東京造形大学の〈映像芸術V〉

2000年度から東京造形大学で〈映像芸術V〉という講座を受持っております。
前期を
かわなかのぶひろ教授が担当し、そのバトンを受継ぐ恰好で後期を担当――
作品制作の指導を行っていますが、受講生が3年生なので言わば〈プレ・卒制〉と
いった形の講座です。
全部が全部というわけにはいきませんが、なかには奇抜な発想の快作や傑作があり、
明日への期待がもてますので、ここに紹介させて頂きます。

※ 毎年1月中旬に、かわなか教授と一緒に講評

映像表現W (2005年度から)

2003年度 2002年度 2001年度 2000年度

〈映像芸術V〉2004年度

’04年度の受講者は20名〜〜 、2005年度からは〈映像表現V〉と〈映像表現W〉とに分かれ夫々が独立しますので〈映像芸術V〉としては最後の年となりましたが、結果としては最高の年度でした!

能登芽衣子「記憶繭」
電車のガラス戸にとまっていた一匹の蛾〜〜、その蛾の存在と絡めながら、作者は〈痴呆〉や〈記憶〉についての独創的な世界を展開してゆきます。
コメントには「祖母が痴呆になり、人の記憶とは何かと、考えるようになった。記憶には形がない。目には見えないし、手で触れることもできない。もとから、記憶というものは不確かなものだ。その不確かなものに、仮の形を与えられないだろうか、と思った」というのが出発点で、「例えば、体の記憶をつかさどる所に蚕が居て、みたもの、きいたもの、思ったこと……すべて記憶になるものを喰べ、その糸を吐き、繭をつくり、蛾になる準備をしていたらどうだろう。成虫になったら、その蛾は、記憶に形を与えるものになるのではないだろうか 〜〜」とありました。
これは近親者の〈痴呆症〉を目の当りにしたことによって生まれた〈心境作品〉で、仲が良かった祖父のことさえ全く憶えていなくなった祖母の〈記憶の喪失〉が、作者にはとても衝撃的だったのです。
画面は、その祖母を中心とした家族の写真群と、椿の花や松の梢、白い鉢、水面、青いガラス、地面に映る大きな網の影などが連なって、そこに作者独自の〈記憶考〉が語られてゆくのです。
それは、祖母の飛んでいってしまった〈記憶〉、そして何時か自分にもやってくるかも知れない〈記憶の喪失〉を、作者は〈蚕−繭−蛹−蛾〉のようなものとして捉えてみて、その難しいだろう〈結論〉を、強(したた)かな構成力と表現力とで(観手を)納得させてしまいます。「電車の扉に止まっていた蛾〜〜 あれは誰かの記憶だったのだろうか」―― この極めて短いナレーションによって、観客の一人ひとりにトップ・シーンの情景(電車のドアの蛾)をフィード・バックさせて、じわじわと作者の心象世界のなかに(観手を)包み込んでゆく―― そんな作品でした!
◆ 構成力、映像の選び方、そして洗練されたナレーション―― これはこれまでにない大胆にして緻密な映像詩だと思いました。
作者は几帳面な性格なので全てに無駄がありません。が、作品としてはもっとゆったりとして、もう少し時間も長い方(あと2〜3分)が良いと思いました。

江崎 愛 「きょうみをひくおんな」(5分)
若い女が窓を細目に開けて煙草を吹かしていましたが、やがて彼女は携帯電話を取り出しました。すると画面は2分割―― その右側の画面では若い男が携帯に耳に当てています。
その話の内容ですが、それは彼女に付き纏っている男のことで、その恐さや今後の対策などに付いて(恋人に)相談している〜〜 と、観客には思えるのですが、男は何の反応も示さず、チョッと違和感を感じてきます。
そうこうするうちに、細かい文字が詰まった(ストーカーからの)手紙、携帯の着信履歴のアップ、彼女が歩く夜道などがインサートされてきます。が、やがて男は(彼女の話を無視して?)携帯を置き、部屋から出てゆくではありませんか――!?
さて、これからどう展開していくのだろうかと思っていると、彼女は「〜〜では、明日警察に行ってみる〜〜 お母さんも気をつけてね」といいました〜〜 そこで話していた相手が郷里の母親だったことが観客に判ります――!
と、その時、玄関のチャイムが鳴って出てゆきますが、誰もいません〜〜 カメラが(パンして)居間に戻ると、(煙を逃がす為にあけた)ベランダの窓にあの男の顔〜〜 彼がストーカーで今まさに侵入するところです――!!
◆ ストーカーは、特にひとり暮らしの女性にとっては切実な問題です。が、この作者の非凡さはその構成の斬新さです。戦略・戦術を駆使して観客と真っ向勝負をしてくるところが面白く、忘れ得ぬ作品となりました。
しかし途中に入る「聞いてるの?」という言葉が気になりました。電話の相手が母親ならこんな時代なので真剣だと思います。また男の部屋から幽かな〈話し中〉の〈信号音〉が洩れてきた方が納得されると思います。ともあれ、観客との智恵比べの作品ですので、その加減が勝負です。

武田早智「擬態」(1分30秒)
薄暗い部屋に目覚ましの時を刻む音、ベルが鳴って次々と開かれるカーテン〜〜 と、そこには所狭しと様々な物品が並び、積まれているのが見えてきます。
その物で埋まった部屋の全景―― やがてこの部屋の主であろう女性が現れて、パジャマの上着を脱ぎ、ズボンを脱いで、パンツとブラジャーだけになりました。
そしてお腹の贅肉を摘む指。左手で右腕を削るように掻くが、決して細くはなりません―― やがて画面は女の顔のアップ。鏡の中の顔。そして女は2つの化粧液をその顔に塗ってパック〜〜 ところがそのパックを剥がすと、顔までが一緒に剥がれて床に落ち、顔のなくなった女がそこにいました!
◆ これは物に依存する現代社会を風刺したシニカルな作品ですが、その内容と共に、表現力も豊で、実写と手描きアニメの微妙な兼合いが実に見事です!
しかし、何といっても1分半というこの長さでは〜〜 例えば、街に出る、或いは彼女が窓外を見る〜〜 と、そこにいる人々の服装はどうなのか?そしてどんな顔なのか?〜〜 それでも物足りなければ、その街中に墜落する戦闘機―― 良く見ると、パイロットは女性で顔は無くなっています〜〜。
否、これはぼくの拙い思いつきですが〜〜 この更なる展開の問題を、武田ならきっと魅力的に解決してくれると信じています!

伊藤香澄「彼女の呼吸」(4分30秒)
俯瞰の街の雑踏、歩道橋の上の少女、その少女の視線(=見た目)の人々の背中―― それらの画面に「ちょっと深呼吸をして、」とか、「ちょっと呼吸を」、「止めました...」とかの字幕が入って、少女の横顔になります。
すると、画面は群衆にゆっくりとズームしてストップモーションとなり、目の前を横切る女もストップモーション〜〜 が、よく見るとその後ろにある看板のネオンが動いていました!そして、次は大通りの交差点〜〜 人も車も止っているが、信号機だけは点滅しています―― !
これは少女が息を止めたことにより発生した〈妄想イメージ〉〜〜 その妄想は沸騰する薬缶、洗い場の水、公園の毬と木馬、ブランコ、ピアノやコーヒー、書初めの筆に激突するオモチャ、氷が入ったジョッキー、昼下がりの運河へと綿々と続きますが、みなその画面の中の一部が動いている静止画です。
やがて少女は吸い込んでいた息を吐き出し、画面が正常の風景に戻りました!
◆ 画面をストップさせて、その中の一部分を動かすというアイデアは実にユニーク。またその技法や技術も高い水準にあると思いました。
だが、客観描写としての少女と、少女が妄想するイメージとの関係をもう少しハッキリさせた方が良かったし、イメージ場面も選択の仕方で更に良くなる筈です。

柿本千都留「巣」(2分)
テレビのある広い室内――、帰宅した女性は何故か爪を切り、切られた爪は(敷かれた)紙の上に次々と落ちてゆきます。
ここまでは至って平凡な映像の連なりでしたが、次の指のアップ・ショットで一変します!親指を撫ぜると、そこから噴き出たのは無数の蛆虫たち―― (実写との合成アニメ)で、度肝を抜かれます!
そして、両手両足の指先から這い出した蛆の群れは、やがてズボンを駆け上ってきて彼女の顔に迫って来ます―― !
恐怖に慄き、両手で顔を覆い叫ぶ女〜〜 その開いた口の中に現れたのは、一匹の巨大な蛆虫(写真合成)でした。
◆ これはまだ未完成で、話は部屋の崩壊まで続くのだそうですが、「何の変哲もない日常が、何の前ぶれもなくいきなり奪われてしまう話」だそうで、作者はそこに潜んでいた異物をシロアリ的なものとして表現しようとしたわけです。
そのこと自体は斬新とは言い切れませんが、平凡な画面作りから突如現れる蛆虫群の出現〜〜 その意表をつく展開の仕方に非凡なものを感じさせます―― !
が、蛆虫の群れが出てしまった後の死んだ爪(あのマニキュアでは駄目)や、口の中の蛆虫も、描きアニメで動く方が良いと思います! 

小川拓郎「真昼の窓際」(16mm モノクロ 8分30秒 )
車からの移動で下町の風景がゆっくりと流れ、次はその俯瞰の家並み。光を反射させる窓のあるビル。光がいっぱいの室内、その床に落とした窓枠の影〜〜 やがてそこに下着姿のダンサーが現れ華麗に肢体を動かします。
一方、光に満ちみちた路地に現れる男〜〜 その目(口ではなく)には花が。逆光線に白くとんだ男の身体の輪郭―― 。
カーテンが揺れる室内では先のダンサーの下半身〜〜 その股間から血液が流れ落ちています。
そして電柱と白壁〜〜 その壁に映ったその電柱の影がいとおしく、室内では上半身裸の男〜〜 床を這ってきた血液は男の足元を包みました。
その血を指先にした男は外へ。男は火達磨で、女は屋内で優雅なダンス〜〜 といったモノクロの映像が時間軸にそって流れている作品。
◆ 16mmのモノクロ―― 先ず光を巧く捉えているという点で感心させられましたが、構成がこれで良いのかどうか判りません。
そこで作者のコメントを見ると「この作品は真昼の光がつくる空気をテーマにつくりました。真昼の晴れた日に窓から外をのぞくと、ぼやけた白い世界が広がっている。また屋根に反射した光や窓から入ってくる光によって生まれる影などは、私の感覚をとても刺激する。そして又、その雰囲気は夢のようでもある。そこで、その光の空気と夢のようなものを組みあわせて、1つの独特の世界観をつくることを試みた」とあります。
「光の空気」と「夢」でしたか〜〜 確かに面白いところをついた作品です。しかし燃えるマネキンなどは繰り返し出てこない方が良いと思ったし、音の問題もまだ残っております―― 頑張れ!

藤井佑亮「COME COME DELUSION」(4分)
これは欲求不満の男の妄想―― 主人公の男が洗面所に入ってきて〈水〉の蛇口の栓を捻ると、管の先端がもそもそと動き、そこから出てきたのは何と足〜〜 それは粘土の男の足で、やがて全身が現れます。次に〈お湯〉の蛇口〜〜 こちらから出てきたのは女で、その男女の人形は愛欲に溺れて睦み合いながら排水溝の中に消えてゆきました。
それを見て興奮した男は、〈お湯〉の蛇口だけを捻って女の人形だけで浴槽をいっぱいにします。
その(女の)人形たちはといえば、みな艶かしいポーズで彼を誘っています。その色気にやられた男の眼は何と花盛り(描きアニメ)〜〜 急いで裸になると浴槽の中に飛び込みました―― !
体中に纏わりついてくる女の人形群〜〜 その官能的な蠢きの中に彼は溺れてゆくのでした。
◆ 粘土人形の驚くべき数〜〜 更にその動作や仕草を出演者でもある作者がひとりでやったのだから〈凄い〉です!
しかしその為に巧くいっている所と、もたもたしている所とがあり、チョッと惜しい気がします。藤井君はひとりでコツコツとやるタイプのようですが、時には他人の手を借りて、〈大規模〉でありながら〈緻密なショット〉も必用―― 観客を唸らせ、その瞳を釘付けにすることも、頭の片隅に入れておいて下さい。

安川 暁「浸色」(12分45秒)
塗りつぶされた黒い顔――、携帯が鳴る、ベッドを出て外出する男、地下鉄を降りて街に出ると、街はけばけばしい色の氾濫。原色の衝立〜 原色の自販機〜 原色の広告塔などなど。
図書館に入った男は色彩学の本を読み、公園で女と会います。
次の日も男は街へ〜〜 カラフルなビル〜、カラフルな看板〜、そして色彩学の本と取組み、公園で話す相手は前日の女です。が、その女の皮膚に現れた〈小さな染み〉〜〜 それは〈原色の色〉でした。
男が翌日公園にゆくと、「色彩検定2級問題」というのを読んでいた女〜〜 その顔は目の辺りを除くと他は黒く固まっており、その黒い皮の下には原色のいろの残骸がありました―― そして、男の皮膚も……!!
◆ これは「街中にあふれる自己主張の強すぎる色。それは私たちにとってあたりまえのものではあるが気づかない間に汚染され、体に浸色してゆく。」というのが作者のコンセプトです。その発想には納得出来るし、力作でもあります。特にラストシーンの、原色によって塗り固められ、黒く爛れた男の肌が記憶に残りました!
しかし、構成法に問題あり―― 射精などのいらないシーンや、最初に汚染された皮膚を出しては効果が薄れますので、もっと観客との知恵比べをすれば怪作にして快作〜〜 間違いありません。

また、「雨の音によって現れる自分の意識の境界線に安心感と緊張感を感じる。その不安定な意識の間合いを表現しようと思った。」という永田 純「垂直の音」などがありましたが、これからが勝負ですので皆さん頑張って下さい!


〈映像芸術V〉2003年度

’03年度の受講生は20名 〜〜 その中にIF24期で教えたことのある大山 慶もいました。彼はIFのグループ作品で『NAMI』という超・傑作を手掛けており期待していたのですが、大学に入ってからは(怠けていたのか)鳴かず飛ばず 〜〜 そこで彼にハッパをかけてみましたが、それが功を奏し他の学生にも波及効果となって全体が盛り上がました。
1月中旬の審査上映の段階では、まだ〈完成〉と言い切れないものもかなりありましたが、これを〈最終講評〉として、更に充実させてくれるものと信じております。

大山 慶 『ゆきどけ』 (アニメ)
白っぽい画像には、山を背景に点在する家々 〜〜 ゆっくりとその一軒の窓にズームすると、ガラス戸に2つの小さな手の平が 〜〜 やがてコドモの顔が現れ、じっと窓外を見詰めます。
その視線の先にあるのは路傍に放置された犬の死体で、〈臓物〉が露出されていました。
それに何かを感じたのでしょう、コドモは鉢から金魚を取り出すとその口の中を覗きます 〜〜 映し出されたのは〈臓物〉でした ――!
食事の時間を告げに来た母親 〜〜 食卓にはチキンの丸焼きが載っていて両親は食べ始めますが、コドモはその様子を薄気味悪そうに眺めています。
母親に叱られ、恐る恐るチキンにナイフを入れると、どろりとした液体が流れ出して慄くコドモ 〜〜 ふと両親を見るとその顔に〈臓物〉が滲み出て来たではありませんか ――!
食卓から逃げ出したコドモは最初のガラス戸へ 〜〜 そのガラスに映った自分の顔にも、やがて〈臓物〉が浮き出てくるのでした ――!
■ 大山はIFの16mm講座でも卒業制作でも〈臓物〉を扱った作品を実写で作っていたので、少年時代に何かがあって、〈臓物〉に拘りをもっているのかも知れません。
しかし狂牛病や鳥インフルエンザ・ウイルス、そして(新聞などの)情報によると新型肺炎もハクビシンが関係していると言われているようなので、(作者の思いとは別に)観手の一人ひとりの頭の中では、〈肉食〉に対する問題へと膨らんでゆくのではないでしょうか。
画はシンプルですが惹きつける力があり、作業も緻密 〜〜 まだ完成といえる段階ではありませんが、IF同期の皆さんも期待していて待っていて下さい ――!

この『ゆきどけ』で独特なアニメ手法を編出し、それを更に発展させた卒業制作『診察室』で、彼はイメージフォーラム フェスティバル2005の〈入選〉をゲット――!
特報!! 大山君の『診察室』がカンヌ国際映画祭の〈監督週間〉で上映決定――!尚、短篇での日本作品の招待は他に辻 正之君のアニメがあり(彼は2年続けて)、ともに造形大生〜〜 凄いことです!!
その後の〈情報!〉

木村友和 『FLOWER』 (アニメ)
揺れる3本の花 〜〜 暫くすると可愛い靴がフレーム・インして女の子となります。
青空の下で伸びやかに弾んでいた少女ですが、その花のひとつを摘み取りました 〜〜 と、その茎の芯は何故か電線で、それがこのアニメの進展に重要なポイントとなっていたのです。
見る見るうちに花は萎れ、背景のビル群も色あせてゆきます 〜〜 そしてそれらのビル群はやがて次々と崩れ落ちてゆくのでした。
呆然と立ち竦む少女 〜〜 彼女のいた緑の芝生にも亀裂が走って、奈落の底に落下してゆきます ――!
闇の地底で微動だにしない少女 〜〜 近くには破壊された〈電線の搭〉が聳えていますが、それがこの世界のシステムの拠点となっていて、その搭を支えていた一本のボルトが外れ、凄い勢いで落下してきました 〜〜!
死んだと思われた少女の指先が幽かに動き、萎れた花を掴みます。徐々に精気を取り戻す花 〜〜 その花を手にした少女はやがて地上へと浮上するのでありました。
■ 大山作品と同様に、こちらも凝ったアニメですので〈完成〉とまではいっていませんでしたが、なかなかの力作 〜〜 が、システムの拠点である(電線の)搭の描き方などに物足りなさを感じたし、それが一度しか出てこないのもどうかと思いました。
作者にも撮り直したり付け加えたりするシーンやショットがあるようなので期待してます。

平吹正名 『home life』 (ドキュメンタリー)
台所など屋内の数ショットがあって、勾配のある住宅地となります。その狭い路地の石段をひとりの青年がやって来て、とある家の玄関の前で立ち止まると中に声を掛けます 〜〜 が、返事はありません。それは何時ものことなのだろう、青年は戸惑うことなく中に入りました。
この家の主は小太りの男で、だらしない恰好で寝ていました。青年はその男の存在にはお構いなしにエプロンをかけて台所やトイレの掃除をし、洗濯物を取り込んで丁寧に畳んでゆきます 〜〜 どうやら彼はホームヘルパーのようで、やがて寝ている男を起こしてその布団を物干にかけます。
布団を剥がされた男はパンツ一丁 〜〜 その左肩には何が描かれているのか判然としない刺青が見えます。
作業を終えた青年が帰っても、男は裸のままで相変らず無気力なごろ寝 〜〜 やがてひとつ小さな溜息をつくと畳を撫ぜ、手に触れたボールを転がしていたが、一寸寒くなったのか先ほどまでヘルパーがかけていたエプロンを素肌の上に着けました。
暫くすると、男は畳の上に写真を並べだします。以前に付き合っていた女の写真でしょうか 〜〜 並べ終わると今度はカメラを取り出し、その写真の群を撮りだしました。
その目的が達成されたのか、はたまた飽きたのか 〜〜 男はまた寝てしまいます 。
■ これは〈引き篭り〉男の一日のドキュメンタリーですが、青年(ヘルパー)の短い言葉(=訪問を告げる声、布団を干すために男を起こす声、帰りを伝える声)以外には人の声は全くありません。その言葉のないことによってこの男の心の襞を覗けたような気がしました。
欲をいえばもうひとつ〈引き篭り〉と分る仕草が欲しいような気もしますが、ともあれ心に残る作品でした。

安達悠子 『空想少女』 (フィクション)
正面からの少女のクローズ・アップ 、ゆっくりと床に向って下りてくる足、暫く空中に留まった後に、その足の親指は床の表面に幽かに触れます 〜〜 と、そこが恰も水面でもあるかのように波紋(描きアニメの合成)が広がりました ――!
足元からパン・アップして少女のバスト・ショットとなり、横からの顔のクローズ・アップと続いて、飛び降り(飛び込み) 〜〜 黒味が入ってそこに水音 〜〜 床に着いた足で終わるという短篇作品です。
■ 先ず少女の表情が実に良く、足の指先が床に接すると広がる波紋が大変に巧くいっていて、空想少女の日々繰り返されているだろう妄想行為として伝わってきます。
これはこれで〈出来上がった作品〉となっていましたが、インパクトという点では弱く、巧く出来た小作品として片付けられてしまう嫌いもあります。
それはラストの飛び込みに〈非凡さ〉が欠如しているからで、(飛び込んだ後の)更なる展開を考えてみては如何でしょうか ――。

大野惠子 『通り雨』 (フィクション)
アパートの窓から俯瞰した雨の街 〜〜 カメラがゆっくりとパン・アップすると鉄の手摺となり、そこに無数の水滴が付着しています。
そのトップ・ショットは実に魅力的な映像でしたが、ナレーションは「また雨が降る。私の心を乱す大嫌いな雨」 〜〜 でした。
次は画面一杯の乾燥菓子の山 〜〜 その菓子を頬張りながら主人公の女性が見詰めているのは乾いた砂漠の映像です。
やがて玄関のドアが開き、ずぶ濡れの女(の下半身)が入って来て主人公の足に雫を垂らします。そして洗面所から流れ出す水 〜〜 その水でびしょ濡れになった彼女は、素足のまま部屋を飛び出しました。
着いた先は河原で、ススキの穂が風に揺れ、乾いた砂を彼女の手が握りしめます。空は何処までも青く、陽は燦燦と降り注いでいますが、彼女の見上げた顔がふと曇ります 〜〜 どんよりとした雨雲が現れ、段々と広がり始めたのです!
が、それは恐怖からくる幻影だったのしょう、紺碧の空の下に彼女は佇んでいました 〜〜。
■ とてもユニークな作品で、主人公の表情(演技)も実に良かったのですが、脚に雫をたらしたのは誰なのか、どうして洗面所の蛇口が開かれたのか、雨だった筈なのに河原の砂が何故乾いていたのか(タイトルの『通り雨』だけではどうかと思います)など、観手を納得させる設定が必要だったと思います。

他には、自分の別人だという凶暴な男との葛藤を描いた新井淳一『境界線』、若い男女が白い部屋の中で奇妙な餃子作りをする岡本整子『ケガレ』 、部屋から出られない女が妄想の中でビル群を見下ろしてゆく平林望美『派生』 、札幌の実家の壁から浮き出てきた猿楽のシテが電車に乗り、飛行機に乗って東京の下宿にやって来るという高岡 潤『幻影猿楽』などがありますが、インパクトや整合性、舞台装置などにやや問題があったり、大切な部分がまだ出来ていないのもありました。本気になってそれらをクリヤーすれば傑作間違いなしの映像の群です ――!

まだまだあります 〜〜 藤本 海『紙成り』 (フィクション)
その〈紙成り〉は〈雷〉にかけたタイトルで、主人公はバイト先からの帰り道に落雷に遭います。幸い身体に異常は見つからなかったのですが、翌日には何と彼は薄っぺらの紙になっていたのです――!
紙になってのメリットは隙間から自由に出入り出来ることで、これはこれで喜ぶべきことだと楽天家の彼は思います。
そこで先ずは一服と、煙草を取り出し火をつけました 〜〜 と、その火が体に燃え移り、慌ててお風呂に飛び込みます ――!
が、やがて体が溶け出してきたのでさぁ大変 〜〜 といった奇天烈な噺です。
しかし、藤本の欠点は仕事が雑なところです。(笑)
もし神経の行き届いた者との共同制作にしたら、これまた間違いなく怪作にした快作となる筈ですので考えてみて下さい。


〈映像芸術V〉2002年度

’02年度の受講生は26名 〜〜 その審査上映(1月10日)を終えた後に、ぼくは最初のDV作品・『スーパードキュメンタリー 前衛仙術』の仕上げに入ったのですが、使用したマイクのインピーダンスの問題で撮り直しを余儀なくされたり、ハードディスクのクラッシュなどでてんてこ舞い 〜〜 ’00年度から続けてきたこの〈講評〉を断念せざるを得なくなりました。
しかし、この年度の〈講評〉だけを〈パス〉 〜〜 というのでは受講生は納得いかないと思うし、ぼく自身も合点がいきません。そこで1年半の時を超えて脳裏に残った映像を、ここに拾い出してみることに致します。
(2004.7.22)

鬼束健太郎 『白い証拠』 8mm(コマ撮り)
自分の住む部屋を白一色に塗りつぶした装置 〜〜 そこに黒い墨の手形がススーっと、程好い間隔で走ったかと思うと、やがてそれが消え失せて、先ずは度肝を抜かれました。
現れては消えるこの墨の形は、顔だったり、肢体の一部だったり、或いは体全体だったりしています。ボディー・ペインティングをして壁にぶち当たるというパフォーマンスは珍しくはありませんが、その体躯に塗った墨をこういう形で表現した作品は前代未聞なのです!
彼のコメントによると「壁を人の記憶に見たてている。跡を付けても付けても消えていく。結局何も残らなかったように思うが、白い壁には手や顔のでこぼこが残る。」とあります。墨を消すのに白い塗料を使うので、その黒と白の塗料の厚みが記憶の痕跡 ―― ラスト・シーンではその〈記憶の痕跡〉が分るような映像になっていて、非常に感心させられました。
しかしこれほどの発想でも8mm作品では限界があります。その展開にもまだ問題があり、また白と黒だけの映像では華やぎがありません。前期担当の
かわなか教授と一緒に、この企画を卒制に持ち込み16mmにするよう(ふたりで鬼束に)いいましたが、その卒制『墨華譚』(16mm)は、見事IFF2004〈入選〉になっています。

藤井良雄 『搖人譚歌(ゆれびと たんか)』 vido
これは、脅迫神経症からくる不安定さを、自分自身がヤジロベーになりきることで保とうとする男の話です。
子どもの頃から反復運動に時を忘れる性癖があった〈彼〉が、恋人に裏切られたことなどから対人関係に自信を失って閉じこもりとなります。が、自分をヤジロベー化することによって社会とのバランスをとろうと、雑踏の中で、駅のホームで、〈彼〉は一所懸命片足で立ち、両手を広げて揺れているのです。
このヤジロベー症候群
(?)は、こういう形では実在しないと思いますが、現代人の多くは日常の中で既にヤジロベー化しており、そのことによって他者とのバランスを保とうとしながら生きているような気もします。作品の出来としてはナレーションに頼り過ぎていたし、不徹底なところもありましたが、捨てがたいテーマだと思いました。

他には、鈴木洋明の学生としての自分と風俗業の店長としての自分 〜〜その葛藤を撮ったドキュメンタリー(vido)や、山本有衣子のオリジナルの寓話をもとに、池谷圭介増田雄一が加わって制作したアニメ・『Little Choaltea』(vido)などが印象に残っていますが、2002年度はやはり『白い証拠』が他を圧倒していたと思います。


〈映像芸術V〉2001年度

河内 洋 『分裂抄』 8mm作品 6分
この作品は、スチールカメラで撮影した写真素材と、DVカメラで撮影したムービーを静止画に変換してプリントした素材 〜〜 それらを8mmカメラで撮影したものです。
トップ・ショットは新宿西口の横断歩道で、手前からフレーム・インした青年(作者自身) が渡り切ったところで立ち止まります。やがて振り向いた彼は暫くこちらを眺めていましたが、戻ってきてフレーム・アウト 〜〜 と、先程立っていた場所に全裸の彼が残っていたのです!
次のシーンは自分の部屋で、全裸の彼から首が(分裂して) 畳の上に転げ落ちます。するとその首は自分の足に踏みつけられてゆくのですが、その(足の) 重力に抗し切れず、まるで提灯のように伸び縮みを繰返します。
街は街で分裂を開始 〜〜 ビルが裂け、裂けたビル群の切れ端はやがて一定の流れを作って渦を巻き、それが段々と薔薇の花状になってゆくのです。
若いカップルなどが出てきた後にトップシーンの横断歩道となり、今度はそのカップルの男性の首が胴から分列して飛ぶと、その背後に巨大なビルがスルスルと現れました 〜〜 と、その画像の中央部分が手前から破られてゆき、そこに現れた青年の首は巨大な赤い薔薇となっていたのでした!
この斬新な発想も、その背景には自分の身近なところに分裂病鬱病、自傷症など精神に異常をきたした人たちが多く見られるようになってきたので、その辺りのことも踏まえた上での〈妄想シネマ〉だと思われます。

鳥井龍一 『版画』 8mm 2分40秒
ご存知ように版画(ここでは江戸時代の浮世絵) は何枚もの版木を用いて色を重ねてゆきますが、この作品はその版画の手法を取り入れてつくられています。
まずタイトルからして版画を意識しており、やがて北斎の「下野黒髪山きりふりの滝」のアウトラインが浮かび上がって、徐々にその色を重ねてゆきます。
更に暫くすると、その絵の中に描かれている3人の人物のうちの1人が姿を消して、残った2人はその滝の迫力に感激したのか万歳を繰返します。
その2人連れはそのまま次の版画に移行 〜〜 その絵のアウトラインが現れ、やがて雲が沸き立ち、稲妻が走って北斎の「富嶽」の動く浮世絵となりました。
アイディアといい、作業の緻密さといい申し分がありませんが、2シーンではチョッと物足りません。少なくとも5シーンは欲しいと思いました。

前畑安希 『pice』 DV作品 5分15秒
こちらはDV作品ですが、撮影は全て8mm 〜〜 全篇自分を含めた女性の身体の部分だけをクローズアップ・レンズで捉えているのですが、的確なライテングと露出で驚くほどシャープな映像をつくりだしています。
作者は「皮膚と信仰の間にはシャマニズムが存在する」というのですが、それはさておき、指や足などが全く別の個所を連想させ、甘美なエロティシズムが溢れていました。

残間綾子 『胎』 DV作品 9分30秒 
〈女性〉と〈月〉と〈海〉についての関係は昔から数多く語られてきました。作者もその体験から「自分の場合も身体の中に潜む性的欲求と〈月〉や〈海〉が密接に関わっている」といいます。
これは無意識のうちに自分を制御しているその〈月〉や〈海〉を表現しようとした作品で、満月と満ちてくる潮が何度か繰返された後にセックス・シーンとなりました。
まだその構成に若干の工夫が必要だと思いましたが、圧巻はその海の映像 〜〜 青い海原の後に真赤な海 〜〜 最初は赤のフィルターを使ったのかと思いましたが、暫くすると何とその赤い海から白い乳房が現れたのです!
フィルターやパソコン処理では高度のテクニックを使わない限り乳房も赤くなってしまいますので、広い浴槽に絵の具を入れて染めたのだそうです。そういった映像づくりの発想がインパクトのある画像を生むのです。

深瀬沙哉 『自傷考』 DV作品 7分
先の『分裂抄』でも触れましたが、自ら自分の身体に傷をつける自傷症も増えてきているようです。この作者の知り合いにも度々手首を切っては電話をかけてくる女の子がいて、その体験を元にした作品 〜〜 作者は自分が住む相原から相模原へとバイクを飛ばしますが、その画面の上部には電話をかける女性と作者の画像が嵌め込まれていて、2人のやり取り(回想) の声が聞こえてきます。
その女性が越したという家が分らない為に、相模原駅前で待ち合わせ 〜〜 その待ち時間に彼は2人の関係を語ります。
その女性とはただの知り合いで、彼女にはちゃんとした恋人がいるのだそうですがその彼には自傷のことは隠していて、いつも呼び出されるのは作者だということ 〜〜。
そして作者が考える「自傷考」がアニメや特撮、イメージ・ショットなどをバックに語られていきます。その女性が自分を傷つけるのは「…… 彼女の身体には不安とか孤独とかそういう真っ黒いものがいっぱい詰まっていて、それが嫌で、苦しくって、その真っ黒いものを外に出そうとして手首を切るのかも知れない」「…… その真っ黒いものは誰にもあり、みんなその黒いものにビクビクしながら暮らしているのかも知れない 〜〜 私もそういう不安にかられるからだ。しかし私の場合にはその黒いものは中からではなく外から迫ってくる。その違いが手首を切らせないのだろうか 〜〜 」。
ともあれ、孤独と不安に苛まれている若い人たちの心の襞を垣間見せてくれた作品です。

IFF2003に〈入賞
第二回盛岡自主映画祭(2002)に入選
CAS Academy Awards 2002 に入選

他にも、写真を2枚重ねて上の写真にハンダ鏝を当て、その穴から下の写真を見せてゆく田中恭子『復式』などがあり、夫々が様々な角度から新しい映像にチャレンジしております。後は構成と表現技術に更に磨きをかけて頑張ってもらいたいと思っております――大いに期待しております!


〈映像芸術V〉2000年度

川上まゆ子 『女子レバーボール』
先ず体育のバレーボール・教本と、パックに入った食品・レバーが現れ、タイトルとなります。と、そのレバーが
(コマ撮りで) 賽の目になってゆき、あたかも生き物のように息づきはじめます。
一方教本の方では1人のバレー選手
(写真) の身体がぴくりと動き、やがて(教本から) 抜け出してきて腰を落として構えました。
すると如何でしょう!賽の目になったレバーが空を切って飛び、それをダイレクトで打ち返す選手―― 他の選手も次々と駆けつけて、バレー
(選手) とレバーの大合戦が展開してゆくではありませんか!
この奇想天外な『女子レバーボール』もまだまだ発展させる余地があって本当の意味では完成作品とはいえませんが、そのハードルをクリアーすればあの「IF・黄金の23期」の中に入れてもトップクラスの傑作 〜〜 それは
かわなか教授と見解を一にするところです。

映像作りの才能という点では奥 亮英 ―― 彼の『彼岸娘との飯事』は、「二十歳の原点」の著者・高野悦子の詩の映像化で、自分で描いた絵と、森や湖などの画像とをコンピュータに取り込んで処理したものでしたが、その技術と感性に非凡なものを感じました。次作はそのもてる才能をフル回転させて自分自身の「オリジン」を追求してもらいたいと思います。

福田元晃 『金魚』は、水槽に顔をつけて我慢する少年が主人公 ―― 息が苦しくなった時に脳裏によぎるものがインサートされてくるといった構成で、それは少年が何時か見た風景でした。
なかなか考えた作品でしたが、厳しく言えば、挿入される風景の選び方や視線の高さ
(特に幼稚園) などにもう一工夫欲しかったと思います。
秀逸だったのはそのラスト・ショット 〜〜 『金魚』というタイトルから受ける観客の予想を見事に覆して、フレーム・インしてきたのは水槽いっぱいの大きな大きな金目鯛でした。

高橋創一 『かり(仮)』は、コンドームが主人公の立体アニメ 〜〜 ズボンのポケットから転げ落ちたコンドームが動き出します。
やがて彼
(コンドーム) は黒い粘土を割ってペニス状の物体を作り、それに被さって徘徊し、やがて眠っている女性の口の中に侵入しました!
この時の撮影技術はなかなかのもので、本当に呑み込まれたかのようでした。やがて女性は何かを吐き出しますが、それは疲れきったコンドーム 〜〜 その後の展開が余り芳しくなかったので実に勿体なく 、 更に緻密な計算をして発展させて貰いたい作品です!

山西絢子 『穴』は、ものを食べる女の口元だけで構成されています。
菓子を食べ、飴をしゃぶり、ケーキを頬張る。それらがみなワン・ショットで進み、ラストは胡瓜 〜〜 この胡瓜になった途端に舌がそれに絡んできてエロチックになり、やがて胡瓜はズズーと口の中に消えてゆきます。この消え方は高橋の『かり』と同様に実に見事でした!
残念なところは、この胡瓜のシーンだけが複数であったことで、これもワン・ショットの方が良かったと思うし、食べるものも朝から晩までとか、何らかのコンセプトが必要だったと思いました。

遅れて提出した玉野祐子『業師』は50分のドキュメンタリーで、脳性マヒの障害をもつ42歳の女性を取材しておりました。
その女性は、「私の個性は障害者」とか「私には幾つのも顔があるの」とか言い放ちますが、それでいて憎めないしたたかさの持主 ―― ワザシというタイトル通り、なるほどと頷ける捉え方をしておりなかなかの力作でした。が、作者・玉野とその女性との関係がもっとはっきりさせれば、更に奥行きが出てきてた筈だし、判り易い作品になったと思います。
パーソナル・ドキュメンタリーの場合は、作者の登場が不可欠だと思います!

他には、実際に街で指の匂いを嗅ぐ女性を見たのがヒントとなったという中村 潔『Yubinonioi』など、まだまだ取り上げたい作品が沢山ありましたが切りがないので今回はこの辺りまでに致します。



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