66, 2002.11.14 みんな競争・2 今のところはIF26期が面白い!
ぼくの周りでは、映像作家を志す若い人たちの動きが活発になってきています。
先ずは、前にも触れた〈山形国文祭・ワークショップ〉 〜〜 10月の〈第1回合宿〉で受講生との顔合わせをし、そこで各自が持ち寄った企画案を検討してグループ分けをしました。その結果、〈金井組〉は11名で、6名・4名・1名からなる3班が誕生しました。そのテーマや内容などについては何れ取上げますが、この〈第1合宿〉には来られなかった者もいたのでまだ流動的 〜〜 今月末の〈第2回合宿〉で固まってくるのではと思っています。
しかし、それまでの間に受講生たちの〈やる気〉が薄れては大変 〜〜 そこで〈小口詩子組〉でやっているという、フリーのメーリングリスト(ML) を使って連絡を取り合うことにしました。時々しか行かれない講師にとってこの〈ML〉は有効な筈 〜〜 〈山形国文祭・金井組〉の〈ML〉を立ち上げて発信したところ、受講生たちから頼もしい言葉が続々と返ってきました。
でも中にはこれで気合が入った者もいたと思います(笑) 。ともあれ〈第2合宿〉が楽しみです。東京造形大学の〈映像芸術V〉は受講生が多いので、やっと〈プラン講評〉を終えたところです。
どういう訳か、今年は線画・立体・写真・またはそれらの複合などによるアニメーションが多く、中にはかなりレベルの高い企画もあり期待しています。しかし「映画は映ったものが全て」ですので、(特にアニメは) 画を見てみないと何ともいえません。
もう撮影に入った者もいるようなので、来週辺りから途中段階の映像が見られそうです。そして〈IF26期〉 〜〜 IFでの受講生の制作は、第1作品、第2作品、夏休み作品、卒制と各自が夫々につくりますが、秋にはグループで制作する〈16mm講座〉があります。
先日、ぼくが担当したAクラスの〈16mm講座〉が終了しましたが、アリフレックス班2、ボレックス班2の4班とも意欲的で実に面白く、ここまでやれたのはかつてなったので、彼らの卒制が大いに楽しみです。しかし、油断は禁物です!
その証拠に、AB2クラスのうち、第1作品ではAクラスがBクラスの作品を陵駕していましたが、第2作品では逆転 〜〜 Bクラスの風下に甘んじました。
そしてまたまた逆転 〜〜 夏休み作品はAクラスが再び圧倒しました。
この順番でゆくと、最も重要な卒制は、Bクラスに軍配か ―― !?(笑)
ともあれ、映画での才能とは〈やる気〉ですので、お互いに頑張りましょう!
※写真は、IF〈16mm講座〉Aクラスの編集風景
65, 2002.11.2 『スーパー・ドキュメンタリー 前衛仙術』中間報告・2
今日は、9月29日号の〈『K・勝丸の前衛仙術』(仮題)の中間報告・1〉に続く報告 〜〜 仮題であったタイトルを『スーパー・ドキュメンタリ− 前衛仙術』にしようかと思っています。
この新作はもうご承知のように〈前衛仙術なるもの〉〈仙境づくり〉〈実演1・雉鳩の営巣〉〈実演2・防風壁〉のパートからなりますが、既に〈雉鳩の営巣〉は90% 完成しております。
残る3つのパートのうち、先日〈防風壁〉の中の〈飛翔のシーン〉に挑戦 〜〜 が、見事に失敗しました。
しかしこれはテストのようなもので、次のトライの目処が立ちました。きっと「この失敗も成功の母 」となることでしょう。(笑)それにしてもそれは屋根の上でのパフォーマンス 〜〜 その光景を近所の人に見られてしまいました ……!
その上、今度の作品は全て一人でやっているので〈撮影風景〉という雰囲気は全くなく、隣人たちは「遂に狂ったか 〜〜!」と、思っているかも知れませんね 〜〜 いや困った!(笑)一方、これまで撮影が順調だった〈仙境づくり〉の方では、アケビの実の弾ける瞬間が未だ残っております。
今年はアケビ(正確にはミツバアケビ) が豊作で13個も成りましたが、山形の〈ワークショップ〉(10月26〜27日) に行っている間にそのうちの3個が弾けていました。
その3個以外は色づくのも遅かったので、と油断をしていたら 〜〜 翌朝、また1個が割れていたので慌てます!どうやら、アケビの実は明け方に弾けるらしいことが分ってきたので、29日は午前3時に起床して一番割れそうなのにカメラをセットし、60ワットの電球を当てて撮り始めます。
しかしぼくのカメラはDVCAMなので1時間用のミニ・カセットを使っても40分しか撮れません。撮影をしては巻き戻し、また撮影 〜〜と、何度も何度も繰り返し陽が高くなるまで頑張りましたが結局は駄目でした。
ところが明るくなってからよく調べると、ライトの当たっていなかったとことにあったのが1個弾けていて、地団太を踏みます ……!あと残りは9個 〜〜 どうもアケビはシャイ(自然科学的には、明るさや気温などの関係だと思いますが) なようなので11月1日はライトを遠くから当ててみましたが、前日と全く同様の結果 〜〜 目標の実は割れず、裏側にあった1個が弾けていたではありませんか ……!
残りは8個になってしまいました。
そこで昼間のうちにまだ当分割れそうにない2個を除いて、他の全てを割目がカメラとライトに向くよう細工をし、今朝(2日) は(割目の) 白い線がはっきり出たのを選んでカメラを回し続けます。
そしてその結果は 〜〜 ひとつも割れませんでした ……!(笑)しかし、いくら恥ずかしがり屋のアケビでも(薄明りの中でも) きっと弾ける時がくる筈です。
映像作品にはそういった〈瞬間の美〉も大切なので、早朝の撮影は大変ですがその瞬間をカメラに収めるまでは粘ってみるつもりです。
早朝の撮影 ― 今朝も失敗でした なかなか立派なミツバアケビでしょう
64, 2002.10.23 〈鈴木志郎康・石井茂の写真展〉を見てきました!
昨日はIFの授業が夜の6時半からありましたので、チョッと早目に家を出て渋谷のギャラリーへ立寄り 鈴木志郎康さんの写真展を見てきました。
今回は石井茂さんとの二人展で、志郎康さんのタイトルは〈眉形の宇宙〉 〜〜 亀戸、荒木町、須賀町、神宮前などの古びた家屋や街並みを例の魚眼レンズで撮っており、展開される志郎康さんならではの世界、宇宙 〜〜 特に裏通りの三叉路や石段のある風景が印象に残りました。
お忙しい合間を縫っての大変な撮影 〜〜 何時ものことですがその行動力に頭が下がります。石井さんのは〈遠い矩形〉で、 全てがピンホールカメラによるものでした。
ご承知のようにピンホールカメラとは〈針穴カメラ〉のことで、レンズはついておりません。それでいながら〈四切〉に引き伸ばされたモノクロ写真のシャープなこと 〜〜 その技術の確かさにびっくりさせられます!ぼくが生まれ育った家は、母屋でも蚕が飼われるように出来た3階まである大きな兜造りの家屋で、その1階のだだっ広い屋内は板戸や障子によって仕切られておりました。
その南側の障子の向こうにはかなり幅のある縁側があって、外側に杉板の雨戸 〜〜 その雨戸にあった節穴を通して入ってきた光は、明け方などに築山の植木らしきもの(薄ぼんやりした天地が逆さまな像) を障子に映し出していました。
この〈針穴〉ならぬ〈節穴〉(笑) の体験で、ぼくは幼い頃からカメラの仕組みは知っていたのです。後年になってピンホールカメラというもののあることを知りましたが、それはあくまでも教材としての〈カメラの原理〉〜〜 と、高を括っていましたが、フロアーに展示された2台のカメラが目にとまります。
その精巧に作られたカメラをしげしげと眺めていると、石井さんが近づいてきて、ピンホール(レンズに当たる部分) に貼ってあった黒いテープを剥がしながら、「このテープが言わばシャッター、難しいのは針穴を完全な円に開けること 〜〜」だとか、使われたフィルムの感度や露出時間のことなども丁寧に教えてくれました。被写体には焼却炉などから身体の部分まであって、それらは陽射しをいっぱいに受けたものから薄暗いところにあるものまでありました。が、どれもピントや露出は正確 〜〜 それでいてレンズのあるカメラで撮った写真とは一味違う趣がありました。
この写真展は、27日の日曜日までですので興味のある方はお見逃しのないように――!
尚、鈴木志郎康作品『風の積分』(8o映画)の上映会が26日(土)にあり、
前編が13:00〜16:30 後編が17:00〜21:00場所:渋谷区渋谷3‐16‐3 TOWAビル
GALLERY LE DECO Tex/Fax 03‐5485‐5188※ 詳細は鈴木志郎康HP
63, 2002.10.12 みんな競争〜〜IF・造形大・山形、そして勝丸
先日、長野の白馬八方温泉に行ってきました。
二泊三日の旅で、栂池湿原にも足を伸ばして一足早い紅葉を満喫しました。
紅葉の栂池湿原
さて、秋に入ってから急に慌ただしくなってきました。
先ずはIF付属映像研究所 〜〜 今年は卒業制作作品を更に充実させるために、夏休み作品の反省を踏まえての〈卒制・プラン講評〉を、例年より3ヶ月も早いこの時期にしました。
悔いのない卒制にしようと受講生たちはもがいていますが、中には既に気合の入ったプランもみられ、26期も期待できそうです!
この〈卒制・プラン講評〉が終わると〈16mm講座〉で、毎年この初めての〈スタッフ制作〉から作品づくりのコツを覚えて急に伸びてくる者が沢山おりますので、担当講師の一人として責任の重さを感じています。次は、3年目となる東京造形大学の〈映像芸術V〉〜〜、
前期をかわなか のぶひろ教授が担当し、そのバトンをぼくが受継いで後期を担当 〜〜 夫々が1本の作品を制作する3年生の講座で、言わば〈プレ・卒制〉です。
今年は受講生が多く28名(これまでは17〜18名) で、全体としておとなしく最初はチョッと心配でしたが、〈制作プラン〉を聴くうちに彼らの内に秘めた〈やる気〉を知って安心 〜〜 これまで以上の作品を予感しています。次は、9月20日号でお知らせした山形国文祭・ワークショップ 〜〜、
最初は受講生が集まるのかどうか心配でしたが、夏休みから帰ってきた東北芸術工科大学の学生がどどーと入って、定員20名のところ、何と45名となり嬉しい悲鳴をあげています。
直接指導の講師=土屋豊、小口詩子、加藤到、金井勝は、多分2チームを受持つようになり、統合コーディネーターの村山匡一郎も、1チームは引き受けざるを得なくなるかも知れません。(笑)
ともあれ、宅配で送られてきた受講生たちのビデオの中にはハイレベルの作品もあり、10月26〜27日に行われる最初の合宿が大いに楽しみです。そして9月29日号でも触れたぼくの『スーパー・ドキュメンタリー 前衛仙術』 〜〜、
その〈仙境づくりと収穫祭〉のパートに出演してくれる麗人と一昨日会ってきました。彼女には(収穫祭で) ベリーダンスを披露して貰うのですが、お借りしたビデオテープを拝見してピッタリの踊りだと分りました 〜〜 ご期待下さい!毎度のことですが、「作品は出来上がったものが全て」 〜〜 ですので、切磋琢磨して頑張りましょう ――!!
(敬称略)
62, 2002.9.29 新作『K・勝丸の前衛仙術』(仮題)の中間報告・1
猛烈な残暑の後の時雨 〜〜 急に気温が下がった為に植物たちも驚いたとみえて、我が家の晩生(おくて) の葡萄も色づき始めました。
時雨に濡れる葡萄たち 全部で7房〜〜色づいてきました いま制作中のVTR作品『K・勝丸の前衛仙術』(仮題) にはこの葡萄やアケビも出演しますが、主演はあくまでもぼく自身で、還暦を過ぎてから編み出した〈前衛仙術〉なるものをご披露致します。(笑)
構成は、〈前衛仙術なるもの〉〈仙境づくりと収穫祭〉〈その実演1・雉鳩の営巣〉〈その実演2・防風壁〉のパートからなるスーパー・ドキュメンタリーで、その〈前衛仙術〉が如何なるものかと申せば、摩訶不思議でありながら魔術や幻術などとは次元が違うもの 〜〜 勿論ソフトに頼った目眩ましでもありません――!
共演者となるこの葡萄やアケビは〈仙境づくりと収穫祭〉のシークエンスに登場しますが、何せ新宿から特急で27分のところに位置する高幡不動での〈仙境〉ですので、正しく箱庭程度の規模です。(笑)
しかし、ぼくの編み出した〈仙術〉なるものは21世紀の〈先端を行くもの〉ですので、俗界から完全に隔離した〈仙境〉である必要はありません。いや、この作品の意図は「還暦を過ぎたらプラス思考で生きましょう!」という啓蒙 ―― 啓蒙作品にろくなものなし、というタブーへの挑戦でもあります(笑) ―― ですのでその〈仙境〉が深山霊谷では意味がなく、箱庭程度の〈仙境〉でなければならないのです。
これらの写真は、この記事の為にデジカメで撮ったものですが、作品の中では葡萄やアケビも今まで観たことのない映像になりそうですし、〈実演1.雉鳩の営巣〉では10時間の撮影済みテープを11分に編集〜〜なかなかの出来栄えだと自負しております。(笑)
残る2つのシークエンスには未だ手付かずですが、そのうち〈中間報告2〉で編集済みのコマから起こしたスチールをお目に掛けようと思っておりますので、ご期待下さい ―― !!
箱庭規模の仙境 アケビが13稔りました 〈作品は出来上がったものが全て〉 ―― というのがぼくの持論ですので、出来上がる前に余り喋るのもどうかと思いますが、生来〈怠け者〉の性質ですので、こうして発表してしまえば後に引けなくなりますので、これは言わば己への〈枷〉のようなもの 〜〜 ご容赦ほど宜しくお願い致します。
61, 2002.9.20 山形で「ドキュメンタリー映画」の公開講座
〈国民文化祭〉というのをご存知でしたか?
ぼくも初めて知ったのですが、各都道府県が持ち回りで開催する文化の祭典で、いわば国民体育大会の文化版〜〜今年は鳥取県で、来年が山形県〜〜〈第18回国民文化祭・やまがた2003〉です。山形といえばドキュメンタリー映画のメッカ〜〜その祭典事業の1つに山形からクリエーターを育成するワークショップが組まれ、そこで1年間かけて作った作品を〈山形国際ドキュメンタリー映画祭2003〉で公開となります。
このワークショップの講師は山形映画祭と縁のある人たちで、統括コーディネーターに映像研究者の村山匡一郎、作品制作のアドバイサーは映画作家の土屋 豊、小口詩子、加藤 到、金井 勝の4人〜〜各チーム4〜6人の編制となる予定です。
さて9月14日と15日の両日に、そのワークショップの受講生募集と、受講生が講師を選択する為の公開講座〈観る観るわかる「ドキュメンタリー」〉が開かれました。
15日の参加者と村山匡一郎さん この〈上映&トーク〉に集まった人たちは、2日間合わせて百人余り(1日だけの人もあり、延べ数は220人) でしたが、ワークショップの定員がおよそ20名ですので、多すぎても少なすぎても問題〜〜その程よい人数にほっとしました。
受講資格は山形県内在住者が対象で、自分を表現する何か(ビデオ、写真、文章、絵、その他) を応募用紙と一緒に提出〜〜9月末日が締切りとなっています。このワークショップの魅力は、何といっても世界に冠たる山形映画祭でその作品が上映されることです。
これも映画祭を支え続けてきた市民の努力と情熱があったればこそのことなので、そのサポーターたちの恩に報いる為にも是非成功させて、これを機に山形から骨太なドキュメンタリー作家が輩出することを念じています。 (敬称略)
60, 2002.8.25 今年はどんな作品が?〜〈IF夏期・16mm講座〉〜
’99年度からIF・サマースクールの〈16mm講座〉昼の部(夜の部は奥山順市氏) を受持ってきました。カメラやフィルムについて学習した後、サイレントの短篇映画をグループで制作する約10日間の講座です。
今年の受講生は27名で、アリフレックスが2班と、ボレックスが2班の編制――既成映画の真似事ではなく、これまでにない内容を新しい手法で作るというのがこの講座の制作条件ですので受講生は大変です。
16mmはもとより、8mmカメラにも触れたことのない人たちが増えてきたのでこちらも大変〜〜マニュアル操作の技術的なミス(絞り忘れなど) をなくす為に口やかましくなってしまいます。それでもここに集まる人たちは創造力豊かな人たちで発想は極めてユニーク〜〜’99度には『ミール・ミラレル』、『しろかみ』、’00年度には『ふる』、そして’01年度には『イヌヒト』、『ミチナリ』などと、毎年1〜2作は手ごたえのある作品が生まれています。※参照〈16mm講座講評〉
さてそのロケ現場ですが、ぼくの家から程近い多摩川河川敷――川の状態が気になったので自転車で見にいってきました。
台風の影響で4〜5日前までは濁流が護岸を削って流れていましたが、今は水量も減っていて安心しました。
一通り講義と実習を終え、明日からいよいよ撮影――今年はどんな快作、怪作が生まれるのか〜〜大いに楽しみです。
秋の気配が忍び寄る多摩川河川敷 台風の影響で一時は水かさが増しましたが、もう大丈夫です
59, 2002.8.14 江成常夫の“赤”が凄い 〜「ヒロシマ万象」〜
ぼくの小学校と中学校の同級生である江成常夫の写真集がまたまた出版されました――そのタイトルは、「ヒロシマ万象」です。
彼の著作は多く、写真集だけでも「ニューヨークの百家族」(’76 平凡社)、「花嫁のアメリカ」(’80 朝日新聞社)、「百肖像」(’84 毎日新聞社)、「シャオハイの満州」(’84 集英社)、「ニューヨーク日記」(’89 平凡社)、「まぼろし国・満州」(’95 新潮社)、「山河風光 相模川の四季」(’98 相模経済新聞社)、「花嫁のアメリカ 歳月の風景 1978-1998」(2000 集英社) などがあり、今度の「ヒロシマ万象」(2002 新潮社) へと続いてきたのです。
その主軸をなすのは、満州事変から始まる〈昭和の15年戦争〉――「罪業は罪業を忘却することから始まる〜〜」と彼はいい、アメリカで、中国で、そしてヒロシマで、今も残る肉体の痛みと心の痛みとをインタビューと写真とで綴っています。
これらは〈負(ふ) の昭和史の語り部〉としての写真集たちで、史料としても掛替えのない連作なのです。
その〈負の昭和史の語り部〉として、彼は既に(大人たちから) 高い評価を得ており、日本写真協会新人賞、木村伊兵衛賞、土門拳賞、毎日広告デザイン賞(公共福祉部門)、毎日芸術賞、日本写真協会年度賞、神奈川文化賞、相模原市民文化彰、そしてこの春には紫綬褒章の叙勲を受けました。
しかし、その最大の使命ともいえる〈次代への語り部〉としての機能は、必ずしも目指すような展開にはなっていないようです。
端的な例を挙げると、木村伊兵衛賞と土門拳賞とを共に受賞しているのは、江成常夫以外にはおりませんが、それでいて写真家を志している若者でも、その著作はもとより彼の名前さえ知らない者が少なからずいるというのが現実なのです。
つまり、老人たちからは高く評価されていても、青年たちからは無視されているという訳なのです。その理由の1つは、〈15年戦争〉そのものが若者たちにとっては遠い昔の出来事であり、彼らの関心事は今であり、未来〜〜その未来に戦争や原爆の〈不安〉を感じているとしても、日常の中に溢れている身近な〈不安〉に振り回されていて、とても〈15年戦争〉までは手が回らないのかも知れません。
またもう1つの理由は、江成が固執してきた〈記念写真風〉写真にあるのではないでしょうか。
確かにインタビューを軸に据えた〈史料としての語り部〉を考えると、写真は〈記念写真風〉の方がシンプルで宜しいのかも知れません。が、写真そのものの魅力には欠けますし、その上に〈自己模倣〉の連続となり、正直なところぼくも食傷気味でした。(但し、あの傑作「まぼろし国・満州」は別です)ところが、
今度の「ヒロシマ万象」では、写真そのものの力が魅せてくれました。
これまでの写真集はその殆んどがモノクロの〈記念写真風〉でしたが、カラー頁も多く、人間は一切登場させていません。
彼が「被爆者の魂を撮る――!」といっていただけあって、写真そのものに真っ向から勝負し、目に〈見えるもの〉の奥に〈見えないもの〉を表出させようと、全精神を注ぎ込んでいるのがよく分ります。平和記念公園周辺を除けば、被爆の傷跡を見つけることの出来なくなった百万都市・広島〜〜確かに被写体そのものは、水面に映る灯や灯篭、雲間の太陽や逆光線の赤レンガ、赤提灯や路傍の地蔵、夾竹桃やカンナの花だったりするのですが、そこに被爆者たちの〈魂〉を感じさせているのです――!
特にカラーは、これまで見たことのない発色――!
彼の話だと、「印刷の段階でインクを分厚く盛った。その為に金もかかった〜〜」そうですが、なるほど、それでフィルムやビデオでは絶対に出せない色だったということが解ったという次第です。
それにしてもこれからの〈カラー印刷〉には目が離せません。それほど感動的な色なのです!「ヒロシマ万象」の定価は本体6500円〜〜なかなか若い人には手が出せない値段ですが、近くの図書館で見ることも出来るだろうし、もしなければその図書館に〈購入の要請〉を宜しくお願い致します。
インクの盛りのあるカラー印刷〜〜特にそこにある“赤”は忘れ難い“赤たち”なのです。(敬称略)
前号で〈上映会情報の有効性〉について書いたところ、さっそく実験映像研究者の那田尚史からメールが届きました。
「〜〜私も上映会情報は重宝していますよ。IFのフランスアヴァンギャルド特集は金井さんのHPで知って、久々に「メニル・モンタン」を見て感激しました。金井さんがお奨め出来るものを、ぜひ載せてください。」――とあり、彼のような好学の士のお役に立てていると分って本当に良かったです。寄稿・「愛媛からの手紙」でご存知のとおり、那田は病気療養のため8年間故郷で暮らした後に一家を挙げて上京――現在は母校の早稲田大学などで実験映像を教えております。
その愛媛時代に腰を据えて〈日本個人映画〉の研究に没頭〜〜中でも〈戦前の個人映画〉の研究では他に並ぶものもなく、只今映像実験誌「Fs」に「日本個人映画の歴史〔戦前篇〕」を連載中です。最新号の「Fs」8号では「山岳映画の泰斗 塚本閤治」――足を使って探し求めた資料も豊富で、塚本の山岳映画にかける情熱と、その時代的な背景などを具体的な例を挙げて論及しています。
「〜〜我々はこの編集の技術のいかんによって記録的映画の現実性を高め、創作的映画の芸術的価値を高揚することが出来る。真によく編集された無声の映画から我々は音楽的な美しいリズムすら感ずることが出来るのである〜〜」(塚本「パテー・シネ」1933年7月号)
塚本がこの「リズム」と「モンタージュ」(ここでは「編集」 ) という言葉の重要性を強調していることについて那田は、’20年代後半にフランス経由で入ってきた〈映画リズム論〉、’20年代末にロシアから入ってきた〈モンタージュ理論〉の影響を挙げております。
また同時に、その豊かな学識から近代スポーツとしての登山と、その背後にある国家の政治的な目論みなども忘れてはおらず奥行きのある論考――是非ともご覧頂きたいと思います。さて、この連載「日本個人映画の歴史〔戦前篇〕」のスタートは、’92年5月発行の「Fs」創刊号で、「衣笠貞之助という先輩」でした。
その前節で「〜〜今から60年前、日本には国際的コンテストで名を馳せたアマチュア作家が何人もいた。アマチュア映画の興隆を背景に、1940年日本で開催されるはずのオリンピックにおけるアート・コンテストに写真と映画の部門を加えようという運動さえあった〜〜」「これらの歴史が 作家(今の映像作家) にさえ知られてない以上、今日の個人映画作家が60年後同じ運命にさらされないとどうして断言できるだろう。」――と、彼は警鐘を鳴らします。本論となる「衣笠貞之助の先駆性」では、『狂った一頁』(’26) と『十字路』(’28) の製作背景から特殊撮影の細部までに触れていて圧巻です。
その一例を紹介しますと、「病院の庭を患者と正気の側の人間(病院関係者)がぞろぞろ歩いている場面で、そこには手前を歩く人間が鮮明に写っている一方で画面の奥を行く独特のかすみ方をして異様なコントラストが生まれている。」「実際には庭に薄い布(紗)を張りめぐらせその手前と向こうに人物を振り分けてトーンの違いを作り出していたのだ〜〜」
若き日の衣笠貞之助や、カメラマン・杉山公平などの、新しい映像に対する凄まじいまでの拘りを遺憾なく伝えています。しかしこの創刊号は売り切れていて在庫はないそうです。
こうなれば、那田尚史の〈単行本〉を待望するしかありません――頑張って下さい!その前衛映画の先駆者・衣笠監督にぼくが初めて会ったのは1960年でした。
大映東京撮影所の撮影課にその年の春に入り、’64年の師走に退社したのですが、その間に衣笠監督は東京スタジオで『歌行灯』(’60)、『みだれ髪』(’61)、『お琴と佐助』(’61)、『嘘(オムニバス第三話「三女体」)』(’63) を撮っております。同期で入ったSがその衣笠組の『歌行灯』につくことになりましたが、先輩が「金井は良かったな〜〜衣笠組でなくって……」と囁きます。
その訳を訊くと、「徹夜、徹夜の連続〜〜死んじゃうよ!お、来たきた、あれが衣笠監督だ〜〜!」。
目をやると、百メートルほど先を小柄な躯を少年のように弾ませながら歩いてくる老人がいました。しかし元気そうに見えても相手は老人〜〜こちらがまいってしまう前に、監督の方がばてる筈だとその時は高をくくっておりました。衣笠組の撮影は常に1ヶ月間と決まっています。
そして定時(pm5時) に終わるのはクランクインの日だけで、後は連日深夜までの残業〜〜当時一番恐れられていた病気は肺結核でしたが、Sは疲労からその患者特有の癖のある咳をするようになります。
ぼくのついていた〈組〉がクランクアップしたので、Sと相談して撮影部のチーフ助手に「Sは病気ですからぼくが代ります〜〜」と申し出たところ、軍隊帰りのそのチーフは「友情は学生のうちまでだ、一度〈組〉についてしまったら、解放されるのはクランクアップか、棺桶の中か、そのどちらかだ――!」と凄みます。全く恐ろしいところに就職してしまったという訳です。(笑)翌年、今度はぼくが『お琴と佐助』につきました。ついたといってもB班ですが、それでも衣笠組のB班は他の〈組〉のそれとは訳が違います。
クランクインして20日目を迎えると、(監督を除いてスタッフは) 撮影監督、チーフ助監督、スクリプターも含めて総入替え〜〜夕暮まで本班が担当し、その後をB班が引き継いで翌朝までやるのです。不眠不休の筈の衣笠監督〜〜!?
しかしそのエネルギーは想像を絶するもので、チョッとした暇さえ惜しみ、腰につけている袋から剪定鋏を取り出してセットに植え込まれている松の木の手入れ〜〜正に〈怪物〉のような人でした!その怪物が青年期につくった『狂った一頁』は、何とぼくが生まれる丁度10年前の作品〜〜その我が国最初の前衛映画が、’99年秋のロンドンで《Image Forum Historical Programme》として拙作『無人列島』(’69) と〈対〉の形で上映されました。そしてその両作品における併映の短篇は児島範昭の『下町の詩』(’79) です。
児島範昭はアマチュアの方ですが、映画評論家の荻 昌弘をして「プロ・アマを合わせて20年に一人の逸材〜〜」といわしめたほどの人物で、IFF1999の新宿会場で観たその『下町の詩』(8mmのビデオ版) は噂どおりの作品で、他に追従を許さない傑作でした。
このような斬新なプログラムを組める人は、英国のキュレーターにして記録映画作家でもあるトニー・レインズをおいて他にはおりません。
もし将来、日本でそのようなプログラムを組める者が現れるとしたら、多分それは前衛映像を愛して止まぬ那田尚史――その愛読者あたりからではないでしょうか。 (敬称略)※ 実に残念なことですが、ぼく自身は『狂った一頁』と『十字路』を未だ観ておりません。上映の機会があるとすればフィルムセンターだと思いますが、皆さんも見逃さないようにして下さい。
梅雨明け宣言が出たので、湿気が飛んでカラリとするかと思っていたら、ここ数日は無風状態で相変らずの蒸し暑さです。
これでは何かしようと思っても気力が失せてしまい、HPの更新もままならないといった有様で誠に申し訳なく思っております。そのHP〈映像万華〉ですが、開設当初の訪問者はIFの受講生や卒業生がその殆んどだったと思いますが、近頃は1日に30〜40のアクセスがあり、IFの枠を超えてかなり幅広い範囲から訪問者があるのだと思います。
このことは誠に嬉しい限りです――が、それではこのままの内容で果たして宜しいのかどうかとなると、その判断がなかなかつきません。そのことはともあれ、
〈映像万華〉はこれまで週に1度のアップロードを心掛けてきました。中でも頻繁に更新している頁は、この〈映像かわら版〉と〈実験映像の上映会情報〉です。その〈上映会情報〉ですが、実験映像の情報発信基地を目指して開設したHPなので、こちらが自信を持って推奨できるプログラムを掲載しなければと思ってきました。(といって全てを観ている訳ではありませんので、中にはハズレもあるかと思います――ご容赦を!)
しかしこの〈上映会情報〉の頁が、実際にどれほどの〈有効性〉を持ち得ているのかというと、残念ながら把握しきれておりません。確かに鈴木志郎康さんなどは「チラシをよくなくすので、〈上映会情報〉のお世話になってます」といってくれていますし、またIF23期の話題作が新宿Fu−で上映された時に、24期の受講生がこの頁で知って押しかけた――とも聞いております。
が一方、常連の村上賢司監督などは、新しいアップロードが〈上映会情報〉だと、「残念〜〜今回はハズレ!」だと思うそうだから、編集長・勝丸としては困ってしまいます。(笑い)さて先日、若きドキュメンタリスト・清水浩之さんと偶然にお会いしました。
有難いことに、彼は〈映像万華〉の常連で、特に〈上映会情報〉は欠かさず目を通しているとのことでした。映画美学校で清水さんは『GO!GO!fanta−G』というドキュメンタリーをつくり、それが《Az Contest 2001》に入賞――頂いた冊子には「すべては一通の葉書から始まった。ごく普通のサラリーマンだった父が、世間を騒がせる教科書問題の渦中の人だったのである〜〜」(佐藤 真) とあり、どういう展開をしてゆくのかとても興味があります。
その清水さんですが、同年輩の若きドキュメンタリストの優れた作品を網羅して、多くの人たちに観て貰おうと、只今〈ドキュメンタリー上映会〉(仮題) の準備中――。
そのプログラムづくりに〈上映会情報〉が大いに役立ったのだそうで、彼はそこに載った作品群を観て回り、その殆んどを知っていました。清水さん企画のこの〈ドキュメンタリー上映会〉は9月―― チラシが出来た段階で〈上映会情報〉で取り上げますので、ご高覧のほど宜しくお願い致します。
56, 2002.7.13 何と、妻の腕(かいな) に噛み付いていた――!
先日偶然に、佐々木 天さんに会いました。
彼女は『王国』(’73) に出演してくれた人で、その後音信が途絶えていましたが、昨年秋の〈アンダーグラウンド・アーカイブス:京都〉で再会し、その時に上田假奈子さん(詩人)、村上賢司さん(映画監督) とのコラボレーションを観てくれました。
その時の〈映像パフォーマンス〉の印象からでしょうか、彼女は「私は金井さんを誤解していました。ずっと神経質な人だと思い込んできましたが、とても堂々としている人だったんですね〜〜」といいます。
確かにあの当時のぼくは痩せこけた青年で、いつも苛立っていたと思います。
あれから体重も10キロ近く増えて様子も変わり、還暦を迎えてからは〈プラス思考〉に切替えるよう努めてきたので、少しは余裕のようなものも生まれたのかも知れません。しかし、根が〈ペシミスト〉ですので、溜まりにたまった不満は下意識でマグマを作って、時々噴出します。
今ぼくのなかで渦巻いている不快なるもの芯は、隣に建設中のマンションの作業音と、近所の飼い犬の糞、そして寝苦しいこの気温で、他愛もないといわれればそれまでの話です。
けれど、それらによって集中力を欠き、何も手につかないといった状態であることは確か〜〜決して「堂々としている」どころではありません。(笑い)そして昨晩、不満のマグマがとんでもない形で噴出しました!
若い男と組んずほぐれつの大乱闘となり、遂に体力の差で捩じ伏せられ絶体絶命――と、その時、青年の腕が口の近くにきたので、その一瞬を逃さずがぶりと噛み付きます――!相手の悲鳴に、してやったり、逆転の勝利――!
と思った瞬間、悲鳴の主は横に寝ていた妻でした――!!こちらは本気で噛んだつもりなので、思わずぞっとしましたが、
悲鳴の後、彼女は余りの馬鹿馬鹿しさに吹き出し、その笑顔を見てほっとしたという次第です。
55, 2002.7.5 原 将人監督の『MI・TA・RI!』に興味津々!
原監督の新作『MI・TA・RI!』は〈ライブ映画〉で、東京では7月6日から14日までテアトル新宿のレイトショー公開となります。
その新作がどのような形のものかはおおよその見当しかつきませんが、既に京都公開で絶賛を浴び、監督も「今度のはお金をかけた本格的なもの〜〜」 といっているだけに大いに期待しています。この〈ライブ映画〉という言葉の中に〈映像パフォーマンス〉も含まれると思いますが、映画だけの弱さをストレートに感じさせられたのは’74年秋の(新宿・マッドグロッソでの)〈金井勝・城之内元晴 二人展〉で『新宿ステーション』を観た時でした。
ぼくの『GOOD−BYE』の上映が終わると、城之内はプロジェクターのスイッチを入れ、スクリーンに向って「ステーション、ステーション」と叫びながら歩を進めいくではありませんか!
やがて彼は自分が撮った映像を上半身に浴びながらネオダダの詩「新宿ステーション」を朗々と読み上げてゆきます!観客との同時空間の凄まじさ〜〜その仕法とその肉声に〈二人展〉の片割れとして〈映画だけでの参加〉の虚しさを嫌というほど味わされたという次第です。
確かに城之内の声は魅力的です。けれどそれだけではなかったという証拠に、その時の方法を基に制作された映画・『新宿ステーション』での感動は75%停まりでした。しかし、〈ライブ映画〉や〈映像パフォーマンス〉が全て面白いかというとそうではありません。
その多くはたわいもない代物で、終わった後のトークでありふれた観念を振り回してフォロー 〜〜辟易させられたという経験の持主は決してぼく一人ではないと思います。さて、『MI・TA・RI!』のフランクフルト国際映画祭(観客賞受賞) や京都公開での大成功で、原監督はまた熱狂的なファンを獲得しました。
彼がどのような内容と方法論で新しい世界を切り開いたのか、同じ映像作家として興味津々〜〜映像に関わる者の全てにとっても必見の作品だと思っています。ともあれ〈ライブ映画〉は、いつでも観られるという訳にはいきませんので、この機会に是非ご覧下さい。
ぼくも7月9日にトークで参加しますので、会場でお会い致しましょう!
54, 2002.6.25 フィルムも進化していた! 〜『王国』を観て〜
東京国立美術館フィルムセンターの「日本映画の発見Z:1970年代(1)」で、『王国』(’73)を観て来ました。
そのチラシには「35mm・パートカラー」とありましたが、このプログラムの中で『王国』は唯一の16mm作品であり、またパートカラーではなく〈特殊カラー作品〉といった方が正しいと思います。
通常のパートカラー作品は、モノクロで撮影のところはモノクロのポジフィルムに焼き、カラーで撮影したところはカラーのポジフィルムで焼いて、それをプリントの段階で繋いだもので〜〜ぼくの場合ですと『GOOD−BYE』がそうです。(といってもカラーの部分はたった2カットだけですが〜〜)しかしその通常の〈パートカラー〉だと作業の段取りが観客に見えてしまうという欠点があります。そこで『王国』ではモノクロで撮った部分も含めて、全編カラーポジフィルムで焼く〈特殊カラー〉を選択しました。
が、当時の現像技術では、モノクロのネガをカラー焼きにするには〈ブルー〉にするか〈アンバー(褐色)〉にするしかありませんでした。その二者選択のうちぼくらは〈ブルー焼き〉を選びましたが、それは必ずしも成功だったとはいえません。〈ブルー焼き〉にしたことによって、ツブシ(擬似夜景=荒野とか砂丘とかライトの使用が不可能なところでのナイト・シーンなどによく用いられた技法) のような雰囲気を醸し出してしまったからです。
ところが、昨年〈アンダーグラウンド・アーカイブス〉の上映で『王国』を観ましたら、30年近い歳月が流れてプリントもかなり〈退色〉〜〜そのブルーが程よく抜けていてカラーの部分(ネガもカラー)と実に上手く溶け合っていたではありませんか――!
もし〈アンバー焼き〉を選択していたら〈退色〉によって随分と薄らいだものになってしまったと思います。さて、この春に東京国立近代美術館から《微笑う銀河系》三部作のプリント注文がありました。そこで現在の現像技術についてラボ(現像所) に問い合わせたところ、「モノクロ部分はモノクロのように焼けるし、退色の問題も随分進歩した、百年持ちますよ」とのことでしたので、今度の『王国』は撮影時のプランどおりにモノクロ部分はモノクロらしく焼いて貰うことにします。
現像が上がったというので、早速チェックの為にラボの試写室でそのニュープリントを観ました。結論から先にいうと、頗る満足〜〜モノクロネガの部分はかなり締まった黒白画調で、そのモノクロ領域から幽かにはみ出した〈微妙な色合い〉が狙いどうりに出ていて、カラーネガの部分と違和感なく繋がっていたのです。
京橋のフィルムセンターでの第1回目の上映は6月19日の7時〜〜、他の作品は『王国』の10倍、100倍の予算で製作された35mm映画ですし、その上に大ホールが会場なので客の入りと画質が心配でした。
が、観客は思っていた以上の人数(70人位) でしたので先ずはほっとします。次は画質〜〜流石に35mmのようなシャープさはありませんでしたが、画調の方はラボの試写室で観たとおりでした。この『王国』は《微笑う銀河系》三部作の〈天の巻〉で、テーマは〈時間〉です。
現代の日本人の多くは無神論者だと思いますが、それでも否定できない神様がおります。それは一切のものを〈無〉にしてしまおうと企む〈時間〉という神様です。〈時間〉には、時計で計れる物理的な時間だけではなく、記憶や意識の中の時間もあります。「アートは永遠の時間」だといったのは、時間を記憶という側面からアプローチした哲学者・ベルグソン(だったと思いますが?)〜〜、
『王国』のストリーは、詩人である主人公がその作品を〈永遠のもの〉にする為に〈時王・クロノス〉に挑戦してゆくというものです。
これはテーマがテーマだけにまともな切り口では入れませんので、(新しい) 神話的なつくり方にし、ポップでキッチュな表現方法を試みたのです。そのポップでキッチュな表現方法が若い監督たちに影響を与えているようで、今注目の井土紀州氏(監督・脚本家) は、「『王国』との出会いから得た確信が、私の妄想を『百年の絶唱』という作品に結実させることになった」(「アンダーグラウンド・フィルム・アーカイブス」=河出書房新社) と記してくれています。
ともあれ、〈時間〉によって映画の内容は〈風化〉させられ、フィルムそのものも〈退色〉などの弊害を蒙ってきました。
前者の問題は長い間映画人の悩みの種でしたが、化学の進歩によって〈退色〉のスピードは衰えつつあるようで、保存の環境さえ整っていれば〈映像そのもの〉の永久性は夢ではなくなりつつあります。またデジタル映像の開発などによって多様な形での安全確保も可能になったと思います。
残るは内容の〈風化〉〜〜こちらは作者の独創性に関わる比重が大きいと思いますので、新作への心構えを確りせねばと自分自身にいい聞かせております。
ワールドカップで決勝トーナメントに日本進出〜〜経済不況などの影響で、長い間俯いて生きてきた日本人が久々に弾け、心の奥底からわきでてくる〈笑顔〉をつくりました!
特に若い人たちの熱狂している姿を目の当たりにし、本当に嬉しく思います。そのサッカーを横目に(と、いっても日本戦は確りと見て)、こちらはデジタル編集〜〜、
バイオの外付けハードデスク・80Gを購入し、雉鳩の営巣から雛の巣立ちまでを(10時間という膨大な素材を) 何とか15分に纏めることが出来ました。これは、前号(5.29号) でも触れた(仮題) 『勝丸の前衛仙術』のなかでかなり重要なシークエンスなのですが、編集してゆくうちに最初のプランが必ずしも万全とはいえなかったことに気付きました。そういった意味でも早い時期にこのパートの編集に取組んで良かったと思っています。
またこの作品には植物パートもありますが、今度は〈仙術〉なので前作・『聖なる劇場』とはまた違った角度からのアプローチ〜〜その出演者でもある睡蓮が花咲き、葡萄の実も日に日に大きくなってゆきます。
ともあれ、作品は出来上がったものが全てなので、油断大敵――と、自分を戒めながら撮影と編集の日々を送っているこの頃です。
真白き睡蓮の花〜〜何故か心が洗われます 合計7房の葡萄(巨峰)〜〜この葡萄棚の下に現れるのは!?
52, 2002.5.29 昔の〈付録〉で生きている訳ではない!
先日、写真美術館で『無人列島』(’69) を観ました。
プリント(=このプリントは幾つかの映画祭を巡った洋行帰り) が思っていた以上に綺麗だったので安心した為か、作者であることを忘れて何時の間にか作品の中にのめり込んでおりました。(笑い)
そんなことはこれまでにはなかったことなので、これは〈今の自分〉が〈昔の自分〉に負けてしまっている証拠なのかも〜〜と、ふと思い、愕然としました……!前にも触れたかと思いますが、
作品は子供のようなもので、作者は自分のお腹を傷めて(ぼくの場合は文字どおり自腹を切って) つくったので母親だとすると、父親は差し詰めその背景となる〈時代〉だといえましょう。
作者はこれまでにない全く新しい作品を作ろうと挑むのですが、(作者も) 間違いなくその時代に生きているのだから、無意識のうちに時代の欲求に身体を開いていたのです。(笑い)しかしその父親(=時代) は疎かに出来ない存在です。
『無人列島』は(若者にとっての) 黄金時代=あの’60年代があったからこそ誕生したのですし、その父親の体臭も銀幕から流れ出ています。その匂いに嫌悪を感じるものもいるでしょうが、時代の体臭がなければ映画はつまりません。この上映会では観客の大半が若い人たちでしたが、まだ当時その形さえもなかっ方たちから、「確実に脳細胞にやきつけられました」とか、「足が震えて今自分がどこにいるのかさえわからなくなってしまうほどでした」とかいうメールを頂くと、片親として時間を超えた長男に頼もしさを覚えます。
6〜7月には、京橋のフィルムライブラリーで三男・『王国』(’73) の上映がありますが、こちらも長男の時と同様に作者であることを忘れて作品の中に入り込めるのかどうか、そして若い人たちがどういう反応を示すのか〜〜〈風化防止〉のために亜流を許さないように仕組み、防腐剤などもたっぷり塗りこんでおきましたので(笑い) 大丈夫だとは思いますが心配でもあります。
オッと、ノスタルジーに酔いしれている場合ではありません――!
60代半ばに達したぼくにとって、(30年前の) あのパワフルな肉体はありませんが、だからといって昔の自分に負けている訳にはいきません!
そこで老人ならではの世界をと策を練り、修行を重ねて、編み出したのが〈仙術〉――です。(笑い)新作のタイトルは『勝丸の前衛仙術』(仮題) 〜〜仙術といっても〈前衛〉ですのでPCも使います。が、ソフトに寄りかかったらあっという間に〈風化〉してしまいますので、決してソフトに頼るようなことは致しません。
こちらのは前代未聞〜〜目先をくらます〈妖術〉や〈魔術〉などとは違って、触ろうと思えば触れる次元で展開する摩訶不思議な世界なのです。(笑い)ともあれ、〈前衛仙術〉に磨きをかける為、その修行に明け暮れております。
来春には『勝丸の前衛仙術』が完成致しますので、乞う、ご期待――!
51, 2002.5.13 嬉しいニュースが続々と〜〜造形大&IF24期
このところ嬉しいニュースが毎日のように舞い込んできます。
今朝起きてメールを開くと、東京造形大で前期をかわなか教授 が、後期をぼくが担当している〈映像芸術V〉の昨年度の受講生・深瀬沙哉からのもので、『自傷考』がCAS Academy Awards 2002 に入選し、大坂での上映後にオランダでも公開されるとのこと〜〜最後の最後まで頑張っていたので、その成果が出たのだと思います。
次はIF付属映像研究所第24期――
玉野真一が〈ぴあ〉に入賞したという報せはかわなかさんから随分前にありましたが、主催者側の公表前でしたので〈かわら版〉での発表が遅れてしまいました。卒業制作で失敗作を作ってしまった玉野は、その悔しさを武器にして奮起し、〈選抜作品集〉には『よっちゃん ロシア・残りもの』という凄い作品を間に合わせ、それが今回の入選になったという訳です。横浜美術館にIFF2002を観に行くと偶然その玉野と出会って、その時に彼から同期の田淵史子『ジンジャエール』も入選したということを報らされました。それにしても、IF卒業生が〈ぴあ〉に去年も2人、今年も2人〜〜他流試合(笑い)を2連覇したのだから凄いと思います!
既に24期には、佐藤 いづみ 『イメージクラフト』 が〈BBCC 2001〉に入賞しており、島田 剛『僕の内臓 君の海』のIFF2002入賞と合わせるとなかなか頼もしいではありませんか〜〜。いやいや、もうひとり受賞者が現れました!
山形国際ドキュメンタリー映画祭の〈アジア千波万波〉で話題をさらった、大野聡司『団地酒』がニヨン国際映画祭で新人監督部門のPRIX KODAKという賞を受賞したと、かわなかさんから連絡があり、その後すぐに本人からのメールが届きました――!ニヨンは、ドキュメンタリー映画祭ですので日本のマスコミは余り取り上げていませんが、山形国際ドキュメンタリー映画際の(歴史的には) いわば兄貴分的存在で、これまでに(日本の受賞作品には)小川プロ 『どっこい!人間節』、佐藤真監督 『阿賀に生きる』 がともに銀賞に入っております。
ぼくの『無人列島』 も’70年度の大賞でしたが、シュール・ドキュメンタリーとして評価を得たのだと聴いております。そこに大野が加わったのが嬉しいです。
彼とは妙な因縁があり、最初に会ったのが〈IF・サマースクール 16mm講座〉で、彼の班は1番大切なショットの絞り忘れをしてしまって惨敗〜〜その悔しさからIF本科にきてこの『団地酒』を卒制で作ったのです。
先の玉野といい、この大野といい、失敗作の屈辱がなかったなら、或いは受賞もなかったのかも知れません。
金井勝様」 お久し振りです。大野です。
先月末(4月22日-28日)に開催されたニヨン映画祭のRegards Neufs部
門(新人監督)に「団地酒」を出品していて、映画祭に行ってきました。ニヨンはスイスのジュネーブとローザンヌの間にある16世紀くらいからの
建物が残っている小さな上品な街です。目の前にレマン湖が広がり、対
岸はフランスでモンブランやエヴィアン(水で有名な)といった山々が聳え
立ち、素晴らしい光景でした。海外の観客はつまらないと思ったらすぐ帰るという事に驚きました。日本
のように寝ている人がいなく、観る側としては鼾が聞こえてくるということ
がないので快適でした。と思いつつ、自分の作品で帰ってしまうのでは・・・
という不安が上映前にかなり膨らみました。しかし嬉しい事に「団地酒」の上映では席を立つ観客はいなく、父親のど
ぶろく作りに夢中になっていました。そして、イタリア人の方が「ブラボー」
と言ってくれ、フランス人の方は「トレビアン」と言ってくれ、涙が出そうに
なりました。本当に励みになります。おまけに「団地酒」はRegards Neufs部門の次点にあたるPRIX KODAKと
いう賞を受賞しました。そしてインターナショナル部門に出品されていた
「Blessed 祝福」(2001年山形映画祭アジア千波万波出品)が特別賞、
「団地酒」と同じRegards Neufs部門に出品されていたドイツ在住のMOGI
AYAKOさんという監督の「風にきく」という作品が特別賞を受賞しました。コンペに参加していた日本作品全てが賞に絡み、映画祭ディレクターが
「35ミリの作品と日本のDVの作品が賞を取ったことで映画祭に幅ができ
た」というような言葉を言っていました。嬉しい事ですね。なおインターナショナルの部門の審査員の5人の中には、河瀬直美さん
やウー・ウェンガン(金井さんが山形のアジアの審査員をやられた時の
小川紳介賞を受賞した方です)がいました。
以上、報告まで
敬具
大野聡司
www.visionsdureel.ch ニヨン映画祭HPアドレスです。
※ ちなみにIF付属映像研究所の専任講師は、かわなかのぶひろ、鈴木志郎康、金井勝、萩原朔美、奥山順市、村山匡一郎、西嶋憲生、中島崇、池田裕之(敬称略)です。
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