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bP67 2010.3.5 特報!やっと新しいPCでアップロード出来ました:-)))))))

大変長らくお待たせ致しました。
昨年の秋頃からパソコンの調子が悪くなり、その時期と重なるような形でリフォームがあり、暫くの間ですが新橋のマンションで生活して、e-mailでの交信はもっぱらネット・カフェの小さな暗いブースの中でした。

改築なった我が家はもう以前の《あばら家》ではなく、だからこそ荷物の整理でてんてこ舞い〜〜 PCは買い換えたものの《サイト転送》が面倒で延ばしのばしにしてきました。
誠に申し訳ありませんでした。

歳を取ると、日々進化してゆくPCとその周辺機器の操作が大変ですが、ともあれこれでHPも繋がりアップロード出来るようになりましたので、今後ともご贔屓のほど何卒宜しくお願い致します。(勝丸 拝)_________________________________________________________________________________

bP66 2009.9.4 特報!暫らくは〈新橋の人〉となります!

大変ご無沙汰致しております。
さてこの度、『ジョーの詩が聴える』や『聖なる劇場』、『前衛仙術』の舞台となり、またこのHPの「あばら家物語」でもご紹介致してきました愛しの≪我が家≫ですが、築40有余年となりましたので、〈耐震〉対策などを含めた〈リフォーム〉を行なうことに致します。
二階家だと住みながらの改築が〈可能〉のようですが、当家は平屋なので〈無理〉〜〜 9月6日から12月中旬までは新橋のマンションが〈仮住まい〉ということになりました。
この間、郵便物や電話は転送となりますが、FAXはどうなるか良く判りませんのでご遠慮下さい。またe-mailですが、LANケーブル等を使って交信が可能だと思いますので、宜しくお願い致します。 (金井 勝)

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bP66 2009.4.12 初めての渡米:〈イェール大学〉&〈ニュー・ヨーク〉・・・  そのU
27日の夕方〜〜 歓迎会が済むと5時からはいよいよ本番=[Independent Movement: The Cinema of Kanai Katsu]となり、40年前処女作・『無人列島』(35mm)と、38年前の第2作・『GOOD−BYE』(16mm)の上映となります。

イベントのポスターと金井 会場となるウィトニィ ヒューマニティス センター
さて、海外でのフィルム上映で悩まされるのは〈言葉〉の問題です。
商業映画だとフィルムに字幕を入れるのが普通ですが、それにはかなりの経費が掛かるので自主製作ではなかなか手が出ません〜〜 ぼくの場合では『夢走る』(1987)という短編に英語字幕が入っているプリントがありますが、他のフィルム作品には一切字幕はありません。
『無人列島』などはスイスのニヨン国際映画祭でグランプリを受賞した後、ヨーロッパの各地で幾度となく上映されてきましたが、それらの上映ではイヤフォーンを通しての同時通訳による方法がとられてきました。しかしそれはそれでまた問題が〜〜 上映会場の方にそれなりの設備が必要となるからです。
今回はそのイヤフォーン方式ではなく、画面の下の部分に字幕をスライドで投影するという方法だそうなので、その為に必要だという英語字幕入りのmini DV作品(=『無人列島』と『GOOD−BYE』)を、既に送っておきました。
何せぼくとしては初めての経験なのでちょっと心配でしたが、35mmプロジェクターによる『無人列島』でのその〈スライド字幕〉は想像以上に巧くいってました。特に尼僧院などでのローキー トーンの場面では驚くほど巧く溶け込んでいました。
またその〈文字ダシ〉のタイミングなども完璧でしたので、大変に良い状態で見てもらえたと思っています!
16mmプロジェクターでの『GOOD−BYE』の上映は、その映像のスクリーンと字幕の投影画面とのバランスがぴったりとはゆかず、またサウンドがちょっと大きかったと思いました。
それにしてもここの映写機のレンズの解像度は抜群で、35mmも16mmも共にとてもシャープな映像をスクリーンに投影してくれました:-)))))))))))))))
さて観客ですが、前々から「観客数は映画祭のような訳にはゆきませんが、その質は高いですよ!」といわれてましたが、その数は40名余りといったところでした。
しかしそのなかには、パネラーとして参加したイエール大学の先生と大学院生、そしてミシガン大学、シカゴ大学、ニュー・ヨーク大学、ミネソタ大学、ハワイ大学、カリフォルニアの3つの大学(Lrvine, San Diego, Los Angeles)の先生方も含まれていて、謂わばオールアメリカの〈東アジア文化の研究学会〉〜〜 これまでの上映会では経験したことのない緊張感と充実感を味わいました。
そしてその結果ですが、特に『無人列島』の上映が終わった時の拍手が想像していた以上に大きく館内に響きましたので、ここではそれを信じることに致しました:-))))))))))))))
そして7時からは、[Roundtable discussion on Kanai Katsu]〜〜 パネラーは司会と通訳とを兼ねたイェール大学のジェロー(Aaron Gerow)先生、ミシガン大学のノーネス(Markus Nornes)先生、そして2人のイェール大学の院生〜〜 山本直樹さんと、韓国からの留学生のジョング(Seung-Hoon Jeong)さんとぼくの5人です。

パネラー 
左から、山本、ノーネス、金井、ジェロー、ジョングの各氏
アーロン・ジェロー氏の著作
衣笠貞之助の「狂った一頁」
拙著 「微笑う銀河系」は
イェール大学の図書館にも所蔵

このシンポジュームの内容を要約しますと、
まずぼくの映画に関する考え方〜〜 映画は自分の子供のようなものだということ。作者はどうしても母親のような存在で、それでは父親は誰かというと、≪その時代の欲求≫だったのではないか〜〜 等という持論を展開しました。
また、ぼくの生き方に多大なる影響を与えたアルベール・カミユの実存哲学と、シュール・リアリズムや大島渚、そしてアメリカのアンダーグラウンド・シネマから学んだこと等を話しました。
ジェロー氏は、ぼくの母校である日藝(日大芸術学部)と日大映研についての質問から始まりました。
Nichi-geiNichidai-Eikenという単語〜〜 そしてそこにはJyonouchi Motoharu(故・城之内元晴)の名前が絡んできてました。
実は、オーバーハウゼン映画祭でもこのNichidai-Eikenと、JyonouchiそしてAdachi Masao(足立正生)という固有名詞がよく出てきていましたが、この渡米の直前にも「クロアチアからジョーさんの『新宿ステーション』の詩を永久保存にしたいといってきたので協力して下さい〜〜」と城之内の奥さんから電話があったのです:-!!!!!!!!!!!!!
そしてNichi-gei, Nichidai-Eiken, Jyonouchiが、ヨーロッパだけではなくここアメリカの映像研究の頂点でも生きていたことを知らされ、吃驚させられたいう次第です:-)))))))))))))))!
(ちなみにぼくは映研に入ってはいなかったので、一年後輩の城之内と知合うのはずっと後の1970年頃なのです。)
その一方ジェロー氏は、ぼくが大映時代に衣笠貞之助監督の「お琴と佐助」(1961)等の撮影助手をしたことのあることを知って興味を示しました。それもその筈、氏は衣笠の「狂った一頁」(1926)を研究〜〜 その著作まであったのです:-)))))))))))))))
山本直樹氏は明治学院大学でジェロー氏の教え子〜〜 「彼は当時から優秀だったが、イェール大学の院生になってからは驚くほど伸びた!」と、その師はいいました。
パネラーの彼は、『無人列島』がシュール・リアリズム映画であるということと、『GOOD−BYE』で戒厳令下の韓国ロケをしているということで、日本におけるシュール・リアリズム作品&シュール・リアリズム作家についてと、韓国に大きな関心を持っいた大島渚の作品について述べ、その2つに関連したした質問に対してぼくが答えるという形になりました。
また、彼のテーブルの上には見覚えのある単行本〜〜 ぼくが28年前に上梓した「微笑う銀河系」で、それはこの大学の蔵書だということでした:-!!!!!!!!!!!!!
そして山形映画祭で何度かお会いしたことのあるマークス・ノーネス氏〜〜 氏は、ぼくがこれからどういう方向に進もうとしているのかに関心があるようで、そこに大島渚、河瀬直美、飯塚俊男等の名前が出てきました。
韓国出身のイェール大学の院生・ジョング氏からは、『無人列島』の団地のシーンで、そこに流れる〈金 嬉老の音声〉への質問がありました。
1968年に静岡県の寸又峡温泉に立て籠もった在日朝鮮人二世の殺人犯・金 嬉老〜〜 「この映画の撮影前年に起きた刺激的な事件であり、混沌としていた世相を表すのに効果的な事件だったから〜〜」と答えましたが、納得してもらえなかったようでした。
観客からの質問のなかには、「音の使い方がユニークだが、サウンドについてどういう考えを持っているのか?」というのがありましたが、それと全く同じ質問をオーバーハウゼン映画祭の≪回顧展≫でも訊かれていたことを思い出しました。
その答えは全く同じで、「ぼくはムード音楽などは使いません。音楽を含めてサウンドを重要な〈小道具〉として考えている」〜〜 と、いう持論を語りました。
次回は〈East Asia in Motion〉の2日目と
ニュー・ヨークをお伝えしますので〜〜 宜しく!
Tangemania
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bP65 2009.3.22 初めての渡米:〈イェール大学〉&〈ニュー・ヨーク〉・・・  そのT


長らくこの
〈かわら版〉をお休みにしてしまい、ご訪問の皆様方にご迷惑をお掛けしました。誠に申し訳なく思っております。
実は、念願のDVD-box「The World of Kanai Katsu」の自主製作に全力を集中したため、 〈かわら版〉まで手が回らなくなったと云うのが実情でした。お陰さまで納得がゆくDVD-Boxが
出来ましたので、そちらも何卒宜しくお願い致します:-)))))))))))))))
そのDVD製作と同時進行と云う形で進められてきたのが、アメリカのイェール大学で開催されるイベント・〈East Asia in Motion〉でした。
イェール大学の「映画学プログラムと東アジア言語・文学科」の助教授・アーロン・ジェローさんから最初のメールを頂いたのは昨年の晩春でしたが、それが実際にどう云うものなのかははっきりとは分かりませんでしたが、東アジアから2〜3人のアーティストを招いてのシンポジュームで、 そのアーティストの候補のひとりがぼく〜〜 という内容でした。
そのジェローさんとは山形映画祭などで幾度かお会いしたことがあり、彼がその映画祭の機関誌「Documentary-Box」の編集者をしていた時に、「田村正毅(カメラマン)のインタビュ−」があって、その〈聞き手〉を務めたのがぼくでジェローさんとはその時にちょっとお話をしたことを覚えております。
そして昨年の夏休みに、東京の渋谷でそのジェローさんとお会いしました。
イベントの内容などのお話をお聞きしながら、最も気になっていたこと〜〜 「どうしてぼくが選ばれたのか?」を尋ねましたところ、「金井勝のビデオがアメリカで販売されているのは本当なのか!?」と云う学生の質問から発展したということでした:-)))))))))))))))
夏が過ぎ、秋風と共に日一日と深刻化してゆくアメリカ発の〈世界同時大不況〉〜〜!
またその後ジェローさんからは何の音沙汰もなくなってしまったので、〈イベントの中止〉も考えの中に入れてDVD製作に集中することにしました〜〜 が、これはこれで全作品〈英語字幕つき〉ということもありその慣れない作業に苦労していましたので、自然とこのアメリカ行きは頭の片隅に追い遣られていたという次第です。(笑)
そんな時に舞い込んできた e-mail〜〜 それはジェローさんからで「新学期が始まるので手間取っていましたが、イベントの方も動き出しました!」と云うような内容でした。
さて、いよいよ出発〜〜!
2月26日の午前10時発のJALで成田から一路ニュー・ヨークのジョン F. ケネディ空港へ〜〜 時差の関係で到着も26日の午前中でした。
税関と移民局の手続きを済ませてロビーに出ると、ぼくの名前を紙に記して持つ誠実そうな男性がそこに立っています。イェール大学が手配してくれたハイヤーの運転手さんです。
日本と余り変わりない建売住宅と雑木林とを眺めながら、ハイウエーをおよそ1時間30分〜〜 と、風景はがらりと変わってそこに現れたのは中世のヨーロッパを髣髴とさせる地方都市・ニュー・ヘーブンに入り、予約していてくれていたニュー・ヘーブン・ホテルに到着しました。
旅の疲れを癒すために数時間寝ることにし、夜はジェローさんとディナーを共にしながらイベントの内容やスケジュールなどの打ち合わせをしました。
そして迎えた27日、ぼくの出番は夜の7時からなので、午前中はイェール大学校内の見学〜〜 その案内役はベルギーからの留学生・ジェレミーさんと、日本からの留学生・角田さん〜〜 共に大学院生です。
大学の建物はゴシック様式で統一 案内をしてくれた角田さん、ジェレミーさんと、小生
角田さんは早稲田大学の出身で、昨年の9月に入学したばかりなのでまだ学園のことを全てご存知だという訳にはゆきません。そこで全てを知り尽くしている(?)4年生のジェレミーさんが必要だったという云う訳です。
それにしても未来を担うお二人に、貴重な時間を割いて頂いて本当に恐縮致してます・・・ 。
そのジェレミーさんの話によると、ここはライバル校であるハーバード大学とは全く違う雰囲気のキャンパスだそうで、その殆どの建物はゴシック様式〜〜 勿論角田さんが同時通訳で教えてくれるのですが、ベルギー人であるジェレミーさんの英語はなんとなくダイレクトに判る所もあり、ちょっとホッと致しました。(笑)
ともあれ、日本の大学と比べるとその大きさの割には学生数が少ないように感じられ、静かなキャンパスに可愛いリスが駆け回っていたのが印象的でした。
そのゴシック様式の建造物が立ち並ぶ中にあって、ちょっと場違いなというか・・・ ただひとつ異彩を放つ建物がありました。それは、イェール大学ご自慢の贅を尽くした図書館です。
ジェレミーさんが「この図書館は、アメリカで2番目の蔵書を持つ図書館です。」というと、すかさず角田さんが「1番はハーバード大学ですか?」と聞きました。その答は、「否、1番は国会図書館です。」ということでした!
しかしその凄さは、単に蔵書の多さだけではありませんでした。
図書館の外壁は、数インチ程の厚さに削って磨き上げられた大理石で出来ており、それが強い外光から大切な蔵書を守っていたのです:-)))))))))))))))))))
そして、そして、7時からの[Independent Movement: The Cinema of Kanai Katsu]〜〜〜 その模様は次回に回させて頂きますが、そのシンポジュームの中でぼくが1981年に上梓した「微笑う銀河系」(れんが書房新社)が、あの図書館の蔵書の中の一冊になっていたことが判明し、吃驚したという次第です:-)))))))))))))))))))

図書館の表
壁は大理石の石盤です
図書館の内側
大理石を通して入る優しい外光
強い外光から守られた
膨大な図書
                           
 
次回は『無人列島』&『GOOD−BYE』の上映と、そのシンポジュームですので
                                         どうぞご期待下さい!


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bP64 
2008.6.24 驚くべき絵画群 〈エミリー・ウングワレー展〉!
六本木の新国立美術館で開催中の「アボリジニが生んだ天才画家 エミリー・ウングワレー展」を観てきました!
オーストラリア中央部の砂漠地帯で生活してきた先住民・アポリジニ〜〜 そこにアートの〈奇跡〉が起こっていたのです!
砂漠の中で伝統的な生活を送りながら、儀礼のボディペインテングや砂絵を描いていたひとりの老婆が、1977年からパティック(ろうけつ染め)を、更に八十歳近くなってからはアクリル(カンバスに)描き始めたのです!
驚くべきは、彼女のそのバイタリティ〜〜 死の直前までの8年間に、何と三千点とも四千点とも云われる作品を描いていたのです:-)))))))))))
※ 左の絵は、’94年の作・「大地の創造」で、故郷アルハンクラへの賛美〜〜 エミリーの代表作のひとつです。
一見、欧米の〈抽象絵画〉を彷彿させる点もなくはありませんが、エミリーを取り囲む環境はそれらとは全く無縁であり、彼女の描く世界は〜〜 「すべてのもの。私のドリーミング、ペンシル・ヤム、トゲトカゲ、草の種、ドリーム・タイムの子犬、エミュー、エミューが好んで食べている草、緑豆、ヤムイモの種、すべてのもの、それが私の描くもの」〜〜 なのです!
カタログの中に、「アボリジニにとって最も重要なものは儀礼や伝説、歌に関する知識をどれだけもっているかであり、彼らにとって財産とは物質的なものではなく、頭のなかに蓄えられるもの」〜〜 とありましたが、エミリーの頭の中にはそう云った〈民俗&民族〉学的なことや、動植物などのことがいっぱい詰まっていたのかも知れません。
彼女は、そうしたもののイメージを独創的な筆致で表出〜〜 次から次えと大胆に展開してゆきました :-)))))))))))

「エミューの女」 88−89 「カーメ −夏のアウェリェ1」 91 「無題」 ’93 「無題」 ’93
彼女のデビュー作
儀礼の時の女性の胸部のしるしが描かれている
「カーメ」とは、ヤムイモの種のこと
初期の特徴は点描でこの絵は見事!
その点描も絶えず変化
筆先を工夫して描いた連作
その美しさに
   ハッとさせられる!
ヤムイモのドリーミング」 ’95 「無題」 ’96 「無題(アルハルクラ)」 ’96
〈ドリーミング〉とは、
アボリジニ独自の世界観
特にヤムイモは
エミリーのドリーミングである
彼女自身が
「神聖な草」と呼んだ植物達のアクション・
ペインテング 〜 その中のひとつ
亡くなる二週間前に描いた24作品はみな刷毛を用い
た作品で、それまでとは全く異なる画風〜 これが
天才・エミリーの最後の絵となった!
ともあれ
この大天才の絵を
あなたの心に焼き付けて下さい!

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bP63 2008.5.29 山崎佑次著「宮大工 西岡常一の遺言」に魅せられて奈良に旅す!

我が〈かない勝丸プロダクション〉〜〜 その結成時の主要メンバーのひとりに、山崎佑次がいました。
彼は処女作・『無人列島』(’69)の美術監督であり、第2作・『GOOD−BYE』(’71)では美術の他に、役者としても登場〜〜 戒厳令下の韓国ロケで大活躍しています。
また第3作・『王国』(’73)では彼を取り巻く環境が変わり、スタッフの中核からは外れましたが、男気に富む彼がぼく等を見捨てる訳はなく、遠方より駆けつけて熱演(電車の乗客の右翼)〜〜 迫力のある演技を披露してくれました。
掛替えのない我らが同志・山崎佑次〜〜 その彼が、この度、「宮大工 西岡常一(にしおか つねかず)の遺言」(彰国社 1,800+税)と云う、魂に響く素晴らしい本を上梓しました :-))))))))))
その巻末の著者履歴を覗くと〜〜 「岩波映画、大島渚プロダクションを経て、大阪に株式会社サンクラフトを設立。テレビ番組、ビデオソフトなどを制作。ビデオ作品では、『宮大工西岡常一の仕事』、『西岡常一 社寺建築講座』、『瀬戸内寂聴 雪月花』などを手がける。現在、神戸で骨董商のかたわら、文筆にいそしむ。」〜〜 と、ありました。
彼がその拠点を大阪に移すと段々と疎遠になり、〈若松孝二監督 還暦祝い〉(今から十数年ばかり前)の会場で会った時が20年振りで、更にそれから10年が経った今年、本書の〈出版記念会〉で再会なった云う次第です。
そんな訳でしたから、、、、、彼がその後どのような生き方をしてきたのかは定かではありませんでした〜〜 が、本書を読んで感激 :-))))))))))
山崎のあの男気はいまだ健在であり、また名門・早稲田出身者だけあって健筆〜〜!
その筆は、棟梁・西岡氏の一途な(寺社建築への)思想を見事に表出し、更にその棟梁の言葉を通して、古代の工人たちの知識と知恵とが織り成した世界最古の木造建築〜〜 その想像を超えた〈建築文化〉をぼく等に知らしめてくれています!
さて、話はちょっと飛びますが〜〜 ぼくの周りに「どうしても小説家・中山健次と金井 勝とを会わせたい!」〜〜 と云う変な御仁がいて、十数年前に新宿ゴールデン街の〈桂〉と云う飲み屋で会ったことがありました。
その時の主な話題は〈南方熊楠〉でしたが、彼が突然、「映画なんかより文学の方がずっと凄い〜〜 何といっても歴史が違う!」と言い出したのにはちょっと吃驚しました〜〜 !
アートのジャンルで「上だの、下だの」は、おかしな話ですが〜〜 実際、劇場映画の多くは小説や漫画などの映画化なのだから〈馬鹿にされ〉ても仕方ないのかも知れませんね・・・・・ !(笑)
けれども、古今東西においてそう云ったジャンルの〈優劣論争〉は間々あるようで、ルネッサンス期の二大アーチストの間にも確執を生じています。
ミケランジェロがダ・ビンチと不仲だった理由のひとつがそれで、「絵画こそ最も優れた芸術であって、彫刻や文学はマイナーな存在にすぎない」と云うダ・ビンチの芸術論に、「彫刻こそが最高の芸術」だと信じていたミケランジェロが噛みついたのだそうです!
しかしアートには他に〈音楽〉もあるし、〈建築〉もあります。
今ぼくの一番の関心は〈建築〉で、ヨーロッパの中世の都市を見分して惹かれたのですが、近世に於いても独特な建築があり、魂が揺さぶられます。
特にアントニオ・ガウディが設計し、今尚建築が続く〈サグラダ‐ファミリア〉だけは、死ぬまでに是が非でも見ておきたいと思っておる次第です :-))))))))))
閑話休題〜〜 、
西欧の大理石や煉瓦の建築も魅力的ですが、本書を読んで千年を超える〈木造建築〉〜〜 それをしかと確かめたくなって妻を伴い二泊三日の〈奈良旅行〉に出掛けてきました。
奈良には、高校の修学旅行できたことがありましたが、それは4泊5日で京都→ 奈良→ 四国と巡る〈駆け足旅行〉〜〜 本書の舞台となる法隆寺や薬師寺は、今回が初めてです。
さて、西岡常一氏は、明治41年(1908)に法隆寺の門前町の宮大工の嫡男として生まれています。
聖徳太子よって(670年に)建立されたと云われる名刹・法隆寺〜〜その 〈昭和の大修理=昭和9年から20年間)〉で、彼は何と27歳で棟梁となり、以後ずっとこの寺を守ってきたのです。
飛鳥建築について棟梁は、「見てくれやなしに構造が主体です。それでいて全体としてすぐれた調和を保っている。木に無理をさせない、木のいのちをいちばん考えている。そやから千三百年ももっているのです。」と、言います。
法隆寺西院 〈中門〉と〈五重塔〉 現存するわが国最古の搭である 〈五重塔〉
そして薬師寺〜〜、
天武天皇の発願により「天の浄土を地上に移す」と云うもので、創建された当時は東塔・西塔を備えた独特の〈薬師寺式伽藍〉でした。しかし、千三百年という長い年月の間に何度も火災に遭い、当時の建物は〈東塔〉を除いてその全てを焼失していました。
そこで昭和42年(1967)、薬師寺管主に就任した高田好胤(たかだ こういん)氏によって般若心経の写経が推し進められ、遂にそれを資金とする〈白鳳伽藍復興〉と云う大プロジェクトがスタートしたのです。
そして、その薬師寺再建の棟梁に推薦されたのが、〈法隆寺の鬼〉・西岡氏で、彼が62歳の時でした。
昭和年間に〈西塔〉と〈金堂〉、平成に入って〈大講堂〉、そして〈中門〉や〈回廊〉なども完成〜〜 遂に、白鳳時代の大伽藍がここに甦ります :-))))))))))
その偉業をなし遂げた棟梁の言葉の中で、最も読者の心を捉えるのは〈木材への知識と知恵と愛情〉ではないでしょうか〜〜 ?
「伽藍建築はむかしから檜一筋ですけれども、いちばんよろしいのは吉野材。第一に強い。その上に粘りがある。尾州材はきれいでやわらかく細工しやすいですが、吉野に較べると弱い。軸部には向きませんな。柱や梁なんかはやっぱり吉野がよろしい。台湾檜も硬い代わりに反力に弱い。
まあそんなことを言うてもな、年老いた宮大工の繰り言かもしれませんぜ、日本だけやなしに世界的にもう千年、千五百年という檜はないんです。薬師寺が最後やないですか、台湾檜を使わせてもろうた地球上最後の工事ということです。」
「千年の檜には千年のいのちがあります。建てるからには建物のいのちを第一に考えねばならんわけです。風雪に耐えて立つ―― それが建築本来の姿やないですか。木は大自然が育てたいのちです。千年も千五百年も山で生きつづけてきた。そのいのちを建物に生かす。それがわたしら宮大工の務めです。」
その棟梁が、「その技術の面だけからいうても、とてもいまの人はおよばんと思います。」と絶賛する〈東塔〉〜〜 千三百年もの間、美しい姿のまま生き永らえている三重塔です。(五重塔にも見えますが、実は三重塔)

しかし木材は生き物であり、建築当時のままという訳にはゆきません。風雪にねじれ、歪み、基礎も建物の重みで下がっているそうで〜〜 昭和に再建された〈西塔〉の方が六尺(約2メートル)ほど高くなっています。
正に「天の浄土を地上に移した」ような薬師寺〜〜 その雅な伽藍を眺めていると、いまは亡き棟梁の「五百年もしたら同じ高さにおちつくのとちがいますやろか」〜〜 という囁きが、何所からともなく聞こえてきます :-))))))))))。

再建なった〈西塔〉 薬師寺の遠景 左から〈金堂〉−〈西塔〉−〈東塔〉 千三百年の歴史を持つ〈東塔〉
あなたも
山崎佑次の本・
「宮大工 西岡常一の遺言」を片手に
木造建築の深い美を求めて
雅な古都を、訪ねてみてみませんか〜〜!
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bP62 2008.3.22 《極狂遊民カチカチ山》の中村信昭氏、逝く・・・・・!

突然のことで仰天〜〜 ご報告が遅れてしまい申し訳ありません、、、、、!
長年にわたり福岡市でシネクラブ活動を続けていた《極狂遊民カチカチ山》の中村信昭さんが亡くなられました・・・・・!
中村さんとは古くから交流がありましたが、何せ東京と福岡ということもあって実際にお会いしたのはたったの二度〜〜 最近は(ほぼ月に一度程度の)Eメールでのやり取りでした。
そのメールには、シネクラブの状況や、彼が行なっている〈出版〉に関する情報などが殆どで、〈健康〉に関しては全く触れられてはいませんでした。
また元旦に着いた賀状にも、力強い筆跡で「自己変革!子年元旦」とありました・・・・・ !
そんなわけでしたので、先月の24日の晩に中村さんのお姉さん(お兄さんの話は聞いてましたが、お姉さんがいらっしゃるとは知りませんでした)という方から電話があり、「弟と連絡が取れなくなったので行って見たところ亡くなっていた」〜〜 ということでした!
その電話では、死後数日が経っていたようでしたので、今日辺りが最初の〈月命日〉なのかも知れません・・・・・
突然の訃報に、幾つかのことをお聞きしたのですが(動転していて)その殆どは脳内を通過〜〜 はっきりした病名は思い出せませんが、確か〈血管〉に関する病だったような気が致します 〜〜 。
また〈享年〉についてもお聞きしましたが、「五十○歳」という言葉でぼくの意識は暴走〜〜 五十代で亡くなった城之内元晴さん、佐藤重臣さん、大和屋 竺さんのことが(脳内を)駆け巡ってしまい、肝心の中村氏の〈享年〉が曖昧になってしまいました〜〜 が、どうかその時の状況をお察しして、ご容赦下さい〜〜 !
さて、中村氏とぼくとの関係などは2,000年にアップロードした《この人を見よ!》に掲載していますが、彼のその驚くべき業績はシネクラブの主宰者ということだけではなく、雑誌・「鷽 uso」などの《自費出版》にあると思います!
1984年6月に47頁で始まった「鷽」〜〜 ’98年7月の最終の第19号(昨年のメールには、「再発行の予定」とありましたが!)は500頁になんなんとする豪華本(?)になりました―― !
その主な執筆者は、深尾道典(脚本家・監督)、福間健二(詩人・大学教授)、福間恵子(出版の編集者)岡田潔(舞台俳優)、今子正義(脚本家・小説家)、桑名平治(照明技師・監督)、吉浦敏弘、浪塚淳司などで、一度だけですが那田尚史(映画研究者・思想家)も寄稿しています。(敬称略)
勿論ぼくも時々は寄稿させて頂きましたが、
その創刊号と第2号には、同じ福岡市で上映活動を展開するシネクラブ;《FMF(フィルム・メーカーズ・フィールド)》の福間良夫さんの小論文も掲載されています。
が、その福間良夫氏も、昨年六月に急逝されていて、確か氏も、中村氏とほぼ同年輩の五十代だった筈です・・・・・
ぼく自身は、中村氏主宰の《極狂遊民カチカチ山》と、福間氏主宰の《FMF》の両方に上映などで大変にお世話になつていたのですが、両者は八年ほど前に何が原因かは不明でしたが、突然〈絶交状態〉となり、こちらとしても大変に困惑したことを思い出しました・・・・・ 。 (◆ 関連頁

ともあれ
あの世では仲良くしてもらいたいと
心底から願っております!

ご冥福をお祈り致します!
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bP61 2008.2.26 作品は子供のようなものなので・・・・・

2つに分裂して闘ってきた《次世代DVD規格》のプレイヤー&レコーダー戦争も、遂にウォルト・ディズニー他、幅広い映画会社から支持を受けるようになった《Blu-ray》に軍配が上がったようです :−)))))))))))
そのソニーやパナソニックが推し進めている《Blu-ray》に比べて東芝が進めてきた《HD-DVD》は、構造的に大容量化の限界値が低いということ、またゲーム機との抱き合わせに欠点がある〜〜 と、いうことのようです。
ともあれ、一本化されたというのとは映像作家にとってもそれはそれで歓迎すべきことだと思っています。
かつての《VHSとベータ》(消費者にとって)迷惑戦争〜〜、更に世界規模での《NTSC》と《PAL》の規格バトル〜〜 こちらの方は今でも映像作家にとっては頭痛の種となっています。
《NTSC》は、アメリカの"National Television Standards Committee"によって、アナログテレビジョン方式の規格として制定され、この規格はアメリカだけでなく、日本、台湾、韓国、フィリピン、中南米諸国で採用されています。
一方の《PAL》は、"Phase Alternating Line"の略称〜〜 こちらは(かつての)西ドイツで開発されたアナログ・カラーテレビ放送の規格で、ヨーロッパとアセアンや中東諸国の大部分、更にブラジルやオーストラリアなどで採用されています。

つまり、我々が撮ったビデオ作品(テープでも、DVDでも)は、アメリカや韓国ではそのまま上映出来ますが、ヨーロッパやオーストラリアなどでは上映が出来ないのです。

今では、殆どの国際映画祭に《NTSC》と《PAL》の映写装置が備わっており問題が少なくなりましたが、かつてはヨーロッパの映画祭にビデオ作品を出品する時には、《NTSC》から《PAL》に変換しなければいけなかったのです。
が、その変換はIMAGICAなどの専門業者の手を借りなければ無理だったので経費は膨大な額となり、出品を断念した作家も多かったと思います。

そこで、この《Blu-ray》によって全世界の《DVD規格》が統一されるとなると嬉しいのですが、どうなるのでしょうかね :−!?!?!?!?!?!?!
たとえ統一されたにしてもそれが果たして何時まで続くのかということ〜〜 これもまた一時の《停戦》であって、企業戦士たちはその《Blu-ray》をパーフェクトな状態にする前に、またぞろ全く別の規格を打ち立てるような気がしてなりません :−!!!!!!!!!!!!!!!

そんな、こんなで、拙作の《DVD(5枚セット)ボックス・限定発売》の計画も、今ちょっと悩んでいるところなのです :−!!!!!!!!!!!!!!!

ちなみに、これまでのぼくの自主作品のビデオは、『無人列島』と『GOOD−BYE』の2本だけ〜〜 発売されて20年が経ちますがまだまだ元気で、インターネットの中古販売やヤフー・オークションなどに時々顔を出し、かなりの額で取引されているようです。
また、「微笑う銀河系」三部作の掉尾を飾る『王国』にも(ビデオ化の)話がありましたが、これは契約上の問題などで実現しませんでした。が、それだからこそでしょうか、、、、、ウェブ・サーフィンをしていると<こんな頁>に遭遇しました :−)))))))))))

著作の方は「微笑(わら)う銀河系」(れんが書房新社 1981年発売)の一冊だけですが、2000部が完売となって現在は《「日本の古本屋」http://www.kosho.or.jp に登録のあった書籍》として取扱われているようで、こちらもオークションや古書販売に顔を出し、それなりの値段で取引されています。
また、国会図書館に勤務する友人からの情報ですと、現在も時々「微笑う銀河系」の<利用者>がいるそうなので、とても嬉しく思っております :−)))))))))))

映像作品にせよ
著作にせよ
それらは作者にとっては子供のような存在ですから
何時までも
何時までも
生きていて貰いたいのです :−)))))))))))

              
『無人列島』 パラマウント ビデオ社 GOOD−BYE』 パラマウント ビデオ社 「微笑う銀河系」れんが書房新社
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