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No.23 2012.08.15 大天才・ガウディに会いに行ってきました:-))))))))))

第6弾 ≪ガウディ建築の真髄=コロニア・グエル教会

エウセビ・グエル伯爵は、バルセロナの郊外(当時はサンタ・コロマ・デ・セルベジョー市だった)に、繊維工場で働く労働者の住宅団地を建築しましたが、その労働者のための教会の建築を1898年にガウディに依頼しています。

その頃のガウディは誰よりも独創的になろうと努力していた頃であり、後にグエル公園(1900年~1914年)の中核部、バトリョ邸1904年~1906年)、ミラ邸1906年~1910年などの個性溢れる強烈な作品を次々と発表~~それをバルセロナの新聞などが大きく取り上げて支援し、彼を前代未聞の極に向かわせていました!

特にガウディが執着していたのが≪フニクラ≫と呼ばれる逆さ吊りの力学~~彼はおよそ10年の歳月を費やしてその実験を重ねていました。
それは彼独自の建築力学への挑戦~~「複数の紐で錘を支えるとき、紐が作る曲線は、その天地を逆さにすれば建築物を支える最も単純で堅固な柱となる」筈だというものでした:-)))))))))
(★右はコロニア・グエル教会のフニクラの模型)

1908年、遂にガウディはその≪フニクラ≫を具現化する最初の作品としてグエル教会の建築に着手します。
初めの計画では、上部身廊と下部身廊からなる二身廊で、礼拝堂、側面の数々の塔、そして中央部には高さ40メートルの塔を備えるという壮大なものでした。
(★身廊(しんろう)とは、教会堂の入口から祭壇にかけての中央部分をいう)

     
  静かな郊外に建てられた
未完成のコロニア・グエル教会
 不揃いな形の田舎風大窓
と小生
  松林と溶け合った
傾いた支柱の林
     
 メルヘンチックな塔~可愛い鐘が見える  石とレンガとセラミックの
絶妙なバランス
 礼拝堂内部の天井と壁のモザイク

外観は、自然豊かな郊外の景観に合わせて、ガウディは玄武岩とレンガで構成~~傾いた柱の森の柱廊(ちゅうろう)が地下礼拝堂へと続きます。

     
地下礼拝堂
柱は多角形アーチの天井を支える
 窓が蝶の羽のように開く
ステンドクラス
地下礼拝堂の全景
ガウディ独自の力学が生み出した、柱と天井の見事な関連

しかし、この地下礼拝堂を建てただけで、1914年にガウディはこのコロニア・グエル教会の指揮から手を引きました。
あの≪フニクラ≫と呼ばれる逆さ吊りの力学を駆使した、地上部の建築を誰もが熱望したことでしょうが、建設資金の欠乏という問題もあったといわれ、また彼もサグラダ・ファミリア教会の建設に全力を注がなければなりません!

その後の工事は、他の建築家の手により1917年までゆっくりしたペースで進められましたが、その間に第一次大戦によって一時期続行が困難になり、更に1918年には施主のグエル伯爵が病死したこともあって終了しました。

結局は、未完成に終わったこのコロニア・グエル教会~~にもかかわらず、ここをガウディの最高傑作として位置づける専門家も少なからずおります。
彼の数々の革新的な試みを総合的に実践した初めての作品であり、それがサグラダ・ファミリア教会の建築に引き継がれているからだと思います:-))))))))))
なお、コロニア・グエル教会は1984年に世界遺産に登録されています。

次回はガウディが命をかけた建築=“サグラダ・ファミリア”です!


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No.22 2012.08.25 大天才・ガウディに会いに行ってきました:-))))))))))

第5弾 ≪ガウディ円熟期の作品:バトリョ邸とミラ邸


ぼくたちが宿泊していたホテルの近くの“グラシア通り”には第4弾”で紹介したモンタネールやカダファルクなどのモデルニスモ建物物が建ち並び、そこにガウディの傑作=バトリョ邸があります!

バトリョ邸” 
大繊維業者のバトリョ・カサノバスの依頼を受け、ガウディは1904年~1906年にかけて既に建てられていた邸宅の大改築を行いました。
この改造で彼は1階と2階を全面的に変え、更に5階と地下室を加えました。また階段や内壁を作り直してそこに曲線的なデザインを持込み、今までの建築様式を卓越した建築物として表現しました:-))))))))))

この大胆な建物に、当時のバルセロナ市民は“骨の家”とか“あくびの家”とか妙な名前で呼んで楽しんでいたそうですが、その奇抜な建築に惹かれて今も世界の各地から観光客が集まってきています:-))))))))))

     
 バトリョ邸の前に群がる世界各地からの観光客
 大きなスペースを持った2階は
“首階”と呼ばれ、バトリョ家の居住フロア 
セラミックやガラス片で覆われて壁面
出窓は、仮面のようにも髑髏のようにも見える

ガウディは、従来のユークリッド幾何学に基づいたコンパスと三角定規を用いた設計図を飛び越えてきた建築家です。

彼の残した言葉の中に、「美しい形は構造的に安定している。構造は自然から学ばなければならない」とありますが、自然界にはほとんど存在しない“直線”を廃し、彼の“曲線”への拘りを見事に開花させたのがこのバトリョ邸だといえましょう!

     
“主階”へ続く階段~その手摺は
大胆な曲線を宙に描いてお見事! 
 外から見た2階の“主階”フロア  “主階”フロアの内側~ 扉に配されたガラスの円盤
そのステンドグラスでフロアの光を調節
     
 暖炉の煙突はカタルーニャの
農家と同じように壁に嵌め込まれている
  広間の天井には滑らかな渦が巻いている   巨竜の胎内を思わせる屋根裏
かつては洗濯室などとして使われていた

さて、このバトリョ邸には様々な説があります。

その第1は、屋上の一部が丸く盛り上がっていてドラゴンの背中のようにも見えることからカタルーニャに残る“竜退治の伝説”をなぞっているという説です。

第2の解釈は“謝肉祭説”で、屋根を道化師の帽子に見立て、バルコニーの出窓を仮面、壁の色とりどりの砕いたセラミックやガラス片は祭りの花吹雪を表しているというものです。

他には、ガウディが自然光を効果的に取り込み、中庭に面した壁の色に濃淡をつけていることから、光と色の効果による“海底洞窟説”~~などもあります。

     
 中庭の壁面~採光の関係で上に行くほど青色を濃くしている  色彩豊かな屋上~煙突などをセラミックやガラス片で美しく覆ってる  夕暮れの空に浮かぶバトリョ邸~天才の息吹が迸る!

ともあれガウディの建築の魅力は、ダイナミックで様々なイメージを髣髴とさせながら、同時に細部への拘りが過剰ともいえるほどの表現力を持っていて喜びを溢れさせているようなところです:-))))))))))

2005年にユネスコの世界遺産に登録されたバトリョ邸~~現在、2階の“主室”や屋根裏、屋上などが見学できます。


ミラ邸”(別名=石切り場)

バトリョ邸から少し離れた同じグラシア通りに、実業家=ペレ・ミラ夫妻の邸宅を含む高級アパートを依頼され、ガウディは1906年~1910年にかけてそのとてつもなく巨大な建物に取り組みました。

彼は9層にわたるフロアを様々な用途に合わせて設計~~地下室は自動車の駐車場で、当時それはバルセロナで初めての地下駐車場となります。

1階は商業施設、中2階は執務室、そしてミラ家の住居スペースである“主階”~~それより上に続くフロアは賃貸用で、屋根裏はバトリョ邸と同様に洗濯室でした。

そしてそれは、“直線”がほとんどその姿を消した大胆な建造物~~自然石を積み上げた外壁はうねるような曲線を描いており、地中海をイメージしたとも言われています。

この建物の核は2つの大きな中庭
で、10分の1の模型をもとに現場で積み上げながら最終仕上げを施したという革命的な建築方法でした:-))))))))))

     
ミラ邸の俯瞰~吹き抜けが数箇所に見える    バルコニーの欄干に並んだ鍛鉄製の彫刻
ガウディがデザインし、弟子のジュジュールが完成させた

しかし同時に、その外観から当時のバルセロナ市民は醜悪な建物とみなし、付けられた名前が“石切場”~「グラシア通りの調和を損なう建物」として非難され、いろいろと物議を醸していたのです!

けれどもこのミラ邸は、通常の建築物というよりはむしろカタルーニャ人が誇りに思うべき偉大なる彫刻~その圧倒的な芸術性で永遠の時間を獲得しており、今日のバルセロナを代表する歴史的建造物となっているのです:-))))))))))

1984年にユネスコの世界遺産に登録され、高級アパートとして現在も使用されていますが、入館料を支払えば内部の住居部分や、屋根裏にあるガウディに関する展示場、そして屋上の凄い風景を見学できます!

その屋根裏スペースは、ガウディが創り出した空間の中で最も非凡な空間とも言われ、270のパラボラ状アーチによって仕切られ、このアーチは様々な高さで波打ち曲がりくねって連なり、その美しさと堅牢さとを誇らしげに見せます!

科学者としてのガウディは、ゴシック建築を力学的に改良を重ねることで現代に再生させようと、放物線アーチの荷重実験を熱心に行ってきました。その研究の一部が展示されている「逆さ吊り実験の曲線」です。

そして、彼が師と仰ぐ自然界のコレクション~~そこには動植物から鉱物までありましたが、注目は上の写真=ミラ邸の構造模型で、大きな2つの中庭の他に、小さい中庭が2つ見えます。

       
  パラボラ状アーチの屋根裏スペース  ガウディの「逆さ吊り実験の曲線」   自然界のコレクション   蛇の骨なども展示


     
  中庭から見上げた風景  夕暮れのミラ邸  屋上からガウディの巨大なオブジェたちがバルセロナを見守っている

さて、この世界に誇れるミラ邸ですが、残念なことに当時ガウディとミラ家の間に意見の不一致が生じたため完成を待たずに辞退~~以後、彼は民間の建築物を引き受けることはなかったそうです。

次回はガウディ建築の真髄=“コロニア・グエル地下礼拝堂”です!

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No.21 2012.07.21 大天才・ガウディに会いに行ってきました:-))))))))))

第4弾 ビセンス邸とモデルニスモのライバルたち≫

さて、皆さんもそうしているかと思いますが、今回ぼくたちも日本を出る前に≪ガイド付きバス・ツァー≫に申込んでいて、15人ほどの日本人観光客と一緒に小型バスで半日ほどかけて要所巡りをしました。
実物の前でガイドから説明を聞き、更に質問が出来ることによって本やTVなどから得た情報を確認することなども可能~~ポイントがあらかた整理されたところで、今度は単独でじっくり再訪問すると云う方法を取り、これがかなり有効だったと思いました。

そのガイド・ツァーで勿論立ち寄ったビセンス邸~~ここはガウディが手がけた最初の主要作品で、タイルの製造業者のビセンス・ムンタネルから依頼を受け1883年から1888年にかけて建設、外壁などにタイルが沢山使われています。

そしてガウディ建築の特徴のひとつとなる鍛鉄製の動植物~~ 先ず、棕櫚(しゅろ)の葉がモチーフの鉄柵が目を引きますが、所々に蜥蜴や得体の知れない生き物が張り付いています。

ツァー・ガイドから聞いた話ですと、これらの動物たちの幾つかは、既に盗難に遭って失くなっているそうです。また先号の「グエル別邸」で紹介した≪入口門扉のドラゴン≫も、鉄柵ごと盗まれるところだったそうで油断は禁物です!

       
 ビセンス邸の全景   鍛鉄製の門扉とフェンス  こちらはドラゴンか?  これは蛙だろうか?

ガウディは子供の頃から動植物を観察したりして自然から学ぶことが多く、後年「創造するのではない。人間が作り出すものは、すでに自然という偉大な書物に書かれている。人間はそれを読む努力をしなければならない」と言っており、この棕櫚の葉や動物たち、更に室内に展開する鳥たちの乱舞もまた自然から学び取ったデザインなのかも知れません。

   
鳥や草花で飾られた食堂、彼は壁画や家具調度類といった内部装飾も手掛け、建物のデザインをトータルで考えていた  2階の騙し絵
外部と繋がっているような錯覚を生み出している

ビセンス邸は、夏の別荘として建設された地下1階、地上3階の一戸建て住宅~~世界遺産になってますが、現在この家は売りに出されていて、残念ながら内部は見学できませんでした。


★ さて、ガウディが活躍した19世紀末のバルセロナは、産業の発展とともに活気にあふれ、経済の発展とともにカタルーニャ文化の再生を目指すルネッサンス運動が起きました。それは「文芸復興運動カタルーニャ」と呼ばれ、若き日のピカソ、ダリ、ミロなどがその担い手でした。

そして、この地の民族主義的な伝統に対する高まりのなかで、モデルニスモ(=スペインのアールヌーヴォー)は独自の展開をみせ、そのモデルニスモと深く結びついたのが建築でした。
ガウディのほかには、ドメネク・イ・モンタネール、ブッチ・イ・カダファルクなどが輩出しており、彼らはカタルーニャの伝統に独自の様式を取り入れ、新しい時代を象徴する作品を次々と建てました。

特にモンタネールは、バルセロナの裕福な家に育ち、25歳で建築学校の教授となり、2歳年下のガウディを教えたこともある秀才型の建築家~~彼の代表作にはサン・パウ病院とカタルーニャ音楽堂があり、ともに1997年に世界遺産に登録されました。


モンタネールの“サン・パウ病院” (右上の写真はモンタネール)
ドメネク・イ・モンタネールの最大のプロジェクトは、パウ・ジルという銀行家の遺言に従って1902年に着工したサン・パウ病院で、彼は世界にある様々な病院をよく調べ、患者を建築の力で癒そうという結論に達して設計しました。

       
 2009年まで 病院として使用されていた
正面の建物 
  地下にある廊下が
全病棟に繋がっている
  建築物の中のひとつが
この礼拝堂
 俯瞰のサン・パウ病院
広い敷地に配置された沢山の病棟

先ず彼は、患者に圧迫感を与えないという観点から、広大な敷地内に病棟を分散してそれぞれが独立したような間隔を保ち、その開放的な空間を与えることで病棟を移動する時にも患者がゆっくりと外の空気を味わえるようにと考えたのです。

また、「芸術には人を癒す力がある」という彼の信念のもとに、いたるところにステンドグラスや花のタイル、彫刻などがあしらわれています。

病院としての機能面も充実しており、片側をガラス貼りにして自然光だけで手術が出来る手術室や、病棟に無数の通気口を作り、院内に自然の風が通り抜けるようにしました。
なかでも、病棟間を地下通路で結ぶというアイデアは当時としては卓越しており、医師や患者たちが自由に行き来できるようにしました。

このサン・パう病院は1930年に完成し、2009年まで診療が行われていましたが、現在は病院としての役目を終え、修復工事中です。

★ 英語によるガイドツアーがあり、ぼくたちも敷地内や一部の病棟や礼拝堂などを見学しました!

モンタネールの“カタルーニャ音楽堂
カタルーニャ・ルネッサンス(文芸復興運動)の指導的役割を果たしていたオルフェオ・カタラン合唱協会の本拠地として1905年~1908にかけて建設された音楽堂~~装飾美を追求するモンタネールの最高傑作とされる建築です。

     
宵闇迫る音楽堂の表  主にクラッシックのコンサートが開かれる大ホール 大ホールの天井には巨大なステンドグラスが!
当時のバルセロナでは、モンタネールはガウディよりも名声が高く、この音楽堂はモデルニスモのなかでも最も美しい建築と称えられてきました。
先ず、赤レンガ造りの建物の正面には、カラフルなモザイクタイルと様々な彫刻~~宵闇が迫ると、音楽堂は更に美しさを増します。

1階にある小ホールも魅力的ですが、圧巻は2階の大ホール~~ステージを囲むように、民族音楽と古典音楽を表したレリーフがあり、大きな窓からは優しい陽光が降り注ぎ、ステージの背景にある18体の女神像は楽器を奏でています。

天井を覆い尽くすタイルと彫刻、そしてその中央部には直径7メートルのステンドグラスが迫り出していて、光を浴びた花たちが美しく咲き誇っていて、音楽の殿堂に相応しい優雅な空間を生み出しています:-))))))))))

「花の建築家」と呼ばれ、ガウディとは異なる才能を発揮したドメネク・イ・モンタネール~~このカタルーニャ音楽堂には現在も毎年50万人の人々が、交響楽やジャズ、伝統音楽などを楽しむために訪れているそうです。

次回はガウディの傑作“バトリョ邸”と“ミラ邸”です! ------------------------------------------------------------------------------------------------

No.20 2012.06.25 大天才・ガウディに会いに行ってきました:-))))))))))

第3弾 ガウディとグエル 其のⅡ-グエル邸他≫

ガウディのパトロンであったエウセビ・グエル~~彼は繊維会社の大社長の御曹司として1846年にバルセロナに生まれ、後にバルセロナ、フランス、イギリスで法学、経済学、応用化学を学んでいます。

一代で富を築き上げた父の後を継ぎ繊維会社を経営~~更に彼は銀行、鉱山会社、セメント会社などの経営にも手を広げ、スペインを代表する企業家のひとりとなり、やがて伯爵となりました。
(※ 右の写真はグエル伯爵)

一方ガウディは、1852年6月25日にカタルーニャ州のタナゴナ県に祖父の代から続く銅版器具職人の家に生まれています。
ちなみにその頃のわが国の元号は嘉永で、彼が満1歳になろうとする嘉永6年6月にはペリーが黒船4隻を率いて浦賀に来航~~上を下への大騒ぎになっていた頃です:-))))))))))

さて、ガウディは5人兄弟の末っ子として誕生しましたが、長男と次女が幼くして亡くなっているので実際には3人姉弟の弟として成長しました~~が、幼少の頃リュウマチに罹り、他の子どもたちと一緒に遊ぶことはなく、ひとりで動植物と親しみ、自然からいろいろなことを学んで育ちました。そしてそのことが後の彼の芸術に大きな影響を与えることになります。

やがてガウディは開校したばかりのバルセロナ建築学校に入学しますが、アルバイト中心の生活を余儀なくされ、学業の成績はあまり芳しくなかったそうです。

生まれ育った環境が大きく異なるグエルとガウディ~~だが2人の間に生まれた確かなる友情は、ともに≪カタルーニャへの強い愛≫によって結ばれていたのかも知れません。


★グエル別邸(フィンカ・グエルの建築)
ガウディが最初に依頼を受けた大きな仕事はグエル別邸~~グエルが父から受継いでいた別荘のフランス式庭園を大幅に改築することでした。

     
 守衛小屋と守衛の住居  入口門扉のドラゴン  オレンジの実 オレンジの木の右が 厩舎と馬場
それは1884~1887年にかけて行われた大規模な建設計画でしたが、現在残されているのは守衛小屋と、屋内にある厩舎、そして馬の運動場などです。

建物は基本素材としてはレンガを使い、そしてガウディはここで最初の試みとしてセラミック トレンカディス(=陶磁器の破片の再利用)を使用して、外壁を強化しています。

エキゾチックな美しさが表された守衛小屋と厩舎の建物~~その間には鍛鉄製(たんてつせい)の見事な門扉が配されています。
ガウディがデザインをし、バルセロナの工房バリェット・イ・ピケが作成したもので、当初は多色に塗られていて、仕掛けにより動いたそうです:-))))))))))

このドラゴンは、不死身の見張り番であると同時に、グエルが愛したギリシャ神話のなかに登場する怪獣であり、アンチモン製のオレンジの木や、鉄柵にある竪琴などとともに古代ギリシャ文学と建築の関係を色濃く表しているのです。

ガウディは「建築家は、全ての職人の能力を知っていて、その長所を適材適所に活用せねばならない。もし作業中に困難が生じれば、それを解決する方法を見せねばならない。」と言っていますが、この門扉のドラゴンは、その彼の持論が見事に嵌ったようで大成功~~新聞でも大きく取上げられました。
★グエル邸
別邸に引き続いて発注されたのがグエル邸で、1886~1888年にかけて旧市街地に豪邸の建設が始まりました。

       
 観光客が並ぶグエル邸の表   カタルーニャの紋章  そして紋章の上の不死鳥  地下にあった厩舎 右はキノコ形の支柱
旧市街地は道路が狭いせいか圧迫感を与えるグエル邸~~その表玄関には2つのアーチ型門が並び、その鍛鉄製の門扉の間に、ガウディはカタルーニャの紋章を配しました。更にその上には生まれ変わりのシンボルである不死鳥を止まらせていて、カタルーニャの政治文化運動への意気込みを遺憾なく示しています:-!!!!!!!!!!

ガウディは度々≪カテナリーアーチ≫と呼ばれる技法を使っています。それは鎖の両端を持って垂らした時に出来る形で、彼は力学的にそれが最高の条件を持つと考えていました。
地下室のキノコ形の支柱も≪カテナリーアーチ≫だと思いますが、非常に力強く見えます:-!!!!!!!!!!

このグエル邸の構造は、地下室は厩舎で、1階はレセプション、中2階は執務室、2階は共用スペース、3階は寝室、4階は屋根裏部屋と、様々な用途で作られた6層構造~~2階からの中央部は吹き抜けになっていて、ここは家族と暮す家と言うよりもグエルの宮殿(パレス)のような建物で、その後友人などを集めてコンサートや展示会などが開かれていました。
(グエルには父から受継いだ本邸が廊下で繋がっていました)
     
 贅を尽くした素材が独特な形を描きだす  吹き抜けの周りには回廊あり
様々な部屋がそれを囲んでいる
 吹き抜けの見事な大天井
外からの採光が工夫されていた
ぼくは、グエル邸の所々に昔の日本建築を感じましたが、ある建築評論家はイスラム建築の影響を感じると言っていました。
ともあれ、この頃の持てる力を全て吐き出したガウディの全力投球の建築だと思います:-))))))))))

尚、グエル邸は1984年に世界遺産に指定され、1996年にバルセロナ市の所有となり一般公開されています。

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No.19 2012.06.07 大天才・ガウディに会いに行ってきました:-))))))))))

第2弾 ガウディとグエル 其のⅠ-グエル公園≫

アントニ・ガウディは1878年に建築士の資格を取りましたが、先ず彼にスポット-ライトが当たったのは、パリ万博に出展する手袋店のショーケースのデザインをしたことでした:-!!!!!!!!!!
(※スペイン語ではアントニオですが、カタルーニャ語ではアントニです)

そのショーケースがたまたま繊維会社を経営する大富豪=エウセビ・グエルの目に留まったことによって彼の運命は一変~~バルセロナの大空の下に建築家として大きく羽ばたいてゆきます:-))))))))))

そのガウディの才能に惚れ込んだグエルは、その後40年余りにわたって彼を支援し、グエル邸、グエル別邸、コロニア・グエル教会、そしてこの≪グエル公園≫などの建設を依頼しました。

バルセロナは当時工業化が進んでおりましたが、それに対してグエルとガウディは、古代ギリシャの街=デルフォイに似ているこの山の手に、人々が自然と芸術に囲まれて暮らせる新しい庭園都市というコンセプトで1900年に着手します。
   
 世界から集まった観光客でにぎあうグエル公園
奥に見えるのが多柱式のホールで、その屋上が広場になっている
 神話に出てくるドラゴンと
奥にはオンパロス(=ギリシャ語でヘソ)
さて、公園の中央には太陽神=アポロンの例祭が行われていた古代ギリシャの神殿づくりの多柱式ホールが見えますが、「構造は自然から学ばなければならない」とするガウディにとって、唯一古典的な様式を用いた例だと言われています。
そしてそこにはそのギリシャ神話に登場したドラゴンが地下水の番人として、またその奥には
アポロン神殿の神託所にもある石のオンパロスが、不思議な形のオブジェの内側に祭られていました。
ガウディの建築法の特長は、曲線を多用し細部にきめ細やかな装飾を施すことです。
多柱式ホールの屋上の大テラスは野外劇の上演を想定して作られており、その周りには滑々したタイルのベンチが、優雅な曲線を蛇行させながら囲んでいるのです:-))))))))))

使われた素材はタイルですが、割ったタイルの破片を再構成してゆくという斬新なアイディア~~ガウディが考案した技法のひとつですが、このベンチは彼の弟子のジュジュールが担当した傑作です。

丘の中腹には、傾いた支柱によって支えられた幾つもの不思議な回廊があり、こちらの素材は道路の掘削で出た砕石(=さいせき)をそのまま使っていてあのベンチとは対照的です!

ガウディが学んだ建築学校の校長は、「彼(=ガウディ)が狂人なのか天才なのかは分からない、時が明らかにするだろう」と言ったそうですが、信じてくれるパトロン=グエルとのコンビで、ガウディの天賦の才はいよいよ発揮されてゆきます:-))))))))))
     
 公園中央部の大テラス  大テラスを囲む曲がりくねったベンチ  傾いた円柱によって支えられた回廊と小生

しかし、この庭園都市の計画は失敗に終わりました:-!!!!!!!!!!

自然と芸術に囲まれたこの丘に60戸の住宅が建設される予定でしたが、買い手がつかず売れたのはたったの2軒でした。(※3軒という説もあります)
その理由は、都心部から離れていたことが大きかったと思いますが、2人の進み過ぎた発想が、当時の人たちには理解されなかったのかも知れません。

その売れた2軒の買主はと言えば、何とグエルとガウディ~~:-!!!!!!!!!!
ガウディはそこに父と暮す家を建て、父と姪と共にその家で暮らしましたが、現在は≪ガウディの家博物館≫となっています。
そして1922年にここはグエルの後継者によって市に寄贈され公園として生まれ変わり、1094年には≪世界遺産≫に登録されました。
   
 ガウディの家博物館 グエル公園とバルセロナの街
画面左奥にサグラダ・ファミリアがあり、海は勿論地中海

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No.19 2012.05.24 大天才・ガウディに会いに行ってきました:-))))))))))
第1弾 ≪プロローグ≫
先月の終わりから1週間余りスペインのカタルーニャ州へ行って来ました。

前衛映像作家の端くれとして、最も気になっていた大天才=アントニ・ガウディ~~その作品にじかに触れるのが今回の旅の目的でしたが、それにしては、ちょっと遅れを取った感もあり、訪問者の中には既に行かれた御仁もかなりおられるやも知れません..........。(笑)

その理由のひとつは、2005年のイタリア旅行~~実際に被害に遭った訳ではありませんが、ローマの地下鉄などで何度もスリに絡みつかれて不快千万でした:-!!!!!!!!!!
カタルーニャの州都・バルセロナも物騒なことに関してはローマと似たり寄ったりだと聞いていたので、つい延び延びになっていたのです。

しかし、彼の大天才の作品に触れることなくこの世を去るというのも残念至極~~意を決して出掛けたという次第ですが、実際のバルセロナは実に気持ちの良い街でした:-))))))))))

それもその筈、この国の資源は先人たちが残してくれた≪文化遺産≫であり、世界中から彼らの≪アート≫を鑑賞するために集まって来る観光客によってその経済は大きく支えられているのです。
ちなみに今web-siteで調べたところ、スペインの観光収入は世界第2位とありましたが、どうもアメリカ、フランスとトップの座を競っているようで、当然国家としても観光客に迷惑が掛からないように気を配っているのです:-))))))))))

さて、妻と私はバルセロナの中心にあるカタルーニャ広場の近くのホテルに陣を張り、市内にあるピカソ美術館(かつてはスリの溜り場だったそうです)、ミロ美術館などを見学、更にバルセロナから電車で2時間半のフィゲラスにあるダリ美術館や中世の都市・ジローナなどにも足を伸ばしました。

しかし今回はガウディを中心に、モデルニスモ建築様式が花開いた19世紀末の素晴らしさを、数回にわたって紹介してゆきたいと思っておりますので、ご訪問のほど宜しくお願い致します。
       
 建築家:アントニ・ガウディ ガウディデザインの手袋会社の
ガラス製ショーケース
 初期の作品:
レイアル広場にある街路灯
サグラダ・ファミリアと小生

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