〜「あばら家物語」〜


高幡不動 鳥瞰図 (2000.5.1)

その昔愛読せし『遠野物語』もそうであったと記憶するが、先ずこういうものは鳥瞰図から入るのが筋であろう。
鳥瞰図と申しても決して空撮写真やマップが出てくる訳ではない。勝丸の住処を取巻く環境を記そうというまでだ。

それには、地名とも重なる高幡不動尊を紹介するのがこれまた筋であろう。
前衛作家を自認するこの勝丸をして、「不動尊」だの「筋」だのと、一見らしくないところから入ったが、何事も温故知新――これも古いか……ともあれ、古きものの中にえてして世界の最前線へ繋がるヒントが隠されているものだ。

さて、古来関東三大不動の一つに数えられている高幡山明王院金剛寺(真言宗)――奈良時代から多摩丘陵の麓に鎮座ましまして、土地の人々から高幡のお不動さんと親しまれてきた。
初詣や紫陽花祭り、そして毎月28日の例祭などを除けば、至って閑静な佇まい――わが「あばら家」から十分ほどのところにあり、散歩にはうってつけの場所である。

一昨年、その境内の一隅に銅像が建った。
幕末の京の都を震えあがらせた新撰組――その副長・土方歳三の勇姿である。

高幡不動尊 新撰組副長・土方歳三 多摩川の支流・淺川

高幡不動の地を語るのに、この不動尊と土方歳三は欠かせない存在だが、わが「あばら家」の南に多摩丘陵、更に北を流れる淺川(多摩川の支流)は大きな魅力だ。
相模川(神奈川県)のほとりに生まれ育った勝丸にとって、近くに川があるということが住処の条件――ここは「あばら家」から数分のとこにあり、この勝丸の散歩や自然観察の場となっている。

その淺川を渡ると、土方歳三の生家がある。
新築してしまって往時を偲ばせるものは何も見当たらないが、数年前までは旧家然とした家構え――それをお見せできないのは残念ではあるのだが……傍らの解説板に目を移すと、記念館があって「月に一度オープン」と記されてあった。

更に東南東に向かって進むと、石田寺――、
そこに函館戦争で壮絶な最期を遂げた歳三の墓がある。
全国各地からファンがやってきて花を献じ、枯れた献花は今だ見たことがないと聞く。

さて、拙作『GOOD−BYE』で飴屋を演じてくれた田中 茂を覚えているお方も御座ろう。
「サァーサァ、お客さんのご贔屓でまたまた売れました。東京衛生勉強堂、久留米梅林堂は、東京出張販売店……」と、飴屋唄を快調に唄っていたあの御仁である。
その田中氏と師走に飲んだ時に、「勝丸さんの生き方は土方歳三を髣髴させる」と宣うた。その時はピンとこずに聞き流したつもりだが、何故かその言葉が耳に残っている。

この勝丸の生き方を、地下の土方歳三がどう見ているのかは、知る由もないのだが……。

土方歳三の生家 土方家菩提寺の石田寺 土方家の墓地 歳三の墓石と遺影

2 風が吹けば的、池の魚たち (2000.5.8)

高幡不動も随分と変わった。
勝丸がこの地にきた当初は、一面の田んぼの中に人家が点在するという実に牧歌的な風景であった。
この季節だと、菜の花の黄と蓮華の紅とが艶やかな色模様を織りなして広がり、東の空に月が昇ると、日が西に傾いて、台所の竈や風呂場の炊き口(当時の燃料は薪だった)から立ち昇った煙が多摩丘陵の裾に這うようにして棚引く。
正に一幅の俳画――蕪村の「菜の花や 月は東に 日は西に」の句、そのままの風情を醸し出していたのだ。

などと、その昔を懐かしんでいても始まらない。
新宿から特急で三十分――蓮華草や菜の花に換わって、人家の屋根がひしめき合うのも当然である。
この勝丸をしてその新住民の一人なのだから……。

さて、右の写真をご覧あれ――!
今年の一月に開通せしモノレールである。
更にその下に建ち並ぶ人家の屋根を御覧じろ、郊外特有のあの聳えたつTVアンテナの姿は見当たらない――といってもJPEGの画像ではそこまでの解像度は無理か……。

結論から先にいうと、モノレール開通に伴って発生する電波障害のため、モノレール会社の負担で有線のHINOCATVが路線両脇の人家にひかれたためである。
かくいう勝丸の「あばら家」もその恩恵に与り、このHPやインターネットもその有線を使わせて頂いておる。
プロバイダーもHINOCATV――廉くて、速くて、親切で、その上アクセス何時でもOK――実に有難きはモノレール様かな、菜の花や蓮華草がなくったって結構じゃない!

そこで今日のテーマは「風が吹けば的、池の魚たち」である。
その論法はご存知――風が吹けば砂埃で盲人が増え、盲人が使う三味線に張る猫の皮の需要が増えて猫が減り、そのために鼠が増えて桶を齧るので桶屋が繁盛する、というあれだ。

この一見無茶苦茶な論法も、こちらにやる気さえあれば実を結ぶ。
モノレールが開通すると、電波障害が起こり、ケーブルTVがひかれ、アンテナが不要になり、そのアンテナを利用すれば頑丈なタモ網の骨組みができて、そのタモ網で淺川の小魚を獲って池に放つ――という訳。

勝丸のVTR作品『聖なる劇場』(91)の脇役たちは、自然界の野鳥や昆虫などで、そのパフォーマンスの決定的瞬間を捉えるのに足掛け六年の歳月を要した。
繰り返すようだが、水辺にきた鳥や虫をただ撮った訳ではない。あくまでも彼らのパフォーマンスを撮ったのである。

またその野鳥・昆虫たちに負けず劣らずの演技者が池の中にもいた。魚たちである。
特に彼らと殿様蛙との『鳥獣戯画』的な闘いは、正に映像史に残る名場面だったといっても宜しかろう。
その証拠に、『ラルジャン』のブレッソン監督を敬愛してやまぬ映像作家・
芹沢洋一郎氏から、熱烈なるお手紙を頂戴している。いつの日にか氏の承諾を得てこのHPに載せるつもりだ。

その魚たちだが、突如現れた怪鳥・五位鷺によって(鯉や大形の和金以外は)殆どが食べられてしまった。
ウグイ、オイカワ、小鮒など、『聖なる劇場』の素晴らしきバイプレーヤーたちであったのだが、神が与えし悪役・五位鷺も作品にとっては大きな存在――哀れ勝丸ゲイジュツの犠牲となったのだ。

さて、「風が吹けば的、池の魚たち」は現在、ウグイ6匹に小鮒2匹――香りたつリラの花の下で鯉や金魚と仲良く暮らし、犠牲となった先輩たちに代わって勝丸池を賑わせている。

タモ網となったアンテナ 鯉たちと「風が吹けば的、魚たち」 池を見守るリラの花

3 堕仙人と観音菩薩 (2000.5.19)

この第三話は、人によってはバカバカしくって読んでいられないかも知れない。
そういう御仁はどうぞ他のページへアクセスして頂いて大いに結構――しかしこちらとしては、次の第四話「美女たちのペインティング(仮題)」に進むにこの三話を経なければ進めず、頬を赤らめながらキーを叩いておる次第である。

さて、映像作家・勝丸をして、人生その重きをおく一番は己が映像作品に非ずして、その生き方にあり、作品は二番なり。
生き方から生まれいずるのが作品なるが故に、一番は一番であって決して二番ではあり得ない。

その理想の生き方とは、風のようにこの世を通過することにある。
若い頃には荒れ狂う熱風だったこともあるが、これからは爽やかな風でありたい。
それには欲望というものをみな捨去ること――、
そう、この勝丸の自慢は、今だかって大金持ちになろうと思ったことがないことだ。
せっかくの人生が下品になっては元も子もない……あれ、この言葉はお金に絡んで下品かな?

もう一つの欲望は――、
齢五十になりし頃
『夢走る』(87)という前衛時代劇を撮った。その時期にはまだ情欲衰えず、長年に渡って鍛えし技・「夢走らすの術」で、高橋孝英氏演じる若き飛脚との恋の闘にはご隠居に軍配を上げている。
そのご隠居の役は本来は勝丸自身が演じるべき役柄だったが、勝丸は特殊撮影を担当せねばならぬので、一歳年上のソウルメイト・
城之内元晴氏に演じてもらった。ジョー氏もまた「夢走らすの術」の会得者であったのでその辺にぬかりはない。

還暦を迎える頃から、その「夢走らすの術」から色情を抜いて純化させ、更に修行を重ねてこれまでにない革命的な仙術を編み出し、前衛仙人を目指そうと思った。
そんなある日、数年前より知る女人からコサージュとか申すものの展示案内状をもらう。
繰り返すがこの勝丸の目指すは、仙人なれども並みの仙人にあらずして、前衛仙人なり――そのコサージュなるものを一見しておくのも革命的仙術を編み出すのに決して無駄ではあるまいと出掛けてみることにしたのだ。

バス停に迎えに来てくれたその智女を見て、以前の彼女とは別人のように麗しく見えた。
久米仙人は川で洗濯する娘の白い脛だったと聞くが、前衛仙人見習の勝丸は(バスから降りる角度で)そのうなじに見とれて俗界に逆戻りする羽目となった。

さて、縁は異なもので平成九年十二月二十四日、白犬の道案内で箱根権現の石段を上り、二人だけの結婚式を挙行する。
この神社は、太古の昔に聖占仙人によって開かれ、奈良朝末期に万巻上人によって再興される。鎌倉時代に入ると頼朝公の祈願所として飛躍的に発展し、関東きっての名社となる。

その由緒ある社で夫婦の契を結んだ勝丸と智女――何と、歳の差三十歳。その結びつきの決め手は何であったのかと申すと、勝丸人生の二番・映像作品であったというから二番も一番に勝るとも劣らない。そのことを若き作家たちのために、ここに明記しておこう。

左の写真をご覧あれ、
結婚直前のものだが客観的に見ればお祖父さんと孫娘、あるいは今流行りのエンコウか。
智女の屈託のない笑顔に比べて、この勝丸の貌(かお)には後ろめたさが表出されているようにも見えなくもない。

犯罪者の如く申すものも、何時別れるかとその日を待兼ねている御仁も御座ろうが、あの箱根権現の石段を降りてから早や二年半の歳月が流れ、愛の絆は更に深く強く結ばれてゆくのだから、蓼食う虫も好き好きと見逃してもらいたい。
いや、男は還暦を過ぎて初めて女性(にょしょう)との真の愛を培うことが可能なのではと思ってさえいる、今日この頃である。

まぁそれでも、朝まだきに目覚めた時など、何故この娘が隣ですやすやと眠っているのだろうかと不思議に思う時がある。
そしてまたある時には、『遠野物語』に出てくるザシキワラシを感じる時もある。
ともあれ、智女はこのあばら家がいたくお気に入りの様子――老いたる堕仙人と、このあばら家あっての観音菩薩である。


    速報
    
5月16日 映像研究家那田 尚史氏来宅

実験映画・個人映画を中心にした映像研究家として知られる那田 尚史氏が、はるばる愛媛県から上京――早大大学院時代の恩師・山本 喜久男教授の葬儀に駆けつけたのだそうです。
山本先生のご冥福を謹んでお祈り申し上げます。

那田さんは八年ほど故郷の愛媛に帰っていましたが、来年あたりに一家を挙げて故郷を離れ、八王子辺りに新居を構えるつもりのようです。

彼との出会いは、月刊「イメージフォーラム」に書かれた原稿の、新しい映像への熱き情熱と潔い文体に、ぼくが心を動かされたことからでした。

その後親交を結び、このあばら家にもみえて、今度が四度目だと思います。また、さまざまな雑誌や研究論文でぼくの作品も取り上げてもらっております。

が、それにしてもこの八年間は遠く離れておりましたので、ぼくだけでなく、多くの作家たちが寂しい思いをしておりました。
それも後一年――勇気が出てまいります。


手弱女たち、唸る鞭 (2000.6.7)

勝丸の趣味の一つが競馬である。
堕仙人といえども生きてゆくには趣味や娯楽は必要――その辺りのことは
那田 尚史氏寄稿の「愛媛からの手紙・第二信」に詳しく載っているのでそちらをご覧あれ。

さてその競馬だが、昨今はパソコンが面白く、競馬はG1レースしかやらなくなった。
だが、しかしである――G1のみにしてからは暇な時にそのレースだけの情報を集めて研究するから、当然結果もついてきて勝率も高くなった。

今年のダービー は五月二十八日に行われた。
各馬が4コーナーを曲ると、武騎乗の1枠2番・エアシャカールが抜け出し、これで決まったかと思われた瞬間、その外から河内騎手の鞭が唸って2枠4番・アグネスフライトが力強い足捌きで突っ込んでくる。
正に手に汗を握る死闘――遂にゴール寸前鼻差でかわしていた。

勿論勝丸が握る掌中には汗で湿った2−4の馬連券がある。いやこれは配当六百円の本命だから取った人も多かろう。
問題はその次だ!
二頭から数馬身離されたが、7枠13番・アタラクシアが頑張っている。勝丸が握るもう一枚はワイド馬券で、2−13が的中――千円余りの配当となった。

その前の日曜日は、これまたご存知のオークスであった。
勝ったのは藤田騎乗の3枠5番・シルクプリマドンナ、二着は6枠12番・チアズグレイス――馬連で配当1630円が付いた。勿論その馬券も取っている。
いや……この第四話は「勝丸の馬券自慢」にあらず、ただこのオークス馬・シルクプリマドンナの馬主が、(有)シルクであることを覚えていて貰えればそれで結構なのである。

さて、平成九年のクリスマスイブの日に、「箱根権現で二人だけの挙式」は第三話で既に述べた。
その日から数えて五日後の日曜日は、このあばら家がかつてない華やいだ一日となる。智女がデザイナーとして勤務する
アトリエ染花の同僚――三宅さん、京子さん、ちゃん、千葉ちゃんの四人が馳せ参じて、内装を手伝ってくれたからだ。

そのアトリエ染花は、コサージュや花飾りなどを作る(有)会社であり、スタッフは全て麗しき女性たち――花飾りを作るたわやかな手でガラス戸の桟や家具のペンキ塗り――このあばら家をして更に勝丸ワールドを色濃いものにしてくれた。感謝!

折もこそあれ、その日はグランプリレース・有馬記念の当日であった。
ペンキ塗りのお礼はその有馬の特券一枚――普段は、競馬とは無縁の手弱女たちだが、その時ばかりはスポーツ紙を読んだり、競馬好きの友だちに訊いたりして各々が予想を立て、その馬券を纏めて既にこの勝丸が買ってきてある。

大勢でやると仕事ははかが行く。
数時間で作業は完了――すき焼き鍋を囲みながらテレビ観戦となった。
暮れの中山競馬場に高らかなファンファーレが響き渡り、やがてゲートが開く。
すると、このあばら家ではかつて聴いたことのない黄色い声援が飛び交って、馬群はホームストレッチでの叩き合い――騎手たちの鞭がしなり、唸りを上げて飛ぶ!

勝ったのは、シルクジャステス――!
馬券を取ったのがただ一人いた!染ちゃんだ!!

当たり馬券を手に、ため息をつく一同を見渡す、染ちゃん――、
「あれ、みんなは買わなかったの?だってシルクジャステスの馬主のシルクは、阿部さんの実家だもん」と宣うた。
阿部さんとは以前に
アトリエ染花で働いていた同僚で、(有)シルクは、その一族のものだそうだ。

ともあれ、闘いすんで日が暮れて――、
後は和やかに、スキ焼きをつつきながらの団欒となった。

早いもので、あれから二年半になる。
その後暫くの間、シルクジャステスを追いかけて負けつづけたこの勝丸――これから
シルクプリマドンナを追いかけて宜しいものかどうかを、迷っている。

 

左から勝丸、千葉ちゃん、染ちゃん、
京子さん、智女

コサージュ・指先の
魔術師 三宅さん

五日遅れのケーキ入刀
智女と勝丸

 

あばら家植物図鑑・初夏篇 (2000.6.22)

この勝丸は映像作家である。
映像作家の仲間たちは、欧米の文化情報に精通している御仁は数多(あまた)あれども、どういう訳か日本の歴史や民俗、ましてや鳥類、魚類、昆虫、植物などの自然科学にはとんと興味を示さず、関心を持つのは博学・
鈴木志郎康氏ただひとりであろう。
斯く申すこの勝丸も、TVドキュメンタリーの取材で得た知識がその核であるからして高が知れているという訳だ。

さて、このあばら家にも猫の額ほどの庭がある。いや奥行きは相当あるのだが、幅が狭い為に猫の四体に例えるのなら、差し詰めピンと伸びた時の尾が宜しかろう。
その猫の尾っぽほどの庭だが、石畳を敷き詰め、池があり、川まである庭はめったになかろうと、田舎に住む従弟に自慢したら「庭など何処にある、あれは通路ではないか」と宣うた。

石畳と小川と緑

池と睡蓮

『聖なる劇場』をご覧頂いた御仁は既にご承知の通りだが、この勝丸が造りし池や小川には、野鳥や蛙や蛇などがきて鳥獣戯画的パフォーマンスを繰り広げている――いやこのことについては既に述べた。今回は「植物図鑑・初夏篇」である。

ともあれ家の周りに水と緑、その上に花があると気持ちが和む。
かと申して、今流行りの色艶やかな花々をあしらった(西洋風)ガーデニングとか申すものには余り興味をそそられない勝丸である。

これまで日本古来の植物こそ、このあばら家に似合う筈だと拘ってきたのだが、外来種との交配などもあってその線引きが難しく、結局、幼い頃からの馴染みの植物を中心に固めることにしている。
「〜〜を中心に」とはこれまた曖昧では御座るのだが、やはりスパゲッティを好物とする勝丸にとって、バジルや様々なハーブ類などを欠かす訳にはいかないのである。

梅雨のこの季節――その文字通りの花形は、紫陽花と、睡蓮と、花菖蒲であろう。その紫陽花は、れっきとしたわが国原産――今流行りの西洋紫陽花は江戸期に海を渡り、改良されて逆輸入されたものに過ぎない。

ご承知のように、紫陽花は手毬型紫陽花と額紫陽花とに大別され、我があばら家にはその両方が繁茂して御座る。
その額紫陽花と似通う植物に甘茶(あまちゃ)がある。その葉を干してから煎じ、それに甘味を加えれば四月八日の潅仏会(かんぶつえ)で釈迦像にかける甘茶となるのだ。

額紫陽花とは似て非なる、甘茶

一重の梔子(くちなし)

花菖蒲の方は、小さいながら菖蒲沼まで造ってみたのだがどうも上手くゆかず、今年は茎はなかなかのものに育ったが、地質の関係か花を付けそうな素振はない。
また池には紅と白の睡蓮の株があり、今年は白い方が既に咲いたが、何時でも撮れるからと油断していたら散ってしまった。折角デジカメを買ったのだからこまめに撮らねばと反省しておる次第。

ともあれ季節を告げて咲く花々は可愛い。
中でも香り立つ花、実のなる草木を愛でる癖(へき)が勝丸にはある。

この時期、芳香を放つ花といえば、何といっても梔子(くちなし)だろう。
梔子にも二種類あって、八重咲きはガーデニヤとも呼ばれているから当然外国種なのだろうが、花は豪華で香りも宜しい――だが、これは実を結ばないのでどうしても不満が残る。
昔からある一重の梔子は、八重より小振りな花で香りも若干劣るような気もするが、実がなるのが何といっても嬉しいではないか。

古来、染料や漢方の利尿剤として用いられてきた梔子の実――料理好きの智女は、おせち料理の金団(きんとん)の色付けに使うのだと、今から張切っているのだからお正月が楽しみである。

胡頽子(なつぐみ) 木苺(きいちご)

あばら家の庭にある実のなる植物を並べ挙げると、梅、通草(あけび)、無花果(いちじゅく)、柚子(ゆず)、胡頽子(ぐみ)、木苺などである。
胡頽子は二種類植わっている。夏胡頽子と、大きな実をつける俵胡頽子で、俵の方は秋に稔る。

そして葡萄――。
鉢植えで二年ほど美味しい実を付けていた巨峰だが、今年は春の終りに蔓をいじくった為に折角つけた実が落ちてしまった。
ならばと、先ごろ土に下ろし、その上、二日掛りで葡萄棚を造る。

前にも触れたが不要になったTVアンテナのポールも使用し、見かけは柔でも至って頑丈――台風がきてもびくともしないだろう棚が出来上がる。
だがしかしである。棚造りに夢中になって葡萄の蔓をまたまた傷めてしまい、残った葉がたったの一葉――心もとない日々が数日続いたが……良く見ると、新しい芽が逞しく吹き出しているではないか!

今年は葡萄は稔らないし、今は何となく殺風景ではあるのだが、其処はこの勝丸に抜かりなし――もう少し経てば、棚の脇に植えた朝顔の蔓がすくすくと伸びて、この棚を美しい花々で飾る筈である。

それはまた、「植物図鑑・真夏篇」でご覧あれ!

1.4×2.0メートルの葡萄棚 心配したが、芽が出てきた巨峰

参道で事件発生!三宅 晴子嬢来宅(2000.6.22)

わがあばら家観音・智女が勤務するアトリエ染花については、第三話で触れている。またそこで三宅 晴子嬢につても、「コサージュ・指先の職人」として既に紹介済みである。
その 晴子嬢が、高幡不動尊の紫陽花観賞を兼ねて6月18日に遊びにみえられた。

アトリエ染花の皆さんからは、常々何かとよくして頂いているこの勝丸――この晴子嬢からは特に可愛がられ、彼女の故郷・下関名産の竹輪や、デパートを巡って見つけてきた美味しいお菓子などを、「勝丸さんに」と智女を介して頂戴しており、大いに感謝している。

晴子嬢もこの勝丸同様にシャイな性格で、だから二人の間に会話は殆どないし、その必要性も感じていない。

さて、結婚してから分ったことだが、わがあばら家観音は、あれでなかなかプロジュウサー的才覚もあり、上映会などでは驚くほどその力を発揮してくれる。
またこの「映像万華」も彼女を介しての訪問者も多く、何時も有難いと思っているのだが……その頼もしさが時として当惑にも繋がってくる。

その「当惑」事件が、不動尊への参道で発生した。
前を行く二人――と、突然智女が振り返って、「三宅さんにちゃんとお礼いった!?」と、きたもんだ!
この勝丸はもとより晴子嬢も困惑ぎみ、「まるで子供なんだから――!」と、更に追い討ちまで掛けてきた!!

流石の勝丸も、この子ども扱いにはびっくり仰天――面妖な女性(にょしょう)の性(さが)を感じてしまう。
シャイ者同士の間では、「いつもどうも」で通じ、それがベストである筈なのに!……と、チョッとキレかかったが、アトリエ染花の女性たちがよくしてくれるのも、この勝丸が還暦を過ぎ、子どもに返ったからだろうと、無理に自分を納得させて、微笑返しを試みた――でも、根が正直者だから、きっと変な貌になっていたと思う。

不動尊の境内をひと巡りして、紫陽花を堪能――、
あばら家に帰ってからは、葡萄棚の自慢をし、まだ触ったことすらないという晴子嬢に、PCを得意げに説明――勿論、このHPもご覧頂いた。

ともあれ、来年の秋にはあの葡萄棚に巨峰がたわわに稔る筈である。
それを先ずはこの晴子嬢に賞味して貰おうと、そんなことを思いながら過ごした一日であった。

(写真は、高幡不動尊の境内――二葉とも右が晴子嬢)


ねるとん・ぐーの素顔発見 (2000.7.16)   

7月14日、ねるとん氏に来て頂き、photoshopの指導を受けることになった。

そのねるとん氏はWebで知合った友人で、彼のHP「TON-TO」の自己紹介によると、長い間週刊誌の記者をした後、電子出版の先駆けとなる事業を起こすが、時期尚早なる故をもって失敗―― 一時は膨大な借金を抱える羽目になったようだ。
その借財もいまは殆ど返済し、豊富な知識と経験、更にPC技術などを活かして、新しい事業に着手――意気軒昂!

また、ねるとん氏は、かつてドキュメンタリー映画を作るためにボレックス(16ミリのカメラ)を購入して、自ら2万フィートも回したそうだから根っからの映画好きだともいえようか。
今年のゴールデンウイークに、IFF2000で和田淳子監督の『ボディドロップアスファルト』を観て感激し、素晴らしい評を
「ねるとん・ぐーの読書日記」(2000年5月8日)に載せている。

更に頼もしいことには、「実験映像・個人映像は面白い、〈埼玉ビデオ〉の『男のサービスエリア』と『僕はあなたじゃない』のドキュメンタリーも大いに楽しみにしている」のだそうだから、この勝丸にとってWebが贈ってくれた「大切な人」というわけなのである。

さて、昼下がりの高幡不動駅の改札口に、そのねるとん氏が黒メガネに黒のスーツ姿で現れる。
そのメガネの奥の瞳は優しく微笑んでいるのだが、それは他の御仁には分る筈もなかろう。斯く申すこの勝丸とて見ようによっては厳つい風貌だ。
一見やくざ風の男二人が、土産物屋や飲食店などが軒を連ねる参道をゆく――この日も今や定番となった嫌いがある不動尊詣から始まるのである。

止め処なく流れ出る汗――それでも一歩境内に足を踏み入れると、裏山の濃い緑の中を渡ってきたそよ風が生気を取り戻させてくれた。
木蔭のベンチに座り、ねるとん氏とこの勝丸は、森や木々の有難さについてしばし語り合う。
もし(この怪しげな風貌の)二人の会話を盗み聞きする者がいとしたら、一体何と思ったであろうか……きっと、余りの可愛らしさに吹出したに違いない。

あばら家に到着すると、早速コンピュータ室へ――といってもSOTECのPCがたった一台あるに過ぎない。
そのPCに
「photoshop4.0 LE」をインストールしたのは半月も前だったが、どうも上手くいかずそのままになってしまっている。

ねるとん氏はMAC党だそうだが、初歩的なことなのでWindowsでもお茶の子さいさい――教え方が上手いので直ぐにのみ込めた。

こでテストを兼ねて実践開始――「上映会情報コーナー」での『ボディドロップアスファルト』のチラシが前々から気になっていたので、その余分なスペースにスチールを二葉貼り付けてみる。
完璧などとは決していえない出来栄えだが、photoshop技術の入口さえ分ればもうこっちのもの――後は経験を重ねてゆくうちに思い通りの画像が作れる筈である。

およそ一時間でその「来宅指導」は終り、自慢の庭を案内した後、あばら家観音・智女の手料理で酒宴――四方山話に花を咲かせる。

ともあれ、photoshopの使い方を教わったことにより、「映像万華」のビジュアル面は、これから段々と充実してゆくと思う。ねるとん・ぐーさん、本当に有難う!

それにしてもどうだ!
サングラスを外すと、あのミステリアスな風貌は一変――ねるとん氏の素顔は少年のように輝いていた!

 


武州高幡 夏の風 (2000.8.8)

かつてこの勝丸はペシミストであった。
対照的に親友の映像作家・
城之内元晴は天性のオプチミストで何時も晴れやかな顔――その彼の生き方に憧れを感じてはいたが、なかなか生まれ持った性格は直らず、三つのうち二つが良くても残りの一つが悪ければそれが気になって塞ぎ込み、鬱状態に陥るという体たらくであった。

勝丸の場合は、理想と現実のギャップにより生じるペシミズムである。
しかし、ある時から「風のようにこの世を通り抜けよう」という思いに至った。それはオプチミズムへの鞍替えにあらずして、ペシミズムを追求し、それを超えようとする試みからである。
そして智女と結婚してからは、その超ペシミズムを更に発展――「プラス思考の風」となった。

さて、バブルが弾けたいま、誰もが経済的には苦しい。
しかし、この淺川の清らかな流れをご覧あれ――実に見事に甦ったではないか!

多くの人たちが金の亡者と化していたあの経済成長期にはゴミと泡で異臭を放ち、川を見るのが恐ろしかった。
いやそれは、人間の心の表れであるのだからして、この勝丸はいよいよ人間嫌いに陥ったというわけであった。

その心を救ってくれたのが、蘇生した淺川の流れ――この勝丸も川や水路の清掃には勿論参加している。
この川の流域に下水道が完備したこともあるだろうし、洗剤に含まれる成分が変わったこともあるだろう。でもその一番は、みんなが貧乏になって本来の自分を取り戻したことにある――と、この超ペシミストは思う。

近くに綺麗な流れがあると、真夏の暑さも結構楽しい。
淺川だけではなく、その水を取り入れた水路がいたるところに走る高幡――水路には、フナやオイカワ、そしてザリガニなども沢山棲息しているのだ。

人家が増え、その上に減反政策が重なって田んぼが減っていくのは誠に残念だけれども、その田んぼに代って果樹園が増えてきたのは、これはこれで嬉しいではないか。

葡萄、梨、栗、林檎、そしてブルーベリーなどがあちこちで栽培され、これからがその収穫期――そのもぎ取りはなかなかの人気だと聞く。

週の日曜日、智女が勤めるアトリエ染花の女性(にょしょう)たちと、そのブルーベリー狩りを試みる。しかし農家との連絡に手違いがあってその日は残念ながら空振りに終わってしまった。
染花の女性たちは心優しい人たちばかりなので人を責めたりはしないのが嬉しい。彼女たちは直ぐに気持ちを切替え、水路に泳ぐ小魚やザリガニの姿に瞳を輝かせている。
そして更にその心を捉えたのが、稲田の中に花開く蓮――武州高幡風の粋な風情である。

 
稲と蓮、このユニークな組み合せが面白い(D)   染ちゃんと坂本さん

あばら家に帰ると、楚々とした京子さんの指導で裏千家の茶道教室――といってもその作法の入口とお茶の立て方の初歩を教えて貰ったに過ぎない。

しかし、茶匙一杯半の抹茶を茶碗に入れ、茶筅で「M」の字の形にかき回すと泡立ちが宜しくなり抹茶が上手く溶けた。最後は「」の字の形を作りながら茶筅を収める。

久し振りに味わう「お薄」に、何故か心が引き締まる。
ブルーベリー狩りはしくじったがこのお茶会で挽回――智女も甚く感激したようなので、これからは「お茶」があばら家の名物(?)になるのかも知れない。

 
お茶の指導をする京子さん   女性たちに囲まれて一服

勝丸の肉体表現―その1・PC室篇 (2000.9.14)

我があばら家にパソコンがきたのが丁度去年の今頃のことである。
それまでPCに触れたことは皆無に等しく、家電売り場で恐る恐るマウスを触っただけ――その知識といえば右隅にある「
×」点を押すと画像が消えるということぐらいであった。

しかし、堕仙人とはいえどもこの勝丸――かつては前衛仙術を編み出そうと試みたほどの男よ、PCぐらい出来ないでどうする、と二冊のマニュアル本を頼りに独学で奮闘、およそ五ヶ月でこのHP「映像万華」の開設に漕ぎ着けたのである。

さてそのお薦めページがこの「あばら家物語」であるのだが、新しいページの新設などを行っている内に、気がつけば第八話から一ヶ月余りが過ぎてしまったという体たらく――誠に申し訳ない次第である。

また来客を絡めた話が続いておったので、「若き女性(にょしょう)たちが沢山来る家だと自慢している!」などという陰口も聴こえてきたりして困惑した勝丸だが、だが待てよ、と改めてWebサーフィンを試みたところ、何処もかしこも自慢話のオンパレードだ――HPとはそも自慢話大会の場では御座らぬか。

この一見開き直りともいえる結論だが、その自慢話のグレードを高める必要がある。そこでこれまではあまり触れずにおいた屋内をも白日の下に曝け出して見せようぞ!――と、決心した次第。

そういうようなわけで、今回はそのシリーズの第1回目、玄関脇の六畳間――既に第七話や、鈴木志郎康氏の来宅指導などでその一部は公開済みのコンピュータ室である。
と申しても、たった一台SOTECが設置されているだけの部屋なのだが……。

今やこの部屋の主はSOTECのPC 状況劇場の『腰巻おぼろ』と、
蠍座での勝丸作品のポスター

さて、あばら家全体にいえることだが、どの部屋の内装もこの勝丸がその美学に基づいて行ったもので悪趣味といわれても大いに結構――ただ覚えていて貰いたいのは、若き日のエネルギーがそのままに詰まっているようで、あの60年代の雰囲気が老いたる勝丸を時として鼓舞してくれている、ということである。

PCが入るまでこの部屋は書斎モドキ1号室――文筆家の書斎などと比べればいたって貧相で、残念ながら「モドキ」の文字を付けざるを得まい――それでも勝丸シネマの脚本の殆んどはこの部屋から生まれ出ている。
『無人列島』(’69)、『GOOD−BYE』(’71年)、『王国』(’73)、そして遂に映画化には辿り着けなかった脚本・『城門の蟹』もここで書いている――中でも忘れることが出来ないのが、『GOOD−BYE』の構想であった。

当時は大島渚監督の全盛時で、「全く新しい内容と、全く新しい方法論を持たないものは映画とは認めない!」、と彼はいう。
その通りだとは思ったが、『無人列島』の次に、さて何をどう創るべきかで悶え苦しみ、ベッドと机とを行き来すること数日間――だがどうもがいてもこれぞというものが出てこない!

そんなある日、天からの啓示を受けたかの如く閃いたのが、斬新なその「構造」であった。
興奮のあまり震える指先――頭に手をやると、静電気がおこっていてバチバチという音鳴りやまず、部屋中が青白い光に包まれた。

気がつくと、ペラ50枚ほどのプロットが出来ていたのだが、その時どういう訳か、「これで頭が禿げるな」と思ったことを今も思い出す。

『無人列島』と『日吉ミミ リサイタル』のポスター 長く生きているので自然と溜まった本

この部屋はまた勝丸シネマの掛け替えのないセットでもある。
『王国』では、むささび童子が演じる詩人・五九勝丸が鳥たちを集めてその渡りの神秘を究明――あの鴨のアヌスからガラパゴスへと向かうところはここで撮った。
また歌・句・詩シネマ『時が乱吹く』の中の俳句篇・『一本勝負のキリギリス』は、この部屋がその導入部であった。

辞書で英語のCellを引くと、細胞、(刑務所の)独房、(修道院の)独居室、(蜂の巣の)巣房などとある。
あばら家には五つの部屋があるが、まるでそのCellのような小さな部屋部屋なので、部屋自体があたかも脳細胞のような機能をもっていて、来客の姿かたちや、その匂いまでも記憶しているように思えてならぬ時がある。

このPC室には、あの大和屋竺氏も来た、雑誌「映画評論」編集長の佐藤重臣氏も来た、そして勝丸のメインマン・城之内元晴氏も来た。既に皆鬼籍の人たちだが、この部屋は彼らのことをよく覚えているのに相違ないのだ。

また今は音信が途絶えて久しい澤 則雄氏――彼は横浜国大新聞に「王国論」を書いた男だが、ある時大きなマグロの塊を持ってやって来た。
彼は、「勝丸さんと一緒に映画を撮りたい、だが僕は素人なので手ぶらでは申し訳ないのでマグロ船に乗ってきました」といって、分厚い封筒を机の上に置いた。
何と五十万円の札束――彼のその心に勇気を与えられて書き出したのが先に触れた『城門の蟹』の脚本であった。
(映画化できなかったのでそのお金は既に返済)

そんなこんなの一部始終を記憶している筈のPC室――、
ここらで、あの時代を思い起こして「一芝居」――じゃじゃーん、健さんとこの勝丸の競演で御座る!
ワッハッハハハ……!

歳の割にはなかなかの腕(かいな)――と、これまた自慢話かな?

10 あばら家植物図鑑・秋篇 (2000.10.6)

早いものでもう十月である。
植物図鑑シリーズの第二話は、約束の「盛夏篇」を飛越えて「秋篇」になってしまった。
その「秋篇」で芙蓉や朝顔を取り上げるのは些か気が引けなくもないのだが、秋の芳ばしい陽の匂いの中で今も健気に咲いている姿を見るといとおしく、あばら家主人として見捨てておく訳にはまいるまい。

芙蓉の花 葡萄棚で頑張る朝顔

その芙蓉だが、「芙蓉」という言葉は蓮の花の中国名だそうで、なるほど蓮と似通う気品があって宜しい。
この樹は以前には裏庭にあって樹高はせいぜい五〜六十センチであったのだが、日当たりの良い南側に植え替えた途端に勢いを得て何処までも伸び、その手入れが些か大変だ。
その樹皮は至って強く、邪魔な枝を手折ろうとしてもなかなか上手くはいかない――それもその筈で、最近になってこの木の樹皮が古来下駄の鼻緒や蓑などに使われてきたことを知った。

一方朝顔の方だが、去年の種が自然発芽し、今年も紫の美しい花を咲かせてくれた。
第一話の「初夏篇」で記したように、棚は造ったものの蔓や葉を傷めて葡萄は稔らず、その巨峰に代って葡萄棚城の城代を立派に務めてくれたのがこの朝顔であった。もしこの花の頑張りがなかりせば、庭師・勝丸としての面目は丸つぶれ――(この朝顔に)大いに感謝している次第である。

ヒガンバナ

花盛りのタラの木

今度は正真正銘の秋の花・彼岸花――家の前に自生し、毎年緑の中に鮮やかな「赤」を演出してくれる。
遠い昔に、この植物は中国から入ってきたそうで別名を曼珠沙華――マンジュシャゲとは、梵語で「赤い花」という意味だそうだ。
古来天界の花とされ「これを見るものはおおらかにして悪行を離れる」といわれているが、観ようによっては毒々しく、その通り球根(鱗茎)は有毒でありる。が、同時に薬などにも利用されているのだ。
この花の魅力は、その正邪の両極を直に感じさせるところであろう。

あばら家には毒草もあれば山菜の王様もある。
そう、春の若芽は天麩羅にして最高のタラ――落葉低木のタラの木で御座る。
タラの芽を好物とする御仁は数多(あまた)御座ろうけれども、幹や葉にも鋭い刺があり、庭木としている酔狂人は少なく、その花などはご存知なかろうからしてとくとご覧あれ――今花盛りで、やがて黒い小さな実を結ぶ。

秋に実がなる植物には、山椒や柚子、梔子(くちなし)、自生の烏瓜、そしてあばら家自慢の木通(あけび)などがある。
木通はまだ青く、写真は撮ったがまだ様にならないので色づいた頃にお目にかけるつもりだ。

さて、ご存知のように秋の七草は、萩・尾花(おばな)・葛(くず)・撫子(なでしこ)・女郎花(おみなえし)・藤袴(ふじばかま)・桔梗(ききょう)で御座る。
このうち、あばら家には萩と藤袴だけだが、尾花(ススキの別名)や葛は増えすぎるから極めて厄介千万――流石にこの庭師・勝丸をしてそこまでは手が出せない。
撫子・女郎花・桔梗は、そのうちに植えようかとも思っているので、来年を楽しみに――。

秋の七草の一つ藤袴 池の上で木蔭を作ってくれている萩

野草にもまた歴史ありき――藤袴はもともと中国の花で、香料として使われていたものを奈良朝時代に輸入し、それが野生化したのであるそうな。
それではと、花に顔を近づけてみると微かだがいい香りがする。乾燥させると更に香気漂うそうなので、今年は試してみるつもりでいる。

萩という言葉の響きは実に宜しい。しかしこの花に桜のような派手さもなければ、梅のような芳しい香りもない。だから萩の花自体の良さが分るまでには時間がかかった勝丸であったが、ようやくこの頃になって分ってきたような気がする。
それは一言ではいい切れないのだが、秋の夕日に一番似合っている花で「黄昏の美学」を象徴しているかのように思えてきたのだ。

芭蕉の『奥の細道』に名句は数多あれども、この勝丸の心を一番深く捉えたのは俳聖の句に非ずして、従者・曾良の「行き行きてたふれ伏すとも萩の原」である。
腹をこわした曾良が、迷惑をかけてはいけないと芭蕉と別れて行く時の句で、行き倒れになるかも知れないが、それが今盛りの萩の原なら死んでも本望であるというのである。

この勝丸の「イメージ辞書」では、「犬死」と「野垂れ死」は月とスッポンほどの違いがある。
「犬死」は、組織から裏切られたむだ死だが、「野垂れ死」はわが信じる道を歩みながら人知れず自然の中に没することである。
「犬死」には恨みこそあれ美学はないが、「野垂れ死」には至上の美学を感じる。
萩の原はその最高の舞台――この勝丸にはこのあばら家があり、観音・智女がおり、萩もたった一株だけだが、精神的な「野垂れ死」は大いに可能な筈である。
かの西行法師は満開の桜の下だったが、勝丸には萩の季節が望ましい。

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