「映像かわら版」26へ

25, 2001.7.3 特報!IF21期・タナダユキさんがPFFでグランプリ!!

「映像万華」の常連・村上賢司君からの「特だね情報」を受信しました。

突然ですが、イメージフォーラムの元生徒さんの
映画祭入賞の現場に偶然いまして、さっそく金井さんに
メールしました。

7月2日(月)の夜、発表された、第23回ぴあフィルム
フェスティバルのグランプリは『モル』という作品で、
監督はタナダユキさんという女性でした。
私は受賞者のインタビューを撮影する仕事をしていたのですが、
その時、彼女が「私はイメージフォーラム」の卒業生だと言い、
どうも4、5年前に通っていたそうなのです。
私は作品を観ていないのですが、すごく評判がよいみたいでした。
おそらく、イメージフォーラムの事務所には、もっと詳しい情報が
入っていると思いますが、とりあえず、メールさせて頂きました。

早速イメージ・フォーラムに問い合わせたところ、このタナダユキさんはIF21期の棚田入月さんだということが分りました。
21期には、能瀬大助白川幸司狩野志歩金子雅和君たちがおり、彼らはいま映像作家として第一線で活躍中です。また期待されていた次松武大君や関本聖一君などもそうでしたが、彼らが新作を作っているのかどうかは分りません。その後映画美学校にいった木村有理子さんも確か同期――彼女はカンヌ国際映画祭のシネフォンダシオン出品作・『犬を撃つ』の監督です。

棚田さんの卒業制作は『せつなただよう』――その「年度グランプリ」は能瀬君の『人のかたち』でしたが、白川君の『ヒダリ調教』などと一緒に入選(4作品)に入っており、(翌年の)上映会パンフレットには、専任講師の西嶋憲生さんが「昨年もっとも心に触れた作品の一つ」と記し、「表現者として出発するための「私」のアイデンティティを視線の問題として捉え、自問自答する〜〜」と作品についてコメントしています。

PFFグランプリ作品・『モル』はまだ観ていませんが、聞くところによると、その卒制・『せつなただよう』の「視線」を更に押し進めていった作品のようで、そこには同期生の自殺も大きな影響を与えていたようです。

タナダさん、本当におめでとう御座います。
何度もいっておりますが、卒業してからが本当の作品――更なるご活躍を念じております!


24,2001.6.28 徳本直之君の新作が―!

お陰さまで、アクセスカウンターを設置して1年3ヶ月と5日目の昨日――「映像万華」の訪問者数は1万の大台に乗りました。
当初の目標は年間4000でしたので、嬉しい誤算――訪問者の皆さん、本当に有難う御座います。

さて、PCの普及に伴い、インターネットならではの様々なサービスが日々に進展していて驚かされます。
Webサーフィンをしてゆくと、(映像関係でも)思わぬ情報と出合いますが、以前に紹介した我妻まやさん(造形大卒業生)は、船で世界一周しながら映画を作るというPeaceBoatをwebで知り、今その監督として、作品の仕上げの真っ最中です。

またあの「IF・黄金の23期」・徳本直之からのメールには、「この度、私が昨年制作した『アクセスアースストリップ』《第4回インディーズムービーフェスティバル》に入選しました」とあり、更に次のような驚くべき言葉が続いておりました。
「〜〜10月以降、全国TUTAYAでのビデオレンタル開始をはじめCS、BS放送、インターネットなどで流れます」――と、映像作家にとっては、至れり尽せりの有難い「パック・サービス」です。(ちなみに、入選マークを探してゆくと、IF20〜21期生・白川幸司君の『ファスナーと乳房』もありました!)

その『アクセスアースストリップ』は、近日中に見せて頂くことになっていますが、ともあれ、おめでとう――もう何度も言ってきましたが、卒業後の作品が映像作家の真の作品なのです!

それにしても今の若い映像作家たちは、優遇されております。
世界有数の実験映像祭・IFフェスティバルはもとより、BBCCなどの学生作品を対象にした映像コンクール、そして神奈川映像コンクールなど地方自治体が開催する映像祭――と、枚挙に暇がないほどコンクールがあり、それがみな可也の金額の賞金付です。
またその上に、入選作品は、美術館などの所蔵となる可能性も大いにあるというわけです。

一方、大学でも映像学科が次々と誕生――バブル期には「メジャーエンターテイメント」の陰に押しやられていましたが――そのこともあって「実験映像・個人映像」に陽が当たるようになり、「力」がつき、「勢い」も生まれてきました。
「上映会情報」の「日本実験映画,世界を行く」を見て頂くと一目瞭然ですが、今や日本の実験映像は非常に高い水準にあり、世界からも注目されているのです。

「実験映像・個人映像」の情報発信基地を目指す「映像万華」――その情報の直接的なメリットの他に、ここには映像作家の嫉妬心やライバル意識をかきたてる要素も沢山詰まっております。いや、そのライバル意識や嫉妬心こそが大事であり、それがパワーと化し、更には映像界全体の「勢い」に繋がってゆくのだと確信しております。

これからも映像に関する新情報を絶えず発信続けてゆきますので、ご贔屓のほど宜しくお願い致します。

※ 7月3日の未明に、PCの師匠・鈴木志郎康さんからメールがきていて、何と開設当初の「映像万華」・Top Pageが添付されていました。アクセスカウンターの取り付けに四苦八苦し、鈴木さんに電話で指導を受けて設置に成功したのですが、その記念すべき画像――多分1万突破を祝ってのものだと思いますが、それにしても有難いことです。

「映像万華」開設当初のトップページ〜〜カウンターは、「1」と「2」です

23,2001.6.16 映画の片親は、その「時代」です。

このところ昔の自作をよく見ています。
造形大の「波多野教授退職記念行事」の上映会で『無人列島』『時が乱吹く』を、シネマ・下北沢で『王国』、IFの授業「自作を語る」で再び『時が乱吹く』を、といった具合です。

ぼくの作品は、夫々が内容的にも映像的にもかなりの差異がありますので、例えば『無人列島』が好きな人は『GOOD−BYE』が嫌い、『GOOD−BYE』が好きな人は『無人列島』が嫌い――といったようなあんばいで、中には「どちらが本当の金井映画ですか!?」などと訊いてくる者もおりました。

しかし映画は、ぼくにとって「子供のようなもの」です。
夫々に長所・短所があり、どの子(=作品)が一番――とはいえません。
また見る時々の情況やこちらの状態によっても、同じ作品に誇れたり、恥ずかしさを感じたりもします。

造形大の上映会では『無人列島』が逞しく映りましたが、『時が乱吹く』には物足りなさを覚えました。多分前者には60年代のパワーが溢れていて、もう今の時代、そして老いたる今の自分には到底撮れそうもない、ということを実感したからだと思います。
それから数日後にIF(の授業)で後者(『時が乱吹く』)を見ましたが、その印象は一変〜〜親馬鹿かも知れませんが、その時には「誇れる息子」を感じました。

『王国』のプリントは、パートカラーのカラー焼きで、モノクロ撮影の部分をブルー(ブルーかセピアかの二者選択)にしたことを後悔しておりましたが、ほぼ30年経った今は、そのブルーが退色によってカラー撮影の部分と非常に良く溶け合っていて気持ちよく見られました。
映像は映っているものが全てで、その色彩も決定的な要素だと思います。

また映画の魅力はその内容だけでなく、波多野教授がシンポジュームでもいっていた「夾雑物」にもあります。作者の意思を超えた様々な事物が、フィルムには写ってしまっているのです。その「夾雑物」が時間が経つとまた別の意味を発揮してきたりもするのです。

特に自主制作の作者たちは、「全く新しい内容と、全く新しい表現論」を模索して作っているのですが、そこには作者の意識を形成させているその「時代」があるのです。
もしそれまで見たことがない新鮮な映画が誕生したにせよ――その母親は作者たちでも、父親は「その時代」だといえましょう。換言すれば「時代によって作らされている」という一面があるということです。

といった訳で、昔の映画を見る時は、その「父親」や「夾雑物」を感じながら見ると、非常に面白い世界が広がってきます。
シネマ・下北沢でいま開催中の
「アンダーグラウンド・アーカイブス1958−1976」にも時々出掛け、見逃していた作品と向かい合っているのですが、先日は全く予期せぬ人物をスクリーンの中に発見しました。

’76年に作られた岩佐寿弥監督の『眠れ蜜』を見ていると、突然「吉行さんの頭の雪を払って〜〜」と聞き覚えのある声――何と25年前の鈴木志郎康さんでした!
鈴木さんと岩佐監督とが《なに繋がり》なのか全く分りませんが、鈴木さんは、劇映画のロケ現場(函館)に女優・吉行和子さんを取材にきたTV局のカメラマン役での出演でした。


22 2001.5.31 あの『冬のカゲロウ』が遂に完成!

この「かわら版」でも2〜3度取り上げたことのある『冬のカゲロウ』ですが、1月の「ロケ便り」を最後にぷつりと途絶えてしまっていたので、訪問者の中には訝る方も多かったと思います。
実は春の始まりの頃に、
二瓶 剛監督が脚本の小川昌之君、撮影の赤間康隆君と一緒に仮編集のビデオを持って来宅しておりました。

この『冬のカゲロウ』は、東京造形大学の研究生である二瓶君の卒業制作で、担当はこの春に定年退職をした波多野哲朗教授(現在は非常勤)――その仮編版を見た教授からは「情感が乏しい」など、かなり手厳しい批判を受けたそうですが、あのシナリオがあつて、更にこの作品にかける彼らの情熱を知るぼくには、そんな筈はなかろうと信じていました。

しかし、その仮編版を見て愕然――ロング・ショットが多用されている為に役者の表情は見えず、アップ・ショットやバスト・ショットがたまに入っていても秒数が短いために、極端な言い方をすると、誰がどれなのかも分らないようなありさまで、あの傑作シナリオ(細部に色々と問題はあるにしても)をして何と体たらく――訳の分らない代物と化してしまっていたのです。

勿論、一緒に見ていた彼らも、この編集に満足していた訳ではありません。
教授のアドバイスや、この試写で論じ合ったことを踏まえての再編集となり、5月12日からおこなわれていた「波多野哲朗先生定年退職記念行事」の上映会の時に、その完成版を手渡されました。

あの仮編版を見た後に、「磨けば光るダイヤの原石(=シナリオ)を糞ダメに落としてしまいましたね――!」などと、はしたなく罵ってしまいましたが、冷静になって考えてみると、所詮学生さんが作る作品――期待した方が間違いだったと諦めることにしました。

そういった訳で、完成版は頂いたものの見る気が起こらずほったらかしにしておりましたが、一昨日の晩はどういう訳か寝つきが悪かったので、意を決して見ることにしました。
するとどうでしょう――約2ヶ月間を本編集と仕上げにかけたというだけのことはあって、『冬のカゲロウ』は見事に蘇生しておりました!
翌日には妻と一緒に見ましたが、食い入るようにしていた彼女が、再生が終わるや否や「凄い――!」と叫び、やや興奮気味に喋り捲ります。

『冬のカゲロウ』は、人間関係の崩壊をテーマにした作品――内容は見てのお楽しみですが、そこには学生作品にありがちな「甘え」も、プロ作品にありがちな「観客への媚」も皆無です。
出演者の一人であるぼくがいうのもなんですが、ここ数年来の大収穫(チョッと誉めすぎか?)――細かいところを突けば色々とあるでしょうが、機会がありましたら是非ご覧になって下さい!(公開方法は未定)

それにしても驚くべきはその制作費で、何とたったの30万円余りだそうです。よくそれでこれほどの作品が――ということも凄いと思いました。
VTR作品ということもありますが、ロケ現場となった病院を初めとする施設などの好意や、手弁当のスタッフ、キャスト、そして友人たちなどの協力があったればこその産物です。

ともあれこれで、造形大からまた期待できる新人が誕生したという訳です。


21, 2001.5.17 「映画に何ができるか」と、この10日間

年をとると日々の刺激は薄れ勝ちですが、それでもこの10日間は色々なことがあって久方ぶりに若さが甦ってきました。

5月9日(水)から2泊3日で、伊豆長岡温泉に行って新緑の森の散策と温泉とで心身のフレッシュ――、
帰京した翌日の12日(土)には、東京造形大学でシンポジュームがあり、17日(木)には
『無人列島』『時が乱吹く』(トーク付き)が上映されました。
その同じ時間にはシネマ・下北沢で
『王国』が、またその前日=16日には『夢走る』『一本勝負のキリギリス』『ジョーの詩が聴える』の歌・句・詩シネマが早稲田大学芸術学校で上映されております。

この早稲田の方は、今年度から早稲田大学と早稲田大学芸術学校の非常勤講師となった那田尚史(映像研究者)の授業で、この日はオープン授業であったので受講生のほかに一般の方にも観て貰うことが出来たそうです。

さて、造形大でのシンポジューム(と上映会)ですが、開校以来同校で教鞭を執ってきた波多野教授が定年退職となり、「波多野哲朗とその教え子たちや仲間たち」実行委員会が結成されて、12日から1週間の記念行事――その初日のシンポジュームのタイトルは「映画に何ができるか〜変革か救済か〜」で、二部構成でおこなわれました。

第一部・「教えた人たち編」のパネリストは、波多野哲朗かわなかのぶひろ金井勝出口丈人・(ビデオ出演 松本俊夫)で、司会は小野沢稔彦――全員が造形大で教えていたり、かつて教えていたことのある人たちで、ぼくも’77年〜’82年まで非常勤講師をしており、昨年度の後期からまた復帰しております。
第二部・「教わった人たち編」のパネリストは、
鈴木敏明犬童一心諏訪敦彦村松正浩、司会は筒井武文――このうち、鈴木、犬童、諏訪、筒井は前の非常勤時代の教え子たちで、彼らの活躍を頼もしく思っております。

鈴木はドキュメンタリーの演出家――NHKの大河ドラマ『北条時宗』放送後に、その縁の地などを紹介する短い番組がありますが、彼は今その番組をレギュラーで作っているのだそうです。
『二人が喋っている』でキリンコンテンポラリー・アワード最優秀作品賞を受賞した犬童は、サンダース映画祭でも1000万円をゲット――今年も新作を発表、来年も作ると意気盛んです。
『M/OTHER』でカンヌ映画祭・国際映画批評家連盟賞を受賞している諏訪は、アラン・レネの『二十四時間の情事』のリメーク映画が作れなかったという作品(日本では秋に公開)を携えて今年もカンヌに乗り込むそうです。
筒井は監督たちからその審美眼を信頼されている評論家――彼は(映画の)編集技術にも優れた才能を持っていてエディターとしても活躍し、また映画美学校でも教えております。

矢口史靖や前記の村松などを含め、多くの逸材を世に送り出してきた造形大――そこには波多野教授の映像への尽きぬ情熱がありました。
彼は、専門の映画理論や映画評論での活躍はもとより、自分でも監督をしたり、学生と一緒になって映画制作したりしてきております。
その実績をふまえた人望によって、学生や卒業生たちから愛され、ここに集結――ディスカッションの後におこなわれたパーティーは盛大でした。

彼のその人徳の恩恵に浴する形で、ぼくも色々な人たちと逢うことが出来ました。
既にこの「映像かわら版」などでお馴染みの
『職業 映画監督』の演出家・我妻まやにも逢えました。彼女はPeaceBoatという船に乗って世界一周しながら撮った作品のいま仕上げ中――全国上映に向けて張り切っておりました。
またぼくの友人がやっている博物館映像学研究所で働いているという
櫻庭美保とも話しました。彼女も我妻どうよう3〜4年前の卒業生なので初対面です。
そこにはまた電通テックで働く
熊谷朋之などの懐かしい顔もあります。関野正顕の卒業制作『クズ共に電光石火の夢を!!』という16ミリ映画に、ぼくはヤクザの親分で出演しましたが、彼らはそのスタッフでした。

こういう機会を与えてくれた波多野教授(と仲間たち)に感謝――、
彼はこの4月から日大芸術学部大学院の教授となりましたが、非常勤講師として造形大でも教えております。

益々のご活躍を念じております――!
                                           
(敬称略)


20, 2001.5.2 中学の同窓会 ― その思わぬ収穫!

中学の同窓会が河口湖であって、4月27〜28の両日にいってきました。
数日前から風邪気味でしたが油断したのがいけなく、家に帰ってから咳が止らず寝込んでしまい、楽しみにしていた「IFF2001」も明日(3日)からになってしまいました。

それはともあれ、中学を卒業しておよそ50年が経つ男13名と女12名が、河口湖湖畔の富士ビューホテルに集合したというわけです。

ぼくたちはみな昭和11年か12年生れで、関東平野の最西端に位置する神奈川県高座郡田名村で育ちました。
その後市町村の合併で相模原町になり、相模原市と変わりましたが、中学生時代はその「町」の時代で町立田名中学校――第4期生です。

その田名地区に昨今工業団地が進出して人口も急増しましたが、当時は養蚕を中心に営む鄙びた農村――生徒数も少なく、1学年男女合わせておよそ90人でした。
しかしそんな僻村でしたが、有難いことに相模川の清流が滔々と流れており、夏休みなどはみな魚捕りや水泳など川遊びに明け暮れておりました。
ぼくの自慢は鰻捕りで、夕方になるとモジリという竹で出来た漁具を川底に仕掛け、それを明け方に引き揚げるのですが、本当によく捕れました。今ではとても食べられない、脂がのった天然鰻です。

こういう環境でのびのびと育ったせいか、同級生は多士済済――、
共同通信の専務まで上った
白井宏尚さん(現在は同社顧問)、木村伊兵衛賞と土門拳賞を受賞している写真家の江成常夫さん、そして相模原市筆頭助役の木下辰夫さんなどがおりますが、地元で中堅の電気施設工事会社を経営している小野重雄さんもなかなかのつわものです。

彼は子供の時から馬が好きで、戦後相模川の河川敷で開催されていた草競馬の名ジョッキー ―― その惚れ惚れとする手綱捌きで大人たちが跨った馬たちを蹴散らしていたのです。
その少年時代からの思いが嵩じて彼は今や馬主、これまでの持ち馬は百頭近くにもなるそうなので半端ではありません。

そんな小野さんと談笑中に、思い掛けない情報を入手できました。
ぼくの次作は『右翼と少年〜あなたは少年時代に誰と出会ったか?』(仮題)と決めていたのですが、その右翼とは相模川対岸の中津に住んでいた大川周明のことで、右翼というよりアジア主義者、あるいは彼のライバル・北一輝同様に超国家主義者と呼ぶべきかも知れません。
ともあれ、その中津時代の周明をよく知る御仁が小野さんの知人にいるということが分ったという次第です。

風邪を拗らせてしまったのは誤算でしたが、同窓会は正解――これで次作の目処がつきそうです。

ホテルからの富士山 小野重雄さん(左)と小生

 


19, 2001.4.17 IF25期生の第1作品がスタート

IF付属映像研究所が開所されて25年目に入りました。
この間当然のことながら、豊穣の年もあればそうとはいえない年もあって、
かわなか のぶひろさんや鈴木 志郎康さんたちとその指導方針を毎年桜の季節に検討――それを実践に移してきました。

この研究所の特徴は、1年間を通して受講生の「制作」に「講評」を絡ませながら進みますが、その講評は絶えず2人(以上)の専任講師によっておこなわれていることです。
現在の専任講師は前出のかわなか、鈴木両氏の他に、
奥山 順市萩原 朔美西嶋 憲生村山 匡一郎中島 崇池田 裕之さんたちと、ぼく・金井 勝の9人です。

これまでは夏休みまでに各自が第1作品、第2作品を制作し、そして夏休み作品、卒業制作へと続くのが常でしたが、昨年度はその第2作品をグループ制作にしました。
その結果
『NAMI』という大傑作が生れた反面、外のグループにはさしたる成果は見られませんでした。
特に、このグループ制作で消極的だった者の中には、夏休み作品が作れない人も多く、それが卒制にまで響いてしまったようです。

その反省を踏まえて、本年度は第1作品から卒制でおこなっている「プラン講評」を取り入れ、それを基にして各自が制作――その作品として撮ってきたものに対して「中間講評」をおこなって、本当の意味で「作品」と呼べるものに仕上げてゆくという方針です。
言わばミニ版の卒制形式であり、またこれまでの第1作品と第2作品を1つにしたという形でもあります。

目指すは映像作家――その自覚を確たるものにさせる為、その第1作品のテーマは「頭の中で作った出来事(あるいは妄想)」――先日その「プラン講評」でぼくは奥山さんと一緒にBクラスを受持ちましたが、予想を大きく上回る熱気と内容でしたので、予定時間には収まり切れず補講をおこなうことになりました。嬉しい悲鳴です。

やはり何事も最初が肝心――この幸先良いスタートで、25期生に寄せる期待も大きくなりました!


18, 2001.4.10 あの黄金時代がシネマ下北沢に甦る!

ぼくはこの7月9日で65歳になります。
その半生を顧みると、(ぼくの)年齢と時代との幸運な出合いが3回あったと思います。
その1回目は小学3年生の時の終戦であり、3回目は(出口の見えないこの状況下で口幅ったいようですが)現在を含めたこれからです(笑い)!
これらについてはHPや映像作品などでおいおい発表していこうと思っております。

さて真中の2回目ですが、それは’50年代後半から’70年代半ばまでの青年期で――日芸の映画学科から、大映東京撮影所を経て独立プロを結成、『無人列島』(’69)、『GOOD−BYE』(’71)、『王国』(’73)を制作して全国上映をおこなっていた時期です。
その背景となる映画界は、絶頂期から、一転して凋落への道を辿ってゆくのでしたが、逆にそのことによって新しい映画の可能性も生れてきて、若き前衛映像作家たちの黄金時代となったのです。

先日、平沢さんという方から連絡があり、「アンダーグラウンド・アーカイブス 1958−1976」と銘打って、当時の非商業映画作品の一挙上映を企画中だとかで、前記3作の内の『王国』にお声が掛かりました。
『王国』は、若き詩人・五九勝丸が、全てを忘却の彼方へ押しやろうと企む「時間の神・KRONOS」に敢然と立ち向かってゆくという新しい神話――フランスの映画評論家=マックス・テシエの手によりカンヌでも上映された作品です。

鳥博士を演じる大和屋竺 時王役の岩田信市と、五九勝丸を演じるむささび童子

『アンダーグラウンド・アーカイブス 1958〜1976』
5月12日(土)〜6月29日(金)
シネマ下北沢にて全日ロードショー!!

《上映予定作品》  

日大映研
  /新映研
「釘と靴下の対話」’58 「Nの記録」「沈む」’59 「プープー」’60 
「椀」’61 「恐山」’62 「鎖陰」’63
城之内元晴  「ゲバルトピア∞」’61〜75 
「ハイレッドセンター・シェルタープラン」’64
田辺泰志  「む」’61 「空、見たか」’72
山野浩一 「△デルタ」’61
飯村隆彦  「LOVE」’62 「リリパット王国舞踏会」’64
高林陽一 「砂」’63 「ひなのかげ」’64
野田真吉  「オリンピックを運ぶ」’65 「ふたりの長距離ランナーの孤独」’66
おおえまさのり  「HEAD GAME」 「SALOME’S CHILD」’67
岡部道夫 「天地創造説」’67 「クレージー・ラブ」「貴夜夢富」’70 
「歳時記」「少年嗜好」’73 「回想録」’77
粕三平 「怨霊伝」’67
宮井陸郎 「時代精神の現象学」’67 「微分現象学」「積分現象学」’68
原将人 「おかしさに彩られた悲しみのバラード」’68
松本俊夫 「つぶれかかった右眼のために」’68 「エクスタス=恍惚」’69
康浩郎 「むちうたれる者」’69
沖島勲  「ニュー・ジャック&ベティー」’69
岩田信市 「ザ・ヴォーキング・マン」’69
岩佐寿弥   「ねじ式映画・私は女優?」’69 「叛軍4」’72 「眠れ蜜」’76
長野千秋     「O氏の肖像」’69
吉岡康弘   「脱皮の記念碑」’69 「岩の声・中本達也の世界」’73 
「ガーベルの日本幻想」’74
足立正生    「赤軍−PFLP・世界戦争宣言」’71
山崎佑次 「反国家宣言」’72/’95
松川八洲雄   「土くれ」’72 「HANDS・手」’74
大野松雄    「ザ タージ  マハル トラベラーズ」’73
金井勝      「王国」’73
大森一樹    「暗くなるまで待てない!」’74
藤沢勇夫    「バイバイラブ」’74
瓜生良介    「味覚革命論序説」’75
柳町光男    「ゴッド・スピード・ユー!/BLACK EMPEROR」’76
                                  (年代、50音順)

〈特別プログラム・「ゼロ次元」復活!!〉
加藤好弘 「因幡の白兎(マルチプロジェクションバージョン)」他

■ 作品変更の可能性もあるそうですので、
  正式なプログラムが決まりましたら「上映会情報」に掲載致します――宜しく!


17, 2001.3.17 特報!「IFF2001入賞作品」決定!!

国内最大の実験映像の祭典・
「イメージフォーラム・フェスティバル2001」の入賞作品が決まりました。
入賞者の皆さんおめでとう御座います。

イメージフオーラム・フェスティバル2001
IMAGEFORUMFESnvAL2001
入賞一覧
PRlZES


●大賞:1点(制作助成金40万円、トロフィー、賞状)
 FADE into WHlTE #2 五島一浩、ビデオ、11分、2000

●審査員持別賞:1点(制作助成金30万円、賞状)
 カラエナ  岩田勝巳池田泰教、ビデオ、7分、2000

●入選:4点(貫金各5万円、賞状)
 
放飼 武藤浩志、ビデオ、7分、2000
 
[cameRa] 徳永富彦、ビデオ、33分、2000
 
男のサービスエリア 樋渡麻実子、ビデオ、41分、2000
 
版#13,#14,#12及び#10 
           
伊藤隆介、16mm/インスタレーション、2000

●奨励賞:3点(賞金各3万円、賞状)
 
R 斎藤正和手嶋林太郎、ビデオ、6分、2000
 three minutes out 田端志津子、8mm、3分、2000
 
誉めよ、誉め讃えよ 秋浜瑞紀、8mm、25分、2000

余談ですがこのうち、
『放飼』の
武藤浩志、『男のサービスエリア』の樋渡麻実子、『three minutes out』の田端志津子、『誉めよ、誉め讃えよ』の秋浜瑞紀はIF23期生です。
これに「かわら版」11月28日号で既にお知らせした、〈BBCC〉グランプリの
二宮正樹(『以毒制毒宴』)、同二等賞の武藤浩志(『放飼い』)、〈神奈川映像コンクール〉最優秀賞の木村文昭(『ホームへ帰る』)、〈あきる野映画祭〉グランプリの井上朗子(『ダイヤローグ 1999』)などがおり、流石は〈黄金の23期〉です。
これはあくまでぼくの知る範囲ですので、受賞情報をご存知の方は宜しくご一報下さい。
katsu@mail.hinocatv.ne.jp


16, 2001.3.9 弥生の春風

歳をとったせいか、近頃は「春」が本当に待ち遠しくなってきました。
三寒四温を繰り返しながら「春」はやってくるのだそうですが、それにしてもここ2〜3日は真冬のような寒さです。
しかし植物は季節に正直――気がつけば庭の片隅でフキノトウが勢いよく顔を出していました。

個人映像上映会の方も、3月に入って一気に動き出しました。
IFの本科と専科の卒業制作展を初めとして期待できるプログラムが目白押し――それに伴い、我が「映像万華」の「実験映像・上映会情報コーナー」も、休む暇なくアップロードを続けております。

また東京造形大やIFの卒業生たちも夫々に躍動――村上賢司(IF15〜16期)・白尾一博(IF16期)・樋渡麻実子(IF22〜23期)さんたちと、12日(月)に会うことになりました。今後彼らがどういう映像活動を展開してゆこうとしているのかは、その時に分ると思います。
また造形大の研究生・
二瓶 剛監督が、『冬のカゲロウ』の編集を終えて、スタッフの小川 昌之赤間 康隆の両君と一緒に18日(日)に来宅――スタッフ試写ということになる予定です。
この作品にはぼくも出演しており、二瓶君の頑張りを知っているので、大いに期待しております。

一方海外からも便りがきました。この「かわら版」1月13日号で触れた我妻まや監督(造形大卒業生)からです。
彼女は、PeaceBoatという船で世界を一周しながらの映画作り――現在は、船にエンジントラブルが発生したため、ケニヤに滞在中だそうです。

それでは、その便りの一部を紹介しましょう――。

(前略――)
ケニア滞在は2日の予定が20日間に延びました。
ここで私たちは、脚本の一部書き直しをしなくてはならなくなりました。
ケニアの風土をもりこんだシーンを加える、ということと、船の乗りかえがある
ので、そのエピソードを加えるということです。
現在はその作業で一日がつぶれ、ミーティング、ミーティングです。

そして、5人の監督と1人のカメラマンで映画を撮るというふれこみでしたが、
制作+録音をやっている1人の男の子をはずすわけにはいきません。
彼は、6人のメンバー以外の参加者ですが、彼なしにこの映画はないでしょう。
弱冠21才の学生ですが、制作をひとりでうけもっています。後藤君といいます
が、いまのところ彼が私達のボスです。

弱音ばかり吐いていますが、役者さん(素人の方)に、「まやちゃんが日焼けし
ないでって言うから、今日は完全防備なの」と、長そで、長ズボン、帽子という
格好で言われたときは、本当に感動しました。(ケニアは日中30°C以上)

様々な人の協力のもと、今回の映画はなりたっています。
だから、もうひとふんばり、もうひとふんばり……と、毎回自分に気合を入れ
ています。

最後に……映画って本当に、大変ですね。  (ワガツマ) 

※ 「映像万華」へのご訪問有難う御座います。
  HPを開設して一年が経ちましたが、当初はフォトショップがなかったため写真が
  汚く、誠に申し訳ありませんでした。
  そこで最初のころの写真のやり直しを只今おこなっておりますので、お見苦しさ
  は漸次解消していくと思います。
  今後ともご贔屓のほど宜しくお願い致します。 (編集長・勝丸)
                                                            


15, 2001.2.28 2月28日は「映像万華記念日」

麗らかな日和に誘われて、昨日多摩丘陵の一隅にある百草園(もぐさえん)に行ってきました。
家から歩いて30分足らずのところにあるので、この季節になると毎年出かけることにしているのです。

梅の名所として知られる百草園――江戸時代から文人墨客が訪れている由緒ある庭園で、800本余りの紅梅白梅が芳香を放って春の到来を告げておりました。(写真は百草園の俯瞰)

さて、一夜明けた今日28日は我が家の「HP記念日」です。
頼りはマニュアル本だけという独学でどうにかアップロードの手前までは漕ぎ着けたものの、そこからが大変で、どうやっても受付けてくれないのです。
そこでプロバイダーに問い合わせると、URLがindex.htmになっていたからのようで、トップページだけはhtml――でなければ駄目だということが分りました。
しかし、その段階でどうしたら訂正できるのかが分らず――後にHPの師匠となる
鈴木志郎康さんに助けを求めたという訳です。

受話器の向こうから「それは簡単――ファイルの名前をマウスで右クリックし[名前の変更]を押して、書き換えればOK――」だといいます。
そのとおり実行してみると難なくアップロードに成功――この感動の瞬間をもってこの「映像万華」が誕生したのです!
鈴木さんは早くからPCに精通しており、その後もアクセスカウンターの件などで来宅指導(3月23日)をお願いしたり、「映像万華」の名物ともいえる(
『夢走る』からとったおでんさんの声)「いらっしゃんせ…………!」の音声を作って貰ったりと、大変にお世話になっております。

また周知の如く、HPは世界にダイレクトで繋がっております。
先日もアメリカ人の
Mike White さんという人からメールがあって、「かないシネマ」のことを書きたいのでその資料としてビデオが欲しいということでした。
だがぼくの弱点は
語学――長い間英語にはご無沙汰だったので(特に)英作文は丸で駄目――そこで、IF映像専科に通っている吉本ナオキ君に翻訳を依頼しました。
彼は、Returnee Japanese children(=帰国子女)ですので英語はお手の物――快く引き受けて頂き本当に助かりました。

しかしHPを持った以上、やはり語学は少しは出来ないとまずいということで、この度「一発翻訳」というソフトを購入しました。翻訳ソフトは語学がある程度出来ないと無意味だと聞いておりましたが、今年に入って中央競馬は2戦2勝――フェブラリーステークスに続いて先週の中山記念もゲットしているから「駄目元」感覚で、今日これからインストールしてみるつもりです。
それにしてもHPを開設したことによって様々な挑戦や冒険――それらをみな楽しみながらやっている今日この頃です。

ともあれ、お陰さまで「映像万華」は無事に1周年を迎えました。
訪問者も当初の予想を大きく上回って盛況――
皆様方に深く感謝致します。


14,2001.2.12 造形大「映像芸術V」はなかなかのもの!

ぼくの本然の性は「歯に衣着せぬ性質」ですが、HPは楽しくあるべきものだという信条があって、「映像万華」では誹謗中傷は勿論のこと、出来る限り肯定的なものを取り上げ「勇気の出るWeb雑誌」を目指しております。

さて、21世紀に入ってからのこの「かわら版」は、1月13日号で「我妻まや監督からの吉報!」、25日号では「『冬のカゲロウ』ロケ便り」を掲載しましたが、ともに東京造形大学の卒業生や研究生の活動でしたので、また造形大かと訝る読者もおいでかと思います。
が、ぼくが後期を担当した「映像芸術V」の作品に触れなければ、冒頭にある信条から察して「否定的な出来だったのでは」と勘繰られる恐れがありますので触れない訳にはいきません。

この映像芸術Vの受講生(殆んどが3年生)は当初18名――前期をかわなか のぶひろ教授が担当し、そのバトンを受け継ぎ各自が制作する作品指導が中心の授業です。
その作品提出者は17名(その内の1名はドキュメンタリーの長篇のため後日受理)で、1月11日に かわなか教授とともに審査をおこないました。
結論から先に言うと予想以上の出来――その幾つかをここに紹介しようと思います。

川上まゆ子『女子レバーボール』は、先ず体育のバレーボール・教本と、パックに入った食品・レバーが現れ、タイトルとなります。
と、そのレバーが(コマ撮りで)賽の目になってゆき、あたかも生き物のように息づきはじめます。
一方教本の方では1人のバレー選手(写真)の身体がぴくりと動き、やがて教本から抜け出してきて腰を落として構えます。
すると如何でしょう!賽の目になったレバーが空を切って飛び、それをダイレクトで打ち返す選手――他の選手も次々と駆けつけて、バレー(選手)とレバーの大合戦が展開してゆくではありませんか!

この奇想天外な『女子レバーボール』もまだまだ発展させる余地があって本当の意味で完成作品とは言えませんでしたが、そのハードルをクリアーすればあの「IF・黄金の23期」の中に入れてもトップクラスの傑作――それが かわなか教授と見解を一にするところです。

映像作りの才能という点では奥 亮英――彼の作品『彼岸娘との飯事』は、「二十歳の原点」の著者・高野悦子の詩の映像化で、自分で描いた絵と、森や湖などの画像とをコンピュータに取り込んで処理したものでしたが、その技術と感性に非凡なものを感じました。次作はそのもてる才能をフル回転させて自分自身の「オリジン」を追求してもらいたいと思います。

福田元晃『金魚』は、水槽に顔をつけて我慢する少年が主人公――息が苦しくなってふと脳裏によぎるものがインサートされてきますが、それは少年が何時か見た風景で、なかなか考えた作品でした。しかし厳しく言えば、挿入される風景の選び方や視線の高さ(特に幼稚園)などにもう一工夫欲しかったようです。
秀逸だったのはそのラスト・ショット――『金魚』というタイトルから受ける観客の想像を、見事に裏切ってフレーム・インしてきたのは水槽いっぱいの大きな大きな金目鯛でした。

高橋創一『かり(仮)』はコンドームが主人公の立体アニメ――ズボンのポケットから転げ落ちたコンドームが動き出します。
やがて彼(コンドーム)は黒い粘土を割ってペニス状の物体を作り、それに被さって寝ている女性の口の中に侵入します。
この時の撮影技術はなかなかのもので、本当に呑み込まれたかのようでした。やがて女性は何かを吐き出しますが、それは疲れきったコンドーム――その後の展開が余り芳しくなかったので勿体なく、更に緻密な計算をして発展させて貰いたい!

山西絢子『穴』はものを食べる女の口元だけで構成されています。
菓子を食べ、飴をしゃぶり、ケーキを頬張る。それらがみなワン・ショットづつで進み、ラストは胡瓜――この胡瓜になった途端に舌がそれに絡んできてエロチックになり、後は胡瓜がズズーと口の中に消えてゆきました。この消え方は高橋の『かり』と同様に見事です。
残念なところは、この胡瓜のショットだけが複数であったことで、これもワン・ショットの方が良かったと思うし、食べるものも朝から晩までとか、何らかのコンセプトが必要だったと思いました。

遅れて提出した玉野祐子『業師』は50分のドキュメンタリーで、脳性マヒの障害をもつ42歳の女性を取材しておりました。
その彼女は、「私の個性は障害者」とか「私には幾つのも顔があるの」とか言い放ちますが、それでいて憎めない強かさの持主――ワザシと云うタイトル通り、なるほどと頷ける捉え方をしておりなかなかの力作でしたが、彼女と作者・玉野との関係がもっとはっきりすれば奥行きも出てきてた筈ですし、もっと判り易い作品になったと思います。

実際に街で指の匂いを嗅ぐ女性を見たのがヒントとなったと云う中村 潔『Yubinonioi』など、まだまだ取り上げたい作品が沢山ありましたが切りがないので今回はこの辺りまでに致します。

作品を作り発表することは、観客との真剣勝負です。
観客はスクリーンを通して作者の頭の中を覗こうとしていますので、強かな戦略が必要――そのことを念頭に置けば必ず観客の脳細胞に痕跡を残し、忘れえぬ作品になる筈です。
ともあれ来年度の卒業制作が大いに楽しみ――皆さん頑張って下さい!

 


13,2001.1.25 『冬のカゲロウ』ロケ便り

この「かわら版」で二瓶 剛監督の『冬のカゲロウ』(仮題)については既に二度ばかり触れております。小川 昌之と二瓶が書いたそのシナリオに興味を惹かれて、ぼくは陰の主役ともいうべき幸蔵の役を引き受けたというわけです。(撮影は赤間 康隆でこの三人がメイン・スタッフ)

テーマは一口にいうと人間関係の崩壊――確かに家庭や友情や恋愛関係の破綻などを描いた作品は沢山あって決して目新しいとはいえませんが、『冬のカゲロウ』の面白さは強かに編み込まれたその構造にあリ、それがこれまでにない新鮮さを醸し出しているのです。

ラーメン屋の主・幸蔵とその家族、幸蔵をオヤジと慕うヤクザの頭・健吾とその組織、若い組員のマルオとヒデオ、幸蔵の娘・ノリコとその恋人・秀一朗、そして幸蔵が入院した病院の医師とその家族などが実に巧妙に設定されており、それらが複雑に絡みながら徐々にその夫々の関係が崩れ去ってゆくという展開です。
このシナリオを一読してこれまでにない映画を感じました。
この若い才能を、及ばずながら何としても開花させてやらねばと思ったという次第です。

さてぼくの出演シーンですが、最初は暮の28日に撮影したトップシーンのラーメン屋――「オヤジ、このラーメンまずいよ」という客を送り出して、店仕舞をしている最中に幸蔵は倒れこんでしまいます。
こういう出だしからしてユニークで、観客との間に緊張感が生れてくると思います。

次の撮影は、この前の日曜日と月曜日――、
21日は今年二度目の大雪となりましたが、二瓶監督が明け方の光の中で撮りたいというので午前2時に二台の車で出発――茅ヶ崎の小さな漁港へ行きました。
ところが、二瓶が運転する車が砂場に入ってしまって立ち往生――こちらの車(ワゴン)にロープをつけて曳いたがロープが切れてにっちもさっちもゆかなくなりました。

空は段々と明るくなりスタッフ一同が途方にくれていると、そこに屈強の男が現れます。湘南の海の男――サーファーでした。
彼はジャッキーで車輪を持ち上げ、タイヤの下の砂を掻き出してから落ちていたビニールで手際良くスロープを作ります。後は、切れたロープを再び繋ぎ合わせてワゴンに引っ張らせながら、スタッフが力を合わせて車を押すと、砂地獄からの脱出に成功――その時のサーファーに、ぼくは「神」の存在を感じました。

やがてスタッフはその脱出した車を中心に撮影を開始――、
ワゴンからその様子を眺めていると、丘側を背景にして攻めているので段々と苛立ってきました。
何故かというと、その時の海原には驚くべき大波が次々と押し寄せていて、その上に急に気温が上がったものだから水蒸気が立ち昇って斜光線の陽の光に輝いており、ぼくがかつて見たことのない光景――漁に向かう船は、あたかも雲海の上を走っているかのようだったからです。

Bカメラを担当する小川がきたので、早速車越しの海と、その蜃気楼にも見える異様な海原を撮らせました。(正確には最高の光景からはチョッと時が経った感があります)
ぼくの持論の一つに「映像は、例え天才でも人が作るものは高が知れている、そこに神様(偶然といっても良い)が味方した時に、途方もない映像が生れるのだ」というのがありますが、あのサーファーは正にその「神様」――彼は丁度良い頃合をぼくらに与えてくれたのだと思いました。

そのシーンの撮影が終わって、ぼくの出番――幸蔵の命を狙う者がいて、入院した病院の医師が他の病院に転院させる為にワゴン車を飛ばします。
ぼくは車の中で虫の息状態の幸蔵を演じ、この日の撮影は終了となりました。

翌23日の撮影は、幸蔵が運ばれた先の病院――、
これはこの作品のラストシーンで、白痴状態になった幸蔵が若い看護婦たち(鈴木和子さんと結城栄美子さん)の歌う「八ーピーバースデー」に合わせてケーキに刺さった蝋燭の火を消してゆきます。
これは1シーン1カットの撮影でしたが、何故か巧く演じられたような気がしましたので楽しみにしております。
後、28日に最初の病院の撮影をすればぼくはお役御免――作品も2月中には完成すると思いますので「乞う、ご期待!」です。

看護婦役の鈴木さん 鈴木さん撮影の,小川・赤間・金井・二瓶と結城さん

 


 12,2001.1.13 我妻まや監督からの吉報! (※ 11は欠番)

昨年の初夏に、この「映像万華」で「IFF2000 雑感」を掲載しましたら何人かの映像作家からメールを頂戴しました。
自分の名前を検索していたらこのHPに辿り着いたというのがその殆んどで、一般公募部門奨励賞
『職業 映画監督』の作者・我妻まやさんもその一人でした。

その我妻さんは東京造形大学の卒業生だそうですが、今年の9月から造形大に非常勤で行くようになったぼくですので、勿論面識はありません。
その時のメールには「たまたま、インターネットをいじっていて自分の作品の批評がされていたのでびっくりいたしました。また、作品を作ってどこかの映画祭に応募できればと思っている毎日です……」とありました。

もう四半世紀にもなるIF付属映像研究所からも、これまで数多くの優れた映像作家が輩出しましたが、女性の場合には卒業してから歳月が経つにつれてその影が薄れてゆくのが常でしたので、昨年和田淳子さんが『ボディドロップアスファルト』(制作・愛知芸術文化センター)を発表したことに専任講師の一人として非常な歓びを感じました。

そんな状態ですので我妻さんのこれからもチョッと心配でしたが、昨日頂いたメールは吉報――船に乗って世界一周の旅をしながら作る映画の監督に選ばれたのだそうです。本当におめでとう御座います!
乗船する映画スタッフは公募で選ばれた若者たち六名――大変だと思いますが、女性作家のこれからの活躍の為にも是非頑張って貰いたいと願っております。                                          

おひさしぶりです以前、返事をいただいたわがつまです。
突然ですが私はまた映画を撮ることになりました。ちょっと今回
は特殊で世界一周をします。

クルーズをするpeace boatという船に乗って撮る映画――去
年の冬に、監督、カメラマンを募集していて応募をしたのがきっ
かけです。
実際に、うまくいけば今年の秋に公開よていなので
すが……。

しかし、いままで個人で映画を、というかドキュメンタリーを撮る
ということが主流だったので今回の劇映画(と言う定義づけはあ
やふやですが)は戸惑うことばかりです。
やはりチームを組ん
で作業をするというのは大変でした。

6人のチームですが女の人は私の他にはいないので初めはそれ
だけで大変なストレスでした。今は全然平気ですけども――。

来週の火曜日に出航します。いい機会なので、どうにか時間を作
って世界一周を楽しんでこようとおもっています。
では。

※詳細は、企画:映画「ON THE BOAT」制作上映委員会



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