のお陰 〜〜 今後ともご贔屓のほど宜しくお願いします。

さて百回記念号ですのでドカーンと景気の良い話をしたいのですが、そうそう都合のよい話題はありません。
そこでいっそのこと極めて地味な話をすることに致します。(笑)

右の写真は、一日に50本のヘビー・スモーカ−であるぼくのズボンのポケットです。
煙草は「百害あって一利なし」とは分っていても止められず、せめて〈ポイ捨て〉だけはよそうと携帯用灰皿を使っていたのですが 〜〜 そのボタンによってあけられた穴が、何かを物語ろうとしているようにも見えますね。(笑)

さて、4月に入ってから心臓に圧迫感をおぼえるようになりました。
それが神経的なものなのか、肉体的なものなのか判りませんが、煙草を吸うと少し激しくなったのでこれはヤバイと〈禁煙〉 〜〜 今日で5日目になります。

その〈禁煙〉が効いたのか、心臓の重苦しさは徐々に薄れてきました。
しかし意志薄弱なニコチン中毒症のぼくにとって自分をコントロールするのは大変 〜〜 そこで思いついたのが徹底した〈散歩〉―― ウォーキングです。
それは禁断症状が起きたら直ぐに〈散歩〉に出掛けるという作戦なのですが、詰まるところ終日〈散歩〉を繰り返しているといった案配ですから大変といえば大変です。(笑)

以前にもぼくは〈禁煙〉したことがあります。
『王国』という映画でガラパゴスにロケを敢行した時ですからもう30年も前のことですが、およそ3ヶ月ほどの間に何と10キロも体重が増え、糖尿病が心配になって〈禁煙〉を〈禁止〉しました。(笑)

今度は食事に気をつけたり、散歩を〈持続〉させることなどによって理想的な〈禁煙〉を狙っています。
やりかけの仕事などもそのままになっておりますが、1週間や10日の時間は問題なし 〜〜 もしこの〈禁煙〉に成功すれば、ぼくにとっては〈決定的〉な時間となるわけなので貫徹 ――!

あっ、御免なさい 〜〜、
苛ついてきたので、ここらで〈散歩〉に行ってきます……!


bX9 2004.3.31  オーバーハウゼン映画祭へ――!

去年の今頃は、IFF2003に出品する『スーパードキュメンタリー前衛仙術』の仕上げであたふたしていた頃です。
今年は、その『前衛仙術』がドイツの〈オーバーハウゼン 国際短編映画祭〉のコンペで正式上映されることになり、その手続きやパスポートの申請、航空券の確保(ゴールデンウイークに重なる為にこれには難渋しました)など慣れない作業にあたふたしております。(笑)

この〈オーバーハウゼン映画祭〉は、ぼくが高校生の頃に産声を上げ、今年で丁度50回目になります。
短編映画祭としては世界で最も歴史のある名門 〜〜 拙作がそこでどういう評価をされるのか、楽しみでもあり、不安でもあります。

前にも触れたと思いますが、作品は子どものような存在だと思います。差詰めぼくの場合は自腹を切って生み落とすのですから母親的な存在です。(笑)
それでは父親は 〜〜?

尊敬しているある監督が「全く新しい内容のものを、全く新しい方法論で作らなければ映画として認めない。自己模倣も許さない――!」と60年代にいいました。
が、もしそうだとしても、その時代に作者が存在しており、無意識のうちにその時代の欲求を受けているのだ思いますので、精子は 〜〜 いや父親は〈その時代〉なのだともいえましょう。

さて、ぼくが生み落した子ども達ですが、たったの9人ですので余り威張れませんね 〜〜。(笑)
しかし彼らは夫々に個性があり、かつ〈勝丸シネマ〉全体に有機的に関わっております。特に『無人列島』は頼りになる長男で、今回の末弟・『前衛仙術』のオーバハウゼン行きにも、彼の力が陰で働いていたのかも知れません。

ともあれ、
オーバーハウゼンのコンペはプロ・アマ問わず 〜〜 全世界から数千の応募がありますのでノミネートされただけでも光栄だと思っております。

もうご承知だと思いますが、
ぼくはIF映像研究所と東京造形大学で講師をしています。
かわなか のぶひろさんからのメールによりますと、

造形大では、
鬼束健太郎
『墨華譚』と、川部良太藤野史風澤雄介 『どこかの誰か』
の2作がIFF2004に〈入選〉 〜〜 大賞、審査員特別賞に次ぐ賞です。
また『どこかの誰か』は東京ビデオフェスティバルでも〈優秀作品賞〉を
獲得したそうです。
(但し、『どこかの誰か』はぼくの受持つ映像芸術Vの作品ではありません)

イメージフォーラム関係では、
岩澤美穂 『九十九里の女』が〈奨励賞〉。
また、まんま さちこからの連絡では、彼女の作品が中国で上映され
観に行くとのことです。
この2人はIF26期ですが、既に同期の真利子哲也 『極東のマンション』
ゆうばり国際ファンタステック映画祭で〈大賞〉などを、
村岡由梨 『The Miracle』はBACA−JA2003で〈優秀作〉に入っています。

受賞おめでとう 〜〜 慢心せず、更に上を目指して死ぬまで頑張りましょう ――!


bX8 2004.3.10  春風が、朗報・吉報を運んできます ――!

多分多くの人がそうだと思いますが、ぼくも一年のうちで最も苦手な月は2月です。寒くて何となく陰気だというのがその主な理由ですが、寒さという点では今年の2月は暖かく逆に3月に入ってから急に寒くなりましたね。
そんなわけで我が家の植物たちもてんてこ舞い 〜〜 フキノトウが顔を出すと梅とサクランボとがほぼ同時に開花しました。

小径の脇に顔を出したフキノトウ サクランボの花

さて、その10日ばかりの間に何があり、何をしたかというと 〜〜、
2月27日は昼間は庭の手入れをし、夜は前号で触れた井口 昇監督の『恋する幼虫』を観に行きました。
それは劇画的な作風で、発想が実にユニーク 〜〜 更に思わず吹き出してしまう特殊撮影があり、特殊メークにも力が入っていて大変面白く観られました。
ストーリーを知らないで観た方が絶対に面白い作品ですので内容には触れませんが、自信を持ってお勧めできるので、井口ワールドを満喫して下さい ――!

28日〜 3月1日までは「萩原朔太郎詩集」を時間をかけて読みました。
暮に読んだ吉増剛造「詩をポケットに」に刺激されて、明治・大正・昭和(戦前まで)の詩人たちから〈言葉〉を、そして言葉の〈リズム〉を学ぼうと思い、既に「中原中也詩集」は読了 〜〜 その第2弾としての朔太郎です。
それにしても、中也や朔太郎の生き方には〈身震い〉のようなものを感じますが、同時にそれは今の映像作家たちの生き方にも重なる部分も大いにあって、いろいろと考えさせられました。

2日から4日までは妻と群馬の万座温泉で寛ぎます。
早いもので結婚してからもう6年半になろうとしていますが、二人の楽しみは温泉旅行 〜〜 およそ3ヶ月に1度の割で出掛けるので30回近くにもなります。
その舞台は関東・東北・北陸・信越・伊豆の温泉郷 〜〜 中でもお気に入りは万座で今度が4度目になります。

暖冬のせいで、バスが山の奥に進んでも一向に雪はなく一寸寂しい気もしたのですが、もう直ぐ万座といったところで風景はがらりと一変 〜〜 道路脇には4〜5メートルの積雪があり、強い斜光線にキラキラと輝きながら粉雪が舞っていました。

標高1800メートルにある温泉郷ならではの別世界 ――!
ご存知のように、温泉には水圧などによる〈物理的な効果〉、溶け込んだ成分による〈化学的な効果〉、そして生活の場から離れることによる〈転地の効果〉があります。
その3つの効果のうち、先ず最初に堪能させてくれたのは〈転地の効果〉で、この別世界が都市生活のストレスを一気に吹き飛ばしてくれました。

宿は万座温泉ホテル・ゆけむり荘で、ここには泉質の異なる湯船が9つもあり、吹雪の中での露天風呂もなかなか乙なものでした。
全く何も考えず、ただ呆けて過ごした2泊3日の旅で心身共にリフレッシュ 〜〜 やっぱり万座温泉は最高でした ――!

5日は温泉気分を引きずってボーッとしていたら夕方に 〜〜 慌てて電車に駆け込み「韓国インディペンデント映画2004」のオープニングパーティに出席しました。
いま韓国映画界には勢いがあるので、この「インディペンデント映画祭」も大いに楽しみ 〜〜 会場はシアター・イメージフォーラムで、明日あたりから通うつもりです。

さて、そのパーティーで朗報を耳にしました。
ぼくはIF付属映像研究所の他に、東京造形大学でも〈映像芸術V〉という講座(の後期)を受持っていますが、その受講生の作品がIFFに入選したらしいという情報です。
これはまだ未確認情報ですが、もしそうなら担当者として嬉しい限りです。

そして7日の夜 〜〜 今度は拙作・『前衛仙術』に関する吉報がヨーロッパから飛び込んできました ――!
まだ正式な書類は届いていませんのでこれまたもう少し時間を頂きたいのですが、やはり陰気な2月とは打って変わり、3月は陽気な〈春〉です ――!
一昨年はあの雉鳩の番(つがい)が天から舞い降りてきたし、その前年などは毎日のように朗報・吉報を〈春風〉が運んできました。
といったわけで、今年もその〈春風〉に大いなる期待をしているという次第です ――!(笑)


bX7 2004.2.25  IF卒業後の活動 / 活躍

毎年この季節になると百草園の梅を見に行きます。
庭の遅咲きの梅(の蕾)も膨らんできたので、百草園の梅はもう満開だろうと先程行って来たのですが、全体としては8分咲きといったところでした。

百草園は我が家から歩いて30分程の距離ですが、最後に急勾配の坂があって喘ぎながらとなるのがこれまでの常でした。
が、今日はウォーキングを日課にしているせいか息切れもせず、その急坂を一気に登れました。これで〈持続は大いなる力〉 ―― を、改めて実感したという次第です。

さて、ぼくはIF付属映像研究所の専任講師のひとりですが、既に開所から四半世紀が経ち、3月13日からは第27期卒業制作展が始まります。
講師として嬉しいのは受講生の〈やる気〉 〜〜 それが世界に通ずる作家を排出してきたという実績に繋がっているのだと思います。

しかし、才能があっても〈持続〉がなければ直ぐに枯れ果て、忘れ去られてしまいます。
卒業してからが本当の意味での作家活動 〜〜 制作だけでなく〈発表・公開〉も頗る重要で、今回はその〈発表・公開〉を取上げてみます。

先ずは西村智弘(映像・美術評論家)プロデュースによる、石田尚志狩野志歩松山由維子「生成するエクラン 〜映像インスタレーション〜」 ―― 今、京橋のart space kimura ASK?で開催中です。

石田には『部屋/形態』『フーガの技法』 など、狩野には『揺れる椅子』『白いテーブルクロス』など、松山には『FIELD』などがあり、彼らは国内外で高く評価されている映像作家です。
松山には記憶がないので違うかも知れませんが、西村、石田、狩野の3人はIFの卒業生です。

全く作風の違う3人が、そこにどういう映像空間を作り出しているのか興味津々 〜〜 近日中にぼくも観に行きます。詳細はこちら

次は新宿Fu−を拠点に、長い間上映活動を続けてきた〈総合格闘技イメージリングス〉の主宰・しまだ ゆきやす 〜〜 その彼がサラリーマンを辞め、村上賢司らと〈有限会社 イメージリングス〉というプロダクションを設立して、 その初仕事が井口 昇監督の『恋する幼虫』です。

その井口ですが 〜〜 残念ながら卒業後の彼の作品は一作も観ていません。が、 漏れ聞くところによると、今やAVのカリスマ的な存在だそうです。(但し、今回の作品はAV作品ではありません)
先述の「生成するエクラン 〜〜」とは対照的な作品だと思いますが、とても面白いという噂ですので見逃す訳にはいきません。
只今『恋する幼虫』は、テアトル新宿のレイトショーで公開中 〜〜 詳細はイメージリングス

そしてあの望月六郎 〜〜 彼は我が家で居候をしながら脚本を書き、その時の1本が映画化されています。
やがて望月は商業映画に進出し
『鬼火』という作品でキネマ旬報の監督賞を受賞しています。

その彼の新作『かまち』 〜〜 3月13日より池袋シネマサンシャインで公開、全国順次ロードショーとなるそうです。
かまちとは、絵画に詩作にその全才能を注ぎ込み、僅か17歳でその生涯を閉じたあの
山田かまちのこと 〜〜 望月がどのような切り口でこの天才少年を描き出しているのか、大いに楽しみです ―― 詳細はこちら

※ ここで取上げたのは、現在公開中か近日公開予定のものだけです。
もし本気で映像を学びたいと思う方がいれば大歓迎 〜〜 IFでお会いしましょう ――!

IF・受講生募集の頁


bX6 2004.2.5  造形大〈映像芸術V〉の作品が面白い !

2000年度から東京造形大学で〈映像芸術V〉の後期を受持っていて作品制作の指導をしています。
今年度('03年度)の受講生(と初めて会った時)の印象は、全く覇気が感じられず一体どうなることかと心配でしたが、結果としては一番充実した年度になった思います。
前期担当の川中教授にも御一緒に観て頂きましたが、総体的に好評でした。

受講生は20名で全員が三年生 〜〜 その中にIF24期で教えたことのある大山 慶もいました。彼はIFのグループ作品で『NAMI』という超・傑作を手掛けており期待していたのですが、大学に入ってからは(怠けていたのか)鳴かず飛ばず 〜〜 そこで彼にハッパをかけてみましたが、それが功を奏し他の学生にも波及効果となって全体が盛り上がったのだと思います。
1月中旬の審査上映の段階では、まだ〈完成〉と言い切れないものもかなりありましたが、これを〈最終講評〉として、更に充実させてくれるものと信じております。

大山 慶 『(未定)』 (アニメ)
白っぽい画像には、山を背景に点在する家々 〜〜 ゆっくりとその一軒の窓にズームすると、ガラス戸に2つの小さな手の平が 〜〜 やがてコドモの顔が現れ、じっと窓外を見詰めます。
その視線の先にあるのは路傍に放置された犬の死体で、〈臓物〉が露出されていました。
それに何かを感じたのでしょう、コドモは鉢から金魚を取り出すとその口の中を覗きます 〜〜 映し出されたのは〈臓物〉でした ――!
食事の時間を告げに来た母親 〜〜 食卓には大きなチキンが載っていて両親は食べ始めますが、コドモはその様子を薄気味悪そうに眺めています。
母親に叱られ、恐る恐るチキンにナイフを入れると、どろりとした液体が流れ出して慄くコドモ 〜〜 ふと両親を見るとその顔に〈臓物〉が滲み出て来たではありませんか ――!
食卓から逃げ出したコドモは最初のガラス戸へ 〜〜 そのガラスに映った自分の顔にも、やがて〈臓物〉が浮き出てくるのでした ――!
■ 大山はIFの16mm講座でも卒業制作でも〈臓物〉を扱った作品を実写で作っていたので、少年時代に何かがあって、〈臓物〉に拘りをもっているのかも知れません。
しかし狂牛病や鳥インフルエンザ・ウイルス、そして新型肺炎でもハクビシンが関係していると言われているので、作者の思惑を超え、観手の一人ひとりの頭の中で、これは〈肉食〉に対する問題へと膨らんでゆくと思います。
画はシンプルですが良く、作業は緻密 〜〜 時間がかかってまだタイトルも未定だそうだし、音も入っていませんでした。また幾つかのショットを描き足さなければ分り難い場面(犬の死体とコドモの絡みなど)もありましたが、「3月までには完成させる」と言っておりましたので、IF同期の皆さんも期待していて下さい ――!

木村友和 『FLOWER』 (アニメ)
揺れる3本の花 〜〜 やがて可愛い靴がフレーム・インして女の子となります。
青空の下で伸びやかに弾んでいた少女ですが、その花のひとつを摘み取りました 〜〜 と、その茎の芯は何故か電線で、それがこのアニメの進展に重要なポイントとなっていたのです。
見る見るうちに花は萎れ、背景のビル群は色あせてゆきます 〜〜 そしてそれらのビル群はやがて次々と崩れ落ちてゆくのでした。
呆然と立ち竦む少女 〜〜 彼女のいた緑の芝生にも亀裂が走って、奈落の底に落下してゆきます ――!
闇の地底で微動だにしない少女 〜〜 近くには破壊された〈電線の搭〉が聳えていますが、それがこの世界のシステムの拠点となっていたのです。その搭を支えていた一本のボルトが外れ、落下してきました 〜〜!
死んだと思われた少女の指先が幽かに動き、やがて萎れた花を掴みます。徐々に精気を取り戻す花 〜〜 やがて花を手にした少女は地上へと浮上するのでした 〜〜。
■ 大山作品と同様に、こちらも凝ったアニメですので〈完成〉とまではいっていませんでしたが、なかなかの力作 〜〜 が、システムの拠点である(電線の)搭の描き方などに物足りなさを感じたし、それが一度しか出てこないのもどうかと思いました。
作者にも撮り直したり付け加えたりするシーンやショットがあるようなので期待してます。

平吹正名 『home life』 (ドキュメンタリー)
台所など屋内の数ショットがあって、勾配のある住宅地となりました。その狭い路地の石段をひとりの青年がやって来て、とある家の玄関の前で立ち止まると中に声を掛けます 〜〜 が、返事はありません。それは何時ものことなのだろう、青年は戸惑うことなく中に入りました。
この家の主は小太りの男でしたが、彼はまだ寝ていました。青年はその男の存在にはお構いなしにエプロンをかけて台所やトイレの掃除をし、洗濯物を取り込んで丁寧に畳んでゆきます 〜〜 どうやら彼はホームヘルパーのようで、やがて寝ている男を起こしてその布団を干しにかかります。
布団を剥がされた男はパンツ一丁 〜〜 その左肩には何が描かれているのか判然としない刺青が見えます。
仕事を終えた青年が帰っても、男は裸のままで相変らず無気力なごろ寝 〜〜 やがてひとつ小さな溜息をつくと畳を撫ぜ、手に触れたボールを転がしていたが、一寸寒くなったのか先ほどまでヘルパーがかけていたエプロンを素肌の上に着けました。
暫くすると、男は畳の上に写真を並べだします。以前に付き合っていた女の写真でしょうか 〜〜 並べ終わると今度はカメラを取り出し、その写真の群を撮りだしました。
その作業が完了したのか、飽きたのか 〜〜 男はまた寝てしまいました 〜〜 。
■ これは〈引き篭り〉男の一日のドキュメンタリーですが、青年(ヘルパー)の短い言葉(=訪問を告げる声、布団を干すために男を起こす声、帰りを伝える声)以外には人の声は全くありません。その言葉のないことによってこの男の心の襞を覗けたような気がしました。
欲をいえばもうひとつ〈引き篭り〉と分る仕草が欲しいような気もしますが、ともあれ心に残る作品です。

安達悠子 『空想少女』 (フィクション)
正面からの少女のクローズ・アップ 、ゆっくりと床に向って下りてくる足、暫く躊躇った後にその足の親指が床の表面に幽かに触れます 〜〜 と、そこが恰も水面でもあるかのように波紋(描きアニメの合成)が広がりました ――!
足元からパン・アップして少女のバスト・ショットとなり、横からの顔のクローズ・アップと続いて、飛び降り(飛び込み) 〜〜 黒味が入ってそこに水音 〜〜 床に着いた足で終わるという短篇作品です。
■ 先ず少女の表情が実に良く、足の指先が床に接すると広がる波紋が大変に巧くいっていて、空想少女の日々繰り返されているだろう妄想行為として伝わってきます。
これはこれで〈出来上がった作品〉となっていましたが、インパクトという点では弱く、巧く出来た小作品と片付けられてしまう嫌いもあります。
それはラストに非凡さを感じさせないからで、飛び込んだ後の更なる展開を考えてみては如何でしょうか ――。

大野惠子 『通り雨』 (フィクション)
アパートの窓から俯瞰した雨の街 〜〜 カメラがゆっくりとパン・アップすると鉄の手摺となり、そこに無数の水滴が付着しています。
そのトップ・ショットは惹き付けられる映像でしたが、ナレーションは「また雨が降る。私の心を乱す大嫌いな雨」 〜〜 でした。
次は画面一杯の乾燥菓子の山 〜〜 その菓子を頬張りながら主人公の女性が見詰めているのは乾いた砂漠の映像でした。
やがて玄関のドアが開き、ずぶ濡れの女(の下半身)が入って来て主人公の足に雫を垂らします。
そして洗面所から流れ出す水 〜〜 その水でびしょ濡れになった彼女は、素足のまま部屋を飛び出しました。
着いた先は河原で、ススキの穂が風に揺れ、乾いた砂を彼女の手が握りしめます。
空は何処までも青く、陽は燦燦と降り注いでいますが、彼女の見上げた顔がふと曇ります 〜〜 どんよりとした雨雲が現れ、段々と広がり始めたのです!
が、それは恐怖からくる幻影だったのしょう、紺碧の空の下に彼女は佇んでいました 〜〜。
■ とてもユニークな作品で、主人公の表情(演技)も実に良かったのですが、洗面所の蛇口を開けたのが誰なのか、雨だった筈なのに河原の砂が何故乾いていたのか(タイトルの『通り雨』だけではどうかと思います)など、観手を納得させる設定が必要だったと思います。

他には、自分の別人だという凶暴な男との葛藤を描いた新井淳一『境界線』、若い男女が白い部屋の中で奇妙な餃子作りをする岡本整子『ケガレ』 、部屋から出られない女が妄想の中でビル群を見下ろしてゆく平林望美『派生』 、札幌の実家の壁から浮き出てきた猿楽のシテが電車に乗り、飛行機に乗って東京の下宿にやって来るという高岡 潤『幻影猿楽』などがありますが、インパクトや整合性、舞台装置などにやや問題があったり、大切な部分がまだ出来ていないのもありました。本気になってそれらをクリヤーすれば傑作間違いなしの作品群です ――!

まだまだあります 〜〜 藤本 海『紙成り』
その〈紙成り〉は〈雷〉にかけたタイトルで、主人公はバイト先からの帰り道に落雷に遭うのでした。幸い体に異常は見つからなかったのですが、翌日には何と彼は薄っぺらの紙になっていたのです――!
紙になってのメリットは隙間から自由に出入り出来ることで、これはこれで喜ぶべきことだと楽天家の彼は思います。
そこで先ずは一服と、煙草を取り出し火をつけました 〜〜 と、その火が体に燃え移り、慌ててお風呂に飛び込みます ――!
が、やがて体が溶け出してきたのでさぁ大変 〜〜 といった奇天烈な噺です。
しかし、藤本の欠点は仕事が雑なところです。(笑)
もし神経の行き届いた者との共同制作にしたら、これまた間違いなく怪作にした快作となる筈ですので考えて下さい。

ここに載った人も載らなかった人も、頑張って人を驚かせる作品に仕立て、沢山ある映像コンクールの中から自分の作品に合いそうなところを見付けて出品してみてはどうでしょう ――!

主な映像コンクール


bX5 2004.1.7  早春の吉兆  〜 宝くじが ...!? 〜

早いもので今日は松の内の最終日・七草になりました。
「せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ これぞ七草」 〜〜 その七草粥を食べて正月気分を一掃し、明日からは気合を入れて頑張ろうと思っております。(笑)

元旦は例によって関東三大不動のひとつ高幡不動尊に初詣 〜〜 昔はNHKの「ゆく年、来る年」を見てから出掛けて除夜の鐘を撞いたものですが、参詣人がめっきり増えて門前から混雑するようになりましたので、雑踏を避けて近頃では5時ごろ行くようにしています。
その時刻になるとさすがに人もまばらで、落着いた気持ちの良い初詣となるわけです。

高幡不動尊の全景

月並みですが、世界の平和と家族の健康などをお祈りしてから境内をひと回りし、初日の出を見るために多摩川の支流・淺川に向うことにしました。
雲ひとつない穏やかな曙 〜〜 その清々しい大気に包まれて妻と川べりの砂利道を歩んでいると、やがて川面から水蒸気が立ち昇り、それを(逆光線で)赤く染めながらゆっくりと旭が昇って、一幅の絵のような風景をつくりました。

淺川からの初日の出

充実した気持ちになって帰宅し、分厚い新聞を捲っていると年末ジャンボの当選番号の記事が目にはいります。
宝くじは余り買う方ではないのですが、締切り間際に〈連番〉セットを御神籤代わりに買っておいたのを思いだしました。妻も〈バラ〉セット(10枚)を買っていたので調べてみると、3百円が2枚、3千円が2枚当たっていました。
プラス・マイナス6百円の儲け 〜〜 これまで3百円が最高だったのでこれは吉兆 〜〜 とその時妻の声が大きくなって、1万円も当たっていることを告げます ―― !

高が1万6百円の儲けですが、元旦早々の当たりですから縁起が宜しい 〜〜 と、思うことにしました。
還暦を過ぎてから、プラス思考で生きようと決めているので、一寸のことでも大げさに歓ぶようにしているのです。(笑)

2日はぼくの実家への年始。3日は妻の実家への年始。4日は雑用で終わります。
そして5日は、年頭の競馬・金杯です。

昨年の菊花賞から復活させた、週に1レースだけの競馬 〜〜 その殆んどを獲ってきたのですが、荒れる中山金杯は自信がなく、案の定の敗北となりました。
しかし毎回1万円しか投資しないので競馬貯金は心配ご無用 〜〜 レクリエーションを兼ねた〈日銭〉ならぬ〈週銭〉稼ぎはまだまだ続きますので、「乞う、ご期待で」です!!(笑)

さて、今年の〈映像万華〉の目標は、長らく休んでいる〈あばら家物語〉の復活です。
何人もの訪問者から「〈映像万華〉の目玉はやはり〈あばら家物語〉 ―― 目玉をサボってどうするの!」というお叱りのメールを頂いてきましたので、何とか頑張るつもりです!

本年も御贔屓のほど何卒宜しくお願い致します。



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