イェール大学主催のイベント
2009,2,27〜3,1

  "East Asia in Motion Literature,Cinema,Dance"に参加して・・・


アメリカのイェール大学で2009年2月27日から3月1日に開催されたイベント・〈East Asia in Motion〉に参加してきました。そのサブタイトルにはLiterature, Cinema, Danceとあり、映画ではぼくが、ダンスでは中国人の振付師・Shen Wei氏が招待されました。彼の代表作はあの北京オリンピックのオープニング・セレモニーに於けるマス・ダンスの振り付けだそうです。
さて、このイベントに関する最初のメールは前年の晩春で、イェール大学の《映画学プログラムと東アジア言語・文学科》の助教授・アーロン・ジェローさんからでした。東アジアから2〜3名のアーティストを招いてのシンポジュームを検討中で、 そのアーティストの候補のひとりがぼく〜〜 といった内容だったと思います。
そのジェローさんですが、かつては留学生として早稲田大学の院生だったこともあり、また《山形国際ドキュメンタリー映画祭》とも関係を持っていました。
彼がその映画祭の機関誌「Documentary-Box」
の編集を担当されていた時に、「田村正毅カメラマンにインタビュ−」の企画があってその〈聞き手〉を務めたのがぼくでした。その折にちょっとジェローさんとお話をしたことがあり、その後も何度か山形などで挨拶を交わしたことがあります。
そして2008年の夏に、東京の渋谷でジェローさんとお会いしました!
イベントの内容などのお話をお聞きしながら、最も気になっていたこと〜〜 「どうしてぼくが選ばれたのか?」を尋ねましたところ、「金井勝のビデオがアメリカでも販売されているのか〜〜?」という学生の質問から発展したということで、とても嬉しく感じました:-)))))))))))))))
しかし夏が過ぎ、秋風と共に日一日と深刻化してゆくアメリカ発の〈世界同時大不況〉〜〜!
そしてその後大学からは何の音沙汰もなくなってしまったので、〈イベントの中止〉も考えの中に入れながらDVD-box・[The World of Kanai Katsu]の製作に集中することにしました。
そんな時に舞い込んできた e-mailには、 「新学期が始まるので手間取っていましたが、イベントの方も動き出しました!」というような内容〜〜 勿論それはジェローさんからでした!
年が変り、いよいよ出発〜〜!
2月26日の午前10時発のJALで成田から一路ニュー・ヨークのジョン F. ケネディ空港へ〜〜 時差の関係で到着も26日の午前中でした。
大学が手配してくれた車でハイウエーをおよそ1時間30分〜〜 日本と余り変わりない建売住宅と雑木林のある風景を眺めながら進むと、そこに中世のヨーロッパを髣髴とさせる街並みが忽然と現れました〜〜 イェール大学の学園都市:ニュー・ヘーブン市です!
そして迎えた27日〜〜、
ぼくの出番は夜の7時からなので、午前中はイェール大学の校内の見学〜〜 その案内役はベルギーからの留学生・ジェレミーさんと、日本からの留学生・角田さん〜〜 共に大学院生です。
大学の建物はゴシック様式で統一 案内をしてくれた角田さん、ジェレミーさんと、小生
角田さんは早稲田大学の出身で、前年の9月に入学したばかりなのでまだ学園のことを全てご存知だという訳にはゆきません。そこで4年生のジェレミーさんが必要だったといういう訳です。
それにしても未来を担うお二人に、貴重な時間を割いて頂いて誠に申し訳なく思いました。
ジェレミーさんの話によると、ここはライバル校であるハーバード大学とは全く違う雰囲気のキャンパスだそうで、その殆どの建物はゴシック様式〜〜 勿論角田さんが同時通訳で教えてくれるのですが、ベルギー人である彼の英語はなんとなくダイレクトに判る所もあり、ちょっとホッと致しました。(笑)
ともあれ、日本の大学と比べるとその大きさの割には学生数が少ないように感じられ、静かな中庭の芝生の上を可愛いリスが駆け回っていたのが印象的でした。
そのクラシックな校舎の中にあって、ちょっと場違いなというか・・・異彩を放つ建築物〜〜 それはある種の贅を尽くした図書館でした!
ジェレミーさんが「ここはアメリカで2番の蔵書を持つ図書館です。」というと、すかさず角田さんが「1番はハーバード大学ですか?」と聞きましたが、その答は、「否、1番は国会図書館です。」ということでした!
しかしその凄さは、単に蔵書の多さだけに留まりません!
図書館の外壁は、数インチ程の厚さに削って磨き上げられた大理石で出来ており、それが強い外光から大切な蔵書を守っていたのです:-)))))))))))))))))))
図書館の表
壁は大理石の石盤
図書館の内側
大理石を通して入る優しい外光
強い外光から守られた
膨大な図書
                           
そして夕方〜〜 歓迎会が済むと7時からはいよいよ本番=[Independent Movement: The Cinema of Kanai Katsu]となり、その年が丁度40年になる処女作・『無人列島』(35mm)と、38年になる第2作・『GOOD−BYE』(16mm)の上映となり、9時からは[Roundtable Discution on Kanai Katsu]となります。
そして、そして、そのディスカッションの中でぼくが1981年に上梓した「微笑う銀河系」(れんが書房新社)が、あの図書館の蔵書の中の一冊であることが判明〜〜 とても吃驚させられたという次第です:-)))))))))))))))))))
イベントのポスターと金井 会場となるウィトニィ ヒューマニティス センター

さて、いつも海外でのフィルム上映で悩まされているのが〈言葉〉の問題です。
商業映画だとフィルムに字幕を入れるのが普通ですが、それにはかなりの経費が掛かるので自主製作ではなかなか手が出ません〜〜 ぼくの場合では『夢走る』(1987)という短編に英語字幕が入っているプリントがありますが、他には外国語の字幕が入った作品はありません。
『無人列島』などはスイスのニヨン国際映画祭でグランプリを受賞した後、ヨーロッパの各地で幾度となく上映されてきましたが、それらの上映ではイヤフォーンを通しての同時通訳による方法がとられてきました。しかしそこには時間のずれなども生じ、決して良い方法ではありません。
今回の上映はそのイヤフォーン方式ではなく、スクリーンの下の部分に字幕をスライドで投影するという方法だということで、上映される『無人列島』(35mm)と 『Good-bye』(16mm)のプリントの他に、両作品の英語字幕入りmini-DVを前年の暮れに送っておきました。
何せぼくとしては初めての経験なのでちょっと心配でしたが、特に『無人列島』では新品の(35mm)プロジェクターが放つ鮮明な画像にスッキリとその〈スライド字幕〉が嵌っていました!特に尼僧院などでのローキー トーンの場面では驚くほど巧くいきました!
その〈文字ダシ〉のタイミングなども完璧でしたが、それを担当してくれたのが、大学院生〜〜 大変に良い状態で見てもらえたと感謝してます。
さて観客ですが、最初から「観客の数は映画祭のような訳にはゆきませんが、その質の高さは保証しますよ!」といわれていて、40名余りでした。
その中には、パネラーとして参加したイェール大学の先生と院生、そしてミシガン大学、シカゴ大学、ニュー・ヨーク大学、ミネソタ大学、ハワイ大学、カリフォルニア州の3つの大学(Lrvine, San Diego, Los Angeles)の先生方も含まれていて、謂わばオールアメリカの〈東アジア文化の研究学会〉〜〜 これまでの上映会では経験したことのない緊張感と充実感を味わいました!
そしてその結果ですが、特に『無人列島』の上映が終わった時の拍手は想像していた以上に大きく館内に響きましたので、ここではそれを信じることに致します:-))))))))))))))
また 『Good-bye』の方も、ヨーロッパの人たちと違って、極東の歴史や文化を熟知した方々が観客でしたから張合いがありました:-))))))))))))))
そして7時からは、[Roundtable discussion on Kanai Katsu]〜〜 パネラーは司会と通訳とを兼ねたジェロー(Aaron Gerow)先生、ミシガン大学のノーネス(Markus Nornes)先生、そして2人のイェール大学の院生〜〜 山本直樹さんと、韓国からの留学生=ジョング(Seung-Hoon Jeong)さんとぼくの5人です。

パネラー 左から
山本、ノーネス、金井、ジェロー、ジョングの各氏
アーロン・ジェロー氏の著作
衣笠貞之助の「狂った一頁」
拙著 「微笑う銀河系」は
イェール大学の図書館にも所蔵

このシンポジュームの内容を要約しますと、
まずぼくの映画に関する考え方〜〜 映画は自分の子供のようなものですが、自分は父親というよりは母親のような存在〜〜 それでは父親は誰かと考えると、≪その時代の欲求≫だったのではないか〜〜 といったようなことを述べました。
更に、ぼくの生き方に多大なる影響を与えたアルベール・カミユの実存哲学やシュール・リアリズム。日本では大島渚の、例えば「まったく新しい内容のものを、まったく新しい方法論を用いて作らなければ映画として認めない!」といった言葉や、衝撃を受けたアメリカのアンダーグラウンド・シネマなどについても言及しながら、独自の映画論を展開しました。
パネリストでもあるジェロー氏〜〜 彼の質問は、まずぼくの母校である日藝(日大芸術学部)と日大映研についてから始まりました。Nichi-geiNichidai-Eikenという単語〜〜 そしてそこにはJyonouchi Motoharu(故・城之内元晴)の名前も絡んできてました。
実は、オーバーハウゼン映画祭でもこのNichidai-Eikenと、JyonouchiそしてAdachi Masao(足立正生)という固有名詞がよく出てきていましたが、この渡米の直前にも「クロアチアからジョーさんの『新宿ステーション』の詩を永久保存にしたいといってきたので協力して下さい〜〜」と城之内の奥さんから電話があったのです:-!!!!!!!!!!!!!
そしてNichi-gei, Nichidai-Eiken, Jyonouchiが、ヨーロッパだけではなくここアメリカの映像研究者の頂点でも生きていたことを知らされ、改めて吃驚させられたいう次第です:-)))))))))))))))!
(ちなみにぼくは映研に入ってはいなかったので、一年後輩の城之内と知合うのはずっと後の1970年頃なのです。)
その一方でジェロー氏は、ぼくが大映時代に衣笠貞之助監督の「お琴と佐助」(1961)等の撮影助手だったことを知って大変に興味を示しました。それもその筈、氏は衣笠の前衛映画:「狂った一頁」(1926)を研究〜〜 その著作まであったのです:-)))))))))))))))
山本直樹氏は、明治学院大学でジェロー氏の教え子〜〜 「彼は当時から優秀だったが、イェール大学の院生になってからは驚くほど伸びた!」と、その師はいってました!
彼は、『無人列島』がシュール・リアリズム映画であるということで、1920年代からの日本に於ける《前衛芸術史》を映画と文学を中心に展開〜〜、また、『Good-bye』で戒厳令下の韓国ロケを決行したということで、韓国に大きな関心を持っていた大島渚の作品についても言及〜〜 その2つに関連したした彼の質問に対してぼくが答えるという形になりました。
そして山形映画祭で何度かお会いしたことのあるマークス・ノーネス氏〜〜 彼は、ぼくがこれからどういう方向に進もうとしているのかに関心があったようで、そこに大島渚、河瀬直美、飯塚俊男等の名前が出てきました。
また韓国出身の院生・ジョング氏からは、『無人列島』の団地のシーンで、そこに流れる〈金 嬉老の音声〉への質問がありました。
1968年に静岡県の寸又峡温泉に立て籠もった在日朝鮮人二世の殺人犯・金 嬉老〜〜 「これはこの映画の前年に起きた刺激的な事件であり、混沌としていた世相を表すのに効果的なニュースだったから〜〜」と答えましたが、納得してもらえなかったようでした。
客席からの質問の中には、「音の使い方がとてもユニークだが、サウンドについてどういう考えを持っているのか?」というのがありました。
それと全く同じ質問をオーバーハウゼン映画祭の≪回顧展≫でも訊かれましたが、その答えは「音楽を含めて全てのサウンドを映画の重要な《小道具》として考えている」〜〜 と、いう持論を話しました。
次から次へと沢山の質問を受けましたが、みな好意的なものばかりで勇気を頂きました :-)))))))))))))))
ともあれ
アンダーグラウンド・シネマのメッカ・アメリカで
40年前の作品が上映され
そこで
独自の映画論を展開出来たことは至上の喜びと思います!
関係者の皆様に
心から感謝致します!


Tangemania

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