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bP60 2007.12.26 沖縄で、素晴らしき〈カヤック体験〉 :-))))))))))

先日妻と沖縄に、4泊5日の小旅行に行って来ました。
沖縄は初めてだったのでとても新鮮でしたが、特に本土との植生の違いに改めて吃驚〜〜 その殆どはこれまでに馴染みのなかった植物だったからです。
〜〜 が、それもその筈、師走だとというのに連日(気温が)20度を超えていたのですから .....!!!!!!!
さて、傍から見ると暢気なように見えるかも知れませんが、それでもやはりストレスは溜りますので、数ヶ月に一度ぐらいは旅に出たくなります。
その旅先が出来るだけ〈日常〉からかけ離れてた所だと好奇心を掻き立てられ、あらゆるものに興味津々〜〜 〈実験人生〉を標榜し、〈日々革命〉を目指しているぼくにとって、自然と生気が漲ってくるのです:-))))))))
しかし、今度の旅が初めての沖縄だったということもあって、観光地として良く知られた所にも足を運びました。
沖縄本島では、
世界最大級の水族館・〈沖縄美ら海(ちゅらうみ)水族館〉。世界遺産の〈今帰仁城跡(なきじんじょうあと)〉〜〜琉球王朝が統一される以前、北部を支配していた北山王の城跡です。そしてご存知〈首里城公園〉〜〜 琉球王国の栄華を伝える首里城と、世界遺産・国指定重要文化財になっている琉球王たちの墓・〈玉陵(たまうどうん)〉などを見学しました。
そして、そして、、、、、
那覇市・平和通りの長いアーケードを南に抜けた所にある〈壺屋〉〜〜 ここは琉球国府の政策によって焼物の生産地となった場所で、焼物博物館の近くに残る登り窯などが陶芸の里の〈黄金時代〉を今に語りかけてきます :-))))))))
国重要文化財指定の新垣家 魔除けのシーサー ’74年まで使われていた新垣家の〈登り窯〉
1682年に琉球本島内にあった三つの窯場が統合され、ここに焼物の生産地・〈壺屋〉が誕生〜〜 写真にある新垣(あらかき)家もその頃ここに移住してきたということです。
新垣家の敷地内には〈東ヌ窯(アガリヌカマ)〉と呼ばれる登り窯があり、(琉球王府からのご拝領窯だったといわれ)当時は献上用などの椀や茶器、酒器など〈上焼(じょうやち)〉といわれる方法で焼かれていました。
また一方庶民の生活に欠かせない壷や甕、徳利などは〈荒焼(あらやち)〉〜〜 生地土をそのまま焼き締めたもので茶褐色の地肌でした。
明治に入ると、実用の美を追求する陶芸家・濱田庄司が訪れます。
彼はここ〈壺屋〉に惹かれ、柳 宗悦、河井寛次郎などと度々訪れるようになり、やがて英国の陶芸家・バーナード・リーチもきて、彼は濱田と共にここの工房に滞在し、作陶していたのでした :-))))))))
これ等〈民芸運動〉の中核をなす面々が愛した〈壺屋〉〜〜 しかし、戦後の復興と共に周辺には人口が密集し始め、遂に’60年代に入るとその新住民から登り窯から立ち昇る煙が〈公害〉として訴えられるようになり、その都市化の波に押されて一部の陶工は郊外へ移住、残った陶工たちもガス釜や灯油釜へ転換してゆきました。
その製陶所や陶器販売店が軒を連ねるメインストリートからちょっと脇道に入ると、〈陶芸の体験工房〉の看板が目に入りました。
早速、手先の器用な智女が壁掛け型の〈シーサー〉にチャレンジします。
道路の突き当りなどにある〈石敢當(セキカントウ) 路地を入ると〈陶芸の体験工房〉 〈シーサー〉に挑戦する智女

沖縄本島から更に西南に位置する〈八重山諸島〉〜〜 ここではその玄関口である〈石垣島〉と、昔ながらの街並みを留める〈竹富島〉、そして亜熱帯の自然がいっぱいの〈西表島〉を訪ねました。
その〈西表島〉では我が国最南端の温泉ホテルに泊まり、牛車での“渡し”で知られる〈由布島(ゆふじま)〉などにも行きましたが、何といっても仲間川での〈カヤック体験〉がこの旅のクライマックス :-)))))))))))))))
智女が申し込んでいたのは西表島のアウトドア・ガイドの老舗〈南風見(ハイミ)ぱぴよん〉〜〜 その日の参加者はぼく達と遥か北海道からきたという角本さんのカップルで、先生はぱぴよんのオーナー・山元さんでした。
山元さんが自ら製造したカヤックで 陸に上がって昼食! サキシマスオウノキ(国の天然記念物)の前で

ぼく達は共に全くの初心者でしたので不安でしたが、山元さんの指導は適切で無駄がないため直ぐにパドル(櫂)の使い方が身につきました。
そして、両岸に我国最大のマングローブが生茂る仲間川を、自然観察しながら上流へと向かいます〜〜 と、山元さんが岸辺でダイサギと一緒に餌をついばむクロツラヘラサギを発見 :-!!!!!))))))
十五年ほど前に、家の近くの淺川でクロツラヘラサギの番(つがい)を見つけて興奮したこともありましたが、それは多摩動物園から逃げ出したものだと判ってがっかり〜〜 こちらは本物の〈冬の渡り鳥〉です :-!!!!!))))))
陸に上がってじっとしていると、無数の小さい蟹が穴から這い出してきて盛んにその大きな鋏を上下に振ります〜〜 スナガニ科のシオマネキです。
また、マングローブの林の中には珍しい樹木がありました〜〜 アオギリ科のサキシマスオウノキで、その板根(ばんこん)と呼ばれる根の形はまるで衝立か屏風でもあるかのようです。
ともあれ、
その大自然の仲間川を
71歳のぼくが7キロも遡江し
また逆風に逆らって折り返し7キロ〜〜 無事に帰港できました :-)))))))
これも山元さんのご指導のお陰ですが
この体験はぼくの心身に〈自信〉を与えたことは確かで、大変感謝しております :-))))))))))
天国の父母、並びに地上の縁者の皆様方へ
クリスマス・イブの24日で
ぼく達夫婦は結婚して丁度十年になりました
実験人生はまだまだ続きますので
今後とも
何卒宜しくお願い致します

bP59 2007.12.4  幾つかの上映会での〈邂逅〉と、居田さんからのメール

スペース neo での上映会が無事に終わってほっとしたところです。
先ずはご高覧頂きました皆様方に心から御礼申し上げます。
さて、年をとったせいか街に出るのが億劫になり、我ながら困っているところです。(笑)
しかし、他人の作品を見ないと自分の作品も見てもらえないので、期待出来そうな上映会には足を運ぶようにしております〜〜 が、実は〈上映会〉の出合いは作品とだけではなく、そこには思いがけない人との出会いがあって、大切な〈交流や情報交換〉の場にもなっているのです。
波多野哲郎氏の初監督作品・『サルサとチャンプルー』をアテネフランセ文化センターに見に行った時のこと、イメージフォーラム10期生の青原さとしさんから声を掛けられました。彼は『土徳』という力作ドキュメンタリーを発表した後は広島を拠点にして活動を展開しているのですが、波多野作品に登場した人物をキューバで取材するためにこの作品を見に来ていたのだそうです。
それはともあれ、その時に手渡されたのが「ヒロシマ平和映画祭」のカタログで、何と彼がその映画祭の実行委員会代表だと分かって吃驚〜〜 とても嬉しく思いました :-)))))
かわなかのぶひろ氏の高円寺ライブハウス<前衛派珈琲処Matching Mole>での〈好評シリーズ第二弾!〉を見に行った時には、映像作家であり研究者でもあるという御仁から予期せぬお言葉を頂戴しました。
それは、「気になる作家名や作品名をweb サーフィンしていくと、必ずといってよいほど金井さんのHP〈映像万華〉に辿り着く」〜〜 ということでした :-!!!!!
でもこの頃は、一寸アップロードを怠っていましたから、この言葉を心に刻んでもう少し頑張ろうと思います。
金子雅和氏の映像個展〈金子川水難奇譚〉の『すみれ人形』をイメージフォーラム・シネマテークに見に行った時には、『眠り姫』『ホッテントットエプロン− スケッチ』の監督・七里 圭氏から声を掛けられました。
1991年の1月、『時が乱吹く』の中野武蔵野ホールのレイト・ロードショー上映を見てくれて、その楽日の打ち上げにも参加したという七里さん〜〜 現在公開中の二作を何としても見ておかねばと思っております :-!!!!!
そして、 我が〈英語版での金井 勝 回顧展〜 オーバーハウゼンからの凱旋 〜〉です!
今年の五月には、第53回オーバーハウゼン国際短編映画祭での〈回顧展〉と、ケルンにある日本文化会館での〈金井 勝・映画個展〉があり、そのこともあって既に『無人列島』『GOOD−BYE』『時が乱吹く』『聖なる劇場』そして『スーパードキュメンタリー 前衛仙術』の中篇&短編には英語字幕のmini-DVが完成していましたが、唯一長編である『王国』だけには英語版はなかったので、その英語版を作成〜〜 全作品英語字幕のmini-DV上映となったという次第です。
観客の中には、遥々名古屋から来られたイケメンのカップルもおり、彼等は何と二年続けてのご高覧ですから心底嬉しくなります :-))))))))))
また、山形からはイメージフォーラム1期生(和田辛子さん)の息子だという学生さんが来てくれました!
「お母さんから見てきなさい」といわれたそうですが、親子二代に渡って見られた〈微笑う銀河系・三部作〉〜〜 その映画の魂も、さぞかし喜んでいると思います :-)))))))))))
また、
あの居田伊佐雄氏が来てくれたことも予想外で、感激しました :-))))))))))
居田さんは日本の構造映画の泰斗であり、特に『マリリン・マグダリーン』『オランダ人の写真』は忘れることが出来ない傑作で、今も多くの人たちから慕われている御仁です。
その居田氏から、メールを頂きましたので、ここに掲載させてもらいます。

ひさしぶりに『GOOD-BYE』と『王国』を拝見しまして、時間が経つほどに古酒のように熟成する映画だと思いました。
氾濫する映像に浸りきっている今時の観客は、寓意の塊のような難しさに反発したりせず、表現のとぼけた味わいを楽しむことから作品の本質に入っていくことだろうと思います。

40年前の日本は異国のように神秘的に見えますし、そこに蠢くむささび童子ら格別な味の風貌の役者陣を見ていると、ラーメン屋やスリ集団のある神話の世界にキャメラが持ち込まれたかのような面白さを覚えます。

時代に密着した表現であったものが作品を発酵させ、作品の味を濃くし、発表当時よりもいっそう魅力的で普遍性のある映像になったのだと思います。

私は昼飯を食べに近所のうどん屋にときどき歩いて行くのですが、そのたびに、『GOOD-BYE』の主人公がラーメン屋に向かう道すがら「うふふん」と媚も露わに微笑んでくれる女と必ずすれ違う、という場面を思い出して笑ってしまいます。

あのような女人に前方から歩いてきてもらいたいと思うのですが、近所ですれ違うのは無表情な犬と猫ばかりです。

居田伊佐雄


bP58 2007.10.4  オーバーハウゼン国際短編映画祭で《金井 勝の回顧展= Profiles》・・・其のV

晴天が続き、作物への影響などが心配され始めましたが〜〜 5月7日、目覚めると小雨が降っていました。
ドイツの農民にとっては恵みの雨〜〜 しかし、ぼくの作品の上映は《プログラム・1》が7日の午後10時30分から、《プログラム・2》が翌8日の12時30分からなので、ちょっと心配になってきました。
麗らかな
オーバーハウゼンの街の佇まい
7日の朝方から降り始めた雨は
小雨から時としてかなりの雨量となり、以後それが繰り返されました

さて、今回は《回顧展= Profils》で招待されたということもあって、他の《Profils》の作品が気になります。
その顔ぶれは、Marjoleine Boonstra、Guy Ben- NerKen Kobland、Kanai Katsu〜〜 の4名で、正直にいって《インターナショナル・コンペ》の作品と比べてもかなりレベルの高いものでした。
が、それもその筈〜〜 みなオーバーハウゼン(などで)の受賞者たちであり、更にその受賞者たちの中から選ばれた人たちの作品ですから当然といえば当然ですね。
先ずオランダの女流監督・ブーンストラ(=Marjoleine Boonstra)氏〜〜 難民収容所を扱ったドキュメンタリー作品・『Britanya』(’03)は既に《第50回・オーバーハウゼン映画祭》の時にぼくも見ており、確かThe Ecumenical Jyry Awardという賞を受賞しています。
ブーンストラ女史の《Profils》は1プログラム・6作品〜〜 彼女は幅のある作家でドキュメンタリー、シリアスなドラマ、ユーモラスなロード・ムービー そしてその中に5分ほどの《構造映画》もありました。
学生時代に作ったという
『Reality-Surreality』(’83)がそれで、古風な建物の中を絶えず形を変えながら動く《影》があり、何故か人の心を惹きつけて離さない不思議な力をそこに感じました。
その昔、「作家の才能は処女作に既に顕れている」〜〜 というのを何かで読んだような気がしますが、その優れた映像センスは《ジャンル》を超えて彼女の全作品のなかで活き活きと輝いていました。
イスラエルの、鬼才にして奇才〜〜 更に《機才》ともいえるのがベル‐ネル(=Guy Ben- Ner氏〜〜 《第51回・オーバーハウゼン》で『Wild Boy』(’04)という作品で受賞しています。
そんな彼の《Profils》も1プログラム・ 5作品〜〜 出演者は作者自身と、幼い娘と息子、そして奥さんも出てくるホーム・ムービー 〜〜 だがしかし、それは抱腹絶倒の正に革命的な《ホーム・ムービー》だったのです:=))))))))))))
最初に登場した『Berkeley's Island』(’99)、デフォーの小説・「ロビンソン=クルーソー」をモデルにした作品で、台所の流し台の前に造られた砂の無人島がその舞台です。そのたたみ一畳ほどの小島にはただ1本の椰子の木があり、それに掴まりながら救助を待つのが彼〜〜 と、そこに可愛い女の子が這って現れ、この親子による無邪気なドラマがユーモラスに展開〜〜 《会場は爆笑》となりました :=))))))))))))
メルヴィルの小説から発想した『Moby Dick』(’00)という作品も、その台所を大海原に見立てた捕鯨物語〜〜 エイハブ船長を演じる父に無邪気に絡んでいたお嬢ちゃんでしたが、次の作品『House Hold』(’01)になると父とのコラボレーションに積極的ではなくなってきました。つまり、年齢を重ねるうちに段々と(出演するのが)恥ずかしくなって、お嬢ちゃんの出番はちょっとだけ〜〜 その分、お父さんは頑張らなければなりません〜〜!
さて、幾つかの偶然が重なり(どういう訳か台所にあった)檻に閉じ込められてしまった父ちゃん〜〜 と、次から次へと奇想天外なアイデアを繰り出しながら、遂に檻からの脱出に成功するのです :-!!!!!!!!!!
しかし、それだけでは《鬼才にして、奇才にして、機才》〜〜 と言う訳にはいきません!
観客の度肝を抜いたのは、ユニークな《消火ショー》〜〜 二つのバケツに新聞紙を入れて点火すると、彼は徐にペニスを取り出し、その先端にホークのようなものを充てがったかと思うと、勢い良く放尿したではありませんか :-!!!!!!!!!!
と、お見事〜〜 ほぼ等分(の量)に分かれた《尿》は、台所に二条の放物線を描きながらとび、目指すバケツに夫々が命中〜〜 瞬く間に燃え盛る火を消し止めたのです :-!!!!!!!!!!))))))))))
アメリカの、既にかなり名の知れれた映像作家・コ−ブランド(=Ken Kobland)氏〜〜 彼の《Profils》は2プログラム・8作品で、ぼくはそのうちの《プログラム‐1》だけを見ました。
『Frame』('76)は《構造映画》と呼べる作品で、海辺の風景を映したスクリーンの中にもうひとつの小さなスクリーンがあり、その外側の画像と内側の画像とで《自動車社会に於ける風景論》を講じようとしたのかも知れません。しかし、映画はスクリーンに映ったものが全てですので、多分彼の高邁な製作意図もこれでは(他者=観客に)伝わらないと思いました。
『Westibule』('78)もオプチカル・プリンタを使って作った《構造映画》で、作者のコメントだと自分が暮らす大都会のスペースについての思索だそうです。同じ画面に同じ裸の男のアクションを沢山重ねていって「思い出、幻想、気違いじみた絡み合い」を狙ったようでしたが、こちらはその映像に惹きつける力があり、とても良かったと思いました。
『Landscape and Desire』(’81)『The Shanghaied Text』('96)は、ともに作者が気になるアメリカの風景を記録したものだそうで、特に『The Shanghaied Text』の舞台はアメリカ北西部にあるモンタナ〜〜 殺風景な荒野にハリウッド・スターたちを組み込んで新しい《神話》を企んでいたようです。
《回顧展= Profils》のなかで、ぼくが一番気になっていた作家がこのコ−ブランドでしたので、正直にいって一寸物足りなさを感じました。
一緒に見ていたキュレィターからも不満の声が出ましたが、幾日かが経って、そのキュレィターの同じ口から別の言葉が返ってきました。ぼくが見逃した《プログラム・2》の中にコ−ブランドの《真骨頂》があったというのです―― !
最終日のロビーで上映を待つ
我が妻・智女(コサージュ・デザイナー)
上映後の〈トーク〉で
左からオラフ氏、金井、通訳のヤスイさん
※参考頁 <プロフィール&自作解題>   <英語版= English version>   <space neo での上映会情報>
さて、ぼく=金井 勝の《回顧展=Profils》〜〜 、   
2プログラム・5作品で、
5月7日の《プログラム‐1》は『時が乱吹く』、『聖なる劇場』、『スーパードキュメンタリー 前衛仙術』、翌8日の《プログラム‐2》は『無人列島』と『GOOD−BYE』です。(※ここが 短編映画祭ということで、残念ながら長編映画の『王国』は参加できませんでした。)
その《プログラム‐1》は、上映開始が夜の10時30分からで、その上に冷たい雨が降り続いていましたので心配でしたが、担当の司会者・オラフ(=Olaf Moeller)氏などの尽力もあって盛況〜〜 大いに感謝しています!
けれども、、、、、、
最初の作品・『時が乱吹く』で、何と出端を挫く《映写トラブル》が発生 :-!!!!!!!!!!
日本の上映会では問題が起こらなかった16ミリプリントでしたが、プロジェクターとの相性が悪かったのでしょう〜〜 何度も試みましたが結局は駄目でした :-!!!!!!!!!!
そこで急遽持ってきたDVに切り替えて上映〜〜 映画祭側としては《製作当時のままの上映で、プロンプタ−による同時通訳》が基本のようでしたが、その同時通訳では作品の中にある城之内元晴氏の《詩の量》の問題があり、英語字幕が入ったこの《DV上映》の方が安心できる上映なので 《塞翁(サイオウ)が馬》といったところです :-)))))))))))))))
続く2作品は最初からビデオ作品で、『聖なる劇場』は8ミリ・ビデオからデジタル・ビデオにしたものであり、『スーパードキュメンタリー 前衛仙術』は全ての作業がデジタル〜〜 そこには藤岡朝子さんの翻訳による《英語字幕》が入っており、更にDV-Cam と miniーDVとを持参しているので万全です。(笑)
先ず『聖なる劇場』ですが、これはぼくの作品の中でも最も地味な作品ですが、ケルンにある《日本文化会館》(= 5月中旬に《金井勝 映像個展》開催)から(この映画祭に)来てくれた清水優子女史は、これを最も高く評価する御仁です。
また『前衛仙術』は、《第50回オーバーハウゼン》で国際批評家連盟賞を受賞した作品であり、またそれがあったからこそこの《Profils》の一員に選ばれたのだと思います。
さてその《プログラム‐1》の反応ですが、
先ず『時が乱吹く』のトップシーンで、ボレックス( =16ミリのカメラ)から流れ出たフィルムがおでんの中に入り込むところで会場がどっと沸き、そこで生まれたスクリーンと観客との《素晴らしい関係》は、衰えることなく最後まで続き、『前衛仙術』のラスト・シーンでぼくの《別人・勝丸》が大空に羽ばたくと、拍手喝采〜〜 最高潮に達します :-!!!!!!!!!!)))))))))))))))
10時半から始まったこのプログラムでしたが、その最初の10分は《映写トラブル》〜〜 、『時が乱吹く』が62分で、『聖なる劇場』が29分、そして『前衛仙術』が33分で、上映が終わったのが翌日の1時近くになり、それからが《トーク&質問》となりました。
その《トーク》でぼくが力説たのは、『聖なる劇場』に特別出演している大和屋竺城之内元晴、そして佐藤重臣のことでした。
司会者のオラフ氏は既に大和屋のことも城之内のことも良く知っていましたが、重臣についての知識は皆無〜〜 そこで「世界の新しいアートを日本に紹介したのは重臣であり、若松孝二、大和屋、足立正生小川紳介などを発掘したのも彼で、60〜70年代の日本映画を語る時に欠かせない人物」〜〜だといいました。
そういった訳で、遥かなる独逸の空の下に、ヤマトヤ、ジョウノウチ、ジュウシンの名が飛び交っていたのです :-)))))))))))))))
《質問》の時間はもっともっと欲しかったのですが、その質問の中で最もぼくに勇気を与えてくれたのがアメリカから来たというぼくと同年輩の御仁〜〜 「みな大変に魅力的だ、これらの作品をニューヨーカーに見せるにはどうすれば良いのか?」と云う言葉だったのです:-!!!!!!!!!!)))))))))))))))
その全部が終了したのはもう2時近くなっていたと思います。
すると、《SAPPOROショートフェスト》の麻生栄一から声が掛かり、山田勇男さんや中沢あきさんたちと小雨が降る中を映画祭の《特設食堂》へと向かいます。
その道すがら麻生氏が絶賛したのはあの《観客の反応》、その《会場の盛り上り》で、映画祭の責任者らしい見方でした。
(笑)
その食堂で、笑顔をつくりながら近づいて来たのが前回の《そのU》でも触れたロシアの女流監督・ナターリア(=Natalia Pershina) 氏〜〜 彼女は先程見てきたばかりの作品に、「そのどれもが今までに見たことのない世界―― !」と言ってくれましたが、敢えて1本を選ぶとすると『時が乱吹く』だといいました。
更にぼくがトイレに行こうとすると、今度はアメリカのボストンから来たという青年が近づいてきて、「貴方の作品はグレート!貴方は映画の革命家だ!」といってくれました :-)))))))))))))))
そして、そして、このような時に、もっと英語が話せたらと心底から思ったという次第です :-!!!!!!!!!!!!!!!!!
さて、映画祭の最終日も雨となりました・・・・・!
この日の《プログラム‐2》は、『無人列島』(’69)と、『GOOD−BYE』(’71)の中篇 2本で構成されておりました。
既に『無人列島』の方は度々ヨーロッパで上映され、現に《第40回オーバーハウゼン》の《日本映画特集》でも上映されて「高い評価を得た」と聞いておりましたので少しは自信がありましたが、問題は『GOOD−BYE』〜〜 こちらは海外での公開は殆どありませんでしたし、30〜40年前の、それも遠く離れた極東の地の話でしたので不安がなかった訳ではありません :-??????????
しかし、上映の後の《トーク&質問》にも多くの方が残ってくれて、『GOOD−BYE』に於ける《表現の技法》の問題などが論じられ、こちらの危惧を払拭してくれました。
中でも 「その音の使い方が実にユニークで素晴らしい! サウンドについてどういう考えをお持ちですか?」と、訊いてきた御仁は、後でオラフ氏に聞いたところドイツの有名な映画監督だということでした :-)))))))))))))))
また、増村保造の研究者だ名乗り、《増村監督とぼくとの関係》を熱心に聴こうとする御仁も出現しました。彼の名はローセンバウム(=Jonathan Rosenbaum)氏といい、国際批評家連盟賞の審査員として来ていたのでしたが、後日アメリカ人の友人に訊いてみたところ、彼は(アメリカで)最も信頼されている評論家のひとりだということでした。
そして、
この《金井 勝の回顧展》で最も嬉しかったことは〜〜 オーバーハウゼン映画祭の前・ディレクター:アンゲラ・ハート(=Angela Haardt)さんとの再会であり、彼女に(上映された作品の)全てをご覧頂けたということです :-)))))))))))))))
ハートさんはその昔、城之内元晴の作品を見て「とても心を動かされた」そうです。そして《第40回》の準備で来日した時、「イメージ・フォーラムで『無人列島』を見て吃驚〜〜 みんなが他の作品を薦めてくれましたが私の心は動かなかった― !」と、彼女はいいました。
そして今回、突然に、城之内への追悼作品・『時が乱吹く』が現われ、城之内とぼくとの関係が浮彫りになったことで驚かれていたようでした :-)))))))))))))))
美味しい食事を頂きながら、
やはり気になったので伺ってみますと、暫らく考えた後に、「やっぱり、あの時代のものは違うね〜〜」ということでした。それはつまり、金井作品の最高峰は『無人列島』&『GOOD−BYE』だということです。
Chicago Readerの ジョナサン・ローセンバウム氏
そして ぼく(左)と、町口さん
アンゲラ・ハートさんが我々をディナーに招待 −))))))))
左からハートさん、山田監督、智女、町口さん、ヤスイさんと金井
ぼくと妻は
オーバーハウゼン映画祭の後
ケルンにある《日本文化会館》で上映と講演を行い
一路ベルリンへ― !
昨年のトルコ旅行で気になっていた
古代都市・ベルガモンの発掘物が展示されているという
ベルガモン博物館を
確とこの眼で見ておきたかったのです:-)))))))))))))))
〜 完 〜

bP57 2007.7.31  オーバーハウゼン国際短編映画祭で《金井 勝の回顧展= Profiles》・・・其のU
ベルギーとオランダを旅してオーバーハウゼンに入りましたが、その間ずっと晴天が続き、これまでに味わったことのないような爽やかさを全身で浴びました :-))))))))))
来る日も来る日も雲ひとつない青空に、来る日も来る日も現れるのが飛行機雲〜〜 驚くべきはその数の多さで、紺碧の空をキャンバスにして、飛行機たちは《白》の絵筆を縦横無尽に走らせます。
ヨーロッパの空には飛行機雲がいっぱい〜〜
この画面の中にも4つ見られます :-
!!!!!)))))
偶然か?必然か?第50回と同じ顔触れ
左からドイツ滞在のキュレィター・町口さん、映画研究者・オラフ氏、
SAPPOROショートフェストの麻生氏、そして山田監督とぼく
その空を見上げていると、昨年の秋に新橋のビクター・ビルで観た中沢あきさん(前出のドイツ滞在の映像作家)のビデオ作品・『願いをひく / Drawing wishes』がそこに重なってきました。
それは彼女が(日本の)友人と国際電話をしていると、大きなガラス窓を通して見える青空に飛行機雲が現われ、段々と数を増して、やがて超現実的な感覚へと発展してゆく短編〜〜 ドイツに来て、その異常ともいえる飛行機雲の多さに《創作意欲》を掻き立てられて産み落とした、とてもユニークな《傑作》です。
この『願いをひく』は、今年になってドイツの短編映画祭で受賞した後、ポーランドのメディア・アート・フェスティバルではグランプリを獲得〜〜 更にベルリン国際映画祭やトルコのアンカラ国際映画祭などで《正式招待》作品となっています:-!!!!!!!!!!
彼女には(今回もそうですが)、第50回の時にもお世話になっており、ぼくにとって掛替えのない友人ですので心底から喜んでおります:-))))))))))
さて今回のオープニング・セレモニーですが、郊外に聳え立つ(元・ガス工場だったという)円筒形のあの巨大ホールではなかったのが些か残念でしたが〜〜 まぁ、あの時は記念すべき50回だったので特別だったのかも知れませんね。
今年は映画祭3会場の中で1番大きなLichtburgで行なわれ、映画祭ディレクターのガス氏(Dr.Lars Henric Gass)などの挨拶の後に5本の作品が上映されました。
それ等は流石に《オープニング上映作品》だけあってみな魅力的でしたが、特にロシアのHerzFrank監督作品・『Ten Minutes Older』(’78年度作品)〜〜 これは《35ミリのノーカット10分映画》で、衝撃を受けました。
それは劇場の一隅に3歳児たちを招いて撮影〜〜 生まれて始めて観る舞台のパフォーマンス(その舞台も音声もないので、それがどういうものだったか不明〜〜)に反応するその子供たちの《表情だけ》を捉えてゆくという、前代未聞の実験的なドキュメンタリーだったのです!
ある瞬間は喜び、次の瞬間は不安になり、そして惹き付けられてゆくその表情の変化〜〜 作者のコメントには、「彼(中心となった子供)の顔は人生で予想される全てを反映しているようだ〜〜」とありましたが、ともあれ子供たちの顔から顔へとわたりゆくカメラが実に見事で、そのモノクロームの《黒の締り》は絶品〜〜 もう日本では不可能だと思えるほどの《現像力》でした:-))))))))))
日本人作家の今年のノミネート作品は、インターナショナル・コンペティションに山田勇男さんの『Fragility』島田清夏さんの『はる』の2作、他に《チルドレン&ユース・コンペティション》で、ハシモト ダイスケさんと、エチゴヤ ミユキさん、ミヤハラ ユウコさんの作品がノミネートされていました。(この後者の作家たちとは会えませんでしたので、3名とも映画祭には来ていなかったのかも知れません)
山田さんのそのタイトル= 『Fragility (=フラジリティ)』とは、〈こわれやすさ、もろさ〉とかいう意味だそうで、セラー服に身を包んだ中性的な少年が、何かを探し求めているかのように人気のない街を彷徨〜〜 その少年の顔に時々ダブって挿入される花火の《か細い火の筋》が 山田さんならではの世界を鮮明に《表出》させておりました。
島田さんの『はる』とは祖母の名前であり、その百歳に近い祖母の日常の《努力》と、その《息遣い》とを綴った作品〜〜 両作品共に日本人ならではの《映像世界》があり、それが高い評価に繋がっていたようです。
この《インターナショナル・コンペ》は、全世界から寄せられた数千作の中から選ばれた強(したた)かな64本だけに、夫々がみな《強い個性の持主》〜〜 そこでその幾つかを紹介させて頂きます。
グランプリを受賞したのは、ロシアのPavel Medvedev『On the Third Planet from the Sun』〜〜 これは「太陽からの第3番目の惑星で」〜〜 ということですので水星−金星−地球〜〜つまり《地球上でのこと》を指しています。
シベリヤのツンドラ地帯でロケットの残骸を回収している(数人による)作業風景から始まりますが、それは《水素爆弾》の実験から45年が経った後の作業だそうで、当然そこには人間のそして国家の《愚かさ》が無言の中に炙り出されてきます。
さて問題は、その黙々と進められる作業風景に、旅をする《民間人の一団》が並行する形で入り込んできたことです。襲い掛かってくる蚊の襲撃を避けながら旅をする彼らがどのような集団であり、この作品の中で何故それが必要なのか〜〜 残念ながらぼくには理解出来ませんでしたが、或いはそれは歴史上の、または宗教上の問題と絡んでいるのかも知れませんね・・・・・ ?
ベトナムのHa Phong Nguyen監督作品・『The Tettace Die Terrasse』〜〜 これも受賞作のひとつとなりましたが、心に染みる作品でした。
その登場人物は、老人とその息子だけ〜〜 屋根に上ってテレビ・アンテナの《方向調整》を行なっている息子が、ベランダにいる父親に向かって(居間にあるテレビの)画像の映り具合を聞きだそうとしますが、父親は亡妻が残した《息子が子供だった頃の日記》に集中していて「あの鳥は何ていう鳥?」を繰り返しています。
近くの庭木に現れたのは鸚鵡でしたが、その日記の中でも幼い時の息子が「あの鳥は何という鳥?」と何度も繰り返して訊いていたとありました〜〜 。
この時を超えた《鸚鵡》の使い方に作家の力量を感じましたし、更に夢うつつの中で椅子から転げ落ちたのでしょう、床に息絶えた老父の姿を捉えるラスト・シーンは秀逸でした :-!!!!!)))))
イギリスのDaniel Mulloyの作品・『Dad』〜〜 これも受賞作のひとつに入っていたと思いますが、今までにぼくが観たことのない驚くべき作品でした。
どう見ても共に70〜 80歳だろうと思える老夫婦のセックス・シーンからそれは始まりましたが、隣の部屋からこの様子を伺っていたのが、何と頭の禿げた40〜50歳の息子だったのです :-!!!!!!!!!!!!!
それとは対照的な作品が、ロシアのVictor Alimpiev監督作品・『My Breath』〜〜 これは全編ふたりの少女のデュエットだけの作品でしたが、その透明感のある音声と、その清潔感に溢れた容貌に思わず妄想―― 彼女たちの吐く息は勿論のこと、その《内臓》でさえも美しいに違いないと思えてくるほど、優美なアップ・サイズのみの映像でした :-))))))))))
第50回の時には殆ど目に留まらなかったロシア作品が、今回は頗る《活発》でした!
Natalia PershinaOlga Egorova による『Scarlet Sails』もそのひとつで、これはロシア革命当時の逸話を題材にしたフィクション〜〜 数名の若い女工たちがミシンを使って布(= 帆)を縫っていると、そこに逞しいお母さんたちが現れてその布の奪い合いとなりました!
その激しい女たちの闘いの後で勝利したお母さんたちは(奪い取った)その布を抱えて海へと向かいます。
「若者たちよ、我々は奇跡を信じなければいけない!」〜〜 お母さんたちがそう叫ぶと、それまでモノクロだった画面に、突如その布の部分だけが緋色(スカーレット)に変ったではありませんか――!
これは1921年に水夫の反乱があったクロンシュタットに残る(昔の)製帆工場で撮影したのだそうで、作者のコメントには「その反乱を残酷に制圧したのはボリシェビギだった」とありました。(このNataliaz監督とは後日、映画祭の食堂で偶然に会って親しくなりましたが、そのことは次回で触れることに致します)
さて、映画祭にはこの《インターナショナル・コンペ》の他に、《ジャーマン・コンペ》、《チルドレン&ユース・コンペ》、そしてぼくたちの《回顧展=Profiles》など幾つもの部門ありますが、昨年度からは更に《Profile:NRW  (North Rhine-Westphalia)》が設けられました。
前回でも触れたカースチン(Carsten Spicher)氏の司会で始まった《Profile:NRW 》〜〜 そのトップ・バッターはドイツ・実験映画のエース:ヤン(Jan Verbeek)監督の 『Osmotic』でした。
それは(韓国の)大きな駐車場への入口で、長いコートに身を包んだ長身の若い係員が、その長い腕をリズミカルに振りながら次々と乗用車を誘導してゆくワン・ショット・ビデオ〜〜 その青年の身振りは、恰もダンスでも踊っているかのようにしなやかで、日常の中に《超日常》を感じさせます。
第50回の時の《インターナショナル・コンペ》で上映されたヤン氏の『On a Wednesday Night in Tokyo』の舞台は(タイトルにあるように)東京―― 。
カメラが(地下鉄の)始発電車の乗車口を捉えると、そこに徐々に人々がやってきます。日本の都会人なら誰もが体験したことのあるそれは《鮨詰め電車》で、最後には例によって駅員の後押しでドアが閉まり発車となりました〜〜 ヤン氏はその光景をワン・ショットで撮っていますが、これもオーバーハウゼンでは大変に《反応》がありました。
彼はこのような東洋人の《摩訶不思議な日常》に興味があるようですが、こうした《アジアのワン・ショット・ビデオ》が7〜8本合わさって一本の作品になった時〜〜 ぼくには、かつてない《決定的な作品》の誕生が予感できます :-))))))))))
《Profile:NRW 》の上映会場で
『Osmotic』のヤン監督と司会のカースチン氏
映画祭の食堂で
左からヤン氏と、談笑する中沢あき、山田勇男の両監督
次回はいよいよ《回顧展= Profils》です!
Ken Kobland (アメリカ)
Marjoleine Boonstra (オランダ)
Guy Ben- Ner (イスラエル)

そして
金井 勝の2プログラム
その《反響》などを掲載致しますので、どうぞ宜しく :-))))))))))

bP56 2007.6.26  オーバーハウゼン国際短編映画祭で《金井 勝の回顧展= Profiles》・・・其のT

53年の歴史を持つ名門・オーバーハウゼン国際短編映画祭〜〜 その《回顧展=Profiles》 四人衆のひとりに選ばれ、長編作品の『王国』を除く全作品を抱えて行ってきました。
また、その《回顧展》の繋がりで(隣の大都市)ケルンにある《日本文化会館》でもレクチャーと3日間にわたる上映会が開催〜〜 それらのことは、これからのぼくにとって大きな収穫となりました―― 感謝 !:‐))))))))))
映画祭の開会式を前にした
オーバーハウゼンの街
ケルンにある《日本文化会館》
            〜〜 左のドアにチラシが見えます
そもそもの始まりは、去年の秋口にドイツ滞在の映像作家・中沢あきさんからきた一通のメールでした。
それは、「〜〜 実はオーバーハウゼン映画祭から金井さんへの伝言を預かっております。映画祭事務局が、次回の映画祭の為に金井さんのプロフィールを頂きたいということで〜〜」というものだったのです。
映画祭事務局としては、そこのデータベースにあるぼくの《電話&FAX番号》に掛けたり、《メール・アドレス》にアクセスしたりしたそうですが、それらの全てが駄目だったので、中沢さんへ連絡がいったということのようです。
《電話&FAX番号》に関しては、向こうの掛け方のミスだったと思いますが、《メール・アドレス》については心当たりがありました。
HPにアドレスを載せていた関係で、3年ぐらい前から迷惑メールが急増して1日あたり百通以上〜〜 ちょっと旅行などで家を空けてると、何とその数、千通を超えてしまうという有様・・・・・!(笑)
そこでプロバイダーの《迷惑メールフィルター》で濾過し、更にぼく自身も《送信者を禁止する》で懸命の防衛〜〜 その甲斐あって迷惑メールは激減しました................ が、その副作用としてこうした大切なメールがカットされていたんですね・・・・:)−!!!!!!!!!!
ともあれ、手元にあった簡単な《プロフィール》を中沢さん経由で送りましたが、この時点ではそのことが何を意味しているのか全く分かりませんでした。
そんな訳でオーバーハウゼンのことは日々に薄れてゆきましたが、それに代わって気掛かりになってきたのが《メール・アドレス》の件です。
このまま放って置くわけにもいきませんので、プロバイダーと相談をして新しいアドレスを増設〜〜 そのことを一応映画祭当局には知らせておきました。
が、1週間ばかり経ったある日、そのニュー・アドレスに映画祭・ディレクター Lars Henric Gass 氏から《回顧展》の依頼状が舞い込んできたという次第です ―:!!!!!)))))))))))
ぼく自身、やはり何かを感じていたのでしょうか〜〜 その少し前から(50年振りに)英語の勉強を始めていたし、ぼくの全作品の《英語版》DVDの作製も考えていて、その時既に(山形国際ドキュメンタリー映画祭・キュレィターの)藤岡朝子さんに翻訳をお願いしていたのです。
一方、オーバーハウゼン映画祭でのぼくの担当はOlaf Moeller氏〜〜 その彼と最初に会ったのは『スーパードキュメンタリー 前衛仙術』がメイン・コンペにノミネートされた第50回映画祭の時でした。
彼は日本映画に精通した研究者で、その時は山田勇男監督の《回顧展》を担当〜〜 その巨きな体躯を揺らしながら山田シネマへの熱い思いを語っていたのが印象的でした。
さて、4月27日〜〜 遂に出発の時が来ました。
オーバーハウゼン映画祭の《難点》はその会期が日本の《ゴールデン・ウイーク》と重なるところで、ご存知のようにその時期の航空運賃はべらぼうに高いのです :−!!!!!
そこで妻と相談〜〜 今年度の映画祭は5月3日から8日まででしたが、安いチケットを取って貰って早めに出発したという訳です。
航空会社はKLMオランダ航空―― 。
アムステルダムで乗り換えて、ドイツのジュッセルドルフへ向けて11:00 pmに出発〜〜 という筈だったのですが、50分の遅れのテーク・オフとなり、ぼくの心は穏やかではありません〜〜 !
〜〜 というのは、映画祭で上映するフィルム&ビデオを「機内手荷物で持っていく」と(映画祭)事務局に申し出たところ、メイン・スタッフのひとり Carsten Spicher氏が、「それなら空港にフィルムを受け取りに行く」〜〜 と言ってきてくれていたのです。
不安を抱えたまま深夜の空港に降り立つと・・・・・ 人懐こい顔の中年男が手を振りながら近づいてきました。勿論それがカースチン氏(=Carsten)であります :-))))))))))
彼の人柄のお陰でぼくたちは直ぐに打ち解け、彼の車で妻がインターネットで予約したホテルへと向かいます〜〜 が、それが目立たない小さなホテルだったので見つけ出すのにひどく手間取り、(ホテルに)いたのは2時を回っていました。
ともあれ、そのホテルで彼から手渡されたのが刷り上ったばかりだという映画祭の《カタログ》〜〜 彼はその頁を捲りながら、「オラフ(=Olaf)が頑張った―― !」と、やや興奮気味な表情で言いました。
「Funky ! Funky ! Avant-Gard Magic = Total Eiga Geijutsu. Thank You」〜〜と、のりのりの見出しで始まるその(ぼくに関する)文章は、何と7頁に渡って記載されていたのです ― :))))))))))
第53回 オーバーハウゼン映画祭の
《カタログ》の表紙
《カタログ》の
《回顧展四人衆》の章の中から
ぼくに関する最後の頁
photo- Enari Tsuneo
ジュッセルドルフで1泊した後
ぼくたちはベルギーとオランダの美術館を巡って
5月3日にオーバーハウゼンに入ります。

次回はいよいよ映画祭の《本番》!
そこで観た様々な作品と、そこで出会った人たち〜〜
作家、スタッフ、批評家、研究者たちを綴ってゆきますので、宜しく―― !

bP55 2007.4.25  嗚呼、なんと香しい身の周りの四月よ・・・・・ !

もう、四月も半ばを過ぎました。
極度の暑さと寒さが断続的にやってくるこの〈異常気象〉の中でも、我が家の花々たちは健気に咲き競って、辺りに芳香を振りまいて、生活の中に潤いを与えてくれています。
庭の一隅 石楠花 牡丹 羽衣(ジャスミン)

さて、英会話を始めてからもう半年が経ちました。
ぼくは割りとのめり込むタイプなので週に1度の〈半年間レッスン〉を欠席なしで全うし、四月からはワンステップ上の〈半年間レッスン〉を受講しています。
とはいっても、〈人生七十古来稀なる年齢の〉70歳からのスタートですから、正直なところまだ余り威張れたほどの成果はあがっておりません〜〜 (残念、、、とほほ、、、 :- !!!!!!!!!!!!!!!! )
しかし、日々〈自己変革〉を目指すぼくにとっては、
未知なる自分を発見し、更にそれをスムーズに〈展開〉させていくにはやはり世界に通じる〈言葉〉が必要で、それがこの上なく大きな〈武器〉になるだろうと思うようになったのです―― !(笑)
ぼくは大映東京撮影所の技術部撮影課からスタートしましたが、押し並べて技術者はみな寡黙でした。
当時のカラー・フィルムは感度が低く、(スタジオの)ライトは図体ばかり大きくても肝心の光量は少なかったのですが、逆にそれがカメラマンと助手たちの腕の見せ所〜〜 スクリーンに映ったものが全てで、一切〈言訳〉は出来ない世界でしたからみな口数が少なく、〈お喋り屋さん〉はいなかったのだと思います。
その由緒ある〈寡黙〉の伝統を守ってきたぼくですが、〈無口〉では英会話を進める上で〈弊害〉となることに気がつきました〜〜 !(笑)
そこで〈カナイ大革命〉を断行〜〜 〈お喋り屋さん〉に変身したという次第です――!(笑)
その〈変身〉が功を奏したのか、その英会話の〈レッスン〉においても力が抜けてリラックス〜〜 その〈気楽さ〉があれば〈持続〉もそう難しいことではありません。
更に図に乗って法螺を吹かせてもらえるならば、3ヶ月くらいのホームステイを1〜2度繰り返えせば、〈ネイティブ英語〉にもそこそこ対応出来るようになるのではと考えている今日この頃なのです〜〜 :-)))))))))))))))))))))))))
ぼくの〈口数〉も増えましたが、我が街もすっかり様変わりしました :-)))))))))))))))))))))))))
この〈変化〉が長いスパーンで考えた場合、贅沢すぎるような気がして、果たして〈正解〉となるのかどうかは分かりません〜〜 が、ともあれ、下の写真を篤とご覧あれ―― :)!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
俄かに〈都会風〉と化した高幡不動駅周辺 京王線・高幡不動駅とモノレール駅とが三層で繋がり、天晴れ――!

bP54 2007.3.9  突然、あの〈鬱気〉が舞い戻ってきて・・・・・ !

長い間更新を怠りましてご免なさい―― !
〈かわら版〉を始めて依頼、アップロードをサボった月は一度もなかったのですが、遂に先月〈穴〉をあけてしまいました。そのことで心配になったと2〜3の友人からメールや電話を頂きましたが、こちらの心にもそれなりの大きさの〈穴〉を感じて、後悔しています。
実は長い間忘れていたあの〈鬱気〉が突然舞い戻ってきて覇気を奪い、それが一番顕著な形で現われたところがこの〈HPの更新〉で、何も書く気が起こらなくなっていたのです。
その〈鬱気〉の原因を自己分析しますと、、、、、、、、!
古稀を迎えて尚〈自己革命〉を推し進めるために、それについてこれない分子(部分)が猛反発〜〜 ぼくの内部は黒船来航によって昏迷をきたしたあの〈幕末〉状態になっていたのだと考えられます―― 。(笑)(笑)(笑)
しかし賽は投げられていました―― !
ぼくの中の〈主流派〉は、映像界の〈中原 =ゆうげん〉へと駒を進めるための準備を着々と整えていたのです―― !
もうご存知だと思いますが、ぼくはこの5月に開催される〈第53回オーバーハウゼン国際短編映画祭〉でのイベント・〈回顧展〉のオファーを承諾していたのです!
しかしこの〈吉報〉が届く1年近く前から、〈かない勝丸プロダクション〉の全作品の〈英語版〉(限定DVD〉の作製を企画しており、ぼく自身も国際化を目指して(独学で)英語の勉強を開始〜〜 昨年10月からは週に1度〈英会話〉の学校へも通っているのです―))))))) (笑)(笑)(笑)(笑)(笑)
(何せ50年振りの、それも古稀から始めた〈英語〉〜〜 このHPの訪問者の多くは(語学に強い)若い方たちなので〈年寄りの冷や水〉と嗤われるかも知れませんね・・・・・ 。(笑)(笑)
またその一方で、語学
(特に会話)に弱い同年輩の御仁たちに対してはちょいと自慢できそうな話ですが、彼らの訪問は皆無〜〜 そんな訳でぼくにとってこれは極めて損な題材でしたよネ・・・・・ !!!!!-)))(笑)
まぁ、それでも
(オーバーハウゼン映画祭の)担当キューレターやスタッフとのやり取り( e-mail)は30余りにのぼり、それらを何とかクリヤーしてきたのだから〈無駄〉ではなかったといえましょう)
ともあれぼくは、
風光る卯月の末から欧州を巡り、風薫る皐月には遥かなる独逸の空の下にあって、老体に鞭打ちながら全世界から集った若き獅子たちとそこで対峙することになるのです―― !!!!!!! (笑)
因みにぼくのプログラムは2つあって、Aプログラムは『無人列島』(’69)、『GOOD−BYE』(’71)で、Bプログラムは『時が乱吹く』(’91)、『聖なる劇場』(’98 )、『スーパードキュメンタリー 前衛仙術』(’03)の布陣〜〜 長編の『王国』を除いた〈かない勝丸プロダクション〉の面々です。
尚、そのオーバーハウゼン映画祭の後にベルリンでの上映会が検討されています。
まぁ、といったような訳で、ぼくは〈現実〉と〈妄想〉とが織り成す〈躁鬱状態〉に置かれてます。

そこから脱出するには一時的な“逃避”も必要と、
先日宮城県の〈鳴子温泉〉に行き、その帰りに山形県の〈銀山温泉〉に立ち寄ってきました。
〈鳴子〉の湯量は豊富で、その上に泉質が異なる幾つかの温泉があり心を和ませてくれました。
〈銀山〉ではお湯には入りませんでしたが、銀山川を挟んだこの温泉郷の雪景色に心が洗われました - !!!!!!!!!!
名湯・銀山温泉郷の雪景色 大正ロマンを醸す、木造三層四層の旅館群

bP53 2007.1.11  今年は、賀状を失礼させて頂きました・・・・・ !

時の経つのは速いもので、松の内が過ぎたかと思うと、もう一月も半ばに差し掛かりました!
そこで目出度さもちょっとばかり醒めた今なら、我が家にとって大変な1年であった’06年についても、ちょっぴり触れさせて貰えるのではないかと、勝手に決めました!どうかお許しを・・・・・ !
それは、元旦に父が逝き、何と暮には妻・智女の母も(黄泉の国へと)旅立ってしまったのです・・・・・ !
これで我ら夫婦には、全ての親がいなくなったという訳です―― !
その義母との三人で、暮の草津の風情をしみじみと味わって帰ってくると、待っていたのが郷里からの報せ〜〜 急いで駈け付けましたが、残念ながら父の〈末期の水〉には間に合いませんでした・・・・・!
けれども、父は96歳〜〜 みんなに慕われながら生きてきた彼は、大往生を成し遂げたといえましょう。
しかし、義母はまだ70代の半ば(で元気)だったので吃驚〜〜 あの父の死から1年も経たぬうちに鬼籍の人になろうとは思ってもいなかったので、人生の〈無常観〉に包まれました・・・・・!
もし入手した情報に間違いがあるといけないので枚挙は控えますが、それにしても、このところ多くの映画人が亡くなりましたね・・・・・ 。
けれども彼らには作品があります〜〜 。
〈アートは永遠の時間〉といいますから、後は(作品を観た)人々の記憶の中で長生きすることを念じます―― !
さて年末には溜まった浮世の垢を流すために、宮城蔵王と松島に行ってきました。
温泉好きなぼくは、山形映画祭に行った折などには山形の蔵王温泉を訪れ、谷川そのものが温泉という豪快なあの露天風呂で英気を養ってきました。
山並みの反対側にある宮城蔵王〜〜 その遠刈田温泉郷は暖冬のために雪は無く、残念ながら〈蔵王のイメージ〉は薄れて映りました。
〜〜 が、暫くするとぼくらの期待に応えるかのように雪が降りだして、見る見るうちに風景を一変させてくれました!
雪見の露天風呂は最高! 日本三景のひとつ 〈松島〉
ここまで来たら松島を見なければと、バスと電車を使って1時間半余り〜〜 静かな海に点在する小さな島影は美しく、成程〈日本三景〉のひとつだなと納得しました。
ヒロシマ・テレビの仕事で〈安芸の宮島〉には何度か行ってますから、残すは京都府にあるという宮津湾砂洲:〈天橋立(あまのはしだて)〉〜〜 何とか元気なうちに行ってこようと思っています!
ともあれ、生きてるうちが花なのよ〜〜 一生懸命、人生を遊びましょう!


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