bP45 2005.10.14  大山慶からのメール=国内外の映画祭報告〜!

非常勤講師として東京造形大学に行っているのですが、先週の木曜日(10月6日)にそこで川中伸啓教授から朗報を得ました―― !
大山慶の卒業制作・『診察室』が、全国の美術系大学・専門学校の学生を対象にした大きな映像コンクール〈BACA−JA〉でグランプリ受賞―― ということだったのです !

大山はイメージフォーラム映像研究所の24期で、その後造形大学に入学―― 2003年度の後期に(ぼくが担当する)〈映像芸術V〉を受講してこれまでにないアニメ技法を開発〜〜 『ゆきどけ』を制作しました。

更にその技法に磨きをかけたのが卒業制作・『診察室』(指導:川中教授)で、IFF2005の〈入選〉作に入り、それが契機となってカンヌ映画祭の〈監督週間〉に辻直之(彼も東京造形大学)と〈正式招待〉―― この夏に話題となったばかりです。

その後の彼は(新設の)造形大学・大学院に通っておりますが、何とその日の帰宅途中に(駅前で)ばったりと出会いました。
そこで、〈IF及び造形大〉の後輩に(広い意味で)刺激になるような新〈情報〉を〜〜 と、お願いしたという次第です。

カンヌ以来、いくつか嬉しい知らせがありましたので、
まとめてご報告いたしたいと思います。

「ソウルネットアンドフィルムフェスティバル」
http://senef.net/
実はこの映画祭へ出品したために釜山国際映画祭への出品が取り消しに
なってしまい(釜山は韓国プレミアという条件だったため)
あまり好印象を持っていなかったのですが、
カナダの「イメージズフェスティバル」でキュレイターを勤める
ジェレミー・リグズビーさんとお会いする機会があり
「ソウルで君の作品を見た。プログラムの中で目立っていたよ。」
と言われたときには、本当に出品させていただけてよかったと思いました。
どこで誰が見ていてくれるかわからないものなのですね。

「バンクーバー国際映画祭」
http://www.viff.org/
つい昨日参加して帰って来ました。
噂通りのアットホームなたいへん素晴らしい映画祭でした。
アジア映画にとても力を入れている映画祭で、
僕のは日本のアニメーションを集めたプログラムの中での上映でした。
2日間の上映は両日とも満員で、カナダにおける日本のアニメーション
への興味の高さを実感いたしました。
是非もう一度参加したい映画祭です。

「アニマドリッドフィルムフェスティバル」
http://www.ayto-pozuelo.es/ayuntamiento/concejalia/cultura/animadrid2005/index.htm
マドリッドで開催されるアニメーションフェスティバルです。
今までは、いわゆる実験映画、オルタナティブなどと呼ばれる作品として
招待上映されていたので、このようなアニメーションの映画祭に
コンペ入選作品として上映されることはとても自信につながります。
例えが悪いかもしれませんが、今までのものはエキシビジョンマッチで
今回はちゃんとしたリングに立っての試合という気がしています。
11月に開催されるとのことです。

「MTVステーションIDコンテスト」
http://www.mtvjapan.com/event/event_detail.html/id=34
グランプリをいただきました。
実は「診察室」の部分を30秒に再編集し、最後にMTVの
ロゴが入るように仕上げたものなので、少々気が引けるのですが、
自分の作品がはたしてこのような商業の世界でどのくらい通用するのか
を試してみたくてエントリーいたしました。
思いがけないグランプリの報告にとても驚いております。
賞金がなんと50万円!!タイトルは「保健室」です。

「BACA−JA」
http://www.ktv.co.jp/baca/about/index.html
最優秀賞をいただきました。
去年「ゆきどけ」で惨敗していたため、今年も期待はしていなかった
のですが、見事リベンジを果たすことが出来ました。
こちらも賞金50万円とのことです!
なんでも、松本俊夫さんに推していただいたとのことで
たいへん光栄に思っております。

コンペ等、むしろ落選の方がずっと多いくらいなのですが
一次落ちかグランプリかという極端な現状を楽しめる余裕が今では
出てきております。
これからも積極的に映画祭へのエントリーを行い、大切な自分の作品が
少しでも多くの方に見ていただけるように頑張りたいと思います。

もちろん、次回作以降も気をゆるめることなく、
更なる向上を目指すつもりでおりますので。

それでは、失礼いたします。
くれぐれもお体に気をつけてください。

大山慶

ぼくがこのメールを開いたのが7日の明け方〜〜 それは〈山形国際ドキュメンタリー映画祭〉へ出発する30分ほど前のことでしたのでアップロードは無理でした。

そして昨日の木曜日〜〜 またもや偶然、(造形大の)廊下で出会います―― !(笑)
そこで「カンヌ映画祭のことも是非とも欲しい情報」〜〜 と、お願いしました。

「カンヌ国際映画祭監督週間」

去年からカンヌ映画祭の監督週間で「オルタナティブプログラム」
が組まれるようになりました。いわゆる実験映画を扱うプログラムで、僕の作品はこのプログラムでの上映でした。このような有名な映画祭で個人が作った実験映像をとりあげていただくということは、とても有意義でありがたいことだと思います。去年、今年と、日本から2人ずつ招待されているので、これからも日本人の個人作家が毎年のように何人かずつ招待されることと思います。

見てきた印象としてはやはり大きな映画祭だけあってとても華やかでした。
海外映画祭への参加がはじめてだったこともあり、
自分の作品が上映されるまでは映画祭に参加しているというより、社会科見学にでも来ているような気分でいました。

上映が始まったら始まったで、なんだか自分の作品がとても稚拙なものに見えてしまい、上映後、映画祭のスタッフに「トイレに行きたいの?気持ち悪いの?」と言われるくらい落ち込んでしまいました。観客やスタッフや他の上映作家とコミュニケーションをとろうにも、英語がうまく話せないため思うようにいきません。いろいろな点でとても反省が残る映画祭参加となってしまいましたが、この経験を生かし、これからも作品を作り、発表し続けていきたいと強く思いました。

イメージフォーラムや東京造形大学の生徒には、頑張れば卒業制作がカンヌ映画祭に招待されるようなこともあるんだということを知ってもらいたいです。

bP34 2005.9.29  〈イタリア美術紀行〉−そのY:邦画の天才たちを重ねる!

この連載〈イタリア美術紀行〉もこれが最終章〜〜 最後は実験作家らしく大胆に締め括ろうと思っております!
それは、あのルネッサンス期の三天才
(= レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロ)に、最も日本映画が輝いた〈戦後昭和期 =1945.8.15〜1989.1.7〉に活躍した天才たちをダブらせてみる〜〜 という、前代未聞の実験なのです!(笑)

が、それには書く方にも読む方にもちょっとした〈覚悟〉は必要〜〜 いきなり〈本題〉という訳にはいきません。
先ずは、このツアーで遭遇した幾つかの体験談から入らせて頂きますので、そこのところ… 宜しく !

さて、イタリア産業の第1位は〈観光〉だそうです。
それには頷けますが、頷けないのは
(その大切な顧客である筈の)観光客の懐を狙う〈スリたち〉のお出迎え〜〜 その数の多さには全く吃驚させられます!

こちらの〈出立ち〉はといえば、半袖シャツにカーゴパンツ、そして小さなリュックにポシェット〜〜 あるいはその姿や年齢に〈隙〉を感じたのでしょうか、ぼくは4回に渡って襲われたのです―― !(笑)
(パスポートや財布など大切なものは複雑な構造を持つカーゴパンツの奥のポケットに、サングラスや筆記用具など盗られてもそれほどショックでないものはポシェットに入れました)

最初に遇ったのはヴェネチアの大運河を運航するヴァポレットの中〜〜 、この乗合船が観光スポット(= リアルト橋)の桟橋に着くと、ツーリストに混じって市民風の男たちがどっと乗船してきたのです。
途端に混雑する船内〜〜 気がつくとぼくを取り囲むように数人の若い男がいて、奴らは船の揺れを利用するかたちで体を押し付けてきます―― !

これが話に聞く〈集団スリ〉か 〜〜 !?
奴らが最初に狙ってきたのは左横腹の位置にあるポシェット〜〜 体を反転して振り切ろうとしたのですが離れず、やがてパスポートが入ったポケットの上にその手を伸ばしたので、合気道の手刀で勢いよく振り払ってやりました―― !

フィレンツェでは〈スリ〉には遇わず気持ちの良い観光となりましたが、ローマでは何と、3回も襲われます―― !

システィーナ礼拝堂でミケランジェロに陶酔〜〜 興奮覚めやらぬ心地で歩いていると、いきなり外人娘特有のイントネーションで、「サヨナラ!」〜〜 その声を発するや否や、若い2人の娘がぼくの体に絡み付いてきたのです―― !

3度目と4度目はローマの地下鉄:スパーニャ駅〜〜 近くにはスペイン広場や高級ブランド店街などがあるので〈スリ〉たちにとって最高の仕事場なのかも知れません。
そういえば駅前でも女の闘い―― 婦人警官と若いスリ女とが
(観光客の盗られた)ハンドバックを引っ張り合っている光景を目撃しています。

構内での〈スリ〉は、2〜3人でグループを組む主婦たち〜〜 否、主婦かどうかは定かではありませんが、(2回とも)その片方は赤ちゃんをだっこしていたのです!
この乳飲み子を抱えたお母さんが〈スリ〉だとは〜〜 こちらが電車に足を踏み入れた瞬間、ホームから手を伸ばして時計やポシェットを奪いにきたのですよ―― !

それなりに知恵を使って防御したので、4度の〈スリ襲来〉も幸い損害には繋がりませんでしたが、本当にうざったいです―― !
ガイドの話によると、「スリに遇うのは日本人とアメリカ人だけ〜〜 韓国や中国からのツーリストも増えたが、彼等にはスリは近づかない」そうです。その訳は、「
(スリの方が)逆襲されるのを恐れているから〜〜」だそうなので、日本人も心身を鍛えてこれからは〈逆襲〉にでましょうか〜〜 !?(笑)

さて、〈本題〉に入ります―― !
今度の旅で
(強烈に)出合った作品の多くが、教会の壁画などの大作だったことと、そこに存在する依頼主(スポンサー)ということなどから、ぼくは〈映画製作〉に通じるものを強く感じました。
つまり、画家と依頼主との関係と、監督と製作会社との関係〜〜 それが最も端的に重なって見えたのがミケランジェロと巨匠・黒澤 明の場合です。

ミケランジェロの「天井画」の依頼者は最高権力者の教皇ですが、その完成期限などでしばしば激突しています。
また「最後の審判」では、その裸体の乱舞に
(聖職者たちを中心に)非難の声が巻き起こりましたが、彼は屈せず、自分が信じる「裸体が最適」を通しました!(後に、局部には布が掛けられましたが)

一方、黒澤監督の『七人の侍』〜〜 1954年のこの東宝作品では、先ず黒澤の(神経衰弱による)入院、そしてロケに入ってからの天候や馬不足の問題などが次々と起こって大幅に遅れ、そしてそれに伴う予算のオーバー 〜〜 遂に会社首脳は一時製作を中断させました!

ミケランジェロと黒澤の共通点は、その妥協を許さない〈頑固さ〉〜〜 それが彫刻家・ミケランジェロをしてあの不朽の名画を描かせました。そして黒澤の場合は、(敗戦から丁度10年目に)日本人に誇りと自信を蘇らせ、更にその(日本の)存在を世界に堂々と知らしめる、あの大傑作を創り上げたのです―― !

さて次はラファエロ〜〜 すぐに浮かんできたその相方(あいかた)は寺山〜〜 歌人、詩人、小説家、劇作家、舞台演出家、実験映像作家、映画監督、そして競馬評論家としても名を馳せていたあの寺山修司です。

寺山と親しかった者に聞くと、〈〜 相手を立て、自分を立てる人 〜〉だったそうで、彼を慕って沢山の人たちが集まっていたのも頷けます。
またラファエロも〈協調性〉があり、製作中は助手たちに豪華な部屋を与えて〈やる気〉を起こさせるなど、人使いの上手い男だったようです。

山田風太郎の「人間臨終図鑑」(徳間書店)には、〈〜〜 寺山は「天才」にちがいなかったが、活動があまり多方面に散乱していたために、死後すぐに、それらの影響力はたちまち消えるであろう、せめて残るのは、彼が十八歳のときに作った、「マッチ擦るつかのま 海に霧ふかし 身捨てるほどの祖国はありや」以下一連の『チエホフ祭』と題する短歌だけだろうと評された(ただしこれも、他人の俳句を短歌にアレンジした剽窃(ひょうせつ)歌集であるが)。果して如何(いかん)。〉とあります。

その風太郎の予想は見事に外れ、死後十余年に渡って〈寺山ブーム〉は続きました!
それはさておき、文中にある〈他人の俳句を短歌にアレンジした剽窃歌集であるが〉〜〜 の〈剽窃〉がラファエロとのもうひとつの共通点〜〜 しかもその〈剽窃〉を共に悪びれていないところも一緒なのが面白いですよね…… 。
(笑)

さて、今度の旅でミケランジェロとラファエロの作品は沢山観ることが出来ましたが、もうひとりの大天才・レオナルド・ダ・ヴィンチの作品は悲しいかな、フィレンツェで「受胎告知」と「マギの礼拝」(共にウフィッツェ美術館所蔵)、そしてヴァチカンで「聖ヒエロニスム」(ヴァチカン宮絵画館所蔵)が観られただけです。

しかし、それはそれとして、
そのレオナルドにダブるご仁を見つけなければなりません〜〜 !
そこで出てきたのが大島 渚監督〜〜 2人の共通項は共にアーティストでありながらアーティストを超えた存在〜〜 というところです。

ご存知のように、レオナルドは様々(医学・自然・航空・大砲etc)な分野の科学者でもありましたが、我らが大島も(TVや活字を通しての)政治・社会問題などの極めて重要なジャーナリストのひとりでした。
そして、’60年代に彼が発した「全く新しい内容のものを、全く新しい方法論で撮らなければ映画として認めない!自己模倣も許さない―― !」というその言葉と実行こそ、あのレオナルドの〈発明的思考〉と重なる点であり、共にアートの〈大革命家〉だといえます―― !
(前々回の〈ローマのラファエロ〉の中でも触れましたが、ポール・ゴーギャンは「芸術家は、革命家になるか、剽窃家になるかのどちらかだ」といっております)

ラファエロの「アテネの学堂」を観た時に知った、あの〈古代ギリシャ〉と〈イタリア・ルネッサンス〉との重なり〜〜 〈戦後昭和期〉の監督たちも多士済々で、決してそれ等に劣らない素晴らしい時代を作ったと〜〜 ぼくは信じているのです―― !

まだまだ書くべきことは沢山あります。
1968年の「映画評論」
(1〜2月号)に連載された足立正生・唐 十郎・種村季弘よる座談会「メケ文化とマニエリスム」〜〜 そのマニエリスムが、実はミケランジェロの「天井画」の〈神の尻〉に繋がっていたのだということや、その後に起こるバロック期の天才・ベルルーニ(彫刻家、建築家)についても触れておきたかったのですが、この〈イタリア美術紀行〉を連載してから訪問者は激減しましたので、これで〈完結〉と致します〜〜! (笑)
             お付き合いほど、誠に有難う御座いました!

最後の〈おまけ〉〜〜 、
帰国を翌日に控えたローマの午後〜〜 大きな本屋のショーウインドーを眺めていた妻が、突然「吉本バナナの本〜〜!」といいました。
覗いて見ると、その表紙には確かに L' abito di piume Yoshimoto Banana とあって、何故かとても嬉しい気分になりました―― !


bP33 2005.9.15  〈イタリア美術紀行〉−そのX:神の如きミケランジェロ!

来年は、いよいよぼくも70歳〜〜、
杜甫
(とほ)の詩中の句「人生七十古来稀(まれ)なり」(現在は、70歳は稀ではなくなりましたが……)からきた「古稀(こき)」ですが、考えてみれば昔はみな数え年だったので、今がその最中なのですヨネ …… !?(笑)

ともあれ、人は歳をとるにしたがって段々と物に動じなくなってきます。ある意味でそれは〈カッコ イイ〉ことなのかも知れませんが、見方を変えればそれだけ〈鈍感〉になっていると云うことなのです
事実、美術に対する〈感動〉も、昔ほど純粋ではなくなって来ているような気がしてなりません。

そんなぼくでしたが―― 、
システィーナ礼拝堂に一歩足を踏み入れた途端にミケランジェロに呑み込まれ、その胎内でコドモのように興奮している〜〜 自分自身を見付けました!
これまで様々な名画
(の実物)を観てきましたが、こんな体験は勿論初めてです――!

ミケランジェロが32歳の時から4年余りかけて描いた「天井画」と、60歳の時から6年間を費やして描いた「最後の審判」〜〜 そのふたつがひとつの宇宙となって、そこに輝いていたのです――!

システィーナ礼拝堂
ミケランジェロの
「天井画」と壁画「最後の審判」

1505年、ミケランジェロは教皇・ユリウス2世に招かれ、教皇の墓廟の制作を依頼されます。
しかしそれは、教皇の心変わりによって中断〜〜 彼が命ぜられたのは礼拝堂の
「天井画」でした!

彫刻家であった彼は、フレスコ画は初めて〜〜 何度も辞退しますが最高権力者の至上命令なので引き受けざるを得なくなります。

しかし、何故このような(フレスコ画の)制作が彫刻家のミケランジェロに回ってきたのか〜〜 不思議だと思いませんか?

その答えは、ライバルの嫉妬心から出た〈推挙〉〜〜 、
教皇に寵愛される建築家・ブラマンテ
(= ラファエロの後見人)が、傲慢なミケランジェロに不慣れなフレスコ画を描かせ、その失敗によって彼の名声を失墜させてやろうと企んだのだと云うのです!

それにしても未経験者にとって、フレスコ画は大変です!
壁に漆喰
(しっくい)を塗り、それが乾き切らない内に素早く水彩絵具で描き切ると云う技法なので、描き直しも失敗も許されないのです―― !

さて、その教皇の注文はと言えば〈キリストの十二使徒〉〜〜 事実ミケランジェロも予備スケッチとしてその内の1枚を描いています。
しかしその広いスペースに十二使徒では淋しすぎると、教皇の構想に猛反対〜〜 既成の宗教画から脱し、彼の内面的な宗教性と結びつけた独自の哲学を展開すべく、その構想を推し進めてゆきます。

1508年の5月に取り掛かったその「天井画」〜〜 しかしフィレンツェから連れて来た助手たちとは気が合わず、遂には下仕事をする協力者さえも拒んでただ独り〜〜 来る日も来る日も身を弓なりに反らせて天井と向き合い、その超人的な精神力と体力とでこの苦行を続行します―― !
勿論、誰にも邪魔されないように、しっかりと
(礼拝堂に)鍵をかけての作業でした!

その構成は、〈預言者と巫女〉と、〈キリストの祖先たち〉と、〈旧約聖書にあるイスラエルの救済〉〜〜 、
そして最も重要な中央部には、9つの場面からなる〈創世記の物語〉を雄々しく展開させます―― !

「天井画」の「創世記」の部分

「天体の創造(太陽と月の創造)
厳しい顔の神が現れ、
昼と夜を創った後、遠ざかって行きます。
その優雅さと遊び心〜〜 それにしてもこの神お尻は絶品です!!

'12年10月〜〜 、
遂に300人余りを登場させた大作・「天井画」が完成します―― !

「美の本質は神に似せて創造された人間の肉体である――」と言い切るミケランジェロは、その彫刻的な肉体像の特徴を強調させる技法で圧倒〜〜 かつてない宗教画をカトリックの総本山・ヴァチカンの礼拝堂に誕生させたのです!

ブラマンテの〈陰謀〉のお陰で実現したこの大傑作〜〜 見上げる人々の口からでる言葉は、「神の如きミケランジェロ」です―― !

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

その「天井画」の完成から23年〜〜 60歳になったミケランジェロが再びシスティーナ礼拝堂に舞い戻ってきました。
しかしその20余年時間は長く、ヨーロッパでも、イタリアでも、ローマでも、様々な出来事が起こっていたのです!

ドイツの宗教改革者:ルターの「五十九箇条の意見書」(1517)に端を発する宗教改革の嵐〜〜 。
その吹き荒れる嵐の中で、あの二天才の相次ぐ死〜〜 69歳でレオナルド・ダ・ヴィンチ
(’19)が、そして翌年には37歳の若さでラファエロが逝きました。
更にそのローマでは、チャ−ルス5世率いる軍隊によって史上最悪と云われる略奪が行われていたのです―― !

そんな中、教皇・パウロ3世に呼び出されたミケランジェロ〜〜 彼は縦14m50、横13mの巨大な壁を前にして「最後の審判」の構想を練り上げます。

最上部には軽ろやかに舞う天使たちを、次の層には審判を下すキリストと十二使徒などを、そしてその下の層には天国に引き揚げられる者たちと地獄に墜ちてゆく者たちを配し、最下部には地獄〜〜 そこで苦しむ者たちの姿を描きます。

そもそもこの「最後の審判」とは〜〜 、
それは新約聖書に記された人類終末のドラマ〜〜 ミケランジェロはカトリックの危機感からこの絵を描いたと云われ、死を前にした全人類に対する彼の警告だとも云われているのです―― !

「最後の審判」の中央部分
審判を下すキリスト、右の鍵を持つペテロも左のヨハネもみな筋肉隆々マッチョです!

ミケランジェロのその彫刻的肉体表現は更に進化していて大胆〜〜 キリストもペテロもパオロもヨハネも筋肉隆々の肉体美〜〜 これまで観て来た宗教画の、あの痩せこけた人たちのお姿とは全く違う世界でした――!

それにしても凄い〜〜 彼はキリストを初めとする全員を、スッポンポンの素っ裸の姿で描き上げていたのです―― !
(ミケランジェロの最期の年’64年に、トレント公会議によって猥褻とみなされる部分を「おおい隠す」ことが決定、彼の弟子たちによって局部が隠され今の絵になりました)

祭壇画・「最後の審判」の登場人物は何と400人余り〜〜 しかしその彼等の〈裸体〉が原因で、「天井画」の時とは様子が違いました!
特に
(教皇に次ぐ権力者の)儀典長・チョゼーナからは「猥褻だ」と厳しい非難〜〜 そこでミケランジェロは、「芸術を知らぬ野蛮人」として彼を地獄に墜としたのです――!

哀れ、チョゼーナは地獄の番人・ミノスに〜〜 !
そしてその顔には驢馬の耳を、体には蛇を巻きつけました。有難いこと
(?)にその蛇は、チョゼーナの「猥褻」なるペニスを呑み込み、隠してあげています〜〜 何と云う恐ろしきブラック・ユーモア―― !(笑)

また聖バルトロメオの〈生きながら剥がれた皮〉〜〜 何とそこにあるのはミケランジェロ自身の自画像でした―― !
その歪んだ顔に、彼が受けた不当な待遇への恨みとみる学者もいれば、逆に己が犯した罪に対する慄きとみる研究者もいます。

審判を下すレスラーの如きキリスト
左は聖母マリア

生きながら剥がされた皮
そこにミケランジェロ
の自画像が〜〜

地獄の番人ミノスには
教皇庁儀典長の顔〜〜
蛇がその局部を呑んで隠します

祭壇画・「最後の審判」は、
1541年の完成ですから464年が経ちます。
が、その時間を超えたこの新鮮さ〜〜、
ルネッサンス芸術の最高峰として、永遠に輝き続けていきます―― !

☆ 次回は「ルネッサンスの三天才と日本映画の天才たち」です!


bP32 2005.8.29  〈イタリア美術紀行〉−そのW:ローマのラファエロ

ベネチアやフィレンツェでは全て〈自由行動〉でしたが、次は(初めての団体行動で)バスの旅〜〜 トスカーナ地方の小都市(シエナなど)を巡りながらローマへ入ります!(ローマでは3泊)

そのローマでは2つの〈団体行動〉を申し込みました。
ひとつは日本人ガイド
(女性)に案内されての〈市内観光〉〜〜 古代ローマの遺跡、ルネッサンス期や近世の建築物や彫刻などを通して、その歴史の深さを実感させられました。

もうひとつは〈ヴァチカン美術館とシスティーナ礼拝堂〉〜〜 こちらはこの旅の〈目玉〉ですのでぬかりなく〈予約〉を入れて、〈ガイド付き団体〉での美術鑑賞となります。

その〈ヴァチカン美術館〉の入口脇にある門〜〜 そこにはミケランジェロとラファエロの彫像が掲げられていて、ここでの〈主役〉を示していました。

1483年に画家の子として中部イタリアの小都市・ウルビーノで生まれたラファエロ〜〜 やがてペルージャの工房に弟子入りし、そこで教会の祭壇画などを手掛けていましたが、21歳の時にフィレンツェに移住します。

そのフィレンツェでレオナルド・ダ・ヴィンチの作品に魅せられ、その表現法を学んできたラファエロ〜〜 が、25歳の時に彼はローマに移ります。
教皇庁の建築家・ブラマンテ
(ヴァチカン宮殿などを手掛けた大建築家)が同郷であったため、その彼の推挙によってのローマ入りでした。

それは丁度ミケランジェロ(8歳年上)がシスティーナ礼拝堂の天井画に着手した頃でしたが、頑固者のミケランジェロと違って、協調性のある彼はたちまち教皇庁の寵児となり、教皇・ユリウス2世から〈教皇の居間〉の壁画を申し付けられたのです!

最初は助手がいたそうですが、やがてただ独りとなったミケランジェロ〜〜 その天井画を垣間見たラファエロは、これまでにない宗教画―― 特にその筋肉描写に大いなる刺激を受け、それを自分の絵に取り込もうと考えます――!

ラファエロには、ミケランジェロがレオナルドに燃やしたあの〈対抗意識〉などは全くなく、逆に敬愛しながらその技術を吸収し、自分のものにしていく〜〜 と云うしたたかさがあるのです!

「芸術家は、革命家になるか、剽窃(ひょうせつ)家になるかのどちらかだ」と言ったのは近世の画家:ポール・ゴーギャン〜〜 レオナルドやミケランジェロが前者なら、ラファエロは後者の〈剽窃家〉と云うことになりますよネ…… !(笑)

ともあれ、ラファエロはレオナルドのような哲学者でも科学者でもなく、またミケランジェロのような神がかり的な芸術家でもありません。
また先輩二人が共にホモだった
(?)のに対して、彼は健全な男性であり、ごく普通の女好きだったようです…… 。(笑い)

さて、ヴァチカンが収集し、また制作させてきた夥しい美術作品〜〜 その〈美のトンネル〉を抜けていくと、〈署名の間〉(「ラファエロの部屋」)に出ました!

そこには画集で観たことのある「聖体の論議」や「アテネの学堂」があり、幅 7〜8メートルもあるそれらの大壁画は、(画集では決して味わえない)圧倒的な存在感を見せ付けます。
そこで今回の一枚は、ラファエロ作・「アテネの学堂」―― !

ユリウス2世の注文は、「人類の知と徳のいっさい、哲学的探求」だったようです。

そこでラファエロが苦しんだ末に描いたのがこの傑作〜〜 古代ギリシャの偉人たちが一堂に会するものですが、彼は散漫になるのを防ぐには壮大な建築物が必用だと考えます。
そしてその中に見事な遠近法
(レンズでいえばやや望遠〜〜 それによって手前と奥の人物の大きさを余り変えないで済む)を用いて偉人たちを配したのです!

特に重要人物(と目される)プラトンとアリストテレスの位置が秀逸〜〜 彼等を一番奥に置きながら、手前に向って歩かせ(といっても、映画ではないので近づいては来ませんが)、更に(学問別に幾つかの)グループを作ることによって、鑑賞者の〈意識〉を逸らせないように工夫しており、大成功―― !

ヴァチカン宮殿署名の間にある、ラファエロの 「アテネの学堂」

その古代ギリシャの偉人たちには、プラトン、アリストテレス、ソクラテス、ピタゴラス、ユークリッド、ヘラクレイトスなどがいます。
そしてそれらの人物の〈風貌〉は、彼が敬愛するレオナルドやミケランジェロ、そして彼の恩人・ブラマンテなどでした―― !
そして、そのユークリッドのグループの後方に、自分自身の姿も描き込んでいます!


レオナルドの風貌の
プラトン(左)と
アリストテレス

ミケランジェロの風貌の
ヘラクレイトス(哲学者)

ブラマンテの風貌の
ユークリッド(数学者)

共同制作者の
ソドマと
ラファエロ自身(左)

このことは、
「あの最も偉大だった〈古代ギリシャ〉と比肩できるほど、われ等の時代も素晴らしいのだ!」〜〜 そんなラファエロの声が聞こえてくるようです―― !

※ 下絵ではヘラクレイトスはいなかったのですが、ミケランジェロの天井画を見て加えられたようです。また、当初はアリストテレスをミケランジェロの風貌でと考えていたようですが、彼に会って余りにもイメージが違ったので変えた〜〜とも言われています。

☆ 次回は「神のごときミケランジェロ」です!


bP31 2005.8.19  〈イタリア美術紀行〉−そのV:レオナルドとミケランジェロ

レオナルド・ダ・ヴィンチが青年期に入り、〈男色行為の容疑〉で起訴されていた(結局は証拠不十分で無罪)そんな頃、中部イタリア(のカプレーゼ)で産声を上げたのがもうひとりの大天才・ミケランジェロでした。

ミケランジェロは13歳でフィレンツェの工房に入りますが、師との折り合いが悪く直ぐにそこを止め、メディチ家の(庭園の)彫刻学校に通っていたようです。
そこでメディチ家当主・ロレンツォに才能を認められ、彼は養子同然の形でメディチ家に迎えられたのです―― !

アルノ川に架かるポンテ・ヴィッキオ
(14世紀半ばに造られたフィレンツェ最古の橋)

さて、レオナルドとミケランジェロ〜〜 、
この二大天才は終生しっくりした関係ではなかったようで、その原因のひとつは〈芸術観〉の違い〜〜 「絵画こそ最も優れた芸術であって、彫刻や文学はマイナーな存在に過ぎない」と言い切るレオナルドに対し、「彫刻こそ最高のもの」と考えるミケランジェロがそれに噛みついたのです。

更にミケランジェロが『ダヴィデ像』を完成させた時、その設置場所をめぐって問題が起きています。
彼は最も目立つ場所=〈市庁舎前広場〉を望んだのですが、設置委員のひとりであったレオナルドは屋内に置くべきだと強く主張〜〜 そのことによって二人の仲は更に気まずくなりました。

しかし、それはそれとしてレオナルドの『聖アンナと子母像』などからミケランジェロは多くの絵画的な手法を学んでいたことは確か〜〜 その偉大な先輩に対し、〈尊敬〉と〈嫉妬〉の入り混じった感情が彼の中で渦巻いていたのだと思います。

それにしても芸術家とは厄介な存在で、歳の差はあっても〈両雄並び立たず〉〜〜 ですが、これは現在でも全く同じだと思いますょ……!(笑)

ウフィッツェ美術館とその中庭

中庭には芸術家たちの彫像が並び
こちらはレオナルド・ダ・ヴィンチ

ミケランジェロの傑作
「ダヴィデ像」
(アカデミア美術館)

このフィレンツェの空の下では、あちこちから巨大な大理石像が観光客を見下ろしています。
そんな中にミケランジェロの『ダヴィデ像』のコピーも混ざっていましたが〜〜 余り感心できません。特に
(小高い丘の上にある)ミケランジェロ広場に建つ青銅色の『ダヴィデ像』はいけません!

ところが〜〜 、
アカデミア美術館で本物の『ダヴィデ像』を観た時、心底痺れました――!
それまでに観てきた露天の彫像たちとは全然違う何かを、そこに漂わせていたのです――!

レオナルドのいう〈屋根のある下〉がこの『ダヴィデ像』にとっては正解―― 更にその展示法が実に計算されていて効果的なのです。
通路の両脇に彫りかけの大理石などを配し、その正面奥に巨大な『ダヴィデ像』が毅然とたつ―― その演出がなんとも秀逸なのです!
辺りには
(完成した)彫像は一切なく、ミケランジェロの孤高な魂がダヴィデ像と重なって、そこに輝いていたのです―― !

この『ダヴィデ像』は、ミケランジェロが26歳の時にフィレンツェ市政長官から依頼を受けて制作された彫像です。
ダヴィデ
(= ヘブライ語で「愛された者」の意)とは、イスラエルの黄金期を作った紀元前の王で、古来フィレンツェの人々の敬愛する守護神であったために、この傑作の誕生によって街に大きな興奮が巻き起こり、青年・ミケランジェロはフィレンツェのシンボル的存在となったのでした―― !

しかし、熱心な共和主義者であったミケランジェロはやがてメディチ家( ロレンツォの後を継ぐ アレッサンドロ・デ・メディチ)から憎まれ、1534年にローマに去ります。

そのローマで彼は大ブレーク〜〜 ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の天井画で、「神のごときミケランジェロ」と賛辞を浴びますが、それは後のお楽しみ〜〜 ここフィレンツェでのフィナーレは、(偉人たちが埋葬されている)サンタ・ロレンツェ教会にある〈ミケランジェロの墓〉としましょう。

1564年に、ミケランジェロはローマの自宅で亡くなりますが、「魂を神に、肉体を大地に」と言い〜〜 、
更に、「せめて死んでからでもあの懐かしいフィレンツェに帰りたい〜〜」と願いながら息をひきとったと云われています―― 享年88歳でした。

生きて再びフィレンツェの土は踏めなかったミケランジェロでしたが、あのガリレオ・ガリレイの墓の隣りで、彼は安らかに眠っていました。

弟子のヴァザーリ
〈ミケランジェロの墓〉

☆ 次回は「ローマのラファエロ」です!


bP30 2005.8.10  〈イタリア美術紀行〉−そのU:フィレンツェのレオナルド

アドリア海に浮かぶベネチアから、急行列車(ユーロスター)で内陸部へ約3時間〜〜 ルネッサンスの古都・フィレンツェに移動してそこで2泊3日、腰を据えて美術館や教会等を巡ることにしました。

ご承知のように、ここフィレンツェは13世紀〜14世紀にかけて金融業や絹織物などで発展し、ヨーロッパで最も裕福な都市国家となりました。
そうしたなかで台頭したのがメディチ家〜〜 若い芸術家や建築家たちを各地から呼び寄せ、その莫大な富を惜しげもなく投資してこの地にルネッサンス芸術を開花させたのです。

ミケランジェロ広場からみたフィレンツェ
中央にはドゥオモ - 鐘楼とクーポラが聳えます
鐘楼からみた
クーポラ

その15世紀後半に完成なった都市がほぼそのままの姿で目の前に広がり、その美しさに興奮を覚えます――!
当時大事業であったドゥオモ
(正式には「花の聖母教会」)のクーポラ(大円蓋)はブルネッレスキが手掛け、鐘楼はジヨットの設計〜〜 共に天才的な建築家です。

そして「ヴィーナスの誕生」などで知られるボッティチェッリなどの画家たち〜〜 なかでも後に〈ルネッサンスの三天才〉と称せられるレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ〜〜 みなメディチ家の庇護のもとにその才能をこの地で磨いていったのです。

今回の主人公は、トスカーナ地方(フィレンツェなども含まれている)のヴィンチ村で1452年に生れたレオナルド・ダ・ヴィンチです。

しかし彼は画業だけに止まらない〈万能の人〉〜〜 科学者であり、発明家であり、技術者であり、思想家としても活躍しています。
そのこともあってか画家としては極めて寡作、更にその多くが未完成のまま放棄されているのです。

その数少ない完成作の「モナ・リサ」はパリのルーヴル美術館の所蔵だし、あの「最後の晩餐」はミラノのサンタ・マリア・デレ・グラツィエ聖堂の壁画です。
そういった訳で、このフィレンツェで観られるレオナルド作品は、未完の「マギの礼拝」
(=「東方三博士の礼拝」)と、完成作・「受胎告知」〜〜 共に(世界最高水準のコレクション)ウフィッツェ美術館に展示されています。

そこで今回の〈この1枚〉は、1472〜75年頃に描かれたといわれるこの「受胎告知」でゆきましょう―― !(別の資料には1475〜80年の作品だとありました)

レオナルド・ダ・ヴィンチの 「受胎告知」

さてこの〈板・油彩〉は、天使(ガブリエル)が舞い降りてきてマリアに〈キリストの受胎〉を告げるという聖書の名場面です。そのためこの画題には様々な画家が挑戦しており、レオナルド自身にも他に作品があります。

しかし、この「受胎告知」が他のそれ等と異なる点は、マリアの〈物体的な〉その表情にあります。
(マリア)も物体と同質に描かれたこの絵から、後に(アメリカの戦後美術=)ポップ・アートの中心的な存在となるロバート・ローシェンバーグが衝撃を受けていたのです!

彼は、「ここでは、木も岩も聖母も同時にまったく同じ重要さをもっている。階級(ヒエラルキー)がないのが面白い。いまのやり方で描こうと思ったのはこの作品が動機です〜〜」と語っており、写真などのコラージュやオブジェや絵具などが同存する〈コンバイン〉絵画を誕生させたのです――!
●右は、ローシェンバーグの「作品」 1966年

時代を超えて受ける芸術上の〈影響〉〜〜 レオナルドの「受胎告知」とローシェンバーグの「作品」―― その両者の間にどれほどの〈関係〉が存在するのかということについて他者はいたって鈍感なのですが、新しいアートを模索していた彼にとってその〈発見〉は〈啓示〉のような〈痺れ〉だったのだと思います――!

この〈イタリア美術紀行〉は、ただの美術鑑賞の旅でも、先達の作品を〈模倣〉するための旅でもなく、自分と自分の作品の〈革命〉に活かし得る何かを発見しようとする〈旅〉なので、このローシェンバーグの〈視点〉こそアーティストの〈真の影響〉のひとつの形なのだと、ここで言っておきたいのです――!

☆ 次回は「フィレンツェの、レオナルドとミケランジェロ」です!


bP29 2005.8.3  〈イタリア美術紀行〉−そのT:ベネチアではキリコが!

一週間ばかり妻とイタリアに行って来ました。

竹林紀雄(IF第5期卒業生)が演出した「ポール・ゴーギャン 説教のあとの幻影」(2000年10月6日放映)に刺激され、以後その番組=〈美の巨人たち〉(12ch・毎週土曜22時〜)を欠かさず見るようになります。
そこで展開する〈画家〉と〈環境〉と〈作品〉との格闘〜〜 中でもイタリア・ルネッサンス期のレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ等への興味は抑えがたく、何としても実物を観ておきたいと思い立っての旅です。

それは妻が見つけてきたH・I・Sの〈イタリアの休日 8日間〉のツアー〜〜 ベネチア − フィレンツェ − シエナ − タラモネ − ローマを巡るというもので、幾つかあるコースの中で最も〈単独行動〉が可能なものを選びました。

旅の時間軸に沿って綴るこの〈イタリア美術紀行〉〜〜 これから6回に渡って連載しますので、お付き合いのほど宜しくお願いします。

先ず最初に訪れたのは水の都・ベネチア〜〜 この街は120以上の小さな島が集まって出来ており、その島々の間をはしる運河は何と170余り〜〜 大小さまざまなその運河をゴンドラが長閑に行き交って旅情を演出しています。

ベネチアの大運河 左の船がヴァポレット

そして写真にある)大運河〜〜 ここには市民の日常の足であるヴァポレットが定期的に運航しており、同時にそれは観光客にとっても便利な乗り物となっています。
それにしても、運河の水面ぎりぎりに建ち並ぶ
(ホテルなどの)建築物〜〜 その異様な光景と規模の大きさに、驚かされます――!

さて、世界で最も重要な近代美術館の一つといわれる〈ペギー・グッゲンハイム・コレクション〉はその大運河の辺(ほとり)あり、ペギーが集めたキュビズム・アブストラクト・シュルレアリスム等の現代アートが常時展示されています。

この時の展示法は〈類型的なもの〉〜〜 それを象徴するかのように、パブロ・ピカソの「詩人」、ジョルジュ・ブラックの「クラリネット」、マルセル・デュシャンの「汽車の中の寂しげな青年」のキュビズム三作がメイン・スペースに並べられていました。

シュルレアリスムの作品も多く、ダリの作品があり、その隣には明らかにそのダリを真似た絵が澄ました顔で展示されています。
ミロの作品もエルンストの作品もありますが、それらも類型の絵に取り囲まれることによって、色褪せて感じられました。

そんな中で輝いていたのはジョルジョ・デ・キリコ(ギリシャ生れのイタリア人)の「赤い搭」(1913)でした――!
後に形而上絵画と呼ばれるこの絵は、ゴテゴテした絵の具の匂いから独り離れて静けさを保ち、不思議な力で我々の心を惹きつけます――!

そこに描かれているのは、左右の壁、広場に建つ騎馬像、蒼い空の下の小さな三軒の家、そして巨大な赤い搭〜〜 この非現実的な遠近法によって産み落とされた夢のような空間〜〜 そこには何となく落着かない孤独感のようなものが漂っています。
ともあれ、キリコのその魔術的なリアリズムが、全ての作品をここでは陵駕していたのです――!

この展示法:〈類型的なもの〉〜〜は、夫々の時代の(芸術上の)主義や運動の意義を強調する一方で、その哀れさも浮き彫りにします。
しかし、その残酷さは〈創造力の重要性〉を鼓舞しているようにも受取れ、大変に勉強になりました。

キリコのこの「赤い搭」は、その十年後に起こるシュルレアリスムの言わば先取り的な作品であります。
だから非現実的な世界が描かれていても、シュルレアリスムという〈イズム〉に侵されていない〈気品〉を醸しだしているのだと、確信しました――!

ジョルジョ・デ・キリコの「赤い搭」(1913)

☆ 次回は「フィレンツェのレオナルド・ダ・ヴィンチ」です!


bP28 2005.7.16  自己革命中の、〈日課〉と「ディリ―」 …… !?

3年ばかり前のことになりますが、若い人たちからぼくの〈日課〉について聞かれたことがあります。
その頃のぼくはごく普通の〈夜型人間〉だったので、
(仕事などの)予定のない日の起床は大体10時から12時―― 起きてからの行動もその時の気分次第だったので、正直に「出鱈目です。」と答えておきました。(笑)

ところが、その「出鱈目」もこの二月に入って突如「出鱈目」ではいられなくなりました。
糖尿病に罹って入院〜〜 その入院生活で〈夜型〉から〈朝型人間〉へと〈自己革命〉を迫られたのです――!

その〈朝型〉は退院しても続き、今では〈日課〉もばっちり決まってきました。(笑)
先ず、起床は6時30分頃〜〜 朝刊にざっと眼を通しながら朝食
(パン、生野菜、ヨーグルト)をとります。

それが済むと、ズボンのベルトに〈万歩計〉を差し込んでウォーキング〜〜 ルートは淺川周辺で、橋を渡ってから直ぐに右折し、下流に向って左岸の砂利道を進みます。
以前にもこのコースをよく歩きましたが、入院をしてみてそれはただの散歩や散策でしかなかったことを知りました〜〜!

病院で見せられた〈糖尿病治療のためのVTR〉10本の中に、「運動療法としてのウォーキング」があり、「視線は真っ直ぐ前方を、腕はやや大きく振って、足は踵から着地し、そして爪先で大地を蹴るようにして歩く」〜〜 のが大事なのだそうです!

そのウォーキングの教えを守りながら(本流の)多摩川との合流地点まで進むと、そこには堤防の終りを示す〈鉄枠〉があります。
その〈鉄枠〉を使って〈屈伸〉と〈腕立伏〉〜〜 汗を流しながら繰り返していると、体全体の筋肉の中に〈ブドウ糖〉がスムーズに入り込み、そこで勢いよく燃えているように思えて、快感を覚えます!
(笑)

その快感の余韻に浸りながら、〈梅雨〉で水かさを増した川辺へと進みます。
ここでは履き慣れたウォ―キング・シューズを脱ぎ、足は流れの中に点々と顔を出したり潜ったりしている
(コンクリートの)〈ブロック〉の上に伸ばして、跳ねるようにして対岸へ渉る〜〜 これがまた快感なのです!(笑)

右岸の土手の上を通って帰路につきますが〜〜 このウォーキングに費やす時間はおよそ50分で、〈万歩計〉は5,000をチョッと越えたところです。つまりぼくの場合だと10分で千歩という計算になりますので判り易くて良いですよね。

さて、その〈万歩計〉の数字が500ほど増えることが多くなりました!
コースからチョッと外れたところにコンビニがあって、前日に我が阪神タイガースが勝った時に限ってそこに立寄り、機関紙ともいうべき〈ディリ―スポーツ〉を買うのです。

7月13日の〈ディリ―スポーツ〉

先発陣が多少打たれても、6回までに(1点でも)勝ち越していればそれでOK〜〜 〈鉄壁の抑え〉= 藤川・ウィリアムス・久保田に任せておけば良いのです。
野手も夫々が素晴らしい働きをしていて清々しい限りです。が、あえて一人だけ名を挙げるなら「目指すは優勝の二文字だけ」という、アニキ・金本でしょう。

確かに星野前監督の力もあったと思いますが、あの2003年〜〜 〈駄目虎〉を内側から変えたのは金本で、黙々と努力するその姿を目の当りにして万年〈駄目虎〉の選手たちが〈自己革命〉を始めたのだ〜〜 と、ぼくは信じているのです!

その(一昨年の)セリーグ制覇は、何と18年振りでしたので、もう生きているうちはないのでは〜〜 と、ふと淋しくなることもありましたが、今年のセリーグ優勝はかなりの確率で可能だと思います。
問題は03年の〈日本シリーズ〉での悔しさ〜〜 相手がソフトバンクだと、これはまた大変だと思いますが…… !

それはさておき、話を〈日課〉に戻しましょう〜〜 、
近頃は、午前中に〈1日に何か一つは!〉をするようにしており、五月の中頃からは
(独学の)〈英会話〉に多くの時間を割くようにしています。

ほぼ50年間、英語を余り必用としない世界に身をおいてきましたので心配でしたが、単語の方は思っていた以上にその痕跡が脳内に残っていて嬉しくなります。
が、問題はリスニング〜〜 そのほとんどが知ってる単語で成り立っていても、ネィティブ・スピーカーの発音にはついていかれず、チンプンカンプンの時が多々あります。
でも目標は、〈日常英会話〉と各映画祭のHPやE-mailの英語程度ですので、続けていけば何とかなるのでは〜〜 と、思うようにしています。
(笑)

さて、さて、先に、「〈夜型〉から〈朝型人間〉へ」と述べましたが、実はそれは嘘でした〜〜 平に御容赦を――!
実際には〈夜型〉が消滅した訳ではなく、正確に申しますと〈昼寝つき朝・夜型〉なのです。〈昼寝〉を入れることによって、〈朝〉も〈夜〉もそれなりに楽しんでいるという次第なのです―― !


bP27 2995.7.5  遂に出る!〈新世紀アート・アニメーション〉DVD

ちょっと意外に思われるかも知れませんが、いまぼくが一番気になっている〈映像ジャンル〉は、若い人たちが作る〈アート・アニメーション〉なのです!

久し振りに会った批評家のI氏(多分彼は昭和6年生れ)が、「ぼくらは、(英語を)話せない、(社交ダンスを)踊れない世代」〜〜 といっていましたが、ぼくたち(昭和11年生れ)だってそのほとんどが、「話せない、踊れない」連中なのです。(でも、昨年オーバーハウゼン映画祭へ行った時、「もう少し話せたら……!」と思ったので、独学で英会話を始めました。割と面白いので少しは続くのではないかと思っているのですが......どうでしょうかね?)(笑)

その「話せない、踊れない」に、もうひとつ付け加える必要が出てきました。それは「アニメを撮れない」〜〜 です。

ぼくらの世代では、アニメを作るのは〈特殊〉な人たちでしたし、余り評価もされませんでした。
しかし、漫画や劇画にどっぷり漬かってきた
(世代の)者たちにとってアニメは身近な存在〜〜 その趣味的な映像を嫌というほど見せられてきました。

しかし、ここにきて〈異変〉が発生します。
それまでの趣味的なそれとは一線を画す、クオリティーの高い〈アート・アニメ〉が登場してきたのです!

映画の全盛期を知っているぼくらは、今の商業映画などに〈驚き〉など余り感じることはありませんが、この新しい〈アート・アニメ〉はとなると、ちょっと事情が違います!
それは我々
(黄金期の映画を享受した年代)が見落としていた(魅力的な)領域を、彼らがその確かな信念と、豊な感性とで切開きつつあるからです。

いまや続々と国境を越え、カンヌなどの世界の映画祭や美術館へ進出してゆく若い才能〜〜 ぼくはその世界に誇れる創造力を、多くの日本人に知って貰いたくてウズウズしていたのです!

そんな時に飛び込んできた嬉しいニュース〜〜 「シンキング・アンド・ドローイング−日本の新世紀アート・アニメーション」と銘打たれたDVD(税込み3,990円)が、8月25日にイメージフォーラムから発売されるのです―― !

1970年代以降に生まれた七人の作家の、九作品 ―― それらは、創作エネルギーに満ち充ちた斬新な作品たちで、いまぼくが最も手に入れたい一枚のDVDなのです―― !!

清家美佳 ...『蛾のいるところ』(6分) 『二層の葛』(8分)
野上寿綿実 ...『考える練習』(5分)
大山 慶 ...『ゆきどけ』(7分) 『診察室』(9分)
石田尚志 ...『部屋/形態』(7分)
倉重哲二 ...『兎ガ怕イ』(13分)
辻 直之 ...『闇を見つめる羽根』(17分)
壱岐紀仁 ...『怪談』(7分) 

このうちの約半分は既に観ている作品ですので、自信を持ってお薦めできます。
またDVD発売前にシアター・イメージフォーラムにて〈上映+トークイベント〉が企画されているようですので、詳細は後日〈上映会情報〉でお知らせ致します。


bP26 2005.6.18  パソコン本から美術書へ、そして――!

ぼくがパソコンを始めたのは1999年の秋で、翌年の2月にはこの〈映像万華〉を立ち上げています。

当時のぼくは63歳、60代の老人がHPを開設するというのはかなり珍しかったと思います。
更に映像編集の為のPCも購入、その2つのPCたちは必ずしもぼくに従順だったとはいえずトラブルは日常茶飯事〜〜 したがって読む本といえばPC関連のものばかりで、かなり消耗しました。
(笑い)

そんなある日、〈本から遠のいている〉ことにふと不安をおぼえ、(PCの師匠である)鈴木志郎康氏にお聞きしたところ〜〜 「読書量は減ったよ。かったるくって」〜〜と、読書家である筈の彼も、当時はそういっていました。

さて、そのPCたちもやっとぼくに馴染んできたので、(というよりはトラブルが起こらないように使っているのですが)一昨年あたりから(PC関連本以外の)読書を再開しています。

今割と嵌っているのが美術書〜〜、
TVドキュメンタリーの演出を長くやっていた関係で、文学・歴史・民俗・職人そして自然科学などの分野ではそれなりに深く首を突っ込んできました。しかしどういう訳か〈美術〉には縁が薄く、そのためにかえって今、沸々と興味が湧いてきたのだと思います。

前にも触れましたが、取っ付き易い美術書は何といっても〈一画家=1冊・100頁・1,100円+税〉の新潮社・〈美術文庫〉でしょう。
日本の画家45名を網羅した
〈新潮日本美術文庫〉〜〜 その中から「雪舟」「狩野永徳」「俵屋宗達」「狩野探幽」「尾形光琳」「与謝蕪村」「伊藤若冲」「円山応挙」「葛飾北斎」「酒井抱一」「田能村竹田」といったところを観てきましたが、〈世界編〉も気になります。

その〈新潮美術文庫〉は50巻で、「ラファエルロ」「レオナルド・ダ・ヴィンチ」「ミケランジェロ」「ボス」「ブルューゲル」「ゴヤ」「ゴッホ」「ゴーギャン」「ルソー」「デュシャン」ときましたが、こちらにも気になる画家はまだまだ沢山残っています。

ともあれ、
この〈美術文庫〉で更に詳しく知りたくなった画家は別の本で、また機会を狙ってその実物にもアプローチしています。

この春、東京国立近代美術館で開催された《ゴッホ展》にも妻と出掛けました。
といっても、最初はその長蛇の列に圧倒されて撤退〜〜 日を改めて出直し、今度は確
(しか)とこの眼に(その凄さを)焼き付けてきました。
「糸杉と星の見える道」などに潜む〈狂気〉も心を打ちましたが、その狂気を超えた作品・「サン=レミの療養院の庭」の、その初夏の瑞々しい色づかいは想像以上〜〜 終生忘れ得ぬものになったと思います!

横浜美術館で観た《マルセル・デュシャン展》からも大いなる感動を受けました。
ポール・ゴーギャンの言葉の中に「芸術家は、革命家になるか、剽窃家になるかのどちらかだ」というのがありますが、このデュシャンは明らかにその前者であり、特にその代表作「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも= あるいは大ガラス」には、時代を超えて親近感を得ました!

そして今日、突然―― !
本屋で「画狂人ホルスト・ヤンセン」という画集が眼に飛び込んできました――!
我らが画狂老人= 葛飾北斎を師と仰ぐこのドイツの画家
(1929−1995)の絵たち(主に、ペン、鉛筆、水彩、パステルと、木版画&銅版画)が、ぼくの心を捉えたのです!

平凡社・コロナ・ブックス 1,600円+税

そして、ふとその〈オビ〉に目をやると、
これは「日本巡回展にあわせ、」た本だそうで、その
《ホルスト・ヤンセン展》の〈予定〉が付記されています。
☆ 2005年7-8月 気仙沼市・リアスアーク美術館 ☆ 2005年10月 大丸ミュージアム・梅田 ☆ 2005年12月−2006年1月 八王子市美術館 ☆ 2006年4-5月 埼玉県立美術館―― 。

そのどれもが、決して有名な美術館とはいえませんが〜〜 何故かそういうところにぼくは〈素晴らしさ〉をおぼえてしまいます!(笑)
ともあれ、ぼくにとっては近距離にある〈八王子市美術館〉での開催が大変に嬉しく、そこでハンブルグの鬼才の子供たちとのご対面という訳で〜〜 今から楽しみにしています。

「ギリシャの青年」 1978年 ペン、水彩


bP25 2005.5.26  「映像表現のオルタナテヴ」で、那田氏が〜〜!

森話社の〈日本映画史叢書〉の第3巻、「映像表現のオルタナティヴ 一九六〇年代の逸脱と創造」が遂に出ました――!

西嶋憲生=(編)
「映像表現のオルタナティヴ」
森話社:3200+税)

この〈日本映画史叢書〉は、「サイレント時代から現代まで〈日本映画史〉をテーマ別にとらえる初の画期的シリーズ!!」と(そのチラシに)(うた)われています。
また、「いわゆる〈名作〉や〈有名監督〉にかたよることなく、実験映画やドキュメンタリー、文化映画、ニュース映画など、これまで体系的に論じられることが比較的少なかったジャンル・作品・人物もとりあげて、日本映画・映像の歴史と問題を総合的に検討する」〜〜 とも明記されております。

既に、
岩本憲児=(編)による第1巻「日本映画とナショナリズム 1931−1945」と第2巻「映画と「大東亜共栄圏」」が出版されていますが、それらのタイトルからして〈エポック・メーキング〉な叢書―― その第3弾として登場した西嶋憲生=(編)による「映像表現のオルタナティヴ」も、〈映画史シリーズ〉としてはこれまでに類例のない〈アヴァンギャルド精神〉がそのモチーフ―― 内容も緻密にして且つ大胆、画期的な〈実験フィールド〉です!

〔総論〕
1、アヴァンギャルドとオルタナティヴ〜
一九五〇−六〇年代を中心に西嶋憲生
〔T〕映像表現とアヴァンギャルド
2、劇場の三科とダダ映画…
西村智弘
3、戦後アヴァンギャルドの映像と身体…
越後谷卓司
4、可能性の映画〜
瀧口修造の『北斎』シナリオとシュルレアリスム倉林 靖
5、
松本俊夫の実験としての映画形式… 広瀬 愛
6、日本映画の六〇年代と
金井 勝那田尚史
7、
寺山修司の映画的実験〜 『審判』の場合広瀬 愛
〔U〕日本映画とその外部
8、日本映画の新しい波〜
一九六〇年代岩本憲児
9、時代を証言する〜
大島 渚『日本の夜と霧』論御園生涼子
10、『砂の女』再読〜
レスビアン・リーディングの新たな可能性溝口彰子
11、
増村保造から純映画劇運動へ〜 『イントレランス』公開滝浪佑紀
12、
日本映画の他者、ドナルド・リチー占領下における反=啓蒙者の肖像高崎俊夫
13、もう一人のクロサワ〜
フランス映画批評における黒沢清の受容御園生涼子

〜〜と、いった興味深い内容ですが、ここでは那田尚史氏の〈日本映画の六〇年代と金井 勝〉についてチョッと触れさせて頂きたいと思います。

かねてから那田氏は、「金井勝論はぼくしか書けない――!」と仰っていましたし、また実際に「月刊・イメージフォーラム」を初めとする雑誌類や、『時が乱吹く』のチラシ、そしてまた「映画学」(早稲田大学)などの研究誌でもその健筆を揮っており、ぼくとしてはその都度大いなる勇気を頂いてきました。

しかし、今度の「日本映画の六〇年代と金井 勝」論はまた格別〜〜 !
良くここまで調べ上げたかという〈情報の量と質〉、そしてその分析の〈精密さ〉―― 彼の〈完全主義的な性格〉が現れ、その隙のない論考が圧倒します――!

その文中にも出てきますが、
ぼくの作品は、〈これまでにないものを創り出そうとするために〉手掛かりとなる前例・類例が少なく、そのために〈批評の書き難い作品〉だと敬遠されてきたように思われます。
しかし、那田氏の31ページに及ぶこの文章の出現によって、〈微笑う銀河系・三部作〉を作っておいて良かったと、心底から思いました―― 感謝!

その〈微笑う銀河系三部作〉のneoneo坐上映ですが、あと2日後(=28日・土)に迫り年甲斐もなく緊張してきました――!(笑)
三部作の中で、既に御覧になっている作品もあると思いますので1本だけでも大歓迎―― ご高覧のほど宜しくお願い致します!

尚、5月6日号でお報せした拙著・『微笑う銀河系』の会場販売は不可能となり、ここにお詫び申し上げます。(出版社の倉庫に16冊ある筈だそうですが、まだ見付からないそうです!)
その代わりというのも変ですが、neoneo坐でこの「映像表現のオルタナティヴ」を出版社から預かり販売するそうですので、宜しく―― !

「映像表現のオルタナテヴ」に関するWeb情報 A B C ☆ 「映像学」で大橋勝氏が絶賛


bP24 2005.5.15  速報!真利子君からの嬉しい報せ!

先ほどかわなか のぶひろさんからメールが届きました。
そのメールの元はといえば
真利子哲也(IF27期・専科)からで、昨年ぼくが国際批評家連盟賞を受賞した独逸・オーバーハウゼン国際短編映画祭で、彼も受賞したという嬉しい報せでした!

金井さま

真利子くんからメールが入りました。

> かわなか さま
>
> お久しぶりです 先日はメールありがとうございました 新作観たかったですが、
> 四日からドイツに行ってましたので拝見できませんでした  イメフォフェスにも
> 一度も行けず、残念に思っております  とにかくまたどこかで上映する情報は
> 見逃さないようにします 楽しみにしております
> それと私事ですが、専科の卒制「マリコ三十騎」がオーバーハウゼン国際
> 短篇映画祭で
「オーバーハウゼン国際短篇映画祭賞」というものを受賞しました 
> かわなかさんにもお世話になった作品なのでお知らせするとともに 金井さんに
> お会いすることがあれば、受賞の旨お伝えいただけますか?直接お話してま
> せんが、応募は映像万華での情報でしたので感謝しております。
> 長くなりましたが今後とも活動していきますので、どうぞよろしくお願いします。

なんと師についでの受賞とは、嬉しいではありませんか。
今年は大山慶『診察室』カンヌ国際映画祭の監督週間に招待されたり、若い
世代の活躍が目立ちます。
こっちもがんばらにゃぁ…。

かわなかのぶひろ

映画祭のHPにアクセスしてみましたら〜〜 、
インターナショナル部門には日本人作家の作品が4作ノミネートされていました。が、受賞作品は真利子哲也『マリコ三十騎』のみでした。

● 真利子君へ〜〜 先ずはおめでとう―― !
かわなかさんからは、「学生の受賞はほかの学生にも奮起を促すと思います」〜〜 ということで掲載許可を頂きましたが、貴兄のメールアドレスは分らなかったので事後承諾となりますが―― そこんところ、宜しく !


bP23 2005.5.6  拙著・『微笑う銀河系』が〈完売〉間近 ― !

前号でも触れた下高井戸シネマでの「生命のかたち 風のいろ」ですが、14年前の作品というハンデを乗越えて我が『時が乱吹く』も大健闘〜〜 70〜80%の入りを確保しました―― !

更にトークやロビーでの雰囲気などで勇気百倍〜〜 『熊笹の遺言』今田哲史監督などからも「neoneo坐での〈微笑う銀河系三部作〉を観に行きます!」―― という、嬉しいお言葉を頂戴しました!

ご高覧頂きました皆様、そして〈優れたドキュメンタリー映画を観る会〉の飯田光代さんを初めとする上映スタッフや関係者の皆様方に、この勝丸―― 心から御礼申し上げます。

さて、長年に渡って気になっていたもののひとつに拙著・『微笑う銀河系』(れんが書房新社)があります。
発行が1981年4月ですので四半世紀になろうとしていますが、一向に〈完売〉の報が届きません…… 。
(笑)
そこで先日出版社に問い合わせたところ、まだ20〜30部が残っているとのことでした―― !

発行部数2,000で、260頁、2,000円〜〜 当時としては〈かなり高い〉値段だったので心配していましたが、それでも何とか〈ほぼ完売〉状態にまで辿り着いたという訳ですよ
それならいっそのことその全部を買い取って、気持ち良く
(出版社に)〈在庫ナシ〉―― にしたいのですが(本当にそれだけの在庫があるのかどうか怪しく)〜〜 全てはGW明けまで持ち越されます。

それにしても長きに渡ってよく生き延びてこられたものだと思っています。もしこれが大手の出版社だったら、資本の原理に基づき直ちに「売れない本ゆえに、汝を処刑す――!」と宣告され、とうの昔に〈火炙の刑〉に処せられていた筈ですが、書籍に対する愛情と信念と思想とを持ちえた経営者だったが故に、辛くも生き延びてこられたのですよ…… 感謝!

さてその本の内容ですが、『無人列島』『GOOD−BYE』『王国』(完成作品からの)再録シナリオと、映画化されなかったシナリオ『城門の蟹』(1976年脱稿:金 井勝、青戸隆明、小野沢稔彦、澤 則雄の共同作業)を軸に据えて、それに日本読書新聞などに掲載した映画論やエッセイなどを絡ませ、編年体で構成されています。

何故に〈シナリオ群〉を軸に据えたかというと、前出の『城門の蟹』が予算の関係上映画化を諦めざるを得なくなったということで、1年間かけたこの力作を何らかの形に残さなければいけないと思ったのがその始まりです。
否、そのことがあったからこそこの本が誕生したような訳で、現に「勝丸シネマの代表作は、空前絶後のオリジナル= 『城門の蟹』―― !」という者も決して少なくは有りません…… !
(笑)

ともあれ、もし10部でも20部でも入手できましたら、5月28日のneoneo坐 = 〈金井勝の微笑う銀河系三部作 一挙上映〉の会場で販売させて頂こうかなと思っておりますので、何卒宜しく―― !


bP22 2005.4.26  GWは〈映像アート〉へ―― !

早いものでもう直ぐGW(ゴールデン・ウィーク) 〜〜 その晴れがましい季節の到来を告げるように石楠花が艶やかに開きました。

昨年のこの時期をふと思えば〜〜 丁度この日(26日)は空の上、胸躍らせて独逸に向って飛んでいたんですよ――!
拙作・
『スーパードキュメンタリー前衛仙術』第50回オーバーハウゼン国際短篇映画祭のコンペにノミネートされて、そして国際批評家連盟賞をゲット―― 我ながら天晴(あっぱ)れ也の67歳でした!(笑い)

初夏を演出する生垣〜〜この上には巨峰の葡萄棚

GWといえば映像アートの祭典・〈イメージフォーラム フィルム フェスティバル〉〜〜 (今年もぼくは出品していませんが)出来うる限り拝見するつもりでおりますので、皆さんと会場でお会い出来ればと思っております。
尚、一般公募部門で入賞した
『診察室』大山 慶君から先日連絡が入り、カンヌ映画祭の監督週間から招待されたとのことでした―― Aプロですので、是非ともお見逃しのないよう宜しくお願い致します!

さて、ご存知のようにぼくは映像作家ですが、〈映像〉より〈言葉〉から影響を受ける性質(たち)のようで、特に2つのそれが作品作りの(精神的上の)礎石となっております。

その1つは大学に入った頃に出合ったもので「アートは永遠の時間」という命題、もう1つは’60年代の中頃だったと思いますが、「全く新しい内容のものを、全く新しい方法論で作らなければ映画として認めない!自己模倣も許さない―― !!」という、ともに刺激的な言葉です。

多分前者はフランスの哲学者・ベルグソンのだと思いますが、何せ50年も前のことですのでその辺は曖昧〜〜 ご容赦下さい。後者は間違いなく当時新鋭監督であった大島 渚氏のもので、この2つとの出合いがあったらばこそ、〈流行り物〉ではない作品(といって自作に満足している訳ではありませんが、そのことだけは自負しています!)を撮れてきたのだと、心底から両氏の言葉に感謝しております――!

しかし、時間というものは容赦を知らない〈無常の神〉ですので、過去の作品の上映は正直にいって大変に恐いものです。
が、それが作家の宿命―― 昔の作品が〈時を超えて今どれほどの力を保持しているのか〉を知らなければならないし、避けて通れないところです―― !

その〈恐ろしい時間〉がまた迫ってきました。
’91に公開した
『時が乱吹く』が、〈優れたドキュメンタリー映画を観る会〉主催の「ドキュメンタリー10作品 日替わり上映」の1本に選ばれ、明後日(28日木)下高井戸シネマのレイトショーで上映されるのです。

昨日その10作の中の1本・『こんばんは』を観てきましたが、70〜80%の入りで観客の反応も良く、客観的に観て、この作品については〈成功〉を感じました。(座席数126)

しかしそれは(レイトショーではなく)モーニングショーだったこともあってか、若い人が少なかったので、ぼくの作品とはチョッと客層が違うような気もしました。
また、
『時が乱吹く』はドキュメンタリーとして作った作品ではないので、〈場違い〉とならなければ…… と、とても心配になってきました。(笑い)

そんな訳で、若い方のご高覧を熱望〜〜 宜しくお願い致します―― !


bP21 2005.4.5  吾はもう、身も心も革命中――!

前号でもお伝えしたようにぼくは永遠の〈糖尿病患者〉で、退院後も〈食事療法〉、〈運動療法〉、〈薬物療法〉をきちんとやっていますので先ずは順調〜〜(病院で購入した)〈血糖値測定器〉で定期的に測っているのですが理想の数字を保っています!
普段はずぼらな方ですが、こういうことになると割と頑張ってしまう性質のようです
……。(笑)

さて、還暦を過ぎてから〈厭世主義〉から〈楽天主義〉に切替えようと努力してきましたが、その甲斐あって嫌なことが起こっても以前のようには落ち込まなくなりました。
ぶち当たった〈難事〉も、〈プラス思考〉でいけばそこに切り抜ける術が生まれ、逆にその〈難事〉がメリットとしてその後に繋がるケースがあることを何度も体験しています。

と、いったような訳で〜〜〈プラス思考〉でいけば、〈糖尿病〉= 〈不幸〉だとは言い切れないのです。(笑)
そのメリットのひとつが〈味覚〉の復活〜〜 今は飽食の時代ですので、その結果として現代人はみな〈美食ぼけ〉に陥っており、舌も〈鈍感〉になっています。
ところが、糖尿病に罹ったお陰で毎日が低カロリーの粗食〜〜 そのために
(カロリーを計算に入れて)たまに食べる高価な食品の味は感動的―― 人間にとって頗る大切な〈本来の味覚〉を取り戻すことができて、その〈贅沢さ〉を噛締めているという訳です―― !(笑)

また、この入院生活を機に(実際には糖尿病を予感した時からで、丁度2ヶ月になる)〈禁煙〉〜〜 加えて〈夜型〉から〈朝型〉への断行―― !
この2つのことは、何十年という自分の長い歴史を一挙に180度転換させるのだから、大革命といえるのではないでしょうか―― !?

それ故に、まだいろんな点で整理がつかずギクシャクしているのも事実です。
その大きな問題のひとつが、PCで文字を綴ることの億劫さ〜〜 濛々とした
(煙草の)煙の中でしか文字を綴ってこなかったので、その悪習が邪魔をしているのだと思えるし、〈朝型人間〉になったことによって起こる〈昼間の思考〉―― に、馴染んでないためだとも考えられます。

しかし、その過渡期にあってもモットーとしている〈1日に何か一つは〉を怠る訳にはいきません!
そこで手っ取り早いのが読書〜〜 主に〈新潮日本美術文庫〉と〈新潮世界美術文庫〉を読み込んできましたが、ここでも行く手に立ち塞ぐものが現れました。
それは、これまでは無縁だった〈花粉症〉で、ぼくの場合は眼にきたのです――
しょぼつく眼で無理に続けようとすると、苛ついてくるのです……!

残るはただひとつ〜〜 それは庭の整備です。
拙作・『聖なる劇場』『スーパードキュメンタリー 前衛仙術』などを御覧の方はもうご存知の筈ですが、家にはちょっとした庭があり、池や小川もあります。勿論ぼくが造ったものですが〜〜 そこには十数種類の野鳥を初めとして、爬虫類、両生類、そして様々な昆虫たちがやってきて、彼らのパフォーマンスが繰り広げられています。

その彼らの舞台である庭―― その景色をこれからどう纏め上げてゆくか〜〜 それにはまだ若干の迷いもあります。
日本風だと陰気だし、かといって西洋の明るい花々で覆いたくはありませんので、難しい問題なのです〜〜 とはいっても、小さなスペースですので笑われてしまうかも知れませんが…… 。(笑)

とりあえず、この春に植えた樹木は、玄関の前に三つ葉躑躅(ツツジ)と黒竹、生垣沿いに卯の花(ウズキ)を5株、それに猫柳、紫陽花(4種類)、野牡丹、金柑、千両、万両etc.....草花では苧環(オダマキ)、水仙、蕗etc.....
造ったものとしては野鳥の巣箱と、木葡萄の棚―― 後者は暮に造っておいたものを更に改造。(葡萄、木通(アケビ)に続く第3の棚となったこの木葡萄の棚〜〜 その実が熟した頃に写真で紹介します)

野鳥の巣箱の方は、せせらぎによく水浴びにくるシジュウカラのために造ったものですが、木材が新しいので使用されるとしても2〜3年はかかると思いますし、場所も移さなければいけないのかも知れません。まぁ〜〜 当分の間は庭のアクセサリーと考えています。(笑)

ともあれ、
もう少し時間が経てば、〈朝型〉にも〈禁煙〉にも慣れ、〈花粉症〉からも解放され〜〜 その結果として当然この〈映像万華〉も充実する筈ですので、ご贔屓のほど宜しくお願い致します―― !

山椒(サンショウ)の木にかけた巣箱


bP20 2005.3.11  ぼくは、糖尿病患者…… !

1月8日号の〈ビタミンEが不足してました!〉で、〈医学や健康〉に詳しい方は既に察していたのかも知れませんが〜〜 ぼくは〈糖尿病〉でした――!

広辞苑には、糖尿病は「持続的な高血糖・糖尿を呈する代謝疾患。インシュリンの欠乏・作用阻害があり、糖・蛋白・脂肪の代謝異常を伴い、口渇・多飲・多尿を呈し、網膜症・腎症・動脈硬化を併発しやすい」とあります。

時々起こるようになった手足の〈痺れ〉や〈攣り〉はビタミンEを服用することによってその場は抑えられましたが、これまでに経験したことのない〈口の渇き〉がそれに付け加わってきました。その〈渇き〉に対応する為に取る〈多量の水分〉―― その結果として排出される〈大量の尿〉〜〜 特に夜は辛く、2〜3度トイレに起きなければならなくなり、更に体重が減ってきたので〈糖尿病〉を自覚したという次第。

そこで近くの診療所に飛び込んで診てもらうと、食前の血糖値が292(100から70が正常)―― 医師は「これは疑いもなく糖尿病〜〜 設備が整っている病院を紹介しましょう」ということになって、日野市立病院に入院しました。
(丁度その頃、友人のかわなかのぶひろ氏は胃の手術―― 彼のWeb〈かわごちコラム・日記編〉に、心に響く闘病日記が掲載されています)

ここは新築なってまだ1年半だというだけに清潔感が溢れた施設で、先ずは安心します。
ぼくが入ったのは4人部屋ですが、このフロア−の患者の多くが糖尿病のようで、彼らはみな明るくて親切〜〜 新参者のぼくに、自分の体験や知識などを教えてくれたりして、想像していたよりはだいぶ気分の良い入院生活となりました。

さて、糖尿病の恐さは、神経症、網膜症、腎症、血管障害などの合併症―― 、
先ず眼科に呼ばれて網膜症の検査。続いてレントゲンによる内蔵の検査。心電図を使っての動脈硬化の検査。更にエコーを使っての頚動脈と腹部の検査etc〜〜 その検査結果ですが、合併症は見付からず、先ずはホッと致します―― !

これらの検査や、毎日見ることになった〈糖尿病治療〉のVTR(ぼくが見たのは9本)などを通して判ったこと〜〜 、
糖尿病は血管(特に毛細血管)の病気で、〈インシュリン依存性〉のT型と、〈インシュリン非依存性〉のU型とがあり、ぼくのはU型で、生活習慣病といわれている方の糖尿病でした。

こちらは遺伝的な要素の高い病で、膵臓から分泌されるインシュリン(=ホルモン)が不足しやすい体質にあるようです。
血糖を減少させるそのインシュリンが欠乏することによって、腸内から吸収された〈糖分〉が体内で利用されずに血管内に溜まってしまって、血糖値が高くなるのだそうです。

古来日本人は農耕民族であり、カロリーの高いものを食していなかったが、戦後になって肉食や乳製品などの高カロリーの食生活に変わったがために増加した糖尿病〜〜 現在では40歳以上の人の10%が糖尿病患者で、〈国民病〉ともいわれているのだそうです――!

その治療には〈食事療法〉〈運動療法〉〈薬物療法〉―― 、
病室では、〈食事〉はカロリーとバランスが計算された食事、〈運動〉は(ぼくの場合は)階段を使ってのウォーキングと手摺を使った腹筋運動、〈薬物〉はインシュリンの出の手助けをする二種類の飲み薬〜〜 これをきちんと守ったためでしょう、順調に血糖値は下がり10日間で退院することができました――!!

しかし、糖尿病は〈完治〉がないというから辛いですね!
退院しても、〈食事療法〉〈運動療法〉〈薬物療法〉をバランスよく行ってゆかなければ逆戻りで、同室になった先輩たちもその〈帰ってきた〉人たちでした。(笑)

〈運動療法〉や〈薬物療法〉は苦になりませんが、問題は〈食事療法〉です。
ぼくの場合1日に許されたカロリーは1,700Kcalで、これを遵守するのは大変ですが、頑張ってみるしかありません―― !!!
それにしても、脂がのったあの鰻も、ビフテキや焼肉も、もう死ぬまで(満足には)食べられないのだと思うと、トホホ…… 寂しいですよね……!(笑)


bP19 2005.2.21  禁煙、そして多摩のあわ雪

昨年の4月4日に、堂々と〈禁煙〉を宣言しましたが、情けなや2ヶ月とは持ちませんでした。(笑)

煙草は自分の健康のことだけでなく、周りの人にも迷惑をかけますので何としても止めたいのですが、PCなどに向っていると苛ついてきて我慢が出来なくなります。
そこでつくづくと思うことは、既に煙草を止めてしまった友人たちの存在で、さして意思が堅固とはいえない彼らに出来て、どうして俺には出来ないのか〜〜 という不思議さです。(笑)

しかし、煙草は「百害あって一利なし」の典型で、全く宜しくありません―― !
そこで、この2月7日から第2回目の〈禁煙〉を決行し、この2週間は全く吸っておりません、、、が、時々無性に欲しくなります。
そうなった時には、何も考えずに外に飛び出て歩くこと―― !

一昨日は春のあわ雪〜〜 ウォーキングを兼ねて、多摩丘陵の頂きにある天然温泉 クワ・ガーデンに行ってきました。

農村の佇まいを残す集落

丘陵からの新興住宅地

山頂にあるクワ・ガーデン


bP18 2005.2.12  最後となった〈映像芸術V〉の今年は、豊饒でした!

今年になって、PCの調子が2台ともおかしくなりました。特にHP担当のSOTECの方はもう6年目に入っているので〈寿命〉かと諦めかけましたが、それでもと、サービスセンターに相談〜〜 結局〈画像設定〉を変えたら全てが解決しました。一方、映像編集担当のVAIOの方は〈デフラグ〉がトラブルを起こしていたのですが、こちらも何とか解決してホッとしました。(笑)

さて東京造形大学の〈映像芸術V〉は三年生が受講生で、前期を川中伸啓教授が担当し、ぼくが後期を受持って制作指導をおこなっています。その後期で夫々が制作する作品は、いわば〈プレ卒業制作〉的な位置づけにある重要な制作です。
’04年度の受講者は20名〜〜 ’00年度からの授業では一番の年になりましたので、主だったものをここに紹介させて頂きます。

能登芽衣子「記憶繭」
電車のドアにとまっていた一匹の蛾〜〜、その蛾の存在と絡めながら、作者は〈痴呆〉や〈記憶〉についての独創的な世界を展開してゆきます。
コメントには「祖母が痴呆になり、人の記憶とは何かと、考えるようになった。記憶には形がない。目には見えないし、手で触れることもできない。もとから、記憶というものは不確かなものだ。その不確かなものに、仮の形を与えられないだろうか、と思った」というのが出発点で、「例えば、体の記憶をつかさどる所に蚕が居て、みたもの、きいたもの、思ったこと……すべて記憶になるものを喰べ、その糸を吐き、繭をつくり、蛾になる準備をしていたらどうだろう。成虫になったら、その蛾は、記憶に形を与えるものになるのではないだろうか 〜〜」とありました。
これは近親者の〈痴呆症〉を目の当りにしたことによって生まれた〈心境作品〉で、仲が良かった祖父のことさえ全く憶えていなくなった祖母の〈記憶の喪失〉が、作者にはとても衝撃的だったのです。
画面は、その祖母を中心とした家族の写真群と、椿の花や松の梢、白い鉢、水面、青いガラス、地面に映る大きな網の影などが連なって、そこに作者独自の〈記憶考〉が語られてゆくのです。
それは、祖母の飛んでいってしまった〈記憶〉、そして何時か自分にもやってくるかも知れない〈記憶の喪失〉を、作者は〈蚕−繭−蛹−蛾〉のようなものとして捉えてみて、その難しいだろう〈結論〉を、強(したた)かな構成力と表現力とで納得させてしまいます。「電車の扉に止まっていた蛾〜〜 あれは誰かの記憶だったのだろうか」―― この極めて短いナレーションによって、観客の一人ひとりがトップ・シーンの情景(電車のドアの蛾)をフィード・バックさせて、やがて(上映が終わった後でも)じわじわと作者の心象世界のなかに溶け込んでゆく―― そんな作品でした!
◆ 構成力、映像の選び方、そして洗練されたナレーション―― これはこれまでにない大胆にして緻密な映像詩だと思いました。
作者は几帳面な性格なので構成にも無駄がありません。が、作品としてはもっとゆったりとして、もう少し時間も長い方(あと2〜3分)が宜しいと思います。

江崎 愛 「きょうみをひくおんな」(5分)
若い女が窓を細目に開けて煙草を吹かしていましたが、やがて彼女は携帯電話を取り出しました。すると画面は2分割―― その右側の画面では若い男が携帯に耳に当てています。
さてその話の内容は、彼女に付き纏っている男のことで、その恐さや今後の対策などに付いて(恋人に)相談している〜〜 と、観客には思えるのですが、彼は何の反応も示さずチョッと違和感を感じてきます。
そうこうするうちに、細かい文字が詰まった(ストーカーからの)手紙、携帯の着信履歴のアップ、彼女が歩く夜道などがインサートされてきます。が、やがて男は(彼女の話を無視して?)携帯を置き、部屋から出てゆくではありませんか――!?
さて、これからどう展開していくのだろうかと思っていると、彼女は「〜〜では、明日警察に行ってみる〜〜 お母さんも気をつけてね」といいました〜〜 そこで話していた相手が郷里の母親だったことが観客に判りました!
と、その時、玄関のチャイムが鳴って出てゆきますが、誰もいません〜〜 カメラが(パンして)居間に戻ると、(煙を逃がす為に空けた)ベランダの窓にあの男の顔が現れ、今まさに入ってこようとするところです――!!
◆ ストーカーは、特にひとり暮らしの女性にとっては切実な問題です。が、この作者の非凡さはその構成の斬新さです。戦略・戦術を駆使して観客と真っ向勝負をしているところが面白く、忘れ得ぬ作品となりました。
しかし途中に入る「聞いてるの?」という言葉が気になりました。電話の相手が母親ならこんな時代なので真剣だと思います。また男の部屋から幽かな〈話し中〉の〈信号音〉が洩れてきた方が納得されると思います。ともあれ、観客との智恵比べの作品ですので、その加減が勝負ですね。

武田早智「擬態」(1分30秒)
薄暗い部屋に目覚ましの時を刻む音、ベルが鳴って次々と開かれるカーテン〜〜 と、そこには所狭しと様々な物品が並び、積まれているのが見えてきます。
その物で埋まった部屋の全景―― やがてこの部屋の主であろう女性が現れて、上着を脱ぎ、ズボンを脱いで、パンツとブラジャーだけになりました。
そしてお腹の贅肉を摘む指。左手で右腕を削るように掻くが、決して細くはなりません―― やがて画面は女の顔のアップ。鏡の中の顔。そして女は2つの化粧液をその顔に塗ってパック〜〜 ところがそのパックを剥がすと、顔までが一緒に剥がれて床に落ちて、顔のなくなった女がそこにいました!
◆ これは物に依存する現代社会を風刺したシニカルな作品ですが、その内容と共に、表現力も豊で、実写と手描きアニメの微妙な兼合いが実に見事です!
しかし、何といっても1分半というこの長さでは〜〜 例えば、街に出る、或いは彼女が窓外を見る〜〜 と、そこにいる人々の服装はどうなのか?そしてどんな顔なのか?〜〜 それでも物足りなければ、その街中に墜落する戦闘機―― 良く見ると、パイロットは女性で顔は無くなっています〜〜。
否、これらはあっけなくあそこで終わってしまったのが口惜しく述べたまでで〜〜 武田ならきっと突き抜けてくれると期待してます!

伊藤香澄「彼女の呼吸」(4分30秒)
俯瞰の街の雑踏、歩道橋の上の少女、その少女の視線(=見た目)の、人々の背中―― それらの画面に「ちょっと深呼吸をして、」とか、「ちょっと呼吸を」、「止めました...」とかの字幕が入って、少女の横顔になります。
すると、画面は群衆にゆっくりとズームしてストップモーションとなり、目の前を横切る女もストップモーション〜〜 が、よく見るとその後ろにある看板のネオンが動いていました!そして、次は大通りの交差点〜〜 人も車も止っているが、信号機だけは点滅しています―― !
これは少女が息を止めたことにより発生した〈妄想イメージ〉〜〜 その妄想は沸騰する薬缶、洗い場の水、公園の毬と木馬、ブランコ、ピアノやコーヒー、書初めの筆に激突するオモチャ、氷が入ったジョッキー、昼下がりの河へと綿々と続きますが、みなその画面の中の一部が動いている静止画です。
やがて、少女が吸い込んでいた息を吐き出して、画面が正常の風景に戻りました!
◆ 画面をストップさせて、その中の一部分を動かすというアイデアは実にユニーク。またその技法や技術も高い水準にあると思いました。
客観描写としての少女と、少女が妄想するイメージとの関係をもう少しハッキリさせた方が良かったし、イメージ場面も選択の仕方で更に良くなると筈です。

柿本千都留「巣」(2分)
テレビのある広い室内――、帰宅した女性は何故か爪を切り始めます。切られた爪は(敷かれた)紙の上に次々と落ちてゆきます。
ここまでは至って平凡な映像の連なりでしたが、次の指のアップ・ショットで一変します!親指を撫ぜると、そこから噴き出たのは無数の蛆虫たち―― (実写との合成アニメ)で、度肝を抜かれます!
そして、両手両足の指先から這い出した蛆の群れ〜〜 やがてその虫たちはズボンを駆け上ってきて彼女の顔に迫って来ます―― !
恐怖に慄き、両手で顔を覆い叫ぶ女〜〜 その開いた口の中に現れたのは、一匹の巨大な蛆虫(写真合成)でした。
◆ これはまだ未完成で、話は部屋の崩壊まで続くのだそうですが、「何の変哲もない日常が、何の前ぶれもなくいきなり奪われてしまう話」だそうで、作者はそこに潜んでいた異物をシロアリとして表現しようとしたわけです。
そのことは必ずしも斬新とはいえませんが、平凡な画面作りから突如現れる蛆虫群の出現―― その意表をつく展開の仕方に非凡なものを感じさせます―― !
が、蛆虫の群れが出てしまった後の爪の色(あのマニキュアでは駄目)や、口の中の蛆虫も、描きアニメで動く方が良いと思いますよ! 

小川拓郎「真昼の窓際」(素材は16mm モノクロ 8分30秒 )
車からの移動で下町の風景がゆっくりと流れ、次はその俯瞰の家並み。光を反射させる窓のあるビル。光がいっぱいの室内、その床の影〜〜 やがてそこに下着姿のダンサーが現れ華麗に肢体を動かして踊ります。
一方、光に満ち満ちた路地にも男が現れ、その目(口ではなく)には花が。逆光線に白くとんだ男の身体の輪郭―― 。
カーテンが揺れる室内では先のダンサーの下半身〜〜 その股間から血液が流れ落ちています。
そして電柱と壁に映ったその電柱の影がいとおしく、室内では上半身裸の男〜〜 床をはってきた血が男の足元を包みました。
その血を指先にした男は外へ。男は火達磨で、女は屋内で優雅に舞うダンス〜〜 といったモノクロの映像が時間軸にそって流れている作品です。
◆ 16mmのモノクロ―― 先ず光を巧く捉えているという点で感心させられましたが、構成がこれで良いのかどうか判りません。
そこで作者のコメントを見てみると「この作品は真昼の光がつくる空気をテーマにつくりました。真昼の晴れた日に窓から外をのぞくと、ぼやけた白い世界が広がっている。また屋根に反射した光や窓から入ってくる光によって生まれる影などは、私の感覚をとても刺激する。そして又、その雰囲気は夢のようでもある。そこで、その光の空気と夢のようなものを組みあわせて、1つの独特の世界観をつくることを試みた」とあります。
「光の空気」と「夢」でしたか〜〜 確かに面白いところをついた作品です。しかし燃えるマネキンなどは繰り返し出てこない方が良いと思いましたし、音の問題もまだ残っております―― 頑張れ!

藤井佑亮「COME COME DELUSION」(4分)
これは欲求不満の男の妄想―― 主人公の男が洗面所に入ってきて〈水〉の蛇口の栓を捻ると、管の先端がもそもそと動き、そこから出てきたのは何と足〜〜 それは粘土の男の足で、やがて全身が現れます。次に〈お湯〉の蛇口〜〜 こちらから出てきたのは女で、その男女の人形は愛欲に溺れて睦み合いながら排水溝の中に消えてゆきました。
それを見て興奮した男は、〈お湯〉の蛇口だけを捻って女の人形だけで浴槽をいっぱいにします。
その(女の)人形たちはといえば、みな艶かしいポーズで彼を誘っています。その色気にやられた男の眼は何と花盛り(描きアニメ)〜〜 急いで裸になると浴槽の中に飛び込みました―― !
体中に纏わりついてくる女の人形群〜〜 その官能的な蠢きの中に彼は溺れてゆくのでした。
◆ 粘土人形の驚くべき数〜〜 更にその動作や仕草を出演者でもある作者がひとりでやったのだから〈凄い〉です!
しかしその為に巧くいっている所と、もたもたしている所とがあり、チョッと惜しい気がします。藤井君はひとりでコツコツとやるタイプのようですが、時には他人の手を借りて、大規模でありながら〈緻密なショット〉も必用―― 観客を唸らせ、その瞳を釘付けにすることも、頭の片隅に入れておいて下さい。

安川 暁「浸色」(12分45秒)
塗りつぶされた黒い顔――、携帯が鳴る、ベッドを出て外出する男、地下鉄を降りて街に出ると、街はけばけばしい色の氾濫。原色の衝立〜 原色の自販機〜 原色の広告などなど。
図書館に入った男は色彩学の本を読み、公園で女と会います。
次の日も男は街へ〜〜 カラフルなビル〜、カラフルな看板〜、そして色彩学の本と取組み、公園で話す相手は前日の女です。が、その女の皮膚に現れた〈小さな染み〉〜〜 それは〈原色の色〉でした。
男が翌日公園にゆくと、「色彩検定2級問題」というのを読んでいた女〜〜 その顔は目の辺りを除くと他は黒く固まっており、その黒い皮の下には原色のいろの残骸がありました―― そして、男の皮膚も……!!
◆ これは「街中にあふれる自己主張の強すぎる色。それは私たちにとってあたりまえのものではあるが気づかない間に汚染され、体に浸色してゆく。」というのが作者のコンセプトです。その発想には納得出来るし、力作でもあります。特にラストシーンの、原色によって塗り固められ、黒く爛れた男の肌が記憶に残りました!
しかし、構成法に問題あり―― 射精などのいらないシーンや、最初に汚染された皮膚を出しては効果が薄れますので、もっと観客との知恵比べをして下さい。

また、「雨の音によって現れる自分の意識の境界線に安心感と緊張感を感じる。その不安定な意識の間合いを表現しようと思った。」という永田 純「垂直の音」などがありましたが、これからが勝負ですので皆さん頑張って下さい!

その〈映像芸術V〉ですが、2005年度からは〈映像表現V〉と〈映像表現W〉とに分かれ夫々が独立―― これまでの〈映像芸術V〉としては最後の年になりましたが、結果としては最高の年度でした!


bP17 2005.1.20  大掃除を終えて、様々なアートと向き合う日々

1月8日号で既に触れましたように、家の中に溜まった諸々の整理に明け暮れておりましたが、それも9日でようやく終わり、スッキリとした気分になりました―― !

10日(月)にはそのスッキリとした気分で、IF卒業生がやっている上映会のひとつ・〈埼玉ビデオ〉に行ってきました。
Aプロは鈴木野々歩 「風をとって」樋渡麻実子 「髭の濃い女」。Bプロは佐川桂代 「鬼が笑う」木村文昭 「わざわざ下北沢」です。
彼らは卒業制作展で注目されたり、また映画祭で受賞した者もおりますので力があり、他の上映グループで観た作品に比べるとかなり良かったと思います。しかし彼ら自身の卒制と比較してみると、必ずしも〈前進〉したとは言い切れませんので、更に上を目指してもらいたいと思いました。

11日(火)は高幡不動の駅前のジョナサンで、新潮日本美術文庫の「尾形光琳」を読みました。
有名な「燕子花(かきつばた)図屏風」や「紅白梅図屏風」などは以前に琳派展で観ていますが、藪睨みに睨んだユーモラスな虎の「竹に虎図」等も大好きになりました。
が、以外だったのは、光琳が高い評価を得るのが百年後だったということ〜〜 これも「アートは永遠の時間」のひとつで、その時代には時期尚早でも後に拾ってくれる時代がくる、ということですよ

歌舞伎座の前で

12日(水)は歌舞伎座に行きます。
その切っ掛けは新聞販売店の〈招待〉に当たったからであり、妻は大喜び〜〜 しかしそれは三階席だったので、更に5,000円をプラスして一階席を確保しました。が、一階席は一階席でも後ろから二列目でした―― !(笑)

出し物は、「鳴神(なるかみ)「土蜘(つちぐも)「魚屋宗五郎」―― 。
「鳴神」は、朝廷に恨みを抱く鳴神上人(三津五郎)が秘術を使って龍を滝壷に封じ込め、日照りにして人々を苦しめていました。そこで朝廷は雲の絶間姫(時蔵)を遣わし、色仕掛けで上人を篭絡〜〜 やがて姫は注連縄を切って龍を解き放ちます。
何せ舞台が遠いので、持参したバードヴォッチング用の双眼鏡を取り出して観ます〜〜 と、時蔵の姫の顔は実に綺麗でした。また騙されたと知って怒り狂う三津五郎の荒事芸も圧巻でした。が、問題はその龍〜〜 どんな龍が出てくるのかと期待してたら、実にしょぼいものでした。(笑)
「土蜘」にはちょっと疲れましたが、「魚屋宗五郎」は世話物なので肩の力が抜けて楽しむことができました。

13日(木)は東京造形大学〈映像芸術V〉の審査上映会〜〜 前期を担当した川中教授と一緒に(受講生の)作品を観ました。
彼らと最初に会った時の印象は、大人しく覇気が感じられなかったので心配だったのですが、段々と気迫を面に出し、結果的にはぼくが受持つようになった2000年度からのクラスで一番の年になり、大変に嬉しく思っております。
それらの作品についての講評は、後日このHPで掲載しますのでご期待下さい。(受講生の諸君へ=厳正をきするために提出された作品をもう一度観て採点します)

14日(金)ですが、読みかけの本を読んでいたら小さな活字のためか首周りと肩が異常に張ったので本を閉じて天然温泉・クワ・ガーデンへ―― 60分のマッサージを頼みます。
この前の時の指圧師は男性で頗る良かったのですが、この日は何故この人がと思える妙齢な女性が指圧師〜〜 その技術が未熟だったのかぼくの体に合わなかったのか、ほとんど効目はありませんでした…… 。(笑い)
「一日に何かひとつはやる!」を目標にしていますが、こういった空振りの日もありますよね―― 「残念〜 斬る!」否、これは 「切腹!」なのでしょうか〜〜 ?(笑い)

15日(土)は新潮日本美術文庫の6冊目となる「円山応挙」を読みました。
応挙は当時の京都画壇では大西酔月に次ぐ第二番に挙げられていた絵師で、それに続くのが伊藤若冲池 大雅与謝蕪村でした。(といっても一位の大西酔月が時の流れの中で消えてしまってはいますが)

しかしこの写生の天才も、他の絵師などからは「奥がない」と批判されていたようですが、「雨竹風竹図屏風」や「氷図屏風」などには(巧さだけでなく)こちらの心を打つものがあります!
また彼の良いところは古いものに縛られないところで、レンズや(ガラスの)鏡を使ってミラクルな世界への挑戦もしており、(極端な遠近法の絵)応挙筆・直視式目鏡絵「三十三間通し矢図」などのあることを知って驚かされました。

16日(日)は、ラ・カメラ シネマ フォー アイズに行き、山崎幹夫作品「眠る永遠主義」と、山田勇男作品「かげろふ」「独逸日録」を観てきました。

「眠る永遠主義」は山崎氏のHPにある「廃墟の悦楽」や「東京いい路地 ソソル路地」にも通じる8mm作品だと思いましたが、「物語の発生しようもないもの。そしてできれば意味がきれいに剥落しているようなもの〜〜」を狙って取組んだのだそうです。
映画は時間のアートですので、観手(観客)はひとつの映像に意味を考え、映像が繋がってゆくとそこに自分勝手な物語を作り出してゆきます。そういった意味でこれは大いなる冒険作品ですが、その作者の〈狙い〉の〈成否〉はともかくとして、ぼくには大変に惹かれた映像群で、流石だと思いました。

山田氏の「かげろふ」は自分の影法師を巧みに重ねたりしながらゆらゆらと進んでゆく秀作で、もう一度観たくなる作品でした。
「独逸日録」の方は、彼の特集が組まれて招待されたオーバーハウゼン映画祭を中心に、ドイツの幾つかの街と、そこにいた人物などを瞬時に切り撮ってきた映像で組み立てられていました。が、その中にぼくの顔が7〜8カットあったのには仰天させられました。(笑)

17日(月)は、新潮日本美術文庫の7冊目となる「狩野永徳」―― 。
永徳の代表作「唐獅子図屏風」を観ると桃山時代が浮かび上がってくると解説にありましたが、確かに迫力のある雄々しい二頭の獅子の絵です。天下統一を目指していた信長秀吉の〈威圧〉が伝わってくる絵でした。

永徳の遺品は少なく確証のある作品は10点足らずだそうですが、8枚の襖いっぱいに暴れまわる怪獣のような檜―― その「檜図屏風」も伝・狩野永徳となっています。が、これほどの作品は永徳以外には不可能だということのようです。

特に、このニ作に永徳と他の絵師との差を感じましたが、仙人図襖絵の「蝦蟇・鉄拐仙人図」や「王子喬図」などにも、前衛仙術を編出したこの勝丸にとっては大いに興味を惹かれる作品でした〜〜 。(笑)

※ まぁ、老人の「日録」などは余り長いと退屈ですのでこの辺で止めようと思います。お付き合い有難う御座いました。


bP16 2005.1.8  ビタミンE が不足してました!

我が家の正月の花は例年だと蝋梅―― 元旦には香気を発して咲き誇っていました。
しかし、今年は暖冬の為か、落葉 - 蕾の膨らみ - 開花という手順が大幅に狂い、クリスマスの頃まではまだ青葉が沢山残っていたのです。
それでも大晦日の雪で葉は枯れ、それまで葉陰で出番を待っていた蕾たちが登場して、彼らはその時間の遅れを取り戻そうと、いま健気に頑張っているところです。

蝋梅の蕾たち

その蝋梅に代ってトップバッターを務めたのは池の脇の8年目になるアロエ―― 今年初めて花をつけました。
一昨年は円錐形の力強い蕾が期待をもたせましたが霜にやられ、昨年はその蕾の影さえもなく、高幡での露地植えでは花は無理かと思っていたのですが、こちらは暖冬の助けもあって、見事な開花となったわけです。

初めて咲いたアロエの花

さて、ぼくの方は、暮からの大掃除がまだ片付いておらずスッキリとした気分には至っておりません。(笑)
歳を重ねると自然と本や資料等が増え、映像用の機材、電化製品等々も溜まりにたまって身動きが取れなくなってきます。
そこで大掃除を兼ねてそれらの整理を始めてみたのですが、それがなかなか大変〜〜 お正月を挟みまだ続いているという有様なのです。(笑)

その遅れの理由には、何を残し、何を捨てるべきかという選択の問題があります。
その決定に〈潔さ〉が欠けているのだと思いますが、捨ててしまって後悔するわけにはゆきませんのでどうしても慎重になり、時間がかかってしまうのです。

そしてもうひとつの理由は、ぼくの肉体上に起きた問題です。
肩や首の異常な〈凝り〉、そして脹脛(ふくらはぎ)の〈攣(つ)り〉、更には手の指が〈攣〉ったのです。
脹脛の方はこれまでにもありましたが、指の〈攣り〉は初めてだったので仰天――!両手の人差指と中指とが異様な形でくっつき、ぬるま湯につけてみてもどうにも離れないのです――!(笑)

これは一大事〜〜 マッサージ機に座って身体をほぐしてみると、一時的には〈凝り〉も〈攣り〉も治まりました。
しかし何時また襲ってくるかも知れないので薬局へ―― 「ナチュラルビタミンE」 と記されたサプリメントを取り出して、薬剤師は「手足の〈攣り〉の他に、肩や首すじの凝り、手足のしびれなどにも効きますよ。但し、食後直ぐ呑んで下さい。食後直ぐでないと効き目はありませんから〜〜」といいます。

いわれた通りにすると、成る程〜〜 〈凝り〉も〈攣り〉もなくなりました――!
詰まる所、ぼくには〈 ビタミンE 〉が不足していたのですが、説明書には〈更年期障害〉にも効くとありました。医学に鈍感なぼくは、男も女と同じなのだと改めて思いました。(笑)

ともあれそんなわけで、家の〈片付け〉は大幅に遅れ、またHPの更新も滞っていたという次第です。
訪問者の皆様方にもご迷惑をお掛けしましたが、もう直ぐ全てが正常に戻ると思いますので、本年もご贔屓のほど、宜しくお願い致します。


bP15 2005.1.元旦  謹賀新年

昨年は
天災、人災など、いろいろとありましたが
今年が素晴らしい年になりますよう―― 念じます!

高幡不動尊



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