勝丸の映像かわら版

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   10,
2000.12.21〜31 20世紀最後の11日間

21日(木)
府中市文化センターで
渡辺文樹監督の『腹腹時計』を観ました。
相変わらずのラジカルシネマに驚嘆しましたが、その辺りのことは後日「この人を見よ」で詳しく取り上げるつもりですのでご期待下さい。

22日(金)
和田淳子監督から『ボディドロップアスファルト』のVTRが送られてきました。
丁度去年のこの日にぼくの出番があって、西武池袋線のひばりが丘の公民館で撮影――VTRの添え書きには、その時のカメラマン・
白尾一博君と結婚したとあります。
和田さんと白尾君はともにIFの卒業生で映像表現に関しても絶妙のコンビ――これからが更に楽しみで、心から祝福致します。

23日(
八王子のヨドバシカメラで「システムソフト電子辞典シリーズ」を購入し、インストールしました。
このシリーズでは、岩波国語辞典、漢字源、研究社新英和・和英中辞典、現代用語の基礎知識が収録されていましたが、やはり広辞苑も欲しくなりましたので近々に購入しようと思っております。

24日(
年の瀬の風物詩ともいえる有馬記念――、
今年は、春のG1は良く当たりましたが秋は不調です。このレースも2−3−4−7−13の馬連とワイドをボックスで買いましたが、当たって負けの結果でした。
でも7番テイエムオペラオーと13番メイショウオウドウの鼻差の叩き合いに、何故か映像界にも通ずる「勝負根性」を感じました。
その有馬記念の馬券を買って、IFシネマテークへ――、
23期の卒業生有志の新作展「先行逃切り」のBプロを観たのですが、先週ご覧になった
鈴木志郎康さんから頂いたメールに「全体の印象は、中間講評程度で した。自分に向かう姿勢はいいけど、詰めが出来ないようですね」とありましたとおりの結果でした。
卒業して一人で作ると往々にして観客との勝負を忘れがちです。映像専科に入って鍛えなおすのも良いと思います。
ともあれ有馬記念のオペラオーのように「詰」をしっかりと頑張って下さい!
さて、24日のバレンタインデーは、3年目の結婚記念日――、
近くのジョナサンで二人だけのささやかな宴を楽しみました。

25日(月)
妻は仕事なので、今年は一人で大掃除――、
まるまる1日を費やして頑張りましたが、幾つかの部屋は手付かずで、残りは大晦日までにチョコチョコとやるつもりです。
でも、綺麗になった部屋部屋はやはり清々しく、これが年の瀬の良さなのだと改めて思いました。

26日(火)
ぼくが出演することになった
『冬のカゲロウ』(仮題)のメイン・スタッフが打ち合わせのために来宅――、
既に監督の
二瓶君とカメラを担当する赤間君とは造形大のキャンパスで会っておりましたが、その脚本の第1稿を手掛けたという小川君とはこれが初対面です。
台本の細部のチェックや、ぼくが演じる幸蔵という老人の人物像とそれに伴う演技などについて暫し話し合いをおこないました。
またこの脚本が出来るまでの経緯などについてもぼくには非常に興味があります。
赤間君を含め、彼ら三人は造形大の昨年度の卒業生で、二瓶君だけが研究生として大学に残り、これはその卒業制作――小川・赤間の両君はその協力者ですが、ただの協力者というよりはむしろ自分たちも映像界デビューの突破口にしたいという考えがあっての参加――という気配が感じられて頼もしく思いました。
さてその脚本ですが、先ず小川君が初稿を書き、それを基に三人でディスカッションを繰り返し、二瓶君が決定稿を仕上げたのだそうです。
勿論、この間に担当の
波多野教授のアドバイスもあったと思いますが、丸3ヶ月間この脚本に没頭しただけの甲斐があって、ぼくには久々に巡り合えた面白い脚本でした。
しかし作品は、台本が面白くても出来上がったものが全てですので、出演者の一人としてぼくも大いに責任の重さを感じています。
(写真は、二瓶 剛監督(右)と脚本と録音などを担当する小川昌之君)

27日(水)
今日は、PC室を徹底して大掃除――、

28日(木)
PCを開くと、なんとあの
『夢走る』でお伝さんを演じてくれた高橋葉子さんからメールがきていました。彼女は現在ニューヨーク大学のアート校の大学院でパフォーマンス・スタディーを専攻しているのだそうです。
その彼女が冬休みで帰ってきたそうで、メールには
今晩ひょんなことから金井監督のHPを発見して、びっくり!私の声が聞こえる!「いらっしゃんせ〜」」とありましたが、さぞかしビックリしたことだと思います。
その葉子さんへの返信のキーを叩いていると、二瓶君たちが迎えにきました。今夜が
『冬のカゲロウ』のクランクインで、車は夜の都心に向かって出発です。

29日(金)
昨日の深夜に
『冬のカゲロウ』(VTR作品)クランク・イン――、
二瓶監督の知合いのラーメン屋の閉店を待って、トップシーンの撮影となりました。出演者はラーメン屋の主人・幸蔵とサラリーマンの客の二人だけです。
その幸蔵がぼくの役で、客が帰って行った後に脳卒中で倒れ込むまでの5カットの撮影――この作品ではぼくの台詞は殆んどありませんが、それだけにまた別の難しさがあります。
監督の要求に応えようと頑張ったつもりですが、なにせ終わったのが日付が変わった頃でしたのでプレビューの余裕はなく、上手く演じられていたかどうか気にかかります。
それでも一仕事終えた後の充実感か、監督が運転する車の中でよく喋っておりました。
高幡不動に着いたのが早朝の3時半頃で、ジョナサンに入って一人食事をとりながら年甲斐もなく興奮している自分自身を知り、可笑しさが込み上げてきました。
昼過ぎまで寝て、後は妻と街に出てお買い物――もう21世紀まで3日間です。

30日(
恒例となっている我が家での忘年会――、
村上賢司しまだゆきやすの両君はその常連ですが、今年はもう一人IF22期の横山まゆさんが加わりました。
彼女の卒制のタイトルは憶えていませんが、本物の豚の頭を使ったシーンは思い出すことが出来ました。現在制作中の新作は、学園ミュージカル
『high school on the rock』――だそうです。
「総合映像格闘技イメージリングス」の主宰として活躍しているしまだ君ですが、どういうわけか自転車に凝っていて、今日もレース用の自転車で颯爽とやってきました。
またこの「映像万華」の寄稿者でもある村上君は、今年レンタルビデオ用のVTR作品
『呪霊2』を監督しましたが、次の話もきているそうなので楽しみです。
忘年会の話題は、もっぱらIF卒業生たちのその後の活動で、編集長・勝丸としては新情報を入手するのに格好の場なのです。
ともあれ、IF卒業生の活躍を期待しておる次第です。
(写真は、右から横山、しまだ、村上、金井です)

31日(
昨日の忘年会にみえた横山まゆさんは、レンタルビデオのTUTAYA渋谷店で働いているそうですが、このところの貸し出しナンバー・ワンは、キューブリック監督作品
『2001年宇宙の旅』(’68)だそうです。
その封切り当時、2001年とは遠い遠い未来という感じで観ていましたが、もう後6時間でその2001年です。
「映像万華」を御贔屓の皆さん――良いお年をお迎え下さい。

 


   
   9,2000.12.21 師走は役者の季節

後期から東京造形大学で「映像藝術V」を受持っていることは既に触れました。
その授業を終えて一服していると、受講生の一人である石田さんが、眼光鋭い青年と一緒にやってきました。
青年の名前は
二瓶 剛――その不敵な面魂を一目見て気に入りましたが、彼はこの大学の研究生で、その卒業制作の準備中だとのことでした。

挨拶が済むと、二瓶君はオリジナル・シナリオ『フユノカゲロウ』を取り出して、出演してくれといいます。余りにも突然のことだったので「どうしてぼくに……!?」と訊くと、石田さんの勧めがあって、先週こちらをそれとなく観察していたのだそうです。

ぼくにとって師走は、どうやら役者の季節のようです。
去年の暮も和田淳子さんの
『ボディドロップアスファルト』に出させて頂きましたが、その時は4〜5分の長台詞があって、おまけにターンテーブルの上でぐるぐる回りながらの演技(?)でしたから大変でした。
そのことを思い出したので、「やはり素人のぼくには台詞が沢山あるのは無理……」と遠まわしに断ったつもりでしたが、彼は脚本を捲って「お願いしたいのはこの幸蔵という役で、台詞はありませんから――!」といいます。

結局シナリオを読んでからということになりましたが、その日は夜にIFの授業があったので、目を通したのは翌日の昼下がり――三ヶ月かけて仲間の小川昌之君と一緒に書いたものだそうですが、細かいところはともかく、実に興味深い内容で、あの彼の面魂と重ねながら一気に読みました。
依頼された「幸蔵」の役柄は、台詞こそありませんが重要な人物――またある意味でぼく自身の生き方にも重なっているような気がしてきたので、直ぐに二瓶君に電話を入れ、出演決定となったという次第です。

これまでのぼくの出演した作品は、自作を除けば、先の『ボディドロップアスファルト』と、松本俊夫監督作品『ドグラ・マグラ』(’88)ぐらいのものです。
いやもう一本忘れてはいけない作品がありました。ぼくの
『王国』(’73)でスリの頭を演じてくれた桑名平治さんが六十歳で撮った処女作『相模幻野考』(’89)という自主作品(16ミリ)です。そこでぼくの演じた役は軍医――その辺りのことは後日「この人を見よ!」で取り上げたいと思っております。

『ドグラ・マグラ』の場合は、(夢野久作の原作では)精神病院の場内にある小さな畑を耕す老人・鉢巻儀作の役です。
儀作は発狂した途端に(心理遺伝によって)、鍬一本で大身代を作り上げ、領主である黒田の殿様から「鉢巻」という苗字と帯刀を許された五代前の先祖・鉢巻儀十になりきっている男です。
しかし映画ではその辺りのナレーションもなく、ぼくはただただ一心不乱に鍬を振るう狂人を演じていたというわけでした。

『ボディドロップアスファルト』での役は、若き女流作家(主人公)の幻想・妄想の中に現れる「神様」で撮影は大変でしたが、白尾一博君の特殊技術を駆使した編集に助けられもして、結果としてはなかなかの演技(?)になっていたと思っております。

さて今度の『フユノカゲロウ』は、これまでとはまた違った役柄――、
この作品についてはこれからも触れていこうと思っておりますが、シナリオといい、監督のあの面魂といい、傑作になること間違いありません。「乞うご期待」です。

 


8、2000.11.28 卒業してからが勝負です!

IF23期の卒制が粒揃いであったということは、既にあちこちのページで触れております。ちなみにこの「かわら版」10月18日号でも、〈BBCC〉のグランプリは二宮 正樹の『以毒制毒宴』、二等賞入選は武藤 浩志の『放飼い』(『YOU-GOOD』の改題)――と載せております。

更に新情報として、木村 文昭『ホームへ帰る』大島 渚監督が審査委員長を務める〈神奈川映像コンクール〉の最優秀賞(賞金50万円)を、井上 朗子『ダイヤローグ 1999』〈あきる野映画祭〉のグランプリを獲得したという吉報を入手しました。
流石は「黄金の23期」――受賞者の皆さんおめでとう御座います。

ともあれ賞金は「やる気」に繋がってきます。
まだこれからもいろいろな映像祭の受賞作発表があると思いますし、来年のゴールデンウイークには国内最大の実験映像祭〈IFF2001〉、そして他流試合の格好の場として秋には〈山形国際ドキュメンタリー映画祭〉も控えておりますので大いに楽しみです。

しかし、卒業制作は講師たちのアドバイスもあり、またクラスメートへのライバル意識も同時進行で進められてゆくためにダイレクトで、頗る効果的です。
それが卒業すると、ぼくのような小うるさい講師もおりませんし、ライバル意識も薄れるので作品の質は押しなべて低調――これがIF専任講師を四半世紀にわたってやってきたぼくの実感で、厳しくいえば、卒業後に優れた作品を作れた者だけが真の意味での「映像作家」だといえましょう。

それでも、IFの卒業生にはその真の意味での映像作家が枚挙に暇がないほどおります。
なかでも今年は、18〜19期の和田 淳子が
『ボディドロップアスファルト』を発表し、昨年は15〜16期の村上 賢司が『夏に生れる』で話題をさらったことは既にご承知の通りです。
また武蔵野美術大学の黒坂 圭太助教授もIF5期の卒業生で、アニメーション作家として大活躍しておりますが、その彼の新作は長篇アニメの
『緑子』で、今はその制作中――「乞う!ご期待」です。

さて、先に触れた村上 賢司君のことですが、彼はなかなかの好人物で仲間の映画の手助けをしたり、出演したり、そしてまた〈イメージリングス〉の上映会でも欠かせない存在となっています。
そんな彼だからこそ、ミニシアター新宿Fu−で先日上映された『夏に生れる』はなかなか盛況でした。
個人映像・実験映像も、もう何度もいってきましたが、第三者に見てもらって初めて作品となるのですから、日頃の行いが肝心――ぼくも彼から学ぶところが大いにあります。

そんな村上君を取巻く環境も生易しいものではないようで、ストレスが溜まるそうです。
そこで先週の水曜日に、ぼくの裏山ともいえる多摩丘陵を案内しました。といっても多摩動物園のなかにある〈昆虫生態館〉と、丘陵の頂きに数年前にオープンした天然温泉〈クア・ガーデン〉がその主な場所でしたが――。

巨大なガラス張りのドーム〈昆虫生態館〉のなかは汗ばむほどの暖かさで、こんな時期だというのにブーゲンビリアなどの花々が咲き乱れ、ヒラヒラと様々な蝶が舞い、長い嘴で花の蜜を吸うハチドリのホバリングなどを見ていると南国の楽園にいるような気分になりました。
一方〈クア・ガーデン〉は、「あばら家物語」の第十一話
「浮世の憂さは温泉で流す」をご覧の方はもうご存知だと思いますが、湯船のなかから見下ろす夜景は絶景で、村上君のストレス解消にも役立ったようです。(以下は翌日に貰ったメールです)

どうも村上賢司です。

昨日はどうもありがとうございました!
感謝の気持ちでいっぱいです。

多摩動物園の昆虫生態館は久しぶりに心躍りました。
家に帰っても興奮さめず、彼女に延々と蝶の桃源郷について語ってしまい、どうも私の語学力では伝えられないようなので、さっそく、連れていくことにしました。
東京を離れる、彼女のいい思い出になればと思っています。

温泉、ありがとうございました。
癒されました。疲れがとれました。
しかも、効能でしょうか、私の顔面、右目の下にありました、
原因不明のアザがほとんど消えてしまいました!
驚きました。


7、2000.10.31 日曜日にIF第23期選抜展に行きました。

実験映像が面白くなってきたことは確かです。
作品が充実してくると、それを取巻く環境に活気が生まれてきて自然と上映会も増えてきます。

この秋に入っての週末は、実験映像上映会のラッシュで先週の日曜日にはIF23期の選抜展と、石井秀人の映像作品展が重なってしまいました。
選抜展の方は卒展で殆んど全ての作品を見ていましたが、プログラムBの
『Cubic』はコンピュータが故障したとかで出品できなかったため今回が初公開です。

その『Cubic』(中丸大輔作品)は、8ミリフィルムで撮った映像をPCに取り込み、映像に音楽をぶつけた作品でしたが、映像の基となったフィルムの段階で様々な実験的作業を行っていたので好感が持てました。

卒制で見た時より大きく印象を変えていたのが『生まれるはずの...』(藤井幸貴作品)です。
これもフィルムで撮った映像をPCに取り込んで(深いOLなどの)作業を加えています。
東京駅の地下で撮ったという作者自身のヌードがモノトーンを感じさせて非常に良くなったし、タコやクラゲの動きにエロティシズムを感じました。欲を言えば、タコやクラゲと分らないような撮り方――もっとアップにするとか――が必要だったのだと思いました。

『放飼』(武藤武志)は、夏休み作品と卒制を1本にまとめ、ビデオ作品に仕上げていました。
これはフィルムのコマ撮りならではのユーモラスな味が「売り」でしたので、ビデオ作品になってその味わいが少し薄れたように感じました。
しかし
BBCCでの2等賞入選もこのビデオ仕上げだったそうだから、これはぼくだけの感想なのかも知れません。また8ミリフィルムの場合は1本しかありませんので、これからは段々とビデオ仕上げになってゆく傾向を感じました。

プログラムBの他の作品――『私に』(宗形忍)、『Y舌キャット』(小沼普徳)、『銀の器』(井上企代子)、『RooooooooM』(tomoyo nomura)、『壜の中の時間』(伊藤新)は、殆んど卒制の時のままだったような気が致しました。

久し振りに会って話を交わした鳥浜浩(『さよなら。』)、倉重哲二(『阿片譚』)、そして武藤武志――彼らの近況を聞きましたが、夫々が新作に取り掛かっていて、中には同期生と一緒にIFシネマテークで年末に発表するという者もおりました。それはまた「上映会情報」のコーナーで取り上げますのでよろしくお願い致します。

IFを後にして国立へ――、
しかし渋谷から国立までは思いのほか時間がかかって、木乃久兵衛での石井秀人の新作
『ひとつの星』には間に合いませんでした。本当に御免なさい――。

尚、IF23期選抜展のE.F.G.Hのプログラムは、今週の日曜日9月5日が上映日です。

 


6、2000.10.18 ぼくは百地三太夫になれるか!?

映像作家の才能は先ず「やる気」だと、この「かわら版」9月24日号に書きました。今年の後期から東京造形大学で「映像芸術V」を担当し、イメージフォーラム(以後IF)の受講生たちと競争させようと企んでおります。

そのIFも、前年度の23期の卒業制作はこれまでにない豊作で、もう既にBBCC二宮 正樹『以毒制毒宴』がグランプリに、武藤 浩志『放飼い』(『YOU-GOOD』の改題)が入選作に入ったとかわなか のぶひろさんから聞きました。

(この『以毒制毒宴』『放飼い』の2作を含めて「23期選抜展」がシアター・イメージフォーラムのシネマテークで公開されますのでご期待下さい)

さて長い間専任講師をしていて分ったことですが、夏休み作品辺りまでに1本でも凄い作品が出ると、その年の卒制は必ずといってよいほど豊作になります。
それは取りも直さず、受講生の中にライバル意識や闘争心が湧き出すからだと思います。

今年の24期も、第2作品で『NAMI』という途方もない怪作にして快作が生まれたため、夏休み作品に5〜6本は見応えのある作品が誕生――卒制が大いに楽しみになりました。

今は「16mm講座」の最中――。
ぼくは4クラスのうちのBとCの2クラスを担当することになりました。その内のCクラスはまだこれからですが、Bクラスの方は4班編成で、先週の土曜日に二子玉川で無事撮影を終了しました。

昨年もこの「16mm講座」は熱気がありましたので、23期に追いつけ、追い越せとハッパをかけております。
企画の段階から1番心配だったのが(下の)写真左の班でしたが、他のクラスから助っ人を頼み、逆転の勝利に向けてやる気満々――ラッシュが楽しみです。

怪力を発揮して自転車で川を走る宗形君 こちらの班は余裕がありそうだが……?

ぼくが大映の東京撮影所にいた頃に、京都で撮影された『忍びの者』(’63 山本薩夫監督)という作品がありました。
その中で、上忍の百地三太夫が配下の石川五右衛門と他の忍者とを権謀術数を尽くして競い合せますが、ぼくにはその三太夫のような冷酷さはありません。
しかし競い合いなくして傑作は生まれませんので、心を鬼にしてそれなりに頑張っていきたいと思っております。


5、2000.9.24 東京造形大学の「映像芸術V」

東京造形大学の2000年度後期の「映像芸術V」を担当することになりました。

造形大には’77〜’82年まで非常勤講師としていっていたことがあり、その当時の卒業生がいま映像界で大活躍しています。
ぼくの知る範囲では、
『二人が喋っている』でキリンコンテンポラリー・アワード最優秀作品賞を受賞した犬童一心監督(新情報・彼はサンダース映画祭で1000万円をゲットしたそうです)、その審美眼が信頼されている映画評論家の筒井武文さん、そして『M/OTHER』でカンヌ映画祭の国際映画批評家連盟賞を受賞した諏訪敦彦監督――学生時代の諏訪さんは記憶にありませんが、彼は2〜3年間学校に来なかった時期があったそうなのでそれと重なっていたのかも知れません。

当時の造形大は同じ八王子市の郊外でも高尾でした――が、新しいキャンパスもJR横浜線相原駅からチョッと入った森の中にあり、自然環境に恵まれた場所という点では一緒です。
その長閑な環境のせいか、学生たちの瞳はイメージフォーラム付属映像研究所(以後IF研究所)の生徒たちに比べると実に穏やか――それが校内に一歩足を踏み入れた時の印象でした。

この「映像芸術V」の前期を担当したかわなか のぶひろ教授に、「IF研究所の生徒のようにギラギラしてませんね、自分で稼いだお金で来ている人は少ないだろうから、学生さんの目はみんな眠そうです」というと、「朝早いからでしょう」という返事が返ってきます。なるほど朝の9時から(12時20分まで)の授業なのでIF研究所(午後6時半から始まるクラスが多い)の受講生の瞳とは違う筈です。

’93年に全面開校の新キャンパス 研究室のかわなか教授

初日の14日に、前期の課題作品『かご観音』を見せてもらいました――8mmフィルムで撮影し、編集やサウンド処理の為に作ったVTR版――
受講生全員が「女はみな観音である」というモチーフに沿って夫々が作ってきた短篇を、オムニバス形式にまとめたものです。

実にユニークなタイトル・『かご観音』の持ち味が生かされた作品でしたが、特に自家現像によるソラリゼーションには驚かされました。
受講生の一人である
鹿島さつきさんが1年間にわたって様々な方法で自家現像に取り組んできたそうで、その成果です。
また音楽のセレクションには問題があるにせよ、時々かすかに聴こえてくる童謡が耳に残ります。誰が作品をまとめたかは訊いていませんが、実に耳の良い人だと思いました。

この「映像芸術V」は、三年生が中心で来年の卒業制作を視野に入れた授業――後期は夫々が作品を作ります。
二回目の21日はそのプロット講評でしたが、みんなのやる気を肌で感じて安心しました。先に触れた鹿島さんは撮影と自家現像のデータを正確にとってその化学的な法則を掴み、コンセプチァルな作品を仕上げるそうです。

映像作家の才能は先ず「やる気」――今回は鹿島さんの自家現像に触れましたが、随時このページでその「意欲」を報告していきたいと思っております。

映像芸術Vの受講生

 


4、2000.9.2 シアター・イメージフォーラムが、青山にオープン!

今日9月2日は、THEATRE IMAGE FORUMのオープンの日です。
青山に誕生した瀟洒な建物(下の数葉の写真)には、地下一階に108席、地上一階に64席と、2つのミニシアターがあります。
その二階は、付属映像研究所とシネマテークを兼ねたスペース――天井桟敷から出発したシネマテークと映画講座ですので、初心を忘れず――付けられた部屋の名前は「寺山修司」です。
そして三階が、ダゲレオ出版と事務所――。

8月29日には、お披露目の内覧会があって沢山の人たちが見えました。
下の写真は三階の事務所で、フランス映画社の柴田さんや評論家の北川さんの顔も見えます。

まだ引っ越したばかりで未整理の事務所
談笑する柴田さん(左)と富山社長

IFの卒業生とも会いました。
いま売り出し中の映画監督・望月六郎さん、そしてTVドキュメンタリーの演出家として活躍している竹林紀雄さん――共に5期生です。

彼らとの積もる話もそこそこに、
地下一階で映写状態のお披露目を兼ねて上映された、『昼下がりの情事』の予告編を観ました。
座り心地の良い椅子に身を任せながら、大きなスクリーンを観ているととても贅沢な気分――と、何故かあの天井桟敷の固い椅子が懐かしく思い出されてきました。

 
劇場の前で望月六郎監督   竹林tvディレクター(右)と、ぼく

予告編を観た後、
迷路のように入り組んだ建物の中を巡り、奥まったところにある秘密めいたスペースに辿り着いて、そこで酒盛りとなりました。
メンバーは、IF専任講師のかわなかさん、志郎康さん、村山さん、奥山さん、元・読売新聞記者で今は日大芸術学部で教えている河原畑さん。そしてもう一方は、(ぼくが後期から十数年振りにお世話になることになった)東京造形大で教えている赤松さんです。

この春に付属映像研究所の生徒が撮った第二作品・『NAMI』など、若い人たちが創った前衛映像の話題に花を咲かせていると、そこにイギリス人のトニー・レーンズさんが加わりました。
レーンズさんは、実験映像も含めて、日本映画を広く世界に紹介し続けているキュレーターで、今日は、わざわざこの劇場の完成を祝う為にイギリスから駆け付けてきたのだそうです。

ともあれ、
この日一番輝いて見えたのは――勿論、かわなか のぶひろさんでした。
本当に、おめでとう御座います。

かわなか のぶひろさん(左)と、鈴木志郎康さん

      シアター・イメージフォーラム
        場所:渋谷区渋谷2−10−2  電話:03−5766−0114

        交通:(1)渋谷駅から徒歩5分 
               宮益坂上がり右手入る

              (2)営団地下鉄表参道より徒歩7分
               青山通り渋谷方向、宮益坂上手前左に入る。


3、2000・8.21 IF夏期16mm講座と和田淳子さんからのメール

IFサマースクール「16mm講座」(昼の部)の受講生は35名――6班に分かれ(アリフレックス3班、ボレックス3班)、班ごとに作ったプランを基に撮影に入りました。
ロケーションは8月16日〜17日の両日、京王線聖蹟桜ヶ丘の多摩川です。 

今年は受講生の70パーセントが女性――ビデオなどと違って全てがマニュアル操作の16mmカメラなので心配でしたが、カメラトラブルもなく天候にも恵まれて、2日間で各班が夫々300フィートを回しロケは無事終了しました。

 
撮影風景・ボレックス1班   アリフレックス1班

この「16mm講座」の仕上げはサイレントの短篇で、8月8日から21日の間の10日間――初日の8日に「カメラとフィルムの講義と、グループ分け」、9日に「フィルム装填などの実習」、10日に「露出計の使い方と室内撮影の実習」、12日に「室内実習で撮ったフィルムの試写と、プランの講評」、14日は金子雅和氏によって「接写/タイトル撮影」、15日も金子氏によって「編集の講義と、室内実習のフィルムを使った編集実習」などを行ってきております。

その「プラン講評」では、班ごとに(ロケハンをして)練ってきたプランについて、駄目だしをしたり、アドバイスを与えたりするのですが、基本的には受講生たちの自主性を尊重しており、その後のプラン変更は各班に任せております。
最初のプランから大きく変わった班もあり、講師としては楽しみ半分、心配半分といったところです。

そして19日、多摩川ロケで撮ったフィルムが現像所からあがってきました。
撮影現場での事故はありませんでしたが、フィルムの場合はラッシュを見るまでは分りません。
その心配も杞憂に終り、よくここまで出来たかと思える映像も中にはあります。
ラッシュを見た後、各班ごとにあら編集――後は助手の牛越君に任せてこの日はお役御免となりました。

そして今日・21日が最終日(ぼくは午後から行きます)――編集終了後、完成試写、完成講評、そして近くの飲屋で打上げを行ってサマースクール「16mm講座」の終了となる筈です。
それにしても、今月の終りにはIFが渋谷に移転しますので、四半世紀通った四谷3丁目ともお別れ――ここでの授業は今日が最後です。

さて、受講生は実験映像、個人映像を目指す人たちがその殆んどですが、中には将来映画制作の仕事につきたいと思っている人や、いま大学院でVTRの勉強中なのだが、フィルムのあの奥深い映像をマスターしておきたいと考えてきている人もおりました。
まだ完成作品は観ておりませんが、受講生のこれからの生き方にプラスとなる10日間であって欲しいと思っております。

「完成講評」については、後日別のページで詳しく報告致しますが、今年の「16mm講座」は女性が多かったので、やはりこの「16mm講座」を受講し、翌年には本科生となってあの「桃色ベビーオイル」(卒制)を撮った和田淳子さんのメールを紹介しようと思います。

メールの内容は、(少しブランクがあって)今年スタッフ映像の『ボディドロップアスファルト』(VTR作品)を発表した和田さんに、何故女性作家は持続性がないのかについて訊いたその返事です。
最初の部分は、ある女性社長の雇用についての話の引用です。

>「女性は最初から飛ばしすぎて、その後遺症で必ず駄目になる。
>コンスタントに80パーセントの力で働く男性が最適――余力を
>残しておくから長続きする」のだそうです。


私の勤めている会社でも、
退職率は圧倒的に女性が多いし、
最初はがむしゃらだったのに、
退職する頃には
かなりあっけらかんとした理由でやめていく。
やはり、お手本が少ないことと、
高いハードルを見つけられない、
といったところのような気がします。
あとは、女性は男性よりも年齢を気にします。
飛ばしすぎ、急ぎすぎ、というのは、
年齢にハードルを合わせてしまう考えがあるのでは、
と思ったりします。


>しかし文学の世界では、年老いても女性作家は凄いパワーを持続しています。
>その辺のところが僕にとってはまだ謎なのです。


文学の世界では、お手本がたくさんいる安心感があるのではないでしょうか。
お手本が少ない世界では、
目標を定めることも難しいような気がします。

あとは、
文章中にも書いた、
男性との体力差。
重い荷物を持つこととか、
睡眠時間とか、だと思うんです。
文学の世界でも睡眠時間との戦いはあると思いますが、
自分のペースを作れると思うんです。
映像の世界での共同作業では、
どうしても男性との差を見せつけられる。
男性に合わせなければならない時もあるし。

現場での服装もそうだし。
なかなかスカートは履けないし、
ハイヒールは履けないし、
派手なお化粧も遠慮する。
考えてみれば、別に遠慮しなくてもいいんだろうけれど、
なんとなく、差をつけられたくないし。
今日は、男性っぽい格好で現場にいこう!なんて考える。

私は普段女性らしい格好が好きなもので、
現場では非常に困ります。
現場用の洋服を買ったりするのですが、
本当のところ、ちっとも似合わないし、着たくない。
はっきり言って無理してるんですが、
なんとなく、現場では男性に化けなければならないという気持ちが起きるんですね。
あれ?じゃあ、そもそも男性がやればいいんじゃない?
やっぱり男性のほうが向いてるのかなぁ、なんて思ったりします。

私も一人で作っていた頃は、
自分のペースを守って作れたけれど、
スタッフワークになってくると、
そうもいかない。
スタッフの都合にあわせたり、
キャストの都合にあわせたり、
男性のペースについていかなければならないことも。
やはり文学の世界(一人でものをつくっている)とは違うような気がします。

ともあれ、和田さんが『ボディドロップアスファルト』を発表したことによって、『閉所嗜好症』や『桃色ベビーオイル』などの過去に作った作品も、時間という恐るべき魔の手からすり抜けて蘇生しました。
以下はその後に貰ったメールの一部です。

新潟で行われた「まつだい映像祭」に
夏休みを兼ねて行ってきました。
「ボディドロップアスファルト」と
「桃色ベビーオイル」
「閉所嗜好症」の上映です。
作品は好評でした。
映像を目指す学生の方と
お話するとやはり刺激になりますね。


2、 2000・8・11 翻訳家の井東 清氏から突然「添付」が……

IFのサマースクール「16mm講座」が始まりました。今年は女性が7割近くもおり、果たして16mmの重たいカメラを使いこなせるのかどうかチョッと心配ですが、現在はテレビ界へも女性カメラマンが進出し、ベーターカムを担いで取材してしている風景をよく見かけますので大丈夫でしょう。
尚、この「16mm講座」は8月8日から20日までの間の10日間で、その様子は逐次この「映像万華新聞」で取り上げていきたいと思っております。

さて、先日井東さんから突然「添付」付きのメールが届きました。
もうかれこれ30年も昔の話ですが、彼はぼくが契約していたプロダクションで助監督をしていて、その狂気に満ちた眼差しが気に入ったので、自主作品
『王国』(’73)でスリの役を演じて貰いました。
その後他所のプロダクションで演出家になった彼と、1度録音スタジオで顔を合わせたことがありましたが以降は音信が途絶えておりました。が、Webで「映像万華」の存在を知ってこの度の「添付」付きメールとなったのだと思います。

そのメールによると、現在は翻訳家――昔ぼく(ら)が書いた『城門の蟹』というシナリオの映画化に尽力したいという内容で、以下がその「添付」です。

「無人列島」、「グッド・バイ」、「王国」、そして「時が乱吹く」と金井式時間映画にからめ獲られた者としては、次の「城門の蟹」へと繋がる時間のからくりを見ずして心安らぐことはないだろう。この系列が時間の輪姦、逆強姦、痴漢、鶏姦と続いて来た以上、残るはあっと驚く「時間の寝取り」で終わるのではあるまいか。その系列を別の面から追えば、讃美歌から古謡を経て詩に至り、そして「時が吹乱く」においては「短歌・俳句・詩」へと音の時間性についてもネジが巻かれつつある。さてこれらの系列上、「城門の蟹」はどこに位置すべきか。これは時間の文節化(アーティキュレーション)の問題である。詩の本質、すなわち時間の統御である。時間を寝取るとは騙すことである。おそらく金井は勝ちつつある。しかし油断するな。時間は物語の形でしつこく追ってくる。であるフィルムを武器に物語を攻略する者は、最後に闇を味方につけなければならない。時間と時間の間にあるものは沈黙(闇)であり、沈黙は間であり魔である。フィルム映像は単なるアナログなのではない。闇を扱える物なのだ(テレビに闇はない。消せば灰色である。コンピュータはその全データが操作可能である。従って闇はない)。フィルムに固執することは、一見アナクロ(クロとはクロノスのことなり)と思われるがさにあらず。ここがペテンである。詐欺である。詐欺の本髄は自分手だ。それをやる作家は金井勝以外に誰がいようか。「ご隠居さん。粋な嗜みだねぇ」。

メビウスの帯は四次元の物体が三次元に超出した結果である。次元を一つ増やせば当たり前になる、という位相幾何学上の詐欺である。

最後に、いまは亡き吉田和雄氏と小生が金井の正体を推理した時に有力な手がかりを与えてくれたポーを引用して結論としよう。

ある男がバーのカウンター越しに注文した。
― スカッチをくれ。
すぐさまスカッチのグラスが男の前に差し出された。
― あ、やはりウヰスキーがいい。これとスカッチを交換してくれ。
男はスカッチのグラスを押しやると、ウヰスキーのグラスが来るのを待ち、一気に飲み干した。
― じゃあ。
男が何事もなかったように帰りかけたので、バーテンは慌てて言った。
― だんな、お勘定がまだですが。
それを聞くと男はむっとした顔で答えた。
― 何の勘定だ。
― もちろんウヰスキーの。
― なに、ウヰスキーの代わりにスカッチをやったじゃないか。
― じゃ、そのスカッチの御代をいただきたいので。
― ばかを言うな。飲んでもいないものの代など払えるか。
男は憤然として店を出ていった。

注:詩が意味の迂回をするのは、物語を成立せしめないための「方法」である。つまり、文(語)の順序を作為的に壊すことにより、意味の持つ順序(順序の意味)を破壊し、言葉自体による「喩」を直接表現するのである。これが吉本の言わんとする「順序を無化する」ことである。吉増剛造においては、この順序の無化を実現するため意図的に多くの記号が用いられている。 (井東個人の分析)

ちなみに彼のHPはMad Hatter’s Home Page(キチガイ帽子屋)だそうです。

 


1、 2000.7.30 船戸与一『虹の谷の五月』が直木賞受賞!

もうかれこれ30年近くにもなりますが、船戸与一とは、彼がまだ豊浦の名でルポルタージュを書いていた頃からの知り合いです。

彼の著作を入口にして作られた、布川徹郎のドキュメンタリー映画『幻の混民族共和国』(’77)でカメラマンを依頼されましたが、TVの仕事の契約期間中でしたので参加出来ませんでした。が、時々そのスタッフ会議に顔を出していたので、そこで彼との出会いとなったというわけです。

知り合いといってもその程度の間柄でしたから、その後しばらくは彼のことを忘れておりました。
そんなある時(14年前になりますが)、友人に勧められて冒険小説『山猫の夏』を読みます。ブラジルを舞台にした頗る付きの小説でしたが読んだ後に、船戸与一が豊浦だと知って、更に驚いたことを覚えております。

船戸ファンになったぼくは、彼の著作が発表されるたびに書店へ走っていって買い求め、むさぼり読んでおりましたが、新宿ゴールデン街にあった「まこ」というバーで偶然船戸と再会します。
早大探検部のOB仲間と来ていた彼と、冒険小説や映画について歓談――話は尽きず、歌舞伎町裏の韓国料理屋へと引き継がれ、焼肉をご馳走になりました。
その時に知ったことなのですが、船戸作品の面白さの秘密は、早大探検部時代からの足で稼いだ豊富な資料がその根底にあるということでした。

『砂のクロニクル』で山本周五郎賞を’92年に受賞し、もう冒険小説の分野では大御所なのだから、(新人賞である)直木賞はないものとばかり思っておりました。が、この度『虹の谷の五月』で受賞――びっくり致しました。
ともあれ、これで船戸与一の読者層が更に広まるのは確かですので、喜ばずにはいられません。

と、申しても、このところHPにハマっていた為、『虹の谷の五月』を買ったのが昨日という体たらく――暫しPCから離れて、この本に熱中するつもりです。(敬称略)

 



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