東京造形大学・〈映像表現W〉

昨年度までの〈映像芸術V〉が、
2005年度から〈映像表現W〉となりました。
授業内容はほぼ同じで個人作品の制作、
受講生の殆どが3年生なので言わば〈プレ・卒制〉〜〜
なかには
これからが楽しみなものもありますので紹介させて頂きます。

※1月中旬に、かわなか教授と一緒に講評

2005年度
今年度の受講生は、三年生が34名、四年生が1名の35名〜〜 ほぼ2倍に激増しましたので、〈制作指導〉としては手が回らず歯がゆい思いもしました。しかし、意気に燃える者もおりますし、既に映像コンクールで受賞した作品もあります。
齋藤綾子bee bee beat
早朝の曇り空からゆっくりズーム・バックすると、網戸にとまった虫のシルエット〜〜 フォーカスが合うとそこに像を結んだのは蜜蜂でした。
しかしこの蜜蜂、天が作者に与えしモノというべきか〜〜 何とその(右前)足は恰も二拍子のリズムを刻んでいるかのように動いていたのです―― !(自然科学に造詣が深い(笑)この勝丸をして初めての光景〜〜!)
作者は、蜜蜂のこの神秘的な動作のアップから、〈ちぎり絵〉のアニメーションへと展開させて、日頃思っている「人と人の出会いは、全て別れへと繋がっている」という、その〈孤独感〉を表現しようと企てていたのです。

やがてその蜜蜂のパートナーとなったのが蝶〜〜 彼らはビルが建ち並んだ街でデートを楽しみます〜〜 そのシーンですが、蜜蜂&蝶につけての平行移動は確かな技術で、(ビルの)窓ガラスへの風景の〈映り込み〉の〈動き〉に感心させられました!
さて、その楽しそうに舞う可愛いカップルに、非情な〈別れ〉が迫ります〜〜 歯を磨いで待ち伏せていた蜘蛛によって、哀れ蝶は殺(や)られてしまうのです〜〜
場面は、悲しみに打ち沈む蜜蜂〜〜 蝶の遺骸を花で包む蜜蜂〜〜 そして、勇気を出して紅の空(夜明けの実景)の中に飛び出していった(ちぎり絵の)蜜蜂〜〜 と進んでゆきます。
実写との合成&加工によるこの新しいアニメーション〜〜 その大団円は(トップ・シーンと同じ)網戸にとまった蜜蜂で、
その足は例の二拍子をビートし、そのリズムに合わせるかのように、(台所では)お米が研がれてゆくのです〜〜!
この作品の凄さは、偶然に見つけた(足でリズムを刻む仕種の)蜜蜂と、それを指揮者の振るタクトのようにサウンドの〈リズム〉として捉えた作者の非凡な才能〜〜 そしてお米の研ぎ音や少年が蹴る空き缶などの〈生活音〉を使って〈作曲〉し、それを(かなりのレベルで)〈成功〉させていることなのです―― !
※ この「bee bee beat」はまだまだ〈発展可能〉な作品で、複数の「bee bee beat」があっても良いと思うし、下記のコンテストも、もうちょっと短いバージョンだったそうです。
「bee bee beat」は、〈リーバイス&MUSIC JAPAN〉主催のコンテストにて入賞〜〜 全国32局のMUSIC JAPAN(TV番組)で放送される他、全国リーバイス店舗内で上映、また、i-podという携帯オーディオプレーヤーで視聴&購入可能なコンテンツにもされる予定だそうです。
青木俊祐「閉塞少女」
老夫婦と少女の俯瞰ショットから始まるこの作品もまたユニークな発想です。筆を執り何やら文字を書く老人と縫物をする老婆〜〜 その傍らに、何故か落ち着かない様子の少女がいます。
やがて老婆は台所へゆき、そこから流れてきたのはシャボン玉〜〜 それを見た少女が台所にゆこうとすると、何故か老人によって制止されてしまいます。
老婆のシャボン玉に対して老人は線香花火、蝋燭に火をつけてから花火を楽しみ始めます〜〜 どうやらそれがこの老夫婦のささやかな道楽なのかも知れません。
やがて、老婆が縫っていた派手な着物ができ上がりますが、それは少女のためのもので早速着せられました。それにしてもこの少女の微妙な仕種が気がかり〜〜 食事になるとそれは更にエスカレートし、四つんばいになった少女がご飯の匂いを嗅ぎ、(茶碗に顔を突っ込んで)食べだしたではありませんか〜〜!?

食事が済むと、隙を狙っていた少女は裸足で脱走、川沿いの道を一目散に走ります〜〜 こうして話の流れを(長々と)綴ってきましたが、それは自分が何故あの家にいるのか判らないでいる少女の心境と、老夫婦との関係などがかなり面白く構成されており、それが次へと繋がる展開の重要な鍵となっていたからです。
さて、懸命に走る少女から何かが路上に落ちました!それは何と犬の鑑札です――!
走って咽が渇いたのでしょう、少女は川の水を飲み始めますが、ひと息ついた時に水面に映った姿に仰天〜〜 そこにあるのは犬の顔で、少女は自分が犬だということをこの時初めて知ったのです――
この犬の顔は作者自身が制作したのだそうですが、実に見事で〈やる気〉がにじみ出ていました。映像作家の才能の一番はその〈やる気〉です〜〜!
話は更にその娘犬(少女)と、後を追ってきた老人や保健所職員の絡みへと展開してゆきますが、水に映った己の姿に驚く姿は想像を超えていたので、そこで終わっても良かったかと思うし、また権力から見張られている〈国民=人間〉を、あの〈犬の鑑札〉から暗示させる作品にしても良いのかも知れませんね。ともあれ、「bee bee beat」同様、更に〈発展可能〉な作品ですので、頑張って下さい―― !
小松泰子 「水の魚」
この作品は、女(この作品の主人公)の手から金魚鉢が落下して粉微塵になるところから始まります。やがて女の足に褐色の何かが現れて、それが段々と上ってゆき、肩や首の辺りまで進むと、女は耐え切れず顔を覆って涙しました。
すると、突如画面の左上に青い光が出現し、そこが恰も湖底であるかのような雰囲気を醸して、光は静かに揺れながら女の脚や手、そして身体を包んでゆくのでした。
祈るようなその仕種、女の表情〜〜 微妙な時が流れてその手を開くと、そこにいっぴきの金魚が舞うように現れて(手のひらの上で)優雅に泳いでいるではありませんか――!
金魚が出るものはこれまでに嫌というほど観てきましたが、このような作品は初めて〜〜 神秘的で、何故か心が洗われるような、そんな逸品でした。
が、金魚のイメージが身体を上ってゆくところは、撮り方や編集のテンポに一考を要します。
壇上 phenomena
この見慣れないタイトル=phenomenaを辞書で引くと、phenomenonの複数形とあり、phenomenonには現象・事象・事件。[複]驚くべき物(事)、並外れた物(事):非凡な人、天才〜〜と、ありました。作者のコメント用紙にも、「“現象”そのものに接近することを目標にした作品作り〜〜 」という一行があり、狙いどころがぼんやりと伝わってきます。
さて、その“フェノメナ(or フェナメナ)=現象”の映像は、モノクロの夜景で構成されていて、まずその風景の選択に惹かれました!
遠くの淡い街明かり、石段を手前にした街の灯りの遠景、そして街中の道路〜〜 車の群れが手前に走ってきてその多くは右に曲がってゆく映像です。
と、二つのややぼけた明かり〜〜 凝視すると、それは人の眼球に映った灯りのようでした。
作者は、「自然現象だけにとらわれず、当たり前に様々なモノが運動していること自体に注目し、その点を中心に抽出・解体・再構成をしながら、その現象の意味、もしくは意味など存在しないかもしれないがその運動が及ぼす作用について考察する〜〜」という視点から捉えていて、流れゆく縦の線へと続きましたが、さて、その抽象的な縦の線は、電車の車両から見た線路が成す“現象”なのでしょうか〜〜 ?
車内には、中年男がただひとり〜〜  酔っているのだろう、鞄のチャックに触れた手の動きが、危なげな〈運動〉を繰り返しています。
夜の静かな街、かと思えばトンネルからはまだまだ這い出てくる車たち〜〜 そのヘッドライトの画面とOLして現れたのは、街の明かりの遠景〜〜 その光のゾーンは、悪意に満ちた巨大な〈軟体怪獣〉が、そこに蠢いているかのように、ぼくの眼には映りました―― !
難解といえば難解な作品かも知れませんが、その映像の良さと、構成の巧さに、惹きこまれてしまう作品です。
比内萌春 HYPNOTISE
このタイトルも知らない横文字なので辞書を引くと、ヒプノタイズと読み「催眠術をかける」という動詞だそうです。しかし耳慣れない言葉をタイトルにするということは得策とはいえません〜〜 タイトルはその作品の〈顔〉であり、その内容と連動した形で観手の脳細胞の中に棲み着かせねば、作家の〈戦略〉として上等とはいえないのです!
しかし確かに、この作品は〈HYPNOTISE〉的な内容といえば内容で、「イメージの画像・動画化」でありました〜〜 暗闇に、下手なトランペットでアメリカ国歌を鳴らすと、いきなりカラーバーが出現して、そのカラーバーに抽象的なアニメーションが入り込んできたのです。
作者はカラーバーに異常な〈魅力〉を感じているそうで、「そのカラーバーに、自分の想像したイメージ画を合成する〜〜 」のが目的だそうで、やがて(カラーバーの)色の帯が縦から横に変化してゆき、そこに現れたのが手描きの星条旗〜〜 何となく’60年代のアメリカン・ポップアートを連想させますが、作者独自の世界も垣間見られて、これからどうなっていくのか、期待を持たせます。
景山 「リフレクト」
これは、16mmで撮影された素材を基に制作された構造作品で、タイトルのリフレクトは多分、光や音などを「反射させる」、あの「relect」だと思います。(それにしても今年度の作品は横文字タイトルが多すぎますよね!)
月の画像などを、ぐしゃっと円筒形や四角錘に変化させてしまうというその技には驚かされましたが、その発想の原点は十六世紀の画家・アルチンボルドなどが挑戦した〈メタモルフォーゼ〉の流れを汲むものだと思われます。その〈動かない〉絵画に対し、映画の流れる〈時間〉の中に〈メタモルフォーゼ〉=ドイツ語の「変身、変態」を展開させるという試み〜〜 ソフトを使って簡単に出来るようなものではありませんので、時間と労力が大変、まだまだ問題点は沢山ありましたが、これからが大いに楽しみなのです―― !
以上が、〈2005年度映像表現W〉の主な作品ですが、本人が〈本気〉になればこれらの作品を超えられるかも知れませんので、ほかの皆さんも頑張って下さい―― !
尚、映像コンクールに出品することをお勧めしますが、入選されたらご連絡のほど宜しく―― !


〈映像芸術V〉
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